昨日は自動車道路のことを先に書いたけど、歩いての散歩ゆえ、道路以外に発見したことがあったので、それをご紹介する。だが、実は、最初の目的地には到達せずに帰宅してしまった。車で目的地に到着できないのは日常茶飯事だが、歩いても着かないということがわかった。そうなると、これは運転技術の問題ではなく、根本的に場所を認識する能力が欠如しているらしいと思えた。やばい。
方南町交差点の写真撮影を終えると、私は環七に沿って歩いていった。目的地は環七に沿って20分くらい歩くと着くそうだから、迷いようもないのだ。
歩道には、このようにゴーヤを育てている家などもある。ここのゴーヤは、黄色い花がいっぱい咲いていてきれいだ。うちのように高層階のベランダの場合は、外側からこんなふうに見る事ができないので、その点は残念である。
さらに、進むと、川があった。善福寺川である。この写真の反対側には「環七地下調節池取水施設」というのがあるらしい。大雨が降った時に水を大量にためて洪水をおこさせないようにするもののようだ。環七通りに標識がついていた。
この写真の景色はかなり目を引くので、1枚写真を撮って景色を眺めた。
あれっ?
川が反対方向に流れている? どうして??? おかしいな・・・。
善福寺川の流れが、思った方向と逆なのだが、川っていうのはうねうね曲がったりするし、もしかしたらその取水施設なんかの影響で流れが違っているのかも・・・などと都合よく解釈して通り過ぎた。
そして、このあたりを過ぎる。
さらに進むと、右に「なんじゃこれ!!!」というような、ものすごい建物が見えた。
日本かここは?
思わず、環七通りを外れて、建物のほうに引き寄せられていった。
そういえば、このあたりは「佼成○○」という施設がいっぱいである。
学校・出版社・病院・駐車場・・・
大聖堂。きれいだけど、その大きさ、ものものしさ、異様さ、なんと表現すべきか。
このあたりは、「立正佼成会」の本拠地らしい。そういえば、方南町に立正佼成会があることは、なんとなく知ってはいたが、こんなすごい建物があるのは、初めて知った。
ところで、「立正佼成会」という名前はよく聞きはするが、いったいどういうものなのか具体的なことは何一つ知らない。「創価学会」みたいなものかな?と思って、ちょっとwikiなどで調べてみたら、「霊友会」から新しく別れたもので、「創価学会」ももとは「霊友会」からの流れでできたものらしいが、「創価学会」が「霊友会」と仲良くしていないのに対して「立正佼成会」は仲良くしているとかいうことだった。「霊友会」っていうのも名は聞いたことはあるが、内容は知らず、いずれにしても新興仏教のようなものらしい。
それで、インドのような建物なのだろう。
大聖堂に近づき、別の角度から写真を撮った。
その先には、「普門館」があった。
普門館は高校のときに、吹奏楽の全国大会を聴きにきたことがあった。20歳のころは、さだまさしのコンサートに来たこともあるはずだが、全く建物や景色に記憶がない。普門館も立正佼成会が建てたホールであることを、今回初めて知った。
環七通りから、かなり右にそれてしまった。こんなに道草を食っていたのではいつまでたっても目的地に着かない。立正佼成会の大聖堂の脇の路地を通って裏に回った。
ここでも1枚撮影。夾竹桃がきれいに咲いている。
そして、環七に平行して目的地方向に進んだつもりだった。
ポーチェラカがきれいに咲いていた。
このあたりに和田中があった。杉並区の和田中学校は、たしか民間会社の人が校長先生になって新しい教育をしている学校である。
それにしても、いつまで歩いても、杉並区和田だった。徒歩20分で着くはずなのにおかしい。とりあえず、環七通りに戻ろう。
路地から環七に出ると、正面にお寺のようなものが見えた。この辺は宗教的なものが多いのかなと思う。もう寄り道はしないで、写真も撮らずに環七を進む。
あれっ?この景色見たことある。左の5階建ての建物は、たしか都営住宅だ。その先には「セシオン」があるはずだ。ってことは、すぐ青梅街道だ。
はあ?
道路標識を見る。
右が新宿???
おかしい、南に向かって歩いていたはずなのに、どうして北に向かっているのか?
大聖堂を回っているうちに、方向音痴になった?
いや、そんなはずはない。
一度も、環七を渡ってはいないし、同じ方向に歩いてきたのだ。
狐につままれた気分だけど、現実は現実だ。
とりあえず、引き返そう。
それにしても、喉は渇くし疲れてきた。シークワーサージュースかなんか飲みたい。
幸いにも、環七このあたりの歩道は広く、高い街路樹が車道との境になって木陰を作っていた。
ビルのツル植物もみごとだ。
途中に工事現場があった。
建物を建てようとしていたところに、遺跡が出てしまったようで、建設現場ではなく、発掘現場となっていた。中は目線よりちょっと高い赤い囲いにおおわれてよく見えないが、土を掘って、丁寧に掘り出しているようだ。
遺跡が出ると、考古学的には喜ぶべきことだが、不動産的には「出てしまった」ということになる。建物の建設を一時中断しなくてはならないからだ。すごい遺跡が出てしまうと、何年も工事が中断されたり、建設が中止になってしまうことさえある。
ここに建つ予定のものは立正佼成会の病院であり、ここもまた立正佼成会の土地のようである。表示を見るとちょうど、7月14日土曜日の1時から、この現地にて学芸員による遺跡についての説明会が行われるとのことだった。弥生時代の住居跡が見つかったということだ。ついでだから、その説明会を聞いてみたいな、と思った。時刻は12時であり、あと1時間あった。どこかで、腹ごしらえでもしてくるか?
とりあえず、南に向かって歩き始めたが、ファミレスなどもないので、結局遺跡の説明を聞くのはやめて、方南町まで戻った。
そうだ、川が逆に流れるわけがない。自分が反対方向に歩いていたのだと初めて気がついた。
環七を代田橋方面に向かうバスが走っていった。
そうなのだ。本当は、方南町から環七に沿って南に20分歩き、和泉明店街の沖縄タウンに行こうとしていたのだ。
なぜならば、金曜の夜に「ぴったんこカンカン」で、あべサダヲが、沖縄タウンを紹介していたから、行ってみようかなと思ったのだった。
なんと、地下鉄から出た時に、すでに方向が間違っていたのだった。
方南町駅から、環七沿いを南に向かって歩いたつもりが、北に向かってあるいていたというわけだ。
20分くらいかけて方南町に戻ったが、それから改めて代田橋に行く気力はなくなってしまった。
とにかく、交差点の写真だけ撮り直して、自宅に帰ってきた。
全く、ウソのような半日だった。
沖縄タウンで沖縄っぽい写真を写し、沖縄の物でも買う予定が、立正佼成会大聖堂の見物となった。
地下鉄丸の内線に乗ってわかった道路との関係。
新宿=中野坂上=荻窪は青梅街道にあり、中野坂上=方南町間は、青梅街道と方南通りの間を斜めに進み、途中中野富士見町あたりは中野通りとの接点であり、終点方南町は、環七との接点であった。
ものすごく日に焼けた。歩数は12702歩だった。
方南町交差点の写真撮影を終えると、私は環七に沿って歩いていった。目的地は環七に沿って20分くらい歩くと着くそうだから、迷いようもないのだ。
歩道には、このようにゴーヤを育てている家などもある。ここのゴーヤは、黄色い花がいっぱい咲いていてきれいだ。うちのように高層階のベランダの場合は、外側からこんなふうに見る事ができないので、その点は残念である。
さらに、進むと、川があった。善福寺川である。この写真の反対側には「環七地下調節池取水施設」というのがあるらしい。大雨が降った時に水を大量にためて洪水をおこさせないようにするもののようだ。環七通りに標識がついていた。
この写真の景色はかなり目を引くので、1枚写真を撮って景色を眺めた。
あれっ?
川が反対方向に流れている? どうして??? おかしいな・・・。
善福寺川の流れが、思った方向と逆なのだが、川っていうのはうねうね曲がったりするし、もしかしたらその取水施設なんかの影響で流れが違っているのかも・・・などと都合よく解釈して通り過ぎた。
そして、このあたりを過ぎる。
さらに進むと、右に「なんじゃこれ!!!」というような、ものすごい建物が見えた。
日本かここは?
思わず、環七通りを外れて、建物のほうに引き寄せられていった。
そういえば、このあたりは「佼成○○」という施設がいっぱいである。
学校・出版社・病院・駐車場・・・
大聖堂。きれいだけど、その大きさ、ものものしさ、異様さ、なんと表現すべきか。
このあたりは、「立正佼成会」の本拠地らしい。そういえば、方南町に立正佼成会があることは、なんとなく知ってはいたが、こんなすごい建物があるのは、初めて知った。
ところで、「立正佼成会」という名前はよく聞きはするが、いったいどういうものなのか具体的なことは何一つ知らない。「創価学会」みたいなものかな?と思って、ちょっとwikiなどで調べてみたら、「霊友会」から新しく別れたもので、「創価学会」ももとは「霊友会」からの流れでできたものらしいが、「創価学会」が「霊友会」と仲良くしていないのに対して「立正佼成会」は仲良くしているとかいうことだった。「霊友会」っていうのも名は聞いたことはあるが、内容は知らず、いずれにしても新興仏教のようなものらしい。
それで、インドのような建物なのだろう。
大聖堂に近づき、別の角度から写真を撮った。
その先には、「普門館」があった。
普門館は高校のときに、吹奏楽の全国大会を聴きにきたことがあった。20歳のころは、さだまさしのコンサートに来たこともあるはずだが、全く建物や景色に記憶がない。普門館も立正佼成会が建てたホールであることを、今回初めて知った。
環七通りから、かなり右にそれてしまった。こんなに道草を食っていたのではいつまでたっても目的地に着かない。立正佼成会の大聖堂の脇の路地を通って裏に回った。
ここでも1枚撮影。夾竹桃がきれいに咲いている。
そして、環七に平行して目的地方向に進んだつもりだった。
ポーチェラカがきれいに咲いていた。
このあたりに和田中があった。杉並区の和田中学校は、たしか民間会社の人が校長先生になって新しい教育をしている学校である。
それにしても、いつまで歩いても、杉並区和田だった。徒歩20分で着くはずなのにおかしい。とりあえず、環七通りに戻ろう。
路地から環七に出ると、正面にお寺のようなものが見えた。この辺は宗教的なものが多いのかなと思う。もう寄り道はしないで、写真も撮らずに環七を進む。
あれっ?この景色見たことある。左の5階建ての建物は、たしか都営住宅だ。その先には「セシオン」があるはずだ。ってことは、すぐ青梅街道だ。
はあ?
道路標識を見る。
右が新宿???
おかしい、南に向かって歩いていたはずなのに、どうして北に向かっているのか?
大聖堂を回っているうちに、方向音痴になった?
いや、そんなはずはない。
一度も、環七を渡ってはいないし、同じ方向に歩いてきたのだ。
狐につままれた気分だけど、現実は現実だ。
とりあえず、引き返そう。
それにしても、喉は渇くし疲れてきた。シークワーサージュースかなんか飲みたい。
幸いにも、環七このあたりの歩道は広く、高い街路樹が車道との境になって木陰を作っていた。
ビルのツル植物もみごとだ。
途中に工事現場があった。
建物を建てようとしていたところに、遺跡が出てしまったようで、建設現場ではなく、発掘現場となっていた。中は目線よりちょっと高い赤い囲いにおおわれてよく見えないが、土を掘って、丁寧に掘り出しているようだ。
遺跡が出ると、考古学的には喜ぶべきことだが、不動産的には「出てしまった」ということになる。建物の建設を一時中断しなくてはならないからだ。すごい遺跡が出てしまうと、何年も工事が中断されたり、建設が中止になってしまうことさえある。
ここに建つ予定のものは立正佼成会の病院であり、ここもまた立正佼成会の土地のようである。表示を見るとちょうど、7月14日土曜日の1時から、この現地にて学芸員による遺跡についての説明会が行われるとのことだった。弥生時代の住居跡が見つかったということだ。ついでだから、その説明会を聞いてみたいな、と思った。時刻は12時であり、あと1時間あった。どこかで、腹ごしらえでもしてくるか?
とりあえず、南に向かって歩き始めたが、ファミレスなどもないので、結局遺跡の説明を聞くのはやめて、方南町まで戻った。
そうだ、川が逆に流れるわけがない。自分が反対方向に歩いていたのだと初めて気がついた。
環七を代田橋方面に向かうバスが走っていった。
そうなのだ。本当は、方南町から環七に沿って南に20分歩き、和泉明店街の沖縄タウンに行こうとしていたのだ。
なぜならば、金曜の夜に「ぴったんこカンカン」で、あべサダヲが、沖縄タウンを紹介していたから、行ってみようかなと思ったのだった。
なんと、地下鉄から出た時に、すでに方向が間違っていたのだった。
方南町駅から、環七沿いを南に向かって歩いたつもりが、北に向かってあるいていたというわけだ。
20分くらいかけて方南町に戻ったが、それから改めて代田橋に行く気力はなくなってしまった。
とにかく、交差点の写真だけ撮り直して、自宅に帰ってきた。
全く、ウソのような半日だった。
沖縄タウンで沖縄っぽい写真を写し、沖縄の物でも買う予定が、立正佼成会大聖堂の見物となった。
地下鉄丸の内線に乗ってわかった道路との関係。
新宿=中野坂上=荻窪は青梅街道にあり、中野坂上=方南町間は、青梅街道と方南通りの間を斜めに進み、途中中野富士見町あたりは中野通りとの接点であり、終点方南町は、環七との接点であった。
ものすごく日に焼けた。歩数は12702歩だった。