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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

「復興は教育から始まる」を読んだ

2014-08-09 22:51:30 | 読書


いったい、いつから読み始めたものだろうか?
図書館の新刊、新着図書を借りて、2回も返却期限を延長して、ようやく読み終えました。
振り返ると、6月の半ばから読み始めたもののようです。

正式なタイトル
「復興は教育から始まる」子どもたちの心のケアと共生社会に向けた取り組み
細田満和子・上昌広【編著】  明石書店 (2014年5月20日発行)

2011年3月11日に起きた地震と津波、そして原発事故の被災地に関して、その後の復興について書かれた本を読むのは初めてでした。図書館でたまたま出会った本です。
6月には、菅直人氏と南相馬市長の講演会を聴きにいったこともあり、それと重ねて被災地について読んでみようと思いました。

この本を読んでいくと、最初のほうは養護教諭の方等の現地の学校での子供のたちの様子や取り組みなどが書かれていました。
そして、教員や医療従事者や、元々別の地域に住む人で被災地に赴いた方々の活動報告などが個々に記されていました。
子どもたちの精神的な問題、学校が統合されたり先生が転勤したりなどによる不安定さ、家族が狭い住宅に住むことでの軋轢、健康的問題、地域の特徴、対応としてのカウンセリング、旅行の企画、スポーツや学習支援、医療の対応 等、いろいろとありました。

長い間読んでいたので、今記憶も定かではないのですが、これらの様々な多くの人々が、現地で有意義な活動をされたんだなあと、今つくづく感じ、感謝を述べたい気分です。

正直言うと、読んでいるうちに、この先読み続けるのが苦痛になってきたことがありました。それは、個々のレポートのようなものの連続であったからであり、これは一般人に向けたものではなく、これらの活動を行った団体の内輪の報告書のようなものではないだろうかと思えてきたからです。

ここに出てくる「星槎グループ」「星槎大学」などという耳慣れない名前は一体なんだろうか?というのは、最初のころの疑問でした。これが私立の学校であり、神奈川県に本拠地を置くものらしいことがだんだんわかってきました。

この学校のサイトを見ると、「槎」とは、大きさの不揃いな木でできた筏(いかだ)のことだそうで、それぞれ個性の違う人間が、協調したり力を合わせたりして、1つのイカダが結成されることを示す名前だということがわかりました。

子どもというのも、それぞれ大きさも太さも性質も違う木のようなものでしょうが、被災地において支援活動をした人々もまさしくそういうものであり、それぞれの人が、それぞれの個性や能力を持って、自分の専門分野や得意とすることで、被災地で力を尽くし、しかしそれらの人々の意思や心は、筏のように結束されていたのだなあと思います。

ともかく、被災地でそういう活動がおこなわれてきたのだ、という具体的真実を知ることができたのは、この本を最後まで読んでよかったことでした。


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長崎、原爆の日

2014-08-09 11:15:27 | 日記


何気なくテレビをつけたら、長崎の平和祈念式典の中継が放送されていた。もう69年も経ったのだ。

原爆というと、まずは広島のことを思い出し、長崎のことはあまり思い起こさない。
そして、長崎の平和祈念式典をテレビで見たのは、私は初めてのような気がする。

先日の8月6日には、朝の8時にヒロシマの式典が放送されたので、出勤前に見ていたが、長崎に原爆が投下されたのは11時ころだったらしく、放送時間ももっと遅い。
今日がたまたま土曜日なので見ることができた。

式典の会場をテレビで見ていたら、有名な「平和記念像」が映っていた。

広島といえば、原爆ドームだが、長崎というと この像のイメージが強い。
私は、広島には行ったことがあり、ドームを見たことがあるが、長崎は行ったことがない。
この像は、テレビでも見てもかなり大きいようだ。

ところで、この平和の像の小さなものが、東京三鷹市の仙川公園にある。(写真)
それを発見したのは、今年の1月だった。
この近くの杏林大学病院を見に行ったとき、そばを散歩していてみつけた。



この像は、三鷹市百周年となる平成元年に、三鷹市の平和のシンボルとして建立されたそうだ。
長崎の像をもとに作成されたそうだ。三鷹の像は黒っぽいが、長崎の像は青っぽいなと思った。

長崎の平和の像を作ったのは、彫刻家の北村西望氏である。この人のことを調べてみた。

北村西望氏は、明治17年に長崎市に生まれ、京都市芸術大学を卒業後、東京芸術大学に入学。
その後、東京や京都で美術を教えた。戦時中は、銅像が兵器製造のために供出させられたため、反対運動をした。
1953年からは、東京の井の頭のアトリエで制作活動をした。
長崎の平和の像は、戦後10周年の1955年に、北村氏から長崎市に納められた。制作には5年を要し、その原型は現在井の頭公園内
にある。

この像は「神と仏の慈悲」を表しているそうだ。
垂直に揚げた右手は、原爆の脅威を示し、
水平に伸ばした左手は、平和を表し、
横にした足は、原爆投下後の長崎市の静けさを表し、
建てた足は、救った命を表し、
軽く閉じた目は、原水爆犠牲者の冥福を祈っている そうである。

北村西望氏は、1972年に、島原市の名誉市民となり、1980年には、名誉都民となっている。
亡くなったのは、昭和62年であり、102歳であった。

すごい長生きだなあと驚いた。

[北村西望]
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眼科通い

2014-08-09 04:45:58 | 日記
五十肩で整形外科に通っているのですが、昨日は眼科に通いました。
もう、あっちこっち、ガタガタです。
年を取るとあっちが痛いこっちが悪いと“自慢”するようになるそうですが、
既になってます。

目は、目頭と目尻の縁がひりひりするのです。
赤くただれて触るとキリッと鋭く痛みます。
上まぶたと下まぶたの境目に切り込みが入っちゃってるようです。

これを治すには、ネオメドロールEE軟膏というのを塗ります。
以前も同じ状況になり使っていたのですが、度々再発してついに薬を使いきってしまいました。
そこで、また眼科にいかなくてはならなくなりました。

まぶたがただれるのは、自分の涙のせいらしいです。
涙には、塩分があるので、それにかぶれてしまうそうです。

最初は、ホットフラッシュによる汗のせいなのかと思いました。

涙のせいって、泣いているわけでもないのですが、
涙がうまく鼻のほうに流れていかないからとかなんとか?

薬は、炎症がおさまるとすぐにやめてしまっていたのですが、
目医者さんの話では、治ってからもつけるようにとのことでした。

自分では、こまめに顔を洗おうかな、と思っています。

診察料1900円に薬代340円と、またもや医療費が・・・。

早くも、銀行口座はマイナス1万円になってしまいました。

この薬は、薬局で買うことができず、似たような薬も売っていないようですので、
お医者さんにかからなくてはなりません。

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夜明け前

2014-08-09 04:43:12 | 日記
昨夜はブログを書いている途中で眠くなってしまい、エアコンをつけたまま横になって寝てしまいました。途中で寒くなったり暑くなったりして、寝ぼけつつリモコンで設定を変えたりしながら、そろそろ起きなくちゃと思いつつも眠気に勝てず寝続けました。

いよいよ起きなくちゃと思い、夜中の2時くらいかなと思って、時計を見ると、なんと4時でした。

いいかげんエアコンを消そう。

しかし、外を見ると真っ暗です。そういえば、もう立秋を過ぎているらしい。夏至のころに比べると、夜明けがかなり遅くなっていることにショックを受けました。
エアコンを消して窓を開け、玄関を見るとすでに新聞は届いていました。

ブログを書きかけで放置していたパソコンは、節電モード仮眠中だったのが再稼動しました。ふと見ると、パソコン画面の右下の時刻が0:23と表示されています。
あれっ?起きた時に隣の部屋の時計の針が4時を指してると思ったけど、23分を指していたのか?まだ12時なの?とアタマが混乱。

それでは、夜が明けているわけもありません。
それにしても、新聞は配達されていたのですから、やはり朝?

もう一度、パソコンを見てみました。すると、時刻が4:08に変化していました。

パソコン節電モード中は時刻も進まず、動き出してもすぐには変化しないのだということに気がつきました。

ブログには、「今日の新聞記事では~」などと、昨日のことを書き始めてあったので、時既に遅しで、没として消しちゃいました。

ただ今4時半、やっと空が青くなってきましたよ。鳥も鳴きだしました。
曇っているので、よけいに夜明けが遅かったようです。

今日は、五十肩はそれほど痛くはなく、そのために起きたわけではありませんでした。
ずっと起きなくちゃと思いつつ寝ていたので、なんか熟睡していないのですが、クロスワードでもやるかな?

来週は、病院が長期お盆休みになってしまうので、今日中に行っておこうか、どうしようかな~。お盆開けたらもう行かないかもしれません。
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