山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

rice - Hello

2016-02-11 23:29:36 | 音楽
rice - Hello


riceは、ユーチューブで視聴できる曲がたくさんある。

今日、この曲を取り上げたのは、次のような理由だ。
最近発売されたCD「ラストシーン」の中に収録されている“to be continued”を聴いたときに、こんな感じの声の歌、どこかで聴いたことがあるなあと思った。
それは、ユーチューブで聴いた何かだろうと思って、もう一度探してみたのだけど、全くそっくりというものは見つからなかった。
だったら、何だったのか?と思ったときに、出だしの声質が一番似ているのが「Hello」だと思った次第だ。

この歌は、これまで特に好きだとも思わず、ちゃんと聴いたこともあまりないものだったが、このたび聴いてみたら、なかなか感動的なものだということに気がついた。

それから、これは若い時で、有紀さんのこのころの姿は、非常に女性的というか、線が細く華奢な感じがする。手なんか本当に女性よりもきれいである。

歌の構成は、のどかなイントロから始まり、コーラスが入ったり、盛り上がる感情を訴えたり、いろいろと盛りだくさんであり、充実している。

また、riceのこういう映像は、自然の中で歌われていることが多く、きっと自然が好きなんだろうと思う。緑である。
絵画のような額縁を使ったあたりも面白い。

私がriceを好きなのはそういう要素もあるのかなと思う。

さて、このhelloという歌は、「六極シンパシー」というアルバムの中の1曲目であることがわかった。そして、このアルバムはタイトルのように6曲から成っており、東西南北天と地の六方を示しているそうだ。どの曲がどれに当たるのかはわからない。その中の4曲は知らない。

最後の6曲目は、「かげおくり」であって、これは私が好きで、これまでに何度もこのブログに載せている歌であるが、この2曲が、最初と最後に対になっているというのを初めて知った。

どちらも「友達」を歌ったものだそうで、歌詞は「ハロー」に始まり「さよなら」に終わっている。

それで、この「六極シンパシー」というアルバムを聴いてみたいなあと思った。
「シンパシー」とは、「共鳴する」という意味らしい。六曲六様であり、10000時間の製作期間をかけて作成したそうである。

それは、どういう意味なのか?1万時間は、416.66日であるので、まあ、1年2カ月近くかかったってことだろうか。

(「六極シンパシー発売記念インタビュー」というのを今さら読んで得た情報です。)

収録曲
1 Hello
2 Fractal
3 Crunch
4 片輪の花
5 余韻
6 かげおくり

「六極シンパシー」を買ってみようかと思ったのだが、どこも在庫はないようで、中古はすごく高くなっているようだった。


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今日のメダカたち

2016-02-11 19:15:08 | 日記


今日は、とてもいい天気だった。

空は快晴で、風もなく、暖かかった。

ベランダもポカポカで、3匹のメダカたちも元気に泳いでいた。

長生きしておくれ~~
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木目と文字

2016-02-11 00:53:54 | 日記

作製中の表札の文字と、紙に下書きしていた楷書の文字を比べると、不思議に形が違っている。
板の上にその紙を載せて文字を写したのに、どうして違うんだろうと考えた。

紙の文字のほうは、縦線が曲線を描いて膨らんでいたのに、実際の文字はそれほど膨らんでいないところがある。それは単に、紙がずれたから、線がずれたというわけではない。

文字は人の顔のように、どこか雰囲気が違う。

もともと、パソコンで出した文字なのだから、誰が作っても同じになるだろうと思いきや、それがそうではないことに驚いた。

そして、何が違うのかというと、それは使った板の“木目”なのである。そうだ、曲線を描こうとしても、そこに縦の木目があった時、微妙な角度の違いで木目を無視して切れ目を入れることはなく、木目に沿って自然に切れやすい位置というのがあるのだった。
だから、時には1ミリとか0.5ミリとか、ずれたりするのだろう。

そうすると、木の表札というのは、その板自らが文字の線を導いているということだ。

たぶんこれが、プラスチックに書くんだったら、そういう影響はないだろう。
また、木でも、機械で自動的に文字を刻むのだったら、設計通りに寸分の違いもなく、文字が彫られるのだろう。

木に刻まれた文字を、紙に印刷した文字に近くしようと、さらに手を加えようかと思ったが、これは木目に導かれた線だから、このままが自然なんだろうと思えてきた。

やっぱり手作りっていうのは面白いなと思う。

そして、人間もそういうことなんだろうと思う。まっすぐ進もうと思っても、そのときの周囲の状況や環境によって、自分の思う通りにいかないこともあるし、成り行きに任せることもある。でも、自分が描こう(歩もう)と思う方向があるからこそ、だいたい思う方向に進むわけだ。でも、全く思い通りに進むことはないわけだ。

そして、そうやってできた軌跡も、まんざら悪いわけではなく、それなりの味があるのだ。
これが、全く最初から意思もないものだったら、文字を描くことはできない。
また、無理やり自分の刻みたい方向に線を刻んでも、美しい切り込みはできないかもしれない。
木目と共存してこうなってるってことで、それはその板にとって一番自然な文字なのだ。

ということで、「なるべくしてなった」というか、これが「造ろうと思って造った結果、自然にこうなった」ものですってことです。
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