山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

世田谷美術館へ

2016-02-28 17:44:07 | 美術・美術館
どこに行こうかと思ったのだけど、世田谷美術館に行くことにした。

美術館用の駐車場に到着。まず、梅を見てみる。

 

梅はもう終わりそうだった。



沈丁花が咲き始めていた。近くでは匂わなかったが、ちょっと離れるととても良い香りがしている。
春だなあと思う。



今やっている展示は、「ファッション史の愉しみ」というもので、昔の貴族の衣装などが年代の変遷とともに展示されていた。

そういえば、ダウントン・アビーで、イギリス貴族の服装が興味深いのだけど、ドラマでは、縛り上げるコルセットから、だんだんラフな感じに変わってきているようだ。
先週のダウントン・アビーは、物語から離れて、貴族の習慣についての解説だったけど、一日に何度も着替えて、不便な形式ばった生活をしていて驚いた。そんなことも思い出しながら見ていた。

展示はフランスとかもっと古い時代とかいろいろあって、アタマをものすごく盛り上げた貴婦人のいでたちなど、びっくりした。でも、衣装は本当に素敵だ。後ろ姿とかもきれいに見えるようにできている。
服飾などを勉強している人には、たまらないだろう。
「石山彰ブック・コレクションより」ということで、この石山彰と言う人は、西洋ファッション史研究の第一人者だそうだが、お茶の水女子大や、他の女子大などでもファッション史を教えて来られたかたらしい。

そういえば、朝の連続ドラマ「あさが来た」でも、明治になって日本人女性もドレスを着始めるが、あさの娘千代が、ドレスのお尻が金魚みたいでおかしいと言っていたけど、1860年代ころは、ああ言う後ろを膨らませるデザインが流行っていたというのが、展示でもわかった。

日本の着物姿の女性がドレスを作ってる絵などもあって、興味深かった。

私は、ファッションには縁もないような人間だけど、子供のころは本当にお姫様の着るドレスにあこがれたものだ。



そういえば、着物を今風に着たきれいな若い女性の2人連れが見学していて、1人は着物にベレー帽をかぶっていた。
すごいファッショナブルな2人で、展示よりもその人たちにひきつけられてしまったが、きっとファッションを道の人なんだろう。

着物や洋服って、人間を本当にきれいに見せてくれるものである。

それから、2階に行き、小泉淳作と小林敬生の絵や版画を見学した。

展示を見た後、セタビカフェでランチを食べることにした。
ここには、ル・ジャルダンというフランス料理のレストランがあるのだけど、1人では入りにくいし、値段も高めなので、1人の場合はセタビカフェが良い。



ひさびさに、ガレットでも食べようと思ったのだが、展示を見てから行くと、ガレットは終わってしまっていた。

そこで、ワンプレートランチを頼んだ。混んでいて20~30分かかるとのことだ。

室内の席は満席なので外に行った。



滝を見ながら食べることにする。それほど寒くはなかった。

先にコーヒーを持って料理を待つ。コーヒーの写真を写したのが1時ちょうど。



やっと、料理がきた。
な、なんと、料理が来たのが1時42分であった。

40分以上も待たされた。

料理はきれいでいいんだけど、いくら混んでいるからとはいえ、40分もかかるような料理かな?と思う。

2時から版画家、小林敬生氏の講演会を聞くことにしていたので、焦った。

10分くらいで急いで食べて会場へと急ぐ。



講演は、3時半までの予定が4時までかかった。
小林敬生氏の版画は、作品を見たときは、わけがわからないので、どうしようかと思ったけど、聞いてみてよかった。

芸術家って、自分で作った作品が完璧だなんて思わないそうで、必ずここをこうすればよかったとか、納得できない部分もあるそうである。
だからこそ、今度はこうしようとか反省したり改善したりして作品を作って行くそうだ。

ああ、そうなんだ、それは当たり前のことだろうけど、意外に気がつかなかった。
たとえば、有名作家の村上春樹の小説なんかでも、良かったとかよくなかったとか読者がいろいろ批評するが、本人だって自分の作品を完璧だと思っているわけではないんだろうなと思った。他人よりもむしろ本人が自分の作品について納得できない部分などを自覚しているに違いない。

一流と言われる作家や画家や版画家や音楽家でさえ、完璧な作品なんかできやしない。だから、素人の自分に完璧なものなんかできるわけもないのである。いつも不完全でもいい、でも、だからこそ前進しようと挑戦するのだ。

版画は、下書きがそのまま版画として形になるわけではなく、絵とは違うものができるところが面白いそうだ。
私も、先日、表札を作ってみて思った。それは、木との共同作品だった。
木を彫ってみたこともあって、今日の講演を聴こうと思ったのかもしれない。

実は、展示を見たときは、小林敬生氏の版画よりも、小泉淳作氏の絵が好きだと思った。山をリアルに描いていて、それが特に美しい山でもなんでもないのだけど、木の生え方とか、よくもこんなに全部描いているんだろうと感心したのだ。
それで、小林敬生氏が、小泉淳作氏についても話すというので、講演を聴くことにした。
小泉氏はもう亡くなっている。

小林敬生氏は木口木版と言う版画をやっている人だ。木の板は、普通の版画は縦に切った板を使うが、木口木版は、木を真横に切った板、つまり切り株の断面のような板面を彫るらしい。ものすごく細かい図柄を彫りこんでいる。
話は面白かった。



美術館のそばの木、いつ見ても立派だ。



なんと、もう夕方だ。1日が終わってしまった。

帰りは、環八渋滞で帰宅するのに1時間以上かかった。

まあ、でも充実した1日だったよ。





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市の元旦マラソンに参加させられた

2016-02-28 09:57:35 | お題
中学1年のとき、市の元旦マラソンに参加させられました。
それは、部活動で運動部に属している人は全員参加するようになっていたと思います。
私は体操部でした。

しかし、私は長距離走というのが、一番不得意だったのです。小学校のときもいつもクラスで1番ビリでした。肺が弱いのか心臓が弱いのか?まったく病的なものではないのですが、もう息切れしてしまって苦しくて、最初からみんなについていけません。特に最初のうちが全く速度を上げることができず、いきなり最後尾になってしまい、さらにみんなから距離も離れてしまいます。かなり時間が立つと、やっと走る状況に身体が適応してくるようですが、それでもみんなに追いつくまでは挽回できません。後半では、息は苦しくないのですが、今度は横腹が痛くなり、横腹を手でギュッと押えながら走ります。その頃は、途中で歩いていた人たちもゴールに着いている状況で、それからかなり経ってから私が到着します。ゴールでは、どこかのおじさんから「こりゃあ、大物だぜ」などと言われて笑われました。

マラソン大会では、子供たちが到着したあと、おばさんたちがお汁粉を用意していて、みんながそこでお汁粉を飲み終わり、おばさんたちがお汁粉の鍋を片付け始めているところに、私がやっとゴールし、「あれ、まだ1人居たみたいだよ」なんてことでやっとお汁粉をもらったものの、同級生たちはもうみんな帰ろうとしているので、おちおちお汁粉なんか飲んでる状況ではないのです。それに走ってきていきなりお汁粉なんか飲めません。本当にいやな思い出ばかりだ。

だから、小学校を卒業したら、校内マラソン大会がないので、やっと6年間の苦痛が終わったと思っていたのでした。
ところが、なんと中学でもマラソン大会に参加しなくてはならないことが判明。しかも、市のマラソン大会で、距離は数キロメートル(5kmくらいかな?)ですが、こういうのは得意な人が参加するものでしょう。
現に中学生は、運動部だけが参加するわけで、陸上部や野球部やバレーやバスケや卓球やテニスや柔道です。(ちなみに水泳部は元旦マラソンではなく元旦水泳で海を泳ぎます。)

私は本来、運動部なんかには入れないほどの運動音痴です。しかし機械体操っていうのは個人競技なので、自分がどんなにとろくても、人に迷惑をかけるものではなかったので入ることができました。そして、マットや鉄棒などは小さいころから得意なほうでした。

体操部に入ったら、やはり体力づくりで校内のランニングなどは常にさせられていましたが、マラソン大会なんて想定外です。しかも、元旦なんて考えられません。元旦の朝、7時ころに会場に行かないといけないのです。うちは市の中心から離れた僻地に住んでいたので、市中心にバスや電車で行き、知らない道をいきなり走るのです。

たぶん当日は、同じ体操部の友達と行ったと思いますが、走る時は当然ビリを独走ですし、友達のことは全く覚えていません。
沿道の見物人たちからは、こんな遅い奴がなんで市のマラソンに参加してんの??????と思われていたはずです。全く場違いだ。

しかし、当時の部活動と言うのは、それは厳しいものでした。
まず、先輩というものは、絶対に服従しなくてはならない存在です。1年は全員元旦マラソンに参加しろと言われたら休むことなんかできないのです。

出たくない人、苦手な人が無理やり走らされた市の元旦マラソン。こんなに楽しくないものはありません。

それで、参加してみたら、実際には、当日部員を集めることもなく、出欠を確認されることもないのでした。
そんなわけで、翌年も部員全員参加という建前で、元旦の朝まで出かける予定でしたが、布団の中から出る気にはなれず無断欠席してやりました。でも、先輩からのお咎めなしでした。1年のときに3年だった先輩は怖かったけど、それはもういないし、3年はもう出てやしないんだ。後輩が出たかどうかも私は部長でもなんでもないから関知しません。

中1のときの元旦マラソンは、ゴールのことは全く覚えていません。当然ビリでゴールしたと思いますが、ただそれだけで、どうということはなかったのでしょう。
その後、海で泳いでいる水泳部を見て、すごいな~~~と感心したことは記憶にあります。(でもあれも拷問だよね。なにも冬の海で泳がなくたって・・・)

今の私は本当に、強制されることがないから、マラソンに参加しなくてもよくて天国です。

今日は、東京マラソン。
走りたい人が走るんだから良いことです。
みなさん、頑張ってください。



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すき家の牛丼セット

2016-02-28 00:10:21 | 日記
昼休みは、すき家で牛丼をテイクアウトすることが多い。以前からよく食べているのは、ミニ牛丼290円と豚汁190円であった。これは合計して480円である。

そのうち、牛丼のセットというメニューが店頭に張り出されていた。これは、並牛丼と豚汁とおしんこ、または並牛丼と豚汁と卵で490円である。

私は、並牛丼と豚汁では量が多すぎて残してしまう。並牛丼を食べるのだったら、単品で良いが、豚汁をつけると多すぎるので、牛丼はミニが良い。
とはいえ、並牛丼のセットが490円で、ミニ牛丼と豚汁が480円では10円しか違わない。だから損な気がするけど、10円よけいに払って並牛丼セットにした場合、牛丼を食べ残して一部を生ごみに捨てることになる。また、おしんこ又は卵がつくわけだけど、これらは食べたくないのだ。少なくとも昼には食べず、自宅に持ち帰っておしんこは夫に食べさせるか、生卵は別の料理に使うことになる。しかし、自宅に持ち帰るには、面倒な荷物になる。だから、10円よけいに払っていらないものがついてくるよりは、10円安くて必要なものだけを食べるのが良いと思っていた。

ところで、ミニ牛丼と豚汁を頼むと「単品でいいですか?」とレジで必ず聞かれるのだったが、上記の理由で、セットではなく単品でいいと答えていた。

しかし、先日注文を終えて、商品ができるのを待っている最中、ふと店内のポスターを見たところ、ミニ牛丼のセット430円という表示を見つけたのである。
この表示は、普通の牛丼セットの文字の下に小さな文字で書かれていた。

あれえ~、ミニのセットもあるのか!!!しかも50円も安いじゃないか。
ミニ牛丼と豚汁で480円、ミニ牛丼と豚汁とおしんこ又は卵で430円って、セットを買うに決まってるではないか。

そこで、先ほどの注文をセットに変更してもらえるかと聞いてみると、できるとのことだったが、レシートを出してくれとのことだった。

ところが・・・、な、なんと、今受け取ったレシートがみつからないのである。
何気なく、財布の中に入れたのだけど、実は財布の中はレシートが20枚くらいめちゃくちゃに入っているのであって、毎日の買い物のレシートが無造作に押しこまれているのだった。端から順に入れているわけでもなく、適当な場所に突っ込んだものだから、探せど探せど今貰ったレシートが出てこない。コンビニやスーパーやコープや駅ビルや本屋のレシートは出てくるのだが、牛丼屋のレシートは見つからない。

こんなバカなオバサンいないよね。
レシートがみつからないので、もういいですと言ったけど、お店の人がレシートなしでもいいにしてくれた。50円返してくれた。そして、おしんこを追加して持たせてくれた。

はあ~~~~

それにしても、これまでに何回ミニ牛丼と豚汁を単品で注文していたと思います?
週に1~2回くらいはこれなんだからさ。10回くらい頼んでたよ。

そのたびに「セットでなくて単品でいいですか?」「単品でいいです」を繰り返してたんだ。

お店の人が「ミニ牛丼のセットもあって、そのほうが50円安くなりますよ」と一言付け加えてくれていたら、セットにしてたんだけどなあ・・・。

その後、調べてみてわかったのだけど、お得なセットの考え方としては、牛丼に豚汁とおしんこのセットをつけると80円引き、豚汁と卵のセットを漬けると90円引きということだった。だから、元の牛丼の値段はどのサイズにも適用できるということだ。

その基本理念(?)がわかっていなかったので、並牛丼セットに限ると思い込んでいたのだ。
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