山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

「おしゃれと無縁に生きる」

2016-02-18 23:43:53 | 読書
こんな本を、図書館で見かけて借りてきた。
「あっ、私のこと」と思ったからでもある。
著者は村上龍。
村上龍氏は、最近見かけない。数年前まで「龍言飛語」っていう動画をパソコンで見ていたのだけど、急にやらなくなってしまった。

「おしゃれと無縁に生きる」というのは幻冬舎のエッセイ集である。
そういえば、龍言飛語には、時々幻冬舎の女性の人が出て、対談していた。
この本の最初のエッセイが、この本の題名になっているのだった。いつ出版されたのかと思ったら、昨年の8月で新しいものだった。

それで、まず最初のエッセイを読んでみた。
「おしゃれと無縁に生きる」というのは、著者自身のことだそうだ。著者はおしゃれとは無縁な人間だったが、イタリア人が青いシャツを着ることを知り、おしゃれにみせるには、シャツを着ればよいことを知ったとか?

あれっ?村上龍さんって、どちらかというとおしゃれな印象があるけどな~。
そういえば、青いシャツを着てることが多いかもしれない。

充実した仕事をしていると、おしゃれをする暇がないそうだ。
「地獄の黙示録」を作ったばかりのコッポラが、対談のときに穴のあいた靴下をはいていたそうだ。そのとき、コッポラはワインも作っていて、大金持ちだったそうだ。

「仕事ができる男は、特権的に、おしゃれとは無縁にいきることができるという「隠された真実」の見事な証しだった。」
と、このエッセイは締めくくられている。

そういう人は、ファッションを気にしている次元ではないのだろう。

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まるで関係ないけど、穴のあいている靴下なんか、私だって履いているよ。
このあいだ、娘家族が来たときに、あまりにも忙しくて、そのへんにあるタイツを履いたら、親指のあたりに穴が空いていたのだけど、そのうちどんどん大きくなってきて指が3本くらい出て来てしまったのだ。
それを見て娘が、恥ずかしい~~と怒っていた。娘の夫に対して、自分の母親がそんなだと恥ずかしいのだそうだ。

別に穴の空いていない靴下がないわけではない。たまたま履いた靴下に穴があって、その穴がたまたま大きくなってきただけのことだ。まあ、恰好悪いけど、忙しかったし、履きかえるのも面倒なのだ。Gパンを脱がないと履きかえられないし、私の部屋は娘たちに占領されていたから自由に衣類を出せなかたのだ。それに、どうもその穴に対して意識を向けることができないのである。家族だからいいや、とも思っていた。
でも、娘は自分の実家の家族がそんな変な人だというのを、自分の夫に見せたくなかったんだろう。

偉大な人は、靴下なんかに気を使わないんだぜ。
といっても、この場合、説得力なしだよね。単にずぼら過ぎる無能なおばさん。

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挑戦力が・・・

2016-02-18 21:09:22 | 日記
ああ、50代も後半になると、物事に挑戦する気力も体力もなくなってきてしまうなあ~

などと思って歩いていた。

最近思うことは、車の運転の練習をする気力が萎えているのである。
免許を取って6年経ったが、未だに東京から外に出たこともなく、最近は慣れた道しか走らず、まったく新しい開拓がない。

このままでは、どこにも行けないまま終わってしまいそうだ。

そういえば、自分もいつの間にか50代後半になってしまっており、60代になったら、新しい運転技術の習得なんて無理だろうなと思う。

どんなにベテランのドライバーでも、老人になってしまったら、若いころのような腕はなくなり、衰えていってしまうものだ。

それが、最初から下手くそだし、経験もないんだから、このままではどうにもならない。
今でも遅いくらいだけど、それでも今ならまだ還暦にはなっていない。
今やらなくてどうするんだ・・・

“行き行きて五十路の坂を越えにけりついに寂しき道と思はむ”(島木赤彦)

こんな歌があることを知った。
私もそんな気分だよ。いつの間にか50代になっちゃってさ、今さら若者のように未来に向かって挑戦するなんてことができない年齢になってしまったのだ・・・

島木赤彦って人のことは全然知らない。単に「五十路」っていう言葉で検索しただけだ。
そこでこの人のことを調べてみたら、1876年に生まれて、1926年に亡くなっている。享年51歳だったそうだ。
この歌を歌ってすぐに亡くなってしまったことになる。
本当に晩年の歌だったのだ。

この当時の五十路と現代の五十路は違うし、私の人生は、まだ20年はあると思っているよ。健康年齢。
平均寿命だったら30年以上あると思うけど、いくらなんでも後期高齢者になってから、全く新しいことに挑戦することはできないだろう。80歳過ぎたら、日々を健康に楽しく暮らすことが目標になるだろう。

私の五十路は、島木赤彦氏のような寂しい五十路ではないのだから、まだまだ何かに挑戦しないといけないな~

「50代は、人生もう終わってる」なんて思う若者も多いようで、50代以上の人には成長はないのか?
20代から40代の20年間だとしたら、人は成長するよね。若者から立派な大人になる。
だったら、50代から70代だって、時間は同じだけあるんだよね。

ただ、頑張らないだけじゃない?
セロトニンっていう物質が脳内にあると、やる気が起きるみたいだけどね。
こいつをなんとかして増やす方法はないかな?

とにかく、「挑戦しよう」という意思をもって行動を起こさないとどうにもならない。

50代のうちに実現することの目標と計画を立てよう。



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