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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

日の名残り(カズオ・イシグロ)

2018-03-09 14:22:15 | 読書
昨年12月頃から読み始めた文庫本を、今日やっと読み終えました。
この作品は、意外にも私にとってヒットでした。いろいろと響くものがありました。

この主人公スティーブンスは、あまりにも仕事一筋の執事だった。一流の執事とは何か?それは、自分の感情や個人的都合を犠牲にしても、雇い主に完璧に使えることなのでしょう。その雇い主も、それなりの地位のある人格者でなくてはいけない。従僕が身をささげるに値する人物でなくてはならない。

主人公が若いころから目指していたものは、一流の執事になることだった。
だから、すべてが仕事第一で、女中頭のミス・ケントンと恋愛関係に陥ることもなかった。

ミス・ケントンはスティーブンスのことを好きで、彼はそのことにも気付いていた。しかし、いついかなるときも、仕事を優先にするために、それに応じることを拒否していた。
寸分の隙もつくらなかった。

執事には感情があるのでしょうか?いえ、感情を持たない。持っていても表さない。いついかなるときも、雇い主のために抜かりなく仕事を進行させる。雇い主の判断が間違っていようと、完全に服従する。

自分の父が死ぬ時も、重要来客対応等の仕事を抜かりなく全うし、自分に想いをよせるミス・ケントンが他の男性との結婚を決定してしまいそうなときでも、雇い主と訪問者のために感情を無にして働いていた。そして、自分の個人的な感情を犠牲にして仕事を全うしたときこそ、自分の執事としての器に満足を覚えるのだった。

この人は、仕事のために、自分の感情というものを封印しているんでしょう。それを辛いとも思わない。そして、自分が執事としてかかわった仕事により、あるときは政治をも動かすような重要な会談が行われたりし、自分が世界を動かす車輪となっていることに満足するのだった。

どうしたって、優先順位は「仕事」だった。それが生きがいでもあったのだ。
恋愛小説を読むことでさえ、それは一流の執事として、美しい言葉を話すための研究であった。

本当に、この人は「かたぶつ」である。

でも、ミス・ケントン(結婚してミセス・ベンになっている)に会いに行ったのは、やはり、この人に想いがあったからであり、ミス・ケントンの気持ちも痛いほど知っていたのである。しかし、このときでさえ、ダーリントン・ホールの女中として戻ってきてくれたら、という仕事の目的にかこつけていた。

ミス・ケントンはもう孫までいるというのだから、いったい何十年経っているのだろうか。

雇い主も変わってイギリス人のダーリントン卿から、アメリカ人のファラディ様になっている。時代も変わった。

人生ももう、1日に喩えたら夕方、日が暮れる時刻である。

結婚もしないで執事としての人生を全うするんですね、この人は。

でも、この車の旅はよかったでしょう。アメリカ人の雇い主になったからこそできたことかもしれない。

ダーリントン・ホールには、イギリス人・ドイツ人・フランス人などの要人が集まって重要なやり取りがされた。政治や国際情勢に大きな影響を及ぼしたこともあった。ダーリントン・ホールは、いわば「権力の館」でもあったんでしょう。(放送大学の「権力の館」を思い出した。)

この小説は、すごい。
執事という一個人の思いや体験をとおして、ヨーロッパの歴史まで語っている。そして、恋愛まで語っている。品格についても考えさせられる。仕事への忠誠心についても考えさせられた。

テレビドラマの「ダウントン・アビー」のような世界だった。

そして、文章がきれいだった。
スティーブンスの語りによる物語の進行になっているが、この人の日本語がまったくきちんとしているのである。
執事の品格。

だから、この小説にも品格がある。

元の英文はどういうものかわからないけれど、日本語にしたら、こういう言葉づかいになるはずである。
土屋正雄という翻訳者もよかったのかもしれない。

ノーベル文学賞を取る程の作家、カズオ・イシグロの作品。他の作品も読みたくなった。

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