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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

丸投げ公共施設

2019-12-01 13:47:20 | 日記2019

今、テレビをちらっと見たら、どこかの防災アリーナという公共施設が、肝心な台風のときに臨時休館していて、住民が避難することができなかったのだそうだ。

その時は、名前が防災アリーナではあったが、運営は民間会社に丸投げ委託されていて、とっさに避難所になる施設としての設定はされていなかったとのことである。

次に来た台風のときには、改善されて、避難できたのだという。

このようなことで思い当たるのは、私の知人も公共施設で働いているのだが、台風のときに非常にこまったのである。

知人の場合、公務員ではなく、やはりその公共施設の運営を自治体から委託された民会会社の末端労働者、パートタイマーなのである。

ほぼ、最低賃金で働いており、そこが土日や夜間も開館しているので、公務員がいない時間帯も非正規の労働者だけが働いているのが実情である。

そして、そのような労働者は、近所ではなく、遠方から電車で通勤したりしている。

そこで、土曜日や日曜日に台風がやってきたわけである。正規の公務員は施設内にいない。役所もやっていない。

そこは、防災施設ではないので、台風が来るとわかったならば臨時休館にしても良いのではなかろうかと思うのである。

そこは、スポーツや文化に使われていて、会議室を貸し出したりもしているが、台風が接近して電車も昼ごろには止まってしまうために会議の予約はキャンセルされたそうだ。

だが、通常自由に行われている、体育館の使用やスポーツジムなどは休みにならない。

少なくとも、台風が本格的に荒れる以前は、利用者もいつもどおりに来るので閉館してはいけないのだそうである。

じゃあ、従業員はどうなるんですか?という話だ。

電車は昼頃には順次運休になると言っているが、それを過ぎてまで開館していたとしたら、パートタイマーは帰れないでしょう。 

できれば、健康娯楽施設みたいなものは、朝から休館にしてもらいたい。

困ったことには、まだ風雨もそれほど激しくないと、利用者というのは近所から徒歩などでやってきてしまうのであろう。

利用者は、普段から、毎日のようにスポーツをやりにくる生活に余裕のある主婦や老人が多いそうである。

それを生きがいにしていて、他に用事もないので、どんな天気でもやってくるのだそうだ。身体は健康そのものなんだって。

利用者が電車できたとして、昼には運休するということでそれに間に合うように帰ったとする。

あるいは、風雨が強くなってきたので、近所の人も帰り、利用者が1人もいなくなったとする。

施設は、そのあとで早めに閉館するとしても、そこの労働者は後片付けや様々なことをしてから帰宅しないといけないので、交通機関はすでに止まってしまっていることになる。

それで、知人は電車が止まったらもう帰れないし、夕方からの担当の人も電車が止まっていたら出勤できないから、そのままその施設に泊まり込むことになってしまうのかと思ったそうだ。

そして、雇われている会社(本体は別の場所にあり普段は関係ない。派遣会社みたいなもの)に聞いてみると、自治体から運営を委託されているから、その通りに開館するので、勝手に閉館にはできないとのことだ。

で、自治体の役所に「○○○センターは、台風でも、電車が止まってもずっとやってるんですか?」と住民のふりをして聞いてみたそうである。

そうしたら、そのことはその施設に直接聞いてくれとの返事だったそうだ。

だったら、どんな状況でも、台風の中を開館してなきゃいけないってことかと愕然としてしまったそうである。

結局のところ、なんとか電車が完全に止まる前に帰宅したそうで、運営を任されている会社の上司みたいな人で電車を使わなくても良い人が代わりにやってきたそうである。だから、閉館はしなかったらしい。

全く、そんなスポーツや囲碁などをやりに来る近所の人のために、最低賃金で働いているパートタイマーが台風の中を出勤して働かなきゃならないというのは、ずいぶんと理不尽だと思う。

あの台風のときに、公共の体育館や図書館や市民センターなどは、開館していたのだろうか?

あのときは、コンビニやスーパーも次々に午前中から閉店を発表していた。

公務員は休みで連絡はつかない。休日担当の非正規パートタイマーだけが出勤なのである。

もし防災センターだったとしても、公務員でさえ普通の人間なんだから、公共交通機関が止まったら、どうやってそこまで出勤してくることができるんだろうかという疑問はあるのだが、丸投げされている会社のパートタイマーが台風の中を命をかけて働くことなのか?

たとえば気象庁が「ただちに、命を守る行動をとってください」なんて警報を出してるときに、980円のパートに徹する必要ある?

パートだから、ほったらかして帰っちまえ。

こんな職場、今日限りやめますって言ってもいいんじゃない?と私は言いました。

知人は長く務める気はありませんが、まだ働いています。

・・・

でも、もしそれが防災センターになる場所だったら、パートでも職務に服さないといけないのかな。

 

 

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大学名伝えたから絶交?

2019-12-01 09:21:54 | 日記2019

これはもう大昔のことだけど、うちの子は、指定校推薦で大学に入ったので、合格が早く決まった。

以前からとても親しくしていたママ友がいて、その人は転勤で遠くに引っ越してしまっていたのだけど、ずっと年賀状のやり取りなどをしていた。

子供が赤ん坊の頃からの付き合いで、毎年近況報告など書いてあった。

それで、私は、子供が高3の大学受験の年の年賀状に、「○○大学○学部の進学が決まりました」と書いてしまった。

そのせいなのかどうなのか、その時から年賀状がパタリと来なくなり、音信不通になってしまった。

やはり、その人のお子さんが必死に受験勉強をしているときに、こちらが早々と進学先決まりました、なんて書いたのがいけなかったのかなあ。

でも、「それはおめでとう、うちの子も頑張ってます」とか、そういう反応かと思ってたのだ。

そして合格決まったら「うちの子は○○大に入学しました」とかいう年賀状が来るかと思ってた。

あるいは、就職でも専門学校でも浪人でも、なんだって構わないのだ。

その子なりの進路に進んでいるんだから。

その人は、お子さんに小学受験をさせるくらい、それなりの教育を目指していた人なので、お子さんは結構よい大学に入りそうな感じだった。

だからうちの子の大学名(全然一流大学じゃないし)を書いてしまったということがあるけど、

それがいけなかったのかな?

もしかしたら、全然関係ない?

今はみんな大人になっちゃったけど、どうしているかな?

懐かしいけど、今更、連絡を取る勇気がでない。

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私も質問に答えなかったことがある

2019-12-01 09:03:53 | 日記2019

あるとき、お宅のお子さんの大学は?と同僚から聞かれたけど、

「いや、答えられるような大学ではないので・・・・」

と言って答えなかった。

というのは、その人は以前から、「早慶以下だったら行っても意味がない」と言っていたからだ。

自分のお子さんは、そのため現役で「早慶」が受からなかったから、かなり良い大学に合格しても入らずに浪人して、そして受かって一流大学に入ったのである。

「私立だったら早慶以外は入っても意味がない」などという人に、

うちの子の行った大学名言えますか?

その人にとって、自分の子は早慶以下は意味がないのであって、他人の子のことを言っているわけではないのでしょうけどね。

 

たとえばその人以外にも「うちのバカ息子が」なんて言っている奥さんがいて、その人の示す次男は「青学」なのです。

長男は「慶応」です。

ふざけんじゃねえ。

世の中の息子の大部分が大馬鹿息子になっちゃうだろ。

身内に対する基準が高すぎる人って、他人を侮辱していることに気付かないのかな?

 

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私にはデリカシーがない(1)

2019-12-01 07:06:31 | 日記2019

先日のブログで、ベートーベンのソナタとマラソンの組み合わせについて、「デリカシーがない」って書いたけど、この使い方はどうなのか?と自分でもちょっと不安になって調べてみました。

実際、カタカナ語に弱い私がこのような言葉を使うこと自体、わけがわからないのですが、「デリカシーがない」を言いかえれば「無神経」というのが良いのかな?

「場にそぐわない」「相手に対する思いやりがない」「繊細さや気配りが無い」いうような意味らしい。

で、なんでマラソンの話題でこれを使ったかというと、

高校1年の時のことだけど、その高校は普通科ですが、芸術選択科目のクラス分けが「美術」と「音楽」に別れていました。

そのどちらか1つしか選べなかったのです。

美術を選ぶ人が多かったらしく、音楽クラスは少なくて、個人的にも音楽をやっているような人がそのクラスに集まっていました。

そのため、小学校か中学のときに、県のピアノコンクールで1位になったという噂の人が2人も同じクラスに居たのです。

私もピアノを習っていましたが、断続的で全然上達していなかったので、コンクールで優勝するような人の足元にも及ばず、その人たちはかなり高度な曲を弾いているんだろうなあと思っていました。

それで、当然ベートーヴェンのピアノソナタなんか、どんな曲でも知っているに違いないと思ったのです。

私は、体育の授業でマラソンをするたびに、ピアノソナタ1番 OP.2-1の4楽章が頭にめぐってきて、それに合わせて孤独に走り続けていたので、あるとき、ピアノをやってるそのクラスメート(コンクールで賞を取ったうちの1人)に、「マラソンの時にこの曲を頭に流しながら走るのよ」と話したことがありました。

その時は、姉の弾いている楽譜を見て曲の番号を確認してきて、その人に話しました。

しかし、そのクラスメートは、無反応に「ああ、そう」って感じで終わって、何の一言も返ってきませんでした。

「えっ、どの曲ですか?」っていうわけでもなかった。

結局のところ、「なんでマラソン中にピアノソナタなの、くだらない人ね」と思われたのかもしれない。

ああ、デリカシーの無いことを言ってしまった・・・と思いました。

その人とは、同じグループでお弁当を食べたりしていたので、こちらは友達になっていたつもりで、教室移動の時など待っていて一緒に行ったりしていたんだけど、逆に私が遅い時にはさっさと行ってしまって一緒に行動する気は、その人には全く無かったのでした。それで友人になるのはあきらめました。

あの曲にはそんな痛い思い出もある。

あの曲を聴くと、マラソンコースばかり思い出すし、無反応だったクラスメートのことを思い出すのだ。

その人は、音大のピアノ科に進学し、もう1人は芸大のピアノ科に進学したそうだ。

芸大の方の人は同窓会でもよく会って、話などするけど、音大の人は同窓会にも来ないので一度も会っていない。

ピアノの先生にでもなったのかなあ。

 

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