山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

祈り・藤原新也(世田谷美術館)つづき

2023-01-16 23:32:37 | 美術・美術館

昨日の続きですが、ちょっと時間がないので、とりあえずざっと書いておきます。

この方は、このような書道もされるのですね。
インドの路上で、筆で書き始めたところ、やめさせられることもなくみんな見物していたそうです。

現地の人は、スマホで撮影するようなこともせず、ちゃんと見ているのだそうです。

とてもダイナミックな文字です。

私はこの「まゆげ犬」が気に入りました。

誰かにまゆげを描かれたんですね。そういえば、日本にも昔、人間にいたずらされる野良さんがいたりしました。目の周りに〇を付けられたり。
昔白い野良犬が小学校に住みついていて「ゼロ」っていう名前だったのですが、それもおでこに「0」って書かれてたような気がします。ゼロはいっぱい子犬を生んで、その子犬がかわいかったです。子犬も全部真っ白でした。ゼロは小学生から給食のパンの残りなどをもらって暮らしていました。小学生は子犬を抱いて遊びました。

それはともかく、こういう「まゆげ犬」は、地域の人々にかわいがられている犬で、誰かが餌をやったりしているのです。まゆげを書いた人間とこの犬の親しい関係が見えてくるのです。そしてそういう地域は、貧しいものの平和だったと思います。ほんとにまゆげ犬はかわいいです。
耳はピンとして、目も大きく、鼻は真っ黒で、なかなかいい犬です。

たまたま、このブログの画像に登録されて入っている順に張り付けています。こんな写真もありました。温かい地域のきれいな花など。

この方は、絵も描くのです。東京芸大の人だったんですね。

死ぬな、生きろ。

瀬戸内寂聴さんと親しくされていたそうです。寂聴さんが亡くなる前には、手紙を送ったそうです。



東日本大震災で放射能が漏れて、人々の姿が何もなくなったところで、桜がいつにも増してたくさんの花を見事に咲かしていたそうです。こんなにすばらしく咲いたことは過去30年にもなかったそうです。
ここはセシウムの線量がすごい。その放射能は、植物にとってはホルモン効果があり、花が活性化するのだそうです。

人間にとって危険なものが、このように作用するなんてことがあるのですね。
木にとっては良いことなのか悪いことなのかわかりません。この美しさが放射能のせいと思うと不気味でもあります。

渋谷スクランブル交差点のデジタルサイネージに「死ぬな生きろ」の書が映し出された。その直後に東日本大震災が起こり、それから10年後はコロナ禍に。

私の感想
渋谷のこの人々は、インドにたくさんいた人々と同じようなものだと感じる。
この頃は、外出制限もなくなり、日本全国の観光地にも人々が繰り出した。
人間は、私には蟻やミツバチのように見えることがある。
東京ビッグサイトのコミケの行列をテレビで見たときは、人間という生物がなぜかそこに大量発生している。
いったい何のために群がっているのだ?本当に人間というのは、気持ち悪いほど群れて行動する生物である。

藤原新也氏は、群れる人間が好きだと思う。
昨年のハロウィンのときに、自らコスプレ姿で渋谷に繰り出し、若者たちのコスプレ姿を撮影。
藤原新也氏のコスチュームが「感染防護服」。この中に78歳のおじいさんとがいるとはとても思えない。すごいパワーだ。

雨傘運動って何?

黄君の靴の紐が片方解けている。

という言葉が面白い。ふと気づいたのか。

雨傘運動とは2014年の香港の反政府運動だそうだ。(今調べた)

雨傘運動について勉強しなくては。。。

藤原新也氏は、社会問題や事件にも関心を持っている人である。

金属バット事件の家の写真もあり、何のへんてつもない普通の家でそういう事件(息子が両親を殺害)が起きたとのこと。

この展示にはなかったけれど、オウム真理教についても写真や文を著しているそうだ。

富士山の写真を撮っていて富士山麓のサティアンのオウムに関心を持ったのだとか?

富士山もきれいな景色ではなく、俗っぽい建物の後ろに見えている風景とかちょっと違う視点で撮影されているものが多いらしい。

この他に、アメリカの風景や、門司の風景もあった。父親の臨終直前に笑った写真もあった。

人々の命が描かれていた。

・・・
you tubeに動画があったので載せておきます。

なぜ今、藤原新也なのか#世田谷美術館『祈り』

 

 

 

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祈り・藤原新也(世田谷美術館)

2023-01-16 01:02:06 | 美術・美術館

本日は、世田谷美術館の「祈り・藤原新也」展に行ってきました。
私は、週に1回はクルマの運転をしないといけないので、車でどこかへ行かなくてはなりません。

その行き先の1つが世田谷美術館になっているため、企画展の度に世田谷美術館へ行っています。
だから、特に内容を選んで見にいっているわけではありません。
今回は写真展でした。

藤原新也という人は、1944年に門司市に生まれ、現在78歳で御健在。今も精力的に活動されているようです。

若いころはインドやアジア各地を旅して写真を撮ったそうで、最初の展示はインドのものになります。

まず最初から、インドの衝撃的な写真が並んでいました。

それは、死者を火葬する風景です。日本ではとても考えられないような情景です。

亡骸を燃やしガンジス川へ流す。人の身体は物体として燃える。燃え残った部分を投げる人。

燃やさずに流された遺体を食べる野犬。

砂の上に散らばっている人間の骨。

それらは、なんと衝撃的で残酷なものだと、最初は目を覆いたくなりましたが、そのうち不思議に、人間も自然界の動物なんだと感じました。

よくカモシカの骨やゾウの骨など、自然に息絶えた動物の骨が山や地面に無造作に残っている画像や映像を見ることがあります。

それに対して何も思わない。動物の生命とはそういうものだと思うだけです。

でも、自分たち「人間」に関しては、その亡骸を決して目にしてはいけないと感じ、ましてやその辺に散らばっているなんてことはあってはならないことだと思っています。

それから、それを見たくないということは、「死」自体を受け入れられない。

人間は自分たちが死ぬことをあってはならないことだと思い、そのことにはできるかぎり触れないように生きている。

でも、人間というのは、他の動物と同じく死ぬものなのだということに気づかされ、これが生物としての人間の姿なのだと感じる。

「寿命とは、切り花の限りある命のようなもの。」

この人の写真には、キャッチコピーのような言葉がついていて、それが一層写真の意味を引き立てます。

人間とは、植物と同じとは思っていたけど、私は「切り花」とは思っていなかった。根のある植物と思っていた。でも、根のない植物なのだ。それだけはかないものなんだと感じました。

インドの写真(50年くらい前のもの)に続いて、東日本大震災の写真や様々な写真が展示されており、感じること、思うこと、色々な刺激がたくさんありました。

とてもではないけど、このまま書き続けると夜が明けても書ききれそうもないので、今日はここまでにしておきます。

生きている人間たち、死んでいく人間たち、社会、街・群れ・・・・あまりにも色々なことがありました。

会場は、写真撮影が許可されていたので、幾つかの作品を撮影してきました。また後日ご紹介したいと思います。

 

 

 

 

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