どこに行こうかと思ったのだけど、世田谷美術館に行くことにした。
美術館用の駐車場に到着。まず、梅を見てみる。
梅はもう終わりそうだった。
沈丁花が咲き始めていた。近くでは匂わなかったが、ちょっと離れるととても良い香りがしている。
春だなあと思う。
今やっている展示は、「ファッション史の愉しみ」というもので、昔の貴族の衣装などが年代の変遷とともに展示されていた。
そういえば、ダウントン・アビーで、イギリス貴族の服装が興味深いのだけど、ドラマでは、縛り上げるコルセットから、だんだんラフな感じに変わってきているようだ。
先週のダウントン・アビーは、物語から離れて、貴族の習慣についての解説だったけど、一日に何度も着替えて、不便な形式ばった生活をしていて驚いた。そんなことも思い出しながら見ていた。
展示はフランスとかもっと古い時代とかいろいろあって、アタマをものすごく盛り上げた貴婦人のいでたちなど、びっくりした。でも、衣装は本当に素敵だ。後ろ姿とかもきれいに見えるようにできている。
服飾などを勉強している人には、たまらないだろう。
「石山彰ブック・コレクションより」ということで、この石山彰と言う人は、西洋ファッション史研究の第一人者だそうだが、お茶の水女子大や、他の女子大などでもファッション史を教えて来られたかたらしい。
そういえば、朝の連続ドラマ「あさが来た」でも、明治になって日本人女性もドレスを着始めるが、あさの娘千代が、ドレスのお尻が金魚みたいでおかしいと言っていたけど、1860年代ころは、ああ言う後ろを膨らませるデザインが流行っていたというのが、展示でもわかった。
日本の着物姿の女性がドレスを作ってる絵などもあって、興味深かった。
私は、ファッションには縁もないような人間だけど、子供のころは本当にお姫様の着るドレスにあこがれたものだ。
そういえば、着物を今風に着たきれいな若い女性の2人連れが見学していて、1人は着物にベレー帽をかぶっていた。
すごいファッショナブルな2人で、展示よりもその人たちにひきつけられてしまったが、きっとファッションを道の人なんだろう。
着物や洋服って、人間を本当にきれいに見せてくれるものである。
それから、2階に行き、小泉淳作と小林敬生の絵や版画を見学した。
展示を見た後、セタビカフェでランチを食べることにした。
ここには、ル・ジャルダンというフランス料理のレストランがあるのだけど、1人では入りにくいし、値段も高めなので、1人の場合はセタビカフェが良い。
ひさびさに、ガレットでも食べようと思ったのだが、展示を見てから行くと、ガレットは終わってしまっていた。
そこで、ワンプレートランチを頼んだ。混んでいて20~30分かかるとのことだ。
室内の席は満席なので外に行った。
滝を見ながら食べることにする。それほど寒くはなかった。
先にコーヒーを持って料理を待つ。コーヒーの写真を写したのが1時ちょうど。
やっと、料理がきた。
な、なんと、料理が来たのが1時42分であった。
40分以上も待たされた。
料理はきれいでいいんだけど、いくら混んでいるからとはいえ、40分もかかるような料理かな?と思う。
2時から版画家、小林敬生氏の講演会を聞くことにしていたので、焦った。
10分くらいで急いで食べて会場へと急ぐ。
講演は、3時半までの予定が4時までかかった。
小林敬生氏の版画は、作品を見たときは、わけがわからないので、どうしようかと思ったけど、聞いてみてよかった。
芸術家って、自分で作った作品が完璧だなんて思わないそうで、必ずここをこうすればよかったとか、納得できない部分もあるそうである。
だからこそ、今度はこうしようとか反省したり改善したりして作品を作って行くそうだ。
ああ、そうなんだ、それは当たり前のことだろうけど、意外に気がつかなかった。
たとえば、有名作家の村上春樹の小説なんかでも、良かったとかよくなかったとか読者がいろいろ批評するが、本人だって自分の作品を完璧だと思っているわけではないんだろうなと思った。他人よりもむしろ本人が自分の作品について納得できない部分などを自覚しているに違いない。
一流と言われる作家や画家や版画家や音楽家でさえ、完璧な作品なんかできやしない。だから、素人の自分に完璧なものなんかできるわけもないのである。いつも不完全でもいい、でも、だからこそ前進しようと挑戦するのだ。
版画は、下書きがそのまま版画として形になるわけではなく、絵とは違うものができるところが面白いそうだ。
私も、先日、表札を作ってみて思った。それは、木との共同作品だった。
木を彫ってみたこともあって、今日の講演を聴こうと思ったのかもしれない。
実は、展示を見たときは、小林敬生氏の版画よりも、小泉淳作氏の絵が好きだと思った。山をリアルに描いていて、それが特に美しい山でもなんでもないのだけど、木の生え方とか、よくもこんなに全部描いているんだろうと感心したのだ。
それで、小林敬生氏が、小泉淳作氏についても話すというので、講演を聴くことにした。
小泉氏はもう亡くなっている。
小林敬生氏は木口木版と言う版画をやっている人だ。木の板は、普通の版画は縦に切った板を使うが、木口木版は、木を真横に切った板、つまり切り株の断面のような板面を彫るらしい。ものすごく細かい図柄を彫りこんでいる。
話は面白かった。
美術館のそばの木、いつ見ても立派だ。
なんと、もう夕方だ。1日が終わってしまった。
帰りは、環八渋滞で帰宅するのに1時間以上かかった。
まあ、でも充実した1日だったよ。
美術館用の駐車場に到着。まず、梅を見てみる。
梅はもう終わりそうだった。
沈丁花が咲き始めていた。近くでは匂わなかったが、ちょっと離れるととても良い香りがしている。
春だなあと思う。
今やっている展示は、「ファッション史の愉しみ」というもので、昔の貴族の衣装などが年代の変遷とともに展示されていた。
そういえば、ダウントン・アビーで、イギリス貴族の服装が興味深いのだけど、ドラマでは、縛り上げるコルセットから、だんだんラフな感じに変わってきているようだ。
先週のダウントン・アビーは、物語から離れて、貴族の習慣についての解説だったけど、一日に何度も着替えて、不便な形式ばった生活をしていて驚いた。そんなことも思い出しながら見ていた。
展示はフランスとかもっと古い時代とかいろいろあって、アタマをものすごく盛り上げた貴婦人のいでたちなど、びっくりした。でも、衣装は本当に素敵だ。後ろ姿とかもきれいに見えるようにできている。
服飾などを勉強している人には、たまらないだろう。
「石山彰ブック・コレクションより」ということで、この石山彰と言う人は、西洋ファッション史研究の第一人者だそうだが、お茶の水女子大や、他の女子大などでもファッション史を教えて来られたかたらしい。
そういえば、朝の連続ドラマ「あさが来た」でも、明治になって日本人女性もドレスを着始めるが、あさの娘千代が、ドレスのお尻が金魚みたいでおかしいと言っていたけど、1860年代ころは、ああ言う後ろを膨らませるデザインが流行っていたというのが、展示でもわかった。
日本の着物姿の女性がドレスを作ってる絵などもあって、興味深かった。
私は、ファッションには縁もないような人間だけど、子供のころは本当にお姫様の着るドレスにあこがれたものだ。
そういえば、着物を今風に着たきれいな若い女性の2人連れが見学していて、1人は着物にベレー帽をかぶっていた。
すごいファッショナブルな2人で、展示よりもその人たちにひきつけられてしまったが、きっとファッションを道の人なんだろう。
着物や洋服って、人間を本当にきれいに見せてくれるものである。
それから、2階に行き、小泉淳作と小林敬生の絵や版画を見学した。
展示を見た後、セタビカフェでランチを食べることにした。
ここには、ル・ジャルダンというフランス料理のレストランがあるのだけど、1人では入りにくいし、値段も高めなので、1人の場合はセタビカフェが良い。
ひさびさに、ガレットでも食べようと思ったのだが、展示を見てから行くと、ガレットは終わってしまっていた。
そこで、ワンプレートランチを頼んだ。混んでいて20~30分かかるとのことだ。
室内の席は満席なので外に行った。
滝を見ながら食べることにする。それほど寒くはなかった。
先にコーヒーを持って料理を待つ。コーヒーの写真を写したのが1時ちょうど。
やっと、料理がきた。
な、なんと、料理が来たのが1時42分であった。
40分以上も待たされた。
料理はきれいでいいんだけど、いくら混んでいるからとはいえ、40分もかかるような料理かな?と思う。
2時から版画家、小林敬生氏の講演会を聞くことにしていたので、焦った。
10分くらいで急いで食べて会場へと急ぐ。
講演は、3時半までの予定が4時までかかった。
小林敬生氏の版画は、作品を見たときは、わけがわからないので、どうしようかと思ったけど、聞いてみてよかった。
芸術家って、自分で作った作品が完璧だなんて思わないそうで、必ずここをこうすればよかったとか、納得できない部分もあるそうである。
だからこそ、今度はこうしようとか反省したり改善したりして作品を作って行くそうだ。
ああ、そうなんだ、それは当たり前のことだろうけど、意外に気がつかなかった。
たとえば、有名作家の村上春樹の小説なんかでも、良かったとかよくなかったとか読者がいろいろ批評するが、本人だって自分の作品を完璧だと思っているわけではないんだろうなと思った。他人よりもむしろ本人が自分の作品について納得できない部分などを自覚しているに違いない。
一流と言われる作家や画家や版画家や音楽家でさえ、完璧な作品なんかできやしない。だから、素人の自分に完璧なものなんかできるわけもないのである。いつも不完全でもいい、でも、だからこそ前進しようと挑戦するのだ。
版画は、下書きがそのまま版画として形になるわけではなく、絵とは違うものができるところが面白いそうだ。
私も、先日、表札を作ってみて思った。それは、木との共同作品だった。
木を彫ってみたこともあって、今日の講演を聴こうと思ったのかもしれない。
実は、展示を見たときは、小林敬生氏の版画よりも、小泉淳作氏の絵が好きだと思った。山をリアルに描いていて、それが特に美しい山でもなんでもないのだけど、木の生え方とか、よくもこんなに全部描いているんだろうと感心したのだ。
それで、小林敬生氏が、小泉淳作氏についても話すというので、講演を聴くことにした。
小泉氏はもう亡くなっている。
小林敬生氏は木口木版と言う版画をやっている人だ。木の板は、普通の版画は縦に切った板を使うが、木口木版は、木を真横に切った板、つまり切り株の断面のような板面を彫るらしい。ものすごく細かい図柄を彫りこんでいる。
話は面白かった。
美術館のそばの木、いつ見ても立派だ。
なんと、もう夕方だ。1日が終わってしまった。
帰りは、環八渋滞で帰宅するのに1時間以上かかった。
まあ、でも充実した1日だったよ。
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