先週、返却を大幅に超過していた3冊の本(結局読まなかった)を図書館に返しに行き、代わりに1冊の本を借りて来た。
それはたまたま書棚の中に目に留まった「巴里に死す」だった。
その書棚は日本の小説家の棚で、そこがたまたま芹沢光治良のところだったのだろう。隣には「人間の運命」がずらりと並んでいた。
そこで、思わず高校時代のことを思い出し、「巴里に死す」を手に取った。
なぜか迷いもなくそれを1冊だけ借りてきた。
普通だったら他にも何か本を探して3冊くらいは借りてくる。
・・・
私は、いつになくスムーズに「巴里に死す」を読み進んだ。(ふつうはすぐに挫折する)
そうして、数日前、このブログに、芹沢光治良の作品と高校時代の思い出について書いたところだ。
それは、卒業というテーマに対して、高校時代のことが記憶によみがえってきたからであった。
・・・
私は昨夜「巴里に死す」を読み終えた。
小説は読み終えたが、そのあと付録・あとがき・解説などがたくさんついていて、そちらはまだ途中である。ページにすると本の4分の1くらいだが、文字が小さく詰まっているので、もしかしたら小説本体くらいの量があるのかもしれない。
大江健三郎の解説のところにきて、あまりに長そうなので一旦止まり、最後の年譜を眺めていた。
芹沢光治良と言う人は、いつまで生きていたのだろうか?
1993年(平成5年)3月23日。老衰のため96歳で亡くなったということがわかった。
!!!
偶然にも、私がこのブログに芹沢光治良のことを書いた日は3月23日であった。
私はその時、この日が命日であるとは全く知らなかった。
このような偶然が、私には多すぎるのである。
・・・
ついでにわかったことは、私の高校時代には芹沢光治良氏は全く健在の現代作家だったということだ。
そして、思い出したのは、この人が静岡県沼津の人だったということだ。
私は沼津の出身ではないが同じ静岡県出身であるので身近に感じる。
そして、芹沢光治良について関心を持ったのは、高校の演劇部の顧問の先生の影響だ。この先生はどこの出身だったのか記憶がないが、私の地元の人ではなく、アパートを借りて一人暮らしをされていたのだった。
しかし、おそらく静岡県内のどこかの出身だったのだろう。それで、県立高校に赴任してきたということだ。先生も芹沢光治良が沼津の人であるということで読んでいたのかもしれないなと思った。
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