山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

浴衣の洗濯

2007-08-19 23:34:10 | 未分類過去
今日やったことは、浴衣の洗濯だ。
浴衣は昨年はクリーニングに出したのだが、料金は1枚1000円以上したように思う。
それを4枚となると、金欠病の我が家には大きな痛手である。
昨日、クリーニング半額の日だったのだが、職安なんかに行っていて出しそこなってしまった。
それで、洗濯糊(キーピング)を買ってきて自分で洗濯することにした。浴衣は木綿だから洗うのは簡単だが、糊をしてぱりっとしたいので、それが面倒である。
紺地の浴衣と色物の浴衣を2枚ずつに分けて洗濯し、それぞれを糊の水につけて軽く脱水し干して、半乾きになったところで、アイロンをかけた。そしてまた干してある。
丈が長いので干した時にひきずりそうだし、アイロン台が小さいのでなかなかきれいにかけられない。どうも完璧な感じがしないが、一応糊がきいて張りのある仕上がりになった。あとはたたんでしまう時に、もう一回アイロンをかけておこうと思う。
こういう手間を自分でやればお金の節約にはなる。
報酬を得る仕事を増やさないで、節約に徹するという道もある。

糊や柔軟剤というのは、今まで面倒なのでやったことがなかった。
木綿のものは糊をするとパリッとして気持ちがいいので、シーツなどにもやってみようかと思う。タオルなどは柔軟剤を使うとやわらかくなって全然違うそうだ。
少し手間をかけるとそれなりの効果はあるようだ。
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時間の浪費

2007-08-19 17:47:30 | 未分類過去
昨日、ハローワークのインターネットサービスで週1日という仕事をみつけ、詳細がネットでは開示されないものだったので、ハローワークに足を運ぶこととなった。
その仕事が飯田橋公共職業安定所の受理のものだったので、飯田橋のハローワークの開業時間と所在地を調べたところ、飯田橋にはハローワークが「合同庁舎」「分室」「U-35」「高齢者職業相談室」の4箇所あり、その中の「飯田橋U-35」というところに限り第三土曜日がやっていることがわかったためそこに向った。他は土日は休みだった。
しかし、この「U-35」とは、私はビルの名前か35階にでもあるのかと思っていたのだが、3階だった。「U-35」には「(アンダー35)」という括弧書きがあったが、この「アンダー」という言葉もピンと来なかった。「地下35階なんかないしな~、地下3階じゃなくて地上3階なんだよな」などとくだらないことを考えつつ、めざすビルに到着。
そして、ビル内の案内を見ると、「ヤングは3階」「それ以外の人は1階へ」となっている。
3階ではないということを意外に思いつつ、1階受付に行くと、「55歳以上の方は~」などと言うので、『私が50代に見えるのかいな、バカヤロウ』と思いつつ「40代くらいの人はどこに行けばいいですか?」と聞くと、そのビルでは若者と高齢者だけを扱っていて、その他は普通の職業安定所に行かなければならないとのことだ。つまり、その「Uー35」というのは「アンダー35=35歳以下」という意味だったことに初めて気がついた。そして、普通の飯田橋の職安はやっていないので、急遽新宿エルタワー23階の職安にむかった。こんなことなら最初から新宿に行けばよかった。電車代と時間を浪費し新宿に着くともう5時に近かったが、なんとか間に合った。

とにかく、登録しなければ始まらない。やりたいと思った仕事の会社所在地は文京区まではわかっているのだが、最寄り駅も会社名もわからない。その求人は事業所の意向により、詳細の情報がハローワークまで行かないとわからないようになっている。応募も職安の紹介状が必要な求人記事だったので、いちいち手続きが必要だった。

登録には、希望職種だの以前の仕事だの退職理由だのといろいろ書かなくてはならない。
希望職種なんてどうでもいいのです。そんな自分が希望するものなんてあるはずがないですから、なんでもいいです。日程さえ合えばいい。今の仕事も退職はしていないんですよ。
希望時給もどうでもいいです。とにかく、このみつけた記事の詳細が知りたいだけなのです。

職安でやっと詳細がわかったが、通勤はちょっと遠いし、一番便利な方法で行くとなると乗換えがあって交通費が超過してしまいそのぶん自腹となる。駐輪代も当然出ないので自腹だ。会社の業務内容は悪くはないが、通勤条件などがなかなか過酷だ。
なんだか、気力がなくなってきた。

今日、またハローワークの別の求人を探した。杉並区で週一日というのがあり、通勤は昨日のものよりも近そうだが、やはり詳細の住所がわからないので最寄り駅もわからず、通勤が便利かどうかも判断できない。これがまた詳細をネットでは開示していないもので、ハローワークまで足を運んで調べてから紹介状をもらうという段取りを踏まなければならない。仕事のある日は行けないし、当分無理である。
ハローワークを通さなくても直接応募できる会社も多いのだが、中にはこのようなものがあって、いちいち足を運ばなくてはどうにもならない。
こんなことはよほどの暇人でなければしてられない。
会社のほうでは、求人をしていることを不特定多数の人に知られるのがいやだったり、本気の人にしか知らせたくないのかもしれないが、どうにも不便で仕方が無い。

これじゃあ、余計な活動をせず、家で掃除でもしていたほうが良かったかな~などと思う。
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職安へ

2007-08-19 00:37:50 | 未分類過去
今日は、天気予報どおり暑さが和らいだ。
それは嬉しいことなのだが、過ごしやすい温度だからと言って何かすごく有意義な一日が過ごせるわけでもなく、何をしたのかわからない一日だった。

このごろの金欠状態は深刻なものとなってきている。もうどうにも夫の定期預金を切りくずさなければやっていけない。しかし、もうこれは北極の氷のようなもので、このままでは数年のうちにすべての貯金が消えてなくなりそうなのだ。老後にいたる前にお金が底を尽きる。それを食い止めるためには、貯金には手を付けず、別のところからもってくるしかない。

それで、ネットで単発の仕事などを探していたところ、ハローワークの求人に週1日というのがあり、それならば今の仕事の空き時間にできそうだということで、急に思い立ちハローワークに足を運んだ。
そして、登録をし、紹介状をもらってきた。

そこまではいいのだが、よくよく考えてみると、通勤もかなり遠く、毎週通うとなると休日がなくなってしまうし、その収入も単に夫の扶養家族から外れて社会保険料を自分で負担することになり、かえって大損をするかもしれない状況だ。苦労をして損をするというのはどういうものだろうか!

それにしても、できるかぎりフルタイムに近いような生活をやってみて、それに適応できることを見定めたら、本当にフルタイムの仕事を見つけて転職するなどということが考えられ、そのためのステップのひとつだとかんがえれば、一時の損は仕方がないだろう。

だが・・・しかし・・・

なんとも優柔不断で意思がきまらない。

どうしようかな~
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母の性格

2007-08-18 03:13:54 | 未分類過去
いろいろな人の花火のブログを読んでいたら、「彼氏を花火に誘ったが人ごみが嫌いだからと断わられた」とかいうブログがあった。
そこで、思い出したのが母のことなのだが、私の母もかなり人ごみの嫌いな人間である。
それで、「祭り」の類にはめったに出かけようとしない。
花火も同様である。私が小学校低学年のころ、初めて花火を見に行った。そのときは父の車で行った。
花火は1時間あるものの、母の場合は終了の15分前くらいにはもう帰る体勢に入る。そうしないとみんなと帰る時間がかさなり人ごみが激しくなるからだそうだ。それで、花火がちょうど終盤を迎えて華やかさを増すころには、花火を背にして帰宅するという状況になるのだ。何もそんなに急ぐこともなかろうと思うが、どうしてもそういう人なのである。
なごり惜しく花火を振り返りつつ歩いていると、「もうさんざんみたからいいでしょう。どの花火も同じようなもんだよ。早く歩きなさい!」などと怒られるわけである。
父の車で出かけたころは、車で道路が混むと言う考えもあり、やはり他の人々が動き出す前に早く帰ってしまおうという考えだった。
それで、早々と切り上げて、空いている道をすいすいと戻って来ると、やっぱり早く切り上げてきて正解だっただろうという満足した会話を交わすのだった。

母の場合、どうも「花火を満喫しよう」という感覚がない。この間の花火でも、私たちは浴衣を着てちょっと早めに行き、夕飯は出店で焼きそばでも買って食べればいいし、街中をぷらぷら歩き回るのもいいと思っていたのだが、母はそういう時に限って、夕飯にとんかつを揚げたりするのである。そんな重いものを食べてしまっては、何かを買って食べる楽しみもなくなってしまうわけだが、せっかく作るというので夕飯を食べてからでかけることとなり、もう開始時刻ぎりぎりになってしまった。
帰りは、母が同行しなかったので最後の最後まで見ることができた。そして、電車も遅いものになった。もし母が一緒だったらせかされて早々と帰ってきたか、こっちの意志をとおして最後まで見たとしたら人ごみに巻き込まれ、どれだけ文句を言われたかわからない。母を無理やり誘わなくてよかったと思った。

そういう私も人ごみは好きではなく、ディズニーランドなども炎天下で並ぶのはゴメンだ。
おいしいラーメン屋などに行列になるのもあまり好きではない。
この間は、阿佐ヶ谷の七夕祭にいかないかと友人に誘われたが断わった。人が多くてもその苦痛に勝る楽しみがあれば出かける。花火などはそうである。
ディズニーランドも真夏じゃなきゃまだいい。しかし、阿佐ヶ谷の七夕ってのは、それほど魅力のあるものではない。高円寺の阿波踊りもあまり見たいとは思わない。
やはりある程度母譲りの性格である。
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花火大会

2007-08-18 01:16:04 | トラックバック練習・ご意見板
花火大会のことは、“夏の風物詩”の時に書いてしまったのですが、さらにまた別の視点から書いてみようと思います。

今朝テレビで、花火大会の裏側の問題を取り上げていました。どこの花火かは見ていなかったのですが、そこでは、昼間から車で花火大会の会場に乗り付けてきて、住宅街の道路などに車がたくさん停められてしまい、地域の人たちが非常に迷惑をしているということでした。
また、花火大会が終わってもいつまでも帰らないで騒ぎ続ける若者たちや、大量のゴミ問題などがあったようです。その地域ではかなり困った状況のようでした。

その映像で気になったのは、「立ち止まらないでください」という立て札でした。
これはどうなのかな?と思いました。
以前、どこかで、歩道橋で人々が将棋倒しになり、小さなお子さんなどが犠牲になるという痛ましい事故があったと思います。そのときは、後から人がどんどん押し寄せてきて、止まらなくなったからでしょう。
人が多いところでは、逆に立ち止まっていることも必要だと思うのです。

私がこの間、行った花火大会は、静岡県の伊東市の花火大会でした。伊東の花火は何度か行ったことがありますが、花火大会でいやな思いをしたことは一度もありません。きっと、終わったあと、海岸にゴミなどが何も残っていないなどということはありえないとは思いますから、地元の人は後片付けなどやはり大変だと思います。しかし、「不法投棄」というような、目にあまる状況を見かけることはありませんでした。

車は花火会場近くは通行止めになるようです。また、小学校の校庭などが臨時駐車場になるようです。そのほかに、交通手段では、電車とバスの臨時がたくさんでるようです。
伊東の場合、駅から花火会場の海岸までが、徒歩5分から10分くらいで行けるという便利さなので車で来る人が少なくて済むのかもしれません。

私たちは駅に近い海岸で見ていたので、花火大会が終わって駅に進むとすごい人の流れが駅に押し寄せていました。駅の前は人間のかたまりで全然前に進めなくなりました。臨時電車がたくさんでていて、普通ならその時刻に間に合うはずなのに、人が多くて前に進めないから乗れそうもないのです。
思うに、駅構内に入るのに入場制限をしているのでしょう。早々とホームに入れてしまうと、あふれた人が線路に落ちたりしないともかぎりません。
それで、人々は改札の付近を中心に駅の周囲にわんさとあふれていたのですが、その人たちがみなあまりいらいらしてはいませんでした。我先にという感じではなく、おとなしく立ち止まって待っているか、進まないからそこら辺に座っていようとか、みやげ物を見ていよう、のような感じです。私たちもその辺の店を見たり駅の周囲を散歩したりして人が少なくなるのを待つことにしました。電車は3本くらい過ごし、花火終了後1時間近い後の電車で帰りましたが、席に座ることができました。

伊東の花火はもう60回以上になるようです。そういう点では開催する側も慣れているのかもしれません。また、伊豆の人間ののんびりさも幸いして、人を押してまで進もうとはしない雰囲気というのがあるような気がします。

そういえば、海にひときわきれいな船が浮かんでいました。その船は昼間からあったのですが、夜になるときれいな明かりがともっていました。
それは豪華客船“飛鳥”で、花火のために停泊していたようです。
海上の“飛鳥”から花火が見られるなんていいですね。自分が見るわけじゃないけど、なんか豊かな気分になります。

今年は、駅に近い海岸の後のほうで見たので、右側にあった「イルカ」という海の家の陰になってしまいナイアガラが見えなかったのが残念です。
もっと右(南)のなぎさ公園から打ち上げられる花火が多かったように感じ、さらに右の新井堤防からのも多かったようです。
私たちのところからは防波堤で打ち上げられるのが真正面に見えました。
左の方ではサンハトヤ専門の花火が打ち上げられていたようでした。
今度見るときは、なぎさ公園に近いほうの、しかけ花火が見えるところに行きたいと思います。

また、来年も伊東の花火にいきたいな~
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猛暑も今日までらしい

2007-08-18 00:23:28 | 未分類過去
この数日、日本中暑かった。岐阜では、2日連続40度を越えたそうだ。そんな暑さに人間は耐えられるのか?などと思うが、テレビに写っている岐阜の人たちは、暑い暑いと言いながら、笑顔でなかなか元気そうだったのが印象に残った。40度でも大丈夫なんだなあと驚いたくらいだ。この暑さは70何年ぶりの記録とかいう。70年も前にもそんなに暑い日があったのなら、この暑さは地球の温暖化が原因というばかりではないのかもしれない。
それにしても、熱中症でたくさんの人が亡くなったのは、悲惨なことである。暑さの中で元気でいられる人も多いが、命にかかわる人も少なくはない。お年寄りばかりではなく、十代の若者も部活中に倒れて亡くなっている。やはりこの暑さは危険な状況であり、充分な注意が必要だ。

東京は40度ほどにはならないが、24時間30度を超え続けるという点では、かなり過ごしにくい場所である。夜中に暑さで目が覚めるので、それが何日も続くと肉体的に弱ってくる感じがする。
主婦仲間の話題では、やはり炊事が苦痛だということだ。火を使う場所では冷房などきかないので、できるだけ簡単な食べ物にしたい。冷奴ぐらいがいいのだが、そうもいかないので、煮たり焼いたりして何か作るしかないが、あまりの暑さに何を作ろうかということも思いつかなくなってくる。

今夜は夜になって冷房を止め、窓を開けると、思いのほか北側から涼しい風が入ってきた。
さっきは小雨が降っていたらしく、かなりさわやかな空気が流れてくる。
明日は予報によると30度以下になるらしい。
明日の涼しさが楽しみだ。
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続 猛暑

2007-08-16 23:03:13 | 未分類過去
今日も変わらず猛暑だった。
いや、さらなる猛暑で、早朝から冷房をつけた。

私は会社が休みで、ちょうど子供たちも休みだったので、都庁に子どもたちのパスポートの申請に行った。長女は卒業旅行でイタリアに、次女は研修旅行でイギリス・フランスに行くからだ。
新宿から都庁に行く途中が、地下道のようになっているにもかかわらず、ものすごい暑さだった。
パスポートは5年で1万1000円、10年で1万6000円とのことだ。
10年間のをつくってしまえば割安だが、お金がないのでやはり5年にした。海外旅行なんて、そんなに何回もいかないかもしれない。必要なら本人がお金を出してその時に作ればいい。
それに、同じ建物内にある写真屋さんで1人1500円も出して撮った写真の写りがものすごく悲惨だったので、娘は5年でたくさんだという。自動のスピード写真で撮ったほうがよかったのではと思えるが、もうしかたがない。

今年の夏は、帰省したりパスポートを取ったりと、かなり臨時出費がかかり、大変なことになっている。

それと同時に、この暑さ、いいかげんにしてもらいたい。
今日は、ホースを買ってきてベランダから下の共同庭に向って水撒きをしたが、南風が強くて、水が建物側に吹き戻されてしまう。その風は熱風で、室外機から吹き出ている熱い空気のようなものなので、風とはいっても全然涼しくはない。下の階は窓を開けているかどうかはわからないが、窓から水しぶきが入ってしまうおそれがあるので、あまり撒けなかった。かろうじて我が家の花壇部分にホースで水を飛ばした。サルビアが上から見てもわかるほど丸坊主になっている。毛虫でもいるらしいが、庭まで降りていく気力はない。

ホースは、いつものスーパーで買うのを忘れていったん家に向ったあとで、家の近辺で探したが無く、どんどん遠くに自転車を走らせることになった。ホースを売っていそうな店を探しながら走っていると、たくさんのホースが、そのへんの家や店の軒先に放置してあった。この暑さで、水を撒く人が多いようだ。「ああ、あのようなホースがほしいなあ~」と思った。もしかして、この時期、ホース泥棒なんてものが出没しているかもしれない。
ホースを求めて、結局は遠い隣の駅のほうまで行き、やっと金物屋さんで買ってきた。1メートル160円と聞いて、その安さにおどろいた。3メートル買ってきた。もっと高いものだと思っていたので、安く済んでよかった。

それにしても、ホースの口を手でつぶしながら水を遠くに飛ばして撒いてみると、地面をまんべんなくぬらすことが難しいことに気付く。何分間かやってもそう広い範囲はできないし、狭い範囲でも土全体を充分に湿らせることは根気がいる。
にわか雨のすばらしさというものを知る。雨というのは5分や10分で止まることはなく、最低30分くらいは降っているし、しかも範囲が広いから、その水量はすごいものだなと改めて思う。自然の力はすばらしい。

ニュースによると、北極の氷が解けて大変な状況になっているらしい。
困ったことだ。
週末くらいから少しは暑さがやわらぐという。早く涼しくなってもらいたい。

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猛暑

2007-08-16 00:24:27 | 未分類過去
今年は梅雨明けが遅れて冷夏になるなどと一時言われていたが、とんでもない猛暑が続いている。
日中は会社の中にいるので、あまり暑さは感じない。しかし、今日(15日)の帰宅途中の暑さは昨日とは比べ物にならなかった。
帰宅すると夫が冷房をかけていて助かったが、それから夜の11時まで冷房をつけ続け、その後切った。我が家では夜中の冷房は体に悪いので、窓を開けて寝るのが普通だ。
特に夫が頑として冷房を着けさせない。
一部屋は冷房機をただの送風にし、もう一部屋は扇風機を回す。
だが、今日はほんとうに暑くてたまらない。
12時までにブログを更新しようと思ったのだが、あまりの暑さに耐え切れず風呂に入った。こういうときは暑いお湯にさっと入ったほうがいいものか、それともぬるま湯でもかぶるか、どっちがいいのだろう。
とりあえず、お湯をはってあったので湯船にひたったが、すぐに出てきた。
アタマやカラダをぬらしておくと蒸発熱で涼しくなるものだろうか?などと思う。
湯上りに水をかぶろうかと思ったが、冬に冷水を浴びると逆に毛穴が引き締まってあたたまるなどと聞いたことがあるので、すずしくなるには逆効果かもしれないなどと迷う。
ベランダに水を少し撒いてみた。これも蒸発熱で温度を下げようと思ったのだが、ぜんぜん涼しくはならない。
庭に向ってホースで水をまく人がいるし、以前うちでもやったことがあるが、ホースに穴が空いてすててしまったので、撒くことができない。
永田町などでアスファルトの道路に水を撒くと数度気温が下がったという。
ほんとうにずっと雨が降っていないので、土の庭も乾いている。水を撒いてもしみっていくばかりで蒸発するまでもいかず、ますますムシムしそうな気配だ。かなりたっぷり撒けば効果があるかもしれないが、どっちにしてもホースがないからできない。
今度、ホースを買ってこよう。
にわか雨が降るといいなあ。
昨年は東京都内は集中豪雨が何度かあったようだが、なぜか今年は降らないのだ。
ここまで加熱したら、にわか雨くらい降ってもよさそうなものだが、空は晴れている。
ほんとうに、早く涼しくなってもらいたい!!!
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夏の風物詩

2007-08-14 22:21:29 | トラックバック練習・ご意見板
久々にトラックバック練習版を書きます。
「夏の風物詩」といえば、
今年の我が家では「花火大会」と「浴衣」でしょう。
この間、実家の近くの町の花火大会を見に行きました。
そのときに、私と娘二人とで浴衣を着ていきました。
3人の浴衣女、いいですねえ。

その浴衣なんですが、私と長女が今回着たのは、母が大昔、私の姉と私のために作った浴衣でした。
姉用のは紺地と白で扇の模様のなかなかしぶいものです。
私用のはやはり紺地と白を基調にしていますが、石楠花みたいな花の部分に、ほのかに黄色やオレンジや緑の色がついていて、ほんの少し華やかです。
それを姉と私が結婚する前に母が反物を買って縫ってくれたのですが、せっかく作ったのに着る機会もなく月日が流れてしまいました。
そして、姉の娘も私の娘たちも、近頃流行の浴衣を買ったので、それはそのままになっていました。
普段、うちの子は長女は黄色、次女は水色の派手な浴衣をきています。でも、つい最近長女は東京の花火に行ってきたばかりで自分の浴衣を洗濯する暇がなく、私用の浴衣を着ればちょうど良いということになりました。
そして、私は姉用の浴衣を着ました。
母は花火は見に行かなかったのですが、母の作った浴衣姿をやっと見せられたので良かったと思います。

今まで、花火大会に浴衣を着て行ったことはないのですが、ことしは何で頑張ったかというと、次女が美容学校で着付けの選択授業を取っているからです。
浴衣は簡単で、帯もいろいろアレンジできるとのことで、練習にもなるので次女に着付けてもらおうということになりました。私は赤いつくり帯だったのですが、娘たちは次女が黄色い帯を結びました。
アレンジは自由自在だといいながら、いざ始めたらゴムやら紐やら小道具がなく、時間もなくて結局は単純なリボンの形になりました。
でも、さすがにおはしょりをきれいに整えることができます。やはりプロは違うな~などと褒めました。

電車の中も街の中も浴衣の人がいっぱいいました。
中でも目を引いたのは、きれいなお姉さんではなく、小さな子どもたちです。
女の子が数人あるいていると、あのふわふわの帯の後姿がかわいいのです。
それから、甚平を着てとことこ歩く2~3歳くらいの男の子がすごくかわいい。
疲れもしないで、一人前に歩くんですね。田舎には坊主頭の子もたくさんいて、かわいいなあと思いました。
やはり、子どものかわいさには勝てませんね。

花火は1時間に1万3千発海から打ち上げられました。「なんとかスターマイン、○○旅館テイキョーっ!」などとテンションの高いお姉さんがアナウンスしてました。おもしろかったです。
スーパーや和菓子屋など、そのへんのなんてことない店の提供のものもあったし、全国的に有名な一流会社の保養所の提供というのもあって、地域の経済構造がわかるようでした。きれいでした。
フィナーレは、地元の大きな旅館の名前が続き、その勢力を感じました。

花火ってただで見られるんだからこんなに安いものはないですね。
みんなで海岸に集って同じものを見て感動するというのは、人々の一体感を生みます。
そして、日本は本当に平和で豊かなんだな~と実感しました。
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帰省

2007-08-12 23:57:35 | 未分類過去
8月10日から今日まで故郷に帰省していた。
この写真は春に写したものなのだが、小田急ロマンスカーを使って帰った。
指定席で、新宿~小田原間止まらずに直行する特急でありながら、これを使うとJRの鈍行よりも安い料金で帰れる。乗り心地は最高だ。
しかし、小田原から先はJRに乗り換えてまだ1時間くらいかかるので大変だが、今回はあらかじめ接続を調べて計画的に出かけたらうまく行った。
やはり、予備調査と実行は重要である。

明日はまた会社。
世間はこれから本格的お盆休みなので、なんとなく休み気分が抜けないが、がんばろう。

この数日、かなり暑くて実家でも冷房を入れていたが、今夜の東京は冷房をいれなくても耐えられるくらいである。
近所は留守の家も多いようで、明かりのついていない家が目立つ。
みんな田舎に行ってしまい、冷房をする家が少ないから涼しいのかもしれない。

空も澄んでいて、いつになく星がたくさん見える。
東京の空がきれいなのは、盆と正月である。 

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23 個人的なROEを考えよう

2007-08-10 01:24:15 | 読書
村上龍 「ダメな女」

競争社会がやってくると
本当にダメな女が
「階級」として出現してしまう。

ひさしぶりに、「ダメな女」の続きを書こうと思います。
けっして途中で読むのがいやになったわけではありません。読んでいるのですが、「書きながら読む」という形を採っているので、書かない限り進むことができない状況です。

概要
ジョブレス・リカバリー=雇用無き景気回復、ペイレス・リカバリー=減給による景気回復、ということが言われている。
テレビでは、リストラされて職業安定所に通う人々が写され、その人たちが生活に困窮している様子をお決まりのように紹介する。
経営側は即戦力を求めるようになったので、職業訓練施設の拡充が必要だと述べられる。
しかし、これでは現実感がない。私たちは大変です政府も対応を・・というひとまとまりの対策では対応できない。つまり「個人」が問われる競争社会になっていくのだ。
かつての学歴や学閥、縁故などが幅を利かす社会でなくなったのはいいが、競争のルールというのがはっきりしていない。
こういう世の中で、「ダメな男」が出現するように、「ダメな女」が階級として存在してしまう。
「ダメな階級に属する女は、スキルも知識もない。自分が何をしたいのかもわからない。なんとなくぼんやりと安楽な生活をしたいとただそれだけを思っている。」
子育てや生活にはコストがかかるから、男のほうもできるだけしっかりした女を求めるはずだ。
こういう世の中にあって、なんとなくみんながいっしょに平等に幸福にということはありえない。個人の魅力にかかってくる。ダイエットやエステが流行しているのは、とりあえずそういう面で魅力を身に付けようという動きでもある。
ROEという経済用語がある。リターン・オン・エクィティ、つまり自己資本収益率である。その企業が自己資本をどの程度有効に効率的に収益に結びつけているかという証券業界の用語だ。
「それを人間に置き換えてみると、自分が持っている「資本」、知能や技能や知識やコネや容姿や若さ、それらすべてを使って、各個人がどれだけのコスト・パフォーマンスを生み出せるかということになる。」
「個人的なROEといったことを考えない人は、充実感とは無縁に生きなくてはならなくなる。それだけは間違いない。」とのこと。
以上。

このころ、多くの人々のリストラによって会社は立ち直った。そして、現在景気は回復したと言われているが、ワーキング・プアなどという状況も発生した。
リストラで退職させられた人間たちがその後どうなったかというと、おそらく、個人として魅力のあるもの、自己資本を活用できた者は、何がしかの仕事を見つけ新たな人生を歩み始めたのだろう。しかし、能力はあってもそれを生かすことのできない人はいるかもしれないし、自己PRや社会への働きかけが足りない人もいて、うまくいかない場合もあるのかもしれない。自分にどういう能力や魅力があるのかわからない人は、そういう働きかけをすることもできず、社会から取り残され、ニートになっていたり、とりあえず生活費を稼ぐためにフリーターになっていたりする。何かの目的のためにフリーターという働き方を選んでいるのならそれもいいが、単に食いつなぐための労働では進歩がない。
だから、人は自己資本を活用してできるだけ効率よく生きなければならないし、同時にさらに自己資本を強固なものとすべく、日々工夫と研鑽を積む必要があるだろう。
せっかく自己資本があるのに、その能力や魅力を活用しないものは愚かであるし、努力をしないものは怠け者だ。
現代社会にきまったルールはないとはいえ、愚かであり、かつ、努力しないものは「ダメな人間」になることは必須だ。

ROEという言葉の説明を読んでいて、思い出したのがこの間放送大学で試験を受けた「博物館経営・情報論」のミュージアム・マネジメントだった。
「博物館が有するヒト、モノ、カネ、情報などの経営資源を有効に組み合わせて、利用者の満足の創出や市民生活の豊かさへの貢献などを図ること。」が必要なのだそうだ。

博物館も人間も同じであるなあと思う。
現代の博物館に求められることと、社会人としての個人に求められることは同じなんだろう。
現代社会において、自分の持っている、人脈、物、お金、知識、能力、個性などの自己資本を有効活用させて、社会に貢献し活躍することにより、収入を得る。そして、さらにまた人間としての自己資本を増やしていくことが大切である。

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間に合った!

2007-08-09 00:45:45 | 放送大学
今朝、仕事に行く時にふと思い出した。
そういえば、放送大学の2学期の申込っていつまでだったかな?
たしか、8月8日か9日くらいだったな・・・

ええっ?
今日何日だ?!
8日、8日だよ。
ああ、もうダメか・・・。
今日までだったらだめだけど、9日までだったかな?
ああ、なんとか9日でありますように。。。

運良く仕事は定刻に終わったので、買物もしないで一目散に帰ってきた。
家に着いたのが4時半すぎ。
見ると締め切りは9日必着になっている。今日送れば間に合う。

それから急いで書き込んだ。
もう考えている暇がないので、以前仮に考えた内容のまま記入した。
4時50分。
至近距離の郵便局へ。
4時55分到着。速達で送れた。なんとか間に合った。
もし、5時に間に合わなかったら本局に持っていくのだが、
本局は自転車で30分くらいかかるので、こんな暑い中は行きたくない。
とにかく、間に合ってよかった。

試験直前の頃、履修登録のことばかり気になっていたが、
とにかく試験のことを考えて、
それは試験が終わってからにしようと思っていた。
試験が終り、まだ日にちに余裕があると思っていたら、
いつのまにか日がたっていた。

とにかく、危機一髪、間に合ってよかった。
登録科目は放送授業は「基礎科学」だけである。
再履修が「数学再入門」と「英語Ⅱ」がある。
そのほかに、面接授業をいっぱい申し込んでおいた。

私のような怠け者は、無理やり通う状況を作ること。
こういう方法しかない。


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すっきりしないこと

2007-08-08 23:53:34 | 未分類過去
またまた、朝青龍のことになるが、何がすっきりしないかと言って、今回のことで、本人がどのように考えているのかが全くわからないことだ。
「自分はサッカーをやったのは悪いとは思っていない」でもよいし、「やはり無理をしてでも巡業に出るべきだった」でもよい。
そしてまた、処分について「不服だ!」でもいいし、「自分で撒いた種だから仕方が無いが、ショックだ」でも良い。
どう考えようと、本人の主張が聞きたい。どう思っているのかを知りたい。
そこで初めて考え方の違いがわかったり、その人のことが理解できる。
何を思ってそういう行動をとったのか、ということが理解できる。

あやまったとか、反省しているという話は聞かないから、きっと本人は納得ができないのではなかろうか。
だったら、ぜひとも本人の意見が聞きたいが、それも言っていないところを見ると、そういう反発ができないような異様な世界なんだろう。

そして、一方的に出場停止だの謹慎だのという処分が下っている。
そして、うつ病の一歩手前だということになって、今度は、周りが、国に帰すか、いや日本にいたほうがいいとか、治療が先だとか、治療を優先にしたら処分の意味がないとか、本人の意志をおいてああだこうだと言っている。
適応障害やうつ病のようになっているひとに、謹慎を強いることなんかありえないだろう。治療が優先に決まっているのだ。それでは頑張りが足りないだの、懲らしめにならないだの、処分が下ったら自宅と稽古場の往復で、しこを踏みにいかなきゃならないのに・・・などということをどうして他人が決定するのかわからない。
また、テレビでは町行く人にアンケートなどをとり、朝青龍がモンゴルに帰ることを許可する人、しない人などとしている。なんで、町行く人がそんなことを許可したりしなかったりする権利があるのか?
全ては、朝青龍の自由だよ。
相撲をやめるのも続けるのも自由だし、どこで治療をするのかも本人の自由だ。

だいたい、相撲界というのはわからない。
自宅謹慎って、もし私でも仕事場と家を往復する以外どこにも行ってはいけないなどと聞いたら、ただでさえうつ病になりそうだ。
人間の生活をそこまで規制する権利はあるのだろうか?
なんのための人生なのだろう。

相撲しかとりえのない人間が相撲をやめたらどうなっちゃうのかわからないけど、自分に合わない世界なら自らやめたほうがいいだろう。

私も自分の精神を傷つけられる環境からは自分から逃げてきた。そうしなければ、本当につぶされる。もし順応できなくても居座りたいなら、自分の主張を貫き通すしかない。
「巡業を休んでモンゴルでサッカーをして何が悪い、秋場所に出させろ!」と大暴れしてもらいたいくらいだ。

でも、もうそんな元気もなく憔悴したままの横綱だという。
本当に残念なことだ。
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心に傷を負わせてしまった子

2007-08-08 18:59:38 | 未分類過去
朝青龍に関する報道を聞いていると、次々に日本語学校や日本語ボランティアのことが思い出されてならない。もう、いい加減にやめようと思うが・・・。

たとえば、着任したばかりの学校で、授業中に授業を聞かないで何かをしきりに書いている子がいた。そういう子でも普通当てられればあわてて教科書を開くとかするものだが、その子はまるで授業に戻る気もないようだった。
それで、その子の席のところまで行って、「何をしているんですか?」と聞いたのだが、それでもうつむいたままそれを書き続け、こちらの言うことには無視して何も答えなかった。
「何をしているんですか?ってきいているんですよ」と言っても、まるで意固地である。
そのうち「日本語わからないよ」などと言った。
中上級にもなって、何をしていますか?という言葉がわからないわけないでしょ、と思うわけだが、後になって考えると「おまえは何をしているんだ!」というのは質問ではない場合もある。だから、単に怒られているのか、と思っていたのかもしれない。

「何を書いているんですか?」などと繰り返し聞くと、近くのクラスメートが、「先生かわいそうですよ。専門学校に行こうと思って一生懸命書いてるのに・・・」などと言った。
どうやら、願書のための志望動機とか何かを準備していたらしいのだ。しかし、そういうものは授業中以外に書くべきものであろう。だが、締め切りが迫っている、夜はバイトをしている、書く時間がない、授業を休むと出席日数が足りなくなる、などの理由で、形ばかり授業に参加しながら願書を書いていたらしい。
「それなら、そう言いなさい。ちゃんと理由を言えばわかるんだから」などと言ったのだが、その子は全く私の言うことに反応を示さなかった。
回りの学生がその子のことを代弁するという形でしかコミュニケーションが取れないのだ。
それで、会話をしなければ何も通じない、人が聞いているのに無視をすることが一番悪い、それでいいと思って日本で暮らしているのなら日本に居る意味がない、そんなことならもう国に帰りなさい、などといろいろ言ってしまった。
その子は、それでも全く態度を変えないで私を無視して書き続けた。
そして、次の週から私の授業だけを休み、ついに卒業するまで私の授業にはでなかったのだ。

日本に来る中国人は国では裕福なほうだという。そして、一人っ子で甘やかされている。
私は途中からそのクラスの授業を持ったので事情がわからなかったのだが、そのクラスは中上級とはいえ、いろいろなレベルの寄せ集めで、その子は年も若く、おとなしい性格で、あまり意欲のあるタイプではなかったようだ。なんとか適当な専門学校を見つけて進学するというふうな状況の子だったらしい。
だから、日ごろから、まあなんとなく授業を受けているというふうだったのかもしれない。それでも昔からいる教師なら気心が知れていて問題はおこらなかったのだろう。
ところが、外部から急にやってきた私が、いきなりきつく言ったので、私を避けるようになってしまったようだ。人見知りがはげしい子だったのかもしれない。出席すれば、フォローもできたと思うのだが、会うこともできないのだからどうしようもなかった。他の先生の授業は普通に出ているということで、完全登校拒否になったわけではなかったのが、せめてもの救いだ。
同僚の先生に相談すると、そのうちけろっとして出てきますよ、と言ってくれたが
結局卒業するまで私の授業だけは二度と受けなかった。

日本語学校には、そういうおとなしくて心を閉ざしぎみの子や、注意すると逆切れするような非常にふてぶてしい男子学生などもいた。どっちにしても、まともなコミュニケーションをしようとはしない。朝青龍がマスコミの質問にも答えずに、無視したままブスッとして歩いていく姿をみると、どことなく共通した雰囲気をかんじないでもない。

そもそも、その本人の行動が非常識だし、本人に原因があるわけだと思うが、事実上そこまで本人を傷つけてしまったわけだから、私が加害者である。
じゃあ、いったいどうしたらよかったのかわからない。授業中、勝手なことをしていて、教師が何かを聞いても返事もしないようなことを、そのままにしておいていいはずはないと思う。

卒業パーティーの時に顔を見たが、教師からあやまる理由もないし、過去のことを蒸し返してまた不愉快な思いをさせるのもどうかと思い、そのままになった。

あれからもう5年以上たつと思うが、あの子はどんな人間に成長したのだろうか。
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げっそりさせられること

2007-08-07 23:55:46 | 未分類過去
外国人について3つの記事を書いたが、それは朝青龍に起こったトラブルから私の神経が誘発されて、過去のことを思い出したものだった。
私の回りで起こった外国人の、時には自分もが巻き込まれるトラブルが、思い出されてならないのだ。

そして、外国人が日本人にはあり得ないような行動を起こし、それが発覚するたびに、どうしてすぐにバレるようなウソをついたり、自分にしか通用しないような論理を組み立てて主張するのか?という疑問にとらわれるのだった。
すぐにばれるならやる意味がないわけだろう。
どうせやるなら、「完全犯罪」にしてもらいたいわけだ。

中国人でよく問題になるのは、アパートを貸すと契約者ではなく、全然違う人がたくさん住んだりしてしまうことである。それが発覚して注意すると、ちゃんと家賃を払っているのだから問題ないよ、あなたも私も損はしない、という風な思考回路であることがわかる。

あるとき、あるアパートのごみ置き場に何百枚という不動産のチラシが捨てられていた。
不審に思った住人の1人が、その会社に連絡をすると、それは各家に配布されるはずのものだった。配布を請け負っている会社に問い合わせると、それはタウン新聞に織り込んで配布するはずのもので、1人の中国人がそれを担当していた。その中国人に連絡を取ろうとしたが、当人は帰国して留守だった。いろいろ調べるとそのアパートに中国人の友人が住んでいて、その友人が代わりにそれを配布し、友人からお金をもらうことになっていた。
なぜ捨てたのかと問いただすと、自分は何も悪いことはしていないと言った。そのようなものを配布しても誰も見ないで捨てる。どうせ捨てるものだから、配布しないで自分が捨ててあげた。これで多くの人の手間はいらなくなった。友人は帰国してその仕事はできないから、自分が代わってあげて助かっているし、誰も損はしないのだ、という主張らしい。
そんなものが何百部も束になって捨ててあったら、どうなるかわからないのか?日本人は捨てられるべきでないものが捨ててあったら大騒ぎするでしょうが・・・。中国人はそういう不審なゴミを見ても何もしないのでしょうか?

どうせ捨ててしまうなら、自分のアパートではなく、遠くの自分とは関係のないところに捨ててくるとか、中身が見えないように梱包してすてるとかするのが、普通のやりくちだろう。
そのあたりが、自分が不正をしているという感覚が鈍すぎるためなのか、あまりにもお粗末で理解できない。

朝青龍にしても、モンゴルで楽しくサッカーなんかしていたら、それはすぐにばれるし、どうなるか結果を考えなかったのだろうか?と思うわけだが、今までの私の身近に起きた外国人のトラブルを見ていると、そんなことも驚くに当たらないなあと思えてしまう。

推薦状を書いて、と持ってきて書いた名前が日本語教室に入る時の名前と違うってそれどういうこと?自分の名前を間違えましたってわけじゃないでしょう。最初に語った名前と後の名前とどっちが本当なんですか?という話である。それとも似た名前の別人の推薦状を書けというのか?日本人は人の名前をすぐに忘れるとでも思っているのだろうか?
私は先生に迷惑をかけない、だから誰も困らないよ、という言い分を信じることができるだろうか?

何か、悪意があるわけでもなく、憎めない部分もあるのですが、こういう手口があまりにもお粗末すぎて、あきれ果ててしまうのです。
そして、信頼していた人が思いもよらない人間だったことに気がつきがっかりさせられるのです。
こういう状況なので、アパートもアルバイトも二度と紹介できません。

そして、ただただ「なぜこうなのか?」という割り切れない気持ちだけが残ります。



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