昔の日記を読み返していて、庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んだのが、短大1年の6月であることがわかった。今から34年も前のことである。
それも、男友だちに約束をキャンセルされてがっくり落ち込み、待ち合わせ場所に行く代わりに近所の図書館に行って借りてきたものだった。その晩はそれを読んで、なんとか気が紛れたようである。
いわば、救いの本だったようだが、実は内容を何も覚えていないのだった。覚えていないということは、大したことは書いてなかったのかもしれない。図書館で借りたんだから、現物は実家にもここにも無いわけである。
あのころは、三島由紀夫の「金閣寺」や「仮面の告白」をゼミで読まされていて、それも気が滅入るものだったから、強制されないで読んだこの本は、自分にとってどんなに慰めだったのだろう。たぶん、軽い内容だったんだろうな。
しかし、ゼミでやった「金閣寺」でさえ、どもりの若い僧が金閣寺を焼いたというくらいの筋しか記憶にない。「仮面の告白」は、たしか、著者は自分が生まれたとき産湯の記憶があるとか何とか書いてあったことしか覚えていない。
どれもほとんど記憶にないなんて、読まなかったのと同じじゃないだろうか・・・。
それで、「赤頭巾ちゃん~」には、いったい何が書いてあったのか読んでみたくなった。
古い本だと思ったので、まずはブックオフに行って見た。単行本・文庫本と、日本人作家の「し」の棚を調べたが、庄司薫の本は1冊もなかった。
そのあと、通りかかった本屋の前で、急に入ってみることにした。庄司薫とは関係なしに、最近どんな本があるかな?と思って入ってみた。何気なく新潮文庫の棚を眺めて歩いた。
あっ!庄司薫があった。「白鳥の歌なんか聴こえない」「赤頭巾ちゃん気をつけて」「さよなら怪傑黒頭巾」の3種類が並んでいる。しかも、「新刊」の帯がついている。前書きだか あとがき には最近の庄司薫氏の文が載っているらしい。
新刊とは、いったいどうしたことやら?どうして今新刊になったのかな?
買おうかどうしようかと思ったが、どうせ買うなら、5%引きになるショッピングビル内の本屋でかったほうがいいので、やめた。
その後、やっぱり、図書館かなと思って図書館に向かった。すると、なんと、休館日だった。それで、何も買わず、何も借りられずに帰宅した。
今読んだら、きっと内容が古いんだろうな。本屋でパラパラめくってみたら、女の子の家に電話をすると、必ずママがでるとか書いてあった。
そう言えば、昔は携帯がなく家デンだったから、親が出る確率が高かったもんだ。電話に出た親は、相手の子の話し方や態度で、人間の品定めをしていたものだ。
読んだら、昔の状況が出てきて、懐かしいような内容なのかもしれない。
そういえば、数か月前、庄司薫の話題がこのブログの中に出てきたことを思い出した。あれは、なんで出てきたのか、それさえも記憶がない。庄司薫がすでに70代だということがわかった。
自分のブログを検索してみると、「
これまでに読んだ芥川賞作品」に関してだった。
「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、芥川賞だったのだが、学生時代は、そういう理由で読んだわけではなかったようだ。それに、今考えると、○○君に会う約束をキャンセルされなければ、私は庄司薫の本を読まなかったことになるから、この本を読んだのは、○○君が原因だと言える。
日記を読み進むと、7月2日に、新宿紀伊國屋で「さよなら怪傑黒頭巾」と「狼なんか怖くない」の文庫本を買ったことが書いてある。だから、これらは読んだのだろうし、家に文庫本があったはずだが、今は全く見当たらない。内容も思い出せない。このとき一緒にゼミで使う安部公房の「砂の女」を買っているが、それは単行本で今も本棚に入っている。男が砂の中に住んでいる女の家から出られなくなる話だっけ。喩えれば、蟻地獄みたいなのかな。今読みなおせば、昔よりはわかりそうだけど・・・。
全く、すべての記憶が次々にザルのように落ちて消えているのだった。
もう1回読んでも、また内容を全部忘れるのかもしれないけど、昔読んだ本を読んでみようかな。
(とりあえず、短大1年6月6日の日記を公開にしました。)