山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

あじさい

2012-06-14 01:41:19 | 日記


紫陽花のきれいな季節になりました。

あじさいの木はとても大きくなるので、狭い庭では無理です。
ベランダなんかでも到底無理。
外でのびのびと成長して、花を咲かせているのを見るに限りますね。

今日は、ブログに仕事のことを書こうと思って、ワードに下書きをし始めたのですが、
なんだか、説明が複雑になり、自分でもわけがわからなくなってきて、
こんなの、読む人にもわかるわけがない、と思い、やめちゃいました。

効率の悪い仕事について書いてたんですが、
ブログもまた効率の悪いものとなり・・・

没じゃ~~

とっさに、ピンチヒッターは「あじさい」となりました。

この手前の紫陽花、ちょっと変わっているけど、なんていう名前だったかな?
コメント

「昔の日記」と「読書の梅雨」

2012-06-13 02:53:20 | 日記
「昔の日記」でブログ検索をすると、自分の「昔の日記」を読み返したことについて書いている人がすごく多いことに驚く。
あのころ悩んでいたな、とか
今になってみるとどうってことない感じ、とか
改めて再確認したとか、
恥ずかしい、懐かしい、etc.  etc.

薫君に言わせると、ギャッといって焼いちゃうらしい。

私自身はどうかというと、ある意味、客観的に読めるのだけど、
やっぱり、30年も経った今も、引きずっているなと思う。
当時の心の重さが、現在にまで及んでくる感じだ。
これって、精神上よくないかも・・・。

「さよなら怪傑黒頭巾」は、32年前にも買ったのだ。
同じ本を2度買うか?
昔買ったのは、中公文庫だと思うけどね。
当時の文庫本は文字が小さい。現代のほうが大きくなっているから、読みやすい。

私は、「赤頭巾ちゃん気をつけて」を、やっぱり読みたいと思っている。
あの6月6日に、自分が読んだ内容を知りたいのだ。

「さよなら怪傑黒頭巾」も読んだ事あるはずなのに、読み返しても、ああここ読んだって思うところに、全く行きあたらない。
完全、記憶喪失です。

あっ「読書の梅雨」という言葉で検索すると、これも結構出てきます。
考えることは皆同じ。

コメント

読書の梅雨

2012-06-12 20:40:57 | 読書


「読書の秋」という言葉はあるが、「読書の梅雨」という言葉は聞かない。
どうしてないんだろう・・・。雨が降ったら、家で本を読んでいる。
これは、いい時間の使い方だ。

「狼なんか怖くない」を読み始めたところ、どうも、庄司薫氏の他の作品を読んでいないと、意味が半分以上わからないということがわかり、今日は、他の作品を買いに行った。
図書館に借りに行かないのは、本に線などを思う存分引きたいからである。

家の近所の本屋には、庄司薫の本が数種類、揃っていることは知っているのだが、なんとしてもカードで5%引きになるところで書いたいので、そこに行った。そしたら「さよなら怪傑黒頭巾」(新潮文庫)しかなかったので、それを買った。どちらかというと、芥川賞の「赤頭巾ちゃん気をつけて」がよかったのだけどね。

本屋ってのは、どこも同じ本が売っているものだと思っていたら、やっぱり違うらしい。本屋によって仕入れようとする本が違うのであろう。まあ、考えてみればあたりまえだ。
どっちみち、全部の作品を読みたいので、5%引きになる本屋に入るのを待とう。あるいは、ポイントがたまるところが良い。

ときどきブックオフで中古の本を買うこともあるけど、やっぱりどんな人が読んだのかは気になることがある。ページの間に鼻クソが挟まっているかもかもしれない。ゴキブリのいる部屋とか、トイレの中で読んでいたかもしれないと思うと、ちょっとやな感じだ。だから、少し高くても新品の本がいいかな。

「~黒頭巾」は読みやすくていいのだけど、なんか目が痛くなってきて、今中断している。
ブログを書くのも、目がきつい。困ったことだ。
眼の使用許容量を超えちゃってるらしい。

今日も、印刷物の校正、約5時間した。
やむなく、中止だ。

(写真:買ったまま溜まっている本。全然読んでないものもあり。梅雨のうちに読んでしまおう。)




コメント

「狼なんかこわくない」

2012-06-12 00:57:40 | 読書
実家にあった「狼なんかこわくない」を読み始めたのだけど、これが、意外に内容が簡単なものではないということがわかった。
著者が以前に書いた小説について、それを書いたころの状況や心情などをかなり詳細に書いてある。
となると、まずは、それらの小説を読み直してみなければ、意味がない。
「赤頭巾ちゃん気をつけて」とか「狼なんかこわくない」などという題名から、軽く易しい印象を受けていたが、実はそうではないのだ。「赤頭巾ちゃん~」は1度読んだことがあるはずなのに、まるで覚えていないから、読んでいないのと同じだ。
そして、「狼なんか~」については、もしかしたら1度も読んでいないのではないか?と思えてきた。もし18歳の私が読んでいたとしても、今現在の私にわからないのだから、当時の私にわかったわけはないように思う。
端から読んでいってもアタマに入らない部分があるので、てきとうに拾い読みしている。

「ぼくは、本当なら1969年中に、「赤」「黒」「白」「青」がそれぞれ題名に入った18歳の薫を語り手とする四部作(・・・略・・・)を書きあげ、そして庄司薫というペンネームもろともこの「薫」をさっさと引っこめるつもりでいた。
ところが、こと志とちがって、69年に書いたのは「赤」と「黒」だけ。そして、続いて「白鳥の歌なんか聞えない」を中央公論に連載し始めたのだが、結局本になるまで1年半もかかってしまうということになった。」

私がこどものときテレビドラマで「白鳥の歌なんか聞えない」をやっていた。主演は仁科明子だった。当時、仁科明子(現在表記「仁科亜季子」)はきれいだと思った。どんな内容だったか覚えていないが、印象に残っている。

私にとって庄司薫の作品はなんだったのだろう。今現在、何にも覚えていないにしても、当時は、数ある作家の中から、この人の作品を選んで買ったり読んだりしていたわけだった。

「狼なんかこわくない」の内容を理解するには、まず、処女作「喪失」を読まなくてはならないだろう。「喪失」は読んだことがあるのか、ないのかさえ覚えていない。覚えていないということは、読んだことがないからかもしれないが、「喪失」という題名はなんとなく印象に残っているので、もしかしたら読んだことがあるのかもしれない。

どっちでもいいことだけど、最近は自分の過去を掘り出すことに関心を持っている。
「狼なんかこわくない」は、いわば庄司薫が自分の過去を掘り起こしているので、それを読むのと同時に、私自身の過去も掘り起こせるのは面白い。

「仁科明子様を目指してがんばってくれたまえ」と高一のとき同級生の男子(←私はこの子にあこがれていた)から言われたことがある。
当時の中高生にとって、仁科明子は憧れだったのかな?

話は変わるが、私は中村紘子のピアノコンサートを聴きにいったことがある。有名なピアニストの演奏を生で聴いたのは、この人の演奏だけである。べつに、庄司薫の妻だから行ったわけではないが、これも何かの縁であろうか。
自分の日記によると、私は庄司薫の講演会にも行ったらしいし、今になってみると、当時の自分にとっては関係深い存在だったのではないかと思える。

コメント

古書の発見

2012-06-10 22:57:18 | 読書
週末は、実家で過ごしていました。単なる休暇です。土曜はあいにくの雨でしたが、今日はとてもいい天気でした。

さて、実家でふと本棚を覗いてみました。すると、なんと庄司薫の「狼なんかこわくない」(中公文庫)があるではありませんか。どうして、この本が実家にあるのかよくわかりません。確かに、短大のときに自分で文庫本を買ったと日記に書いてありますが、実家に持って行った記憶はありません。73ページ(「11 小説を書くというのは怖ろしいことだ」)のところに、もみじの葉が挟んでありました。とくにそこに挟んだ意味はないと思いますが、30年以上前の葉っぱに驚きました。同時に買ったはずの「さよなら怪傑黒頭巾」はありませんでした。
それから、当時私に苦痛を与えていた三島由紀夫の「金閣寺」(新潮文庫)がありました。線や書き込みは何もありません。もしかしたら、これらは私が買った現物ではないのかもしれません。



とりあえず、両方持ち帰ってきました。「狼なんか~」を少し読み始めました。

昨日は「教授の異常な弁解」(高橋賢二)を読み終えました。なかなか面白かったです。

最近買った本やら、実家から持ってきた昔の本やらで、いっぱいになっています。
コメント

庄司薫の本

2012-06-07 19:43:44 | 読書

昔の日記を読み返していて、庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んだのが、短大1年の6月であることがわかった。今から34年も前のことである。
それも、男友だちに約束をキャンセルされてがっくり落ち込み、待ち合わせ場所に行く代わりに近所の図書館に行って借りてきたものだった。その晩はそれを読んで、なんとか気が紛れたようである。
いわば、救いの本だったようだが、実は内容を何も覚えていないのだった。覚えていないということは、大したことは書いてなかったのかもしれない。図書館で借りたんだから、現物は実家にもここにも無いわけである。

あのころは、三島由紀夫の「金閣寺」や「仮面の告白」をゼミで読まされていて、それも気が滅入るものだったから、強制されないで読んだこの本は、自分にとってどんなに慰めだったのだろう。たぶん、軽い内容だったんだろうな。

しかし、ゼミでやった「金閣寺」でさえ、どもりの若い僧が金閣寺を焼いたというくらいの筋しか記憶にない。「仮面の告白」は、たしか、著者は自分が生まれたとき産湯の記憶があるとか何とか書いてあったことしか覚えていない。
どれもほとんど記憶にないなんて、読まなかったのと同じじゃないだろうか・・・。

それで、「赤頭巾ちゃん~」には、いったい何が書いてあったのか読んでみたくなった。
古い本だと思ったので、まずはブックオフに行って見た。単行本・文庫本と、日本人作家の「し」の棚を調べたが、庄司薫の本は1冊もなかった。

そのあと、通りかかった本屋の前で、急に入ってみることにした。庄司薫とは関係なしに、最近どんな本があるかな?と思って入ってみた。何気なく新潮文庫の棚を眺めて歩いた。

あっ!庄司薫があった。「白鳥の歌なんか聴こえない」「赤頭巾ちゃん気をつけて」「さよなら怪傑黒頭巾」の3種類が並んでいる。しかも、「新刊」の帯がついている。前書きだか あとがき には最近の庄司薫氏の文が載っているらしい。
新刊とは、いったいどうしたことやら?どうして今新刊になったのかな?
買おうかどうしようかと思ったが、どうせ買うなら、5%引きになるショッピングビル内の本屋でかったほうがいいので、やめた。

その後、やっぱり、図書館かなと思って図書館に向かった。すると、なんと、休館日だった。それで、何も買わず、何も借りられずに帰宅した。

今読んだら、きっと内容が古いんだろうな。本屋でパラパラめくってみたら、女の子の家に電話をすると、必ずママがでるとか書いてあった。
そう言えば、昔は携帯がなく家デンだったから、親が出る確率が高かったもんだ。電話に出た親は、相手の子の話し方や態度で、人間の品定めをしていたものだ。
読んだら、昔の状況が出てきて、懐かしいような内容なのかもしれない。

そういえば、数か月前、庄司薫の話題がこのブログの中に出てきたことを思い出した。あれは、なんで出てきたのか、それさえも記憶がない。庄司薫がすでに70代だということがわかった。
自分のブログを検索してみると、「これまでに読んだ芥川賞作品」に関してだった。
「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、芥川賞だったのだが、学生時代は、そういう理由で読んだわけではなかったようだ。それに、今考えると、○○君に会う約束をキャンセルされなければ、私は庄司薫の本を読まなかったことになるから、この本を読んだのは、○○君が原因だと言える。

日記を読み進むと、7月2日に、新宿紀伊國屋で「さよなら怪傑黒頭巾」と「狼なんか怖くない」の文庫本を買ったことが書いてある。だから、これらは読んだのだろうし、家に文庫本があったはずだが、今は全く見当たらない。内容も思い出せない。このとき一緒にゼミで使う安部公房の「砂の女」を買っているが、それは単行本で今も本棚に入っている。男が砂の中に住んでいる女の家から出られなくなる話だっけ。喩えれば、蟻地獄みたいなのかな。今読みなおせば、昔よりはわかりそうだけど・・・。

全く、すべての記憶が次々にザルのように落ちて消えているのだった。
もう1回読んでも、また内容を全部忘れるのかもしれないけど、昔読んだ本を読んでみようかな。

(とりあえず、短大1年6月6日の日記を公開にしました。)


コメント

ムーヴなど13万台リコール

2012-06-07 01:37:46 | 運転・車・道路の事
またまた、リコールです。
パソコンでニュースの項目見て驚きました。

ダイハツサイトの「リコール・改善対策情報」を見てみると。

1不具合の内容

ターボチャージャ付車両のエンジンのクランク角センサにおいて、内部コイルの耐久性が不足しているため、エンジン始動直後に高速走行するような運転を繰り返すと、過大な振動により当該コイルが断線する場合があります。そのため、走行中にエンジンが停止する、あるいは、エンジンが始動できなくなるおそれがあります。

2改善の内容

全車両、クランク角センサを改善品と交換します。

だそうです。

車台番号を確認したら、うちの車も該当していました。近々、はがきが来るのでしょう。
エンジンだから、直しておかないと心配です。

リコールのシールは、3枚目となります。

[6月7日夜追記
 別の記事によると、該当車はターボエンジン車であることがわかり、うちの車は該当しないようです。
 よかったです。←つーか、上にもそう書いてあった。
 “ターボチャージャ付き車両”ってターボエンジンのことだったのね・・・]




コメント (2)

最近の生活

2012-06-07 00:59:53 | 日記


30数年前の短大のときの自分の日記を読んでいて、ちょうど6月6日っていうのが、かなりショックな日で、その日の日記を書きうつしていたのだけど、そのうち自分に毒されてきて、なんかいやになってしまった。一生懸命なのはわかるけど、「おまえはつまんない!」と自分で自分を面倒くさくなってきてしまった。

それで、ブログに途中まで下書きしたけど、非公開のままにしています。
やたらと長いばっかりで、堂々巡りだしな・・・。

その6月の末ころの日記には、最近の生活を一言であらわすと“混沌”だと書いてある。
たしかに、混沌としていた・・・

それで、夜の街(繁華街ではなく、市街地)を、ひたすら1人で歩きまわるだけ。行くところは図書館しかなかった・・・。

ところで、今この最近の生活を一言で表すと、
「停滞」ってところです。(手痛い ではない。)

それで、30年経った今も、相変わらず変わらないのは、近所で行くところというと、用もないのに、やっぱり図書館かなあ・・・

今は単なる暇つぶし、惰性、歩数計の歩数を増やすため。
タダで行って、時間をつぶせるところ。
ま、ここ1カ月くらいは行ってませんけど。

このごろ、休みの日は、用もなく歩く代わりに、用もなく運転の練習をしている。
おかげでカロリーを消費しないから、2Kgくらい太ってしまった。

平日は惰性で仕事をするのみ。

「停滞」を脱出しないとなあ・・・
コメント

危なっかしい日

2012-06-06 01:02:56 | 日記
今日は、昼休みにお昼を買いに行こうとして階段を下りていたら、間違って地下まで下りてしまった。いつもと違う周囲の様子に気づいて、あわてて上がってきた。
お弁当を買い、レジ袋を手に持って4階まで上がるとき、3階と4階の間の踊り場にかかったところで、けつまづいて、派手に転んでしまった。かなりの勢いで前方にすっとんでいき、壁に前頭部を激突させて止まった。だれにも見られなかったのは、幸いだった。右のおでこにタンコブができた。右ひざも打った。頭蓋内出血でも起こしたらどうしようかとヒヤヒヤしたが、そんなにひどくはなく、触ると痛い程度だった。弁当はレジ袋の中でひっくり返っただけで無事だった。
帰宅して、タンコブのことをブログに載せようと、まずワードに下書きをしておいた。

夕飯の前に腹ごしらえにカレーパンを食べたら、急に眠くなってきた。起きていようと頑張ったが、どうにも眠くて耐えられない。昼にアタマを打った影響で、意識が薄れようとしているのではと思ったが、どうも単なる眠気だった。昨日2時半まで起きていたせいだ。ちょっと寝ようと横になり、目を覚ますと12時をすぎている。リーガルハイを見過ごしてしまった。五十肩が異様に痛い。隣の部屋の窓が空けっぱなしで、冷えたようだ。夫は夜勤だ。

ブログをUPしないまま日が変ってしまったことに気がついた。さて、ワードの下書きをコピーして編集画面に貼り付けようとしたら、なんと保存したはずのワード文書が保存されていなかった。そういえば、何かが更新されたという表示が出て再起動したときに、何かが保存できませんでしたとかいう表示が出ていたっけ。

もう1回書いたのがこれ。最初に書いたのと全然違うものになった。
編集画面に直接下書きしといたほうが、消えることがなく、よさそうだ。


コメント

ちょっと危ない場面

2012-06-05 00:50:26 | 運転・車・道路の事
昨日は、you tubeで、車の運転映像を見ていた。
対向車がセンターラインを越えてきたり、女子高生が自転車逆走で突っ込んできたり、危険な場面、無謀な運転、へたくそな運転等々、様々な映像を見続けていたら、目が回ってきた。そう言えば、以前見ていたときも、なんだか頭がクラクラして、気持ちが悪くなってきてやめた。動く映像を見続けると、良くないようだ。

ところで、自分の運転中のことで、思いだした場面がある。
それは、片側1車線の渋滞している道路で、すぐ先の交差点の信号が青だったのだが、そのさらに先の信号が赤であり、車がつかえていて、直進車が進めない状況だった。(右折レーンはない。)
私は5台目くらいに並んでいて、すぐ先の交差点を右折する予定だった。右折先は混んでいなかった。
すると、前から3台目の右折車が、センターラインを越えて右側を通行し、右折をしようと進んでいった。
確かに、対向車は来ないのだけど、「ああいう走り方って、ありかな?」と思ったそのとき、先頭に停止していた直進車が、急に気を変えて右折に転じ、右に曲がり始めたので、あわや、対向車線を進んで行った車とぶつかりそうになった。
右側走行をしていった車がブレーキを踏み、1台目を先に曲がらせたので、衝突や接触は免れたものの、やはり、ああいうのは危ない。
順番に、交差点まで進んでから、曲がるべきだし、先頭車も急に進行方向を変えるのは危険だ。直進が渋滞していたので、このままでは、いつになっても進めないと思い、いやになって変更したようだが、周りは直進すると思って行動してしまうだろう。

両方に間違いがあると、特に事故は起こりやすいようだ。
いついかなるときも、ルールに則って運転しよう。

こんな記事がありました。「対向車線を走って右左折する車」なるほど、いろんな危険がありますね。
絶対にやめましょう。
コメント

バラ比較(昨年と今年)

2012-06-04 23:36:19 | 植物・花・木
今年の薔薇はちょっと遅かったなと思って、昨年のブログや写真を比較してみました。
神代植物公園の同じ薔薇です。

レオナルド・ダ・ビンチ



↑ 先日載せた画像です。今年の5月26日撮影。

↓ 昨年の写真がありました。5月21日撮影。



まだ、つぼみです。でも、きれいだと思って撮影したところをみると、“レオナルド・ダ・ビンチ”は、
やっぱり私の好みのバラだったようです。
5日間(1週間)違うと、花の開花度もかなり違ってくるようですね。


↓ 先日載せた今年の薔薇のドーム。

 

↓ 昨年のもありました。



あれっ、昨年のほうが色が薄いです。同じ花ではないのでしょうか?
だんだん濃くなるのか?

今年のほうがきれいなようですね。

昨年のバラ園の記事 





コメント

“マネーボール”と統計学

2012-06-04 00:53:02 | 放送大学
昨日、土曜日は、DVDで映画「マネーボール」を見た。
この映画は、以前、放送大学の面接授業で、先生からぜひ見るようにと薦められたものである。
野球に統計学を活用して、勝つための戦略を成功させた実話である。

goo映画のサイトから「マネーボール」のあらすじを引用させていただく。
「メジャーリーグの野球選手だったビリー・ビーンは、引退後オークランド・アスレチックスのゼネラル・マネージャーとなる。しかし、財政が苦しいアスレチックスでは、せっかく育てた有望選手を、強豪球団に引き抜かれるという事態が続いていた。チームの立て直しを図るビリーは、統計データを使って選手の将来的価値を予測するという「マネーボール理論」を導入。イェール大卒のピーター・ブランドと共に、チームの改革を進めていく。」
≪マネーボール≫

面接授業のときは、野球を例にした統計データから、エクセルで表やグラフを作って、分析したが、私は、野球のことはよくわからないため、あまり身近とは感じることができず、パソコンの操作も速くてむずかしくて、大変なことだった。
松坂の球種や球速の傾向を分析したりしたのを覚えている。ダルビッシュは、松坂よりも球種が多かった。
パレート図とか、管理図とか、ヒストグラムとか、いろんなグラフを作ったっけ?

面接授業を受けたときから、既にわけがわからなかったのだが、現在では、さらに、ざるのように大部分のことを忘れてしまった。

夫はメジャーリーグが好きなので、面接授業でこの映画を薦められた話をしたら、DVDを借りてきてくれ、一緒にみることになった。
この実話は、2003年ころのことで、今から10年くらい前の話らしい。映画は昨年(2011)秋のものだ。

主演のブラッド・ピットは有名な俳優だが、私は洋画をほとんど見ないので、初めて見たようなものだった。洋画も見ると面白いかもしれない。

統計やエクセルは仕事でも使うので、これからも勉強しなくちゃと思うが、思うだけでなかなか実行できていない。

(日記にはどうということのないことを書いておくと、将来読み返したときに意外に面白い事に気がついた。映画の「マネーボール」を見た記録と、今期に統計の面接授業を受けた記録を残しておきたいと思います。)
コメント

本日の運転練習

2012-06-03 22:31:32 | 運転・車・道路の事
免許をとって3年近くなる今でも、相変わらず初心者マークをつけて運転の練習ばかりしている。いつになったら、練習を卒業して、まともな運転ができるようになるのだろう。
おそらく、一生練習をし続けるばかりだろうといういやな予感がする。

今日は、幹線道路を左回りに回るという一番リスクの少ない自主経路を設定した。
そういえば、自動車学校では、今年度から自主経路という卒業試験はなくなったのだそうだけど、自主経路は本当に重要なものだ。自分の運転技術に合った経路を設定するのがいい。卒業試験では事実上、模範経路はすでに設定されていたが、目的地までの経路を自分の頭に刻み込んでおくことは、日常の運転で重要なことだ。
私なんか、自主経路を決めているにもかかわらず、目的地に到着できずに、どうかなってしまうことがいかに多いことか。

そこにいくと、今日は大正解であった。ちゃんと予定通りのコースを走ってきた。

本日のコースは、環八通りを南下し、井の頭通りに左折し、方南通りに左折し、環七通りに左折し、目白通りに左折し、環八通りに左折し、戻ってくるというものだった。
こんな経路、間違えようもないかと思うが、方南通りから環七に左折する手前の第一車線に、駐車車両が2台あり、その車のどのくらい先に交差点があるものか、見通すことができなかった。駐車車両を越えてすぐのところを曲がろうと左折専用レーンに入ろうとしたら、何やら路地のようなものに見えたので、あら違うのねと思ってウィンカーを消してそのまま第二車線を進みそうになったところ、やっぱりそれが環七に左折する側道であることに気がつき、直進レーンから左折するみたいな変な走りかたをしてしまった。
これって交通違反か?車線変更可能なラインであったが、車線を変更するというよりも、そのまま左折したみたいになってしまった。進行先の様子が認識できなかったのは駐車車両が原因でもある。いい迷惑だ。横にも後ろにも車がいなかったのは、幸いだった。

この交差点は、自宅で地図を見たときには、てっきり方南通りが下を走り、環七が上を走って立体交差しているものと思い込んでいたのだが、実際には環七が下を走っていたから、大きな交差点のように見えなかった。現地を知らないと運転に戸惑うことが多い。環七を走ったことは数回あるが、この交差点から入ったのは初めてだ。

日曜は意外に空いていると予測していたが、午後2時すぎとあって、それほど空いてはいなかった。制限速度は以前は40km/hという驚くべき遅さだったが、いつだったか50km/hになったという新聞記事を見たことがあった。その記事の通り、路面の40という文字が消されていた。そもそも以前から50km/h以下で走っているクルマなんかいなかったようだが、制限速度が変ったこともあり、60km/h以上出しているクルマが多い。こちらも60km/h弱で走った。

第二車線を走っていると、クラクションが聴こえた。常日頃、クラクションはみんな私の車に向かって鳴らしているものだと思っているので、ひやりとしたが、後ろではなく左前の車の音である。いくらなんでも右後ろの車に向かってクラクションを鳴らすことはあるまい。見ると、その車の左前をチャリのオッサンがふらふら走っていた。

青梅街道を超え、左側が高円寺という矢印のある交差点を超え、早稲田通りを超え、新青梅街道を超えて、北に向かう。その先、練馬は左という分かれ道で、どうするか迷いながら、そのまま右方向に直進。この辺りはよくわからなかったが、道なりに右斜め直進が環七だ。その先、目白通りにつきあって左折して進むと、結局は同じ道に出る。少し行くと練馬区役所があった。目白通りは広くて、車も少ない。前に車がいないと不安になってくる。
環八通りに左折し、練馬トンネルと井荻トンネルを抜ける。トンネル内は本当に車が少ない。第一車線を60km/hで走っていると、そのうち、井荻トンネルでは後ろから来た車が追い越していった。また次々に抜かされていく。みんなすごい速さだ。
トンネルを出た先の環八は車が多く少し渋滞していた。本日の走行距離21.9km。
コメント

避難訓練

2012-06-03 11:31:44 | 日記
土屋賢二氏の「教授の異常な弁解」を読んでいる。
さっき読んだのは「船長の気持ち」っていうのだが、防災訓練で避難誘導係になった話がかいてあった。
それで、人を誘導しようとしたのだが、避難する人はいなくて、学生も相手にしてくれず、
誰ひとり誘導されてくれなくて、しかたなく無理やり助手の1人を誘導して終わったという話である。

私の職場でも、このあいだ避難訓練があった。避難訓練の時は、外階段を使って地上まで下り、そこで消火器の使い方などの説明を聞くということになっている。
ところが、やっぱり参加者がほとんどいない。
避難訓練の参加の社内説明では、一度も参加したことのない人は必ずするようにということであり、さらに、誘導係や連絡係などの担当者は、きめられことをすることになっている。一般社員は強制はしないが、参加を歓迎するとのことだ。
一度も参加したことのない人というのは、新入社員である。同じフロアーには、新入社員がそれぞれ離れた部署に1人ずつ、計2人いた。
まず、館内放送があり、数分後に避難を促す放送を流すという連絡があった。
1人の新入社員は、「今日は避難訓練なんですよね」等と近隣の人に聞いているようだった。近くの人は、「私たちは、もうやる必要はないんで、放送があったら勝手に逃げてください」などと言っているようだった。
新人はなんとなく心細げにしていた。本放送が入り、新人は1人で避難を始めた。総務の人が1人やってきて、もう一人の新人もいっしょに、外階段の場所を案内していた。
おばさんである私は、万歩計の歩数を増やしたいために、仕事を中断し、外階段を使って地上まで下り、下での説明は聞かず、内階段を使って戻ってきた。
参加者は総務の人を含めて4人であり、同じ職場の60人くらいは不参加であった。
同じビルには他の会社も入っているので、何人かが避難していたが、全員が避難すればビルの入口には到底入りきれるはずもない人数であるところ、下に下りたのは十数人足らずであった。
社内の避難訓練の説明によると、誘導係はドアを開け、その他、連絡係や消化係の役割もあって、それらの係りはそれぞれの任務をし、一般社員は自由参加と書いてある。しかし、実際のところ、担当者が何かしたところで、一般社員が誰も参加しないのであれば、バカらしくてやってられないのもあたりまえだ。それで、毎年参加してるのは、体重を減らしたいパートのおばさんだけになったというわけだ。今回参加した新入社員も次回からは参加しなくなる。

実は、数年前までは、もっとたくさんの社員が参加していた。それは、年輩の上長がおり、避難訓練は全員でやらなければ意味がないと主張していたからだ。そのときには、別の会社の人がほとんど参加しないことについて、その上司が憤慨しており、全員が逃げてみなければ、外階段がどのくらい混み合うのか、外にどれだけの人が下りてくるのかわからないから意味がない、と言っていた。
しかし、今では、我が社のほうが参加者がほとんどいないという状況である。

まあ、避難訓練なんてどこもそんなもんか。確かに全員避難すると、それはそれで、大変なことになりそうだ。
コメント

神代植物公園のバラ

2012-06-03 09:53:35 | 植物・花・木
先週行った神代植物公園のバラの写真を少しだけ載せておこうと思います。

今年は、行くのがちょっと遅かったのか、開ききった花が多かったという印象を受けました。
その代わり、薔薇の香りがすごかったです。

今年一番きれいに思えたのは、「レオナルド・ダ・ビンチ」というバラです。



つるバラで、棚の上に平らに咲いています。
花がしっかりしているので、炎天下でも、きれいな形を保っているようです。



レオナルド・ダ・ビンチというと、おじいさんの姿を思い出してしまうので、どうして、男性の名前なのか?とちょっと意外な感じがしました。

昨年は、この写真の上のほうに写っている、淡いピンクのバラが一番きれいだと感じたのですが、今年は、昨年ほどきれいではありませんでした。
その花の一番きれいに咲いている日に当たるかどうかってことで、かなり印象がちがうようです。



↑これは、すごくきれいでした。裏側には人が入れるようになっていて、写真を撮る人がいっぱいでした。こんなのが、うちの庭にあったらいいなあ~



下の方の、この色々ないろのバラは、いったいどうなっているのでしょうか?
いろんなのを混ぜて植えているのかな?



頂天はこんな感じ。全体が、きれいでかわいくて、これが、一番気に入ったかな。

コメント (4)