山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

「不良のススメ」読書中

2013-04-23 23:28:51 | 読書
ヒマなもんだから、結局次の本を読むことにした。
瀬戸内寂聴と萩原健一の対談「不良のススメ」を読んでいる。1時間くらいでもう半分くらい読めてしまうくらいスカスカの文字数なのだ。萩原健一が四国88カ所のお遍路をした話などもある。お遍路っていうのは観光気分でできるもんじゃない。大変なものなんだなと思う。歩くうちに悟りが生まれるのかもしれない。

この本は図書館で借りてるんだけど、文中に時々鉛筆で線が引かれている。それをゴシゴシ消しゴムで消しながら読んでいる。先に借りた人間が線を引いたわけだけど、どうしてこんなところに、というようなどうでもいいところに引いてあるのがくだらない。
最初から最後まで読むうちに、最初から最後までの落書きを消す。図書館員の仕事みたいだね。

図書館で本を借りると、線どころではなく、何やら文を書きこんでいる人間もいる。
そう言う人は自意識過剰で自分のコメントがすごく価値のあるものだと思っているのだろう。だから、次に読んだ人間が感心するかとも思っているようだ。
これは人ごとではなく、自分も高校時代なんかに、欄外に何か小さな文字で書きこんだ事があるような気がしないでもない。そしてそのときには、読んだ人間がみんな書きこんで行ったら面白いだろうなんて思ったものだ。

しかし、実際に人の書いたもの(本への書き込み)を見てみると、バカじゃないのこの人は?と思うことのほうが多い。それは、ある意味その人の精神を尊重していないってことでもあるけど、書いてあることに同感出来ない場合が多い。こっちがバカで理解できない場合もあろう。しかし、著者が書いた内容にいちゃもんつけてる場合もあり、アンタは著者より偉いのか?と思ったりもする。著者の書いている事が間違ってるか?でも客観的事実が違うならまだしも、見解が違う場合などは、自分の意見と違うからってそこで異論を唱えるのはおかしい。又同感だとか絶賛だとしても、そんなことは知りたくはない。
そうだ、自分より先に読んだ人間が何を思おうと、次に読んだ人間には関係がないのだ。
次の人間は純粋に、その本の著者から情報を得たいだけなのだ。

ということで、公共の本に線を引っ張ったり書き込みをするのはやめてください。

話はそれましたが、この本は読むやすく、すいすい進みそうです。
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有給休暇消化中

2013-04-23 15:30:47 | 日記
こまったこまった。
有休休暇がいっぱいたまっているのだけど、あと2ヵ月くらいすると一昨年の分が消えてしまうのだ。もったいな~い。
そこで、消える分だけでもなんとか消化しておきたいのだけど、週に1日以上休みを取らないと消化できない。(一昨年の分10日以上残ってんです。)
今は、比較的ヒマな時期なのだけど、繁忙期に手が着けられなかった仕事もいろいろ残っていて、本当はそれを今やっておくチャンスなのだ。
でも、有休を無駄にしてまで、そんな仕事をするほど私もお人好しではないので、それをほっといてせっせと有休休暇を取ろうと思っているのだ。
昨年も頑張って取ったんだけど半日分消えちゃって損した。
しかし、考えてみると、有休を全然取らせてもらえない会社も多いようなので、かなり幸せなほうかもしれない。

今日は、身体を休めつつ、外出もしないで、家の中を掃除している。
それはもうすごい散らかりようだ。近頃整理整頓の方法などが流行っていて、その方法は、とにかく片づけたい一定箇所にある物品を、一旦全部取りだしてから、要らないものを捨てて、残りを整頓しつつその場所に戻すという方法である。
それで、真似してやってみたところ、まあ、いくらかの不用品が捨てられたものの、残りをどうやって戻すのか、戻すところがないではないか?ということになり、途方にくれた。
片付けようとすればするほど散らかるのはいつものことで、こんなことなら出さなきゃよかった。出さなければとりあえず収まっていたのに・・・ということになった。
それで、結局、またひとまとめにして、別の場所に押し込んでおしまい。
ああ、やっぱり整理整頓なんか、私には出来そうもない。

整理したつもりのところは、結局机の上だけなんだけど、とりあえず、これから読もうかな?と思う本を並べてみた。
えっ?こんなもん買ってあったっけ、というのがいろいろ出てきた。
「ツナグ」の原作本があった。
「原発を止める55の方法」なんてのもあった。
「女性のための運転術」なんてのもあった。
「3分で部屋が片づくミラクル整理術」なんてのもある。
村上春樹氏の「海辺のカフカ」(上下)もあるので、このあたり読んでいこうかな?
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「アンダーグラウンド」読了

2013-04-23 15:13:27 | 読書
ようやく「アンダーグラウンド」を読み終えました。文庫本777ページというかなりのボリュームでしたが、中断することもなく読みました。
近頃、小説などは途中で読むことをやめてしまうことが多いのですが、これを読めたのは、ここに書かれていることが事実であり、実際に体験した人の証言によるものだったからだと思います。そして、事件そのものだけではなく、そこに居合わせた人のそれまでの生い立ちや職業、日常生活などがそのまま等身大に描かれていたことが、その人と行動を知るのに役立ちました。小説のような作り話は説得力がなくいやになってしまうことがありますが、ここに書かれていることはそういう点では、全くの本当の物語でした。

証言の最後に書かれていた和田さんのご家族の話は一番つらいものでした。和田栄二さんはこの事件で亡くなられましたが、息子を亡くされたご両親と、奥さんの証言が載せられています。奥さんは妊娠中で、夫が亡くなった後に出産されたそうです。妻は、朝出勤していった夫が突然帰らぬ人になり、両親は故郷で農業を営みながら、東京で新婚生活を送っている息子の訃報を突然伝えられました。読んでいて、ほんとうに辛いものでした。
その生まれたお子さんも、もう17歳になるのでしょうか。

オウム真理教の麻原彰晃はおぞましい。それに洗脳された人たちもいったいなんでそんなことになったのだろうか。あの時代はなんだったのか。なんでああいう教団が発生したのでしょうか。しかし、だんだん過去のものとなります。

今の日本はどうなのだろうか。あのことから日本の社会と日本の人々は何を学び何を改善したのだろうか。
その時は怖いと思った、その後はだんだん忘れた、それだけではいけないはずですが、だからといって何かを悟るわけでもなくこうやって日常をあたりまえに暮らしている。

平和の裏には何があるのか、影となるものの存在を無視したり、目を背けたりせずに対面しなくてはいけない。そういうものを見て見ぬふりをして放置してきたのは、日本の組織とそれを構成する国民だった。

この事件が起きるずっと前に、人々は、オウム信者のすることをバカらしいと思い、人ごとだと思って、目をそむけながら通り過ぎていた。自分には関係ないと思っていた。そのことがこんな大きな事件になるまで放置されていた原因のひとつだろう。

無関心というのはおそろしいことだ。目をそむけたくなるものをこそ直視しなくてはいけない。
村上氏の最後の「目じるしのない悪夢」の部分を読んでいて、そう感じました。
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ワイパー不要?!

2013-04-23 01:10:59 | 車・運転・道路2013
昨日の関東地方は午前中土砂降り。そんな中、すでに申し込んでいたバスツアーに出かけたのでありました。
バスは、高速道路に入り、時速80キロくらいで走って行きました。
日曜とはいえ、悪天候であり、ゴールデンウィーク前なので、幸いあまり混んでいません。
でも、前を走る車は、タイヤと道路の間にかなりのしぶきを上げて走っており、教習所でならった「ハイドロプレーリング現象」なんてもんが起きないだろうなあ~と、ちょっと不安でもありました。

で、座席から身を乗り出してフロントガラスから道路の前方を見たりしていたのですが、あれっ???このクルマ、ワイパーないのか???
運転席にワイパーが動いてないじゃないですか。でも、別にガラスに雨がつくわけでもなく、視界はくっきりと見えます。
よく見ると、小さいな水粒が下から上に、中央から外側に素早く飛んでいくような動きはあるものの、ほとんど雨は降っていないようでした。

な~んだ、早くも雨はやんだらしいよ、ワイパー動かしてないし・・と一旦思ったのですが、そんなに早くお天気快復するかな?ということで、隣の車線を走っている車などを見ると、なんと、どの車もバスもしっかりワイパーを動かしていますし、それなりの量の雨が降っているのです。
あれっ?なんでこのバスのフロントだけ雨が降ってないのかな???ますます不思議です。
しかし、どんなによく見てもワイパーは動いていないのです。

それでバスから降りたときにバスのフロントを外から見ると、ワイパーはちゃんとありました。でも、走る時には、やっぱり使ってはいないのですね。
そこで、運転士さんに、「このバスは、ワイパーは使わなくても大丈夫なんですか?」と聞いてみました。すると「大丈夫です。○△ワイパーなので。」とかいう話で、それもわけがわからないのですが、とにかく物体のワイパーは使わなくてもよいような仕組みになっているらしいのでした。

家に帰ってきて色々調べてみると、フロントガラスに特殊な加工がしてあるようです。超撥水ってことなのでしょうか。例えば、こんなのが載っていました。

エクスクリア ゼロワイパー 超撥水ガラスコート / カーメイト


http://www.carmate.co.jp/press/2011/09/post-55.html

説明を見ると、表面を完璧にきれいにして下地処理をしたら完全に乾かし、ベースコートを塗ってまた乾かし、これらは半年くらい持つようですが、最表面のトップコートは雨の降る直前に塗布しなくてはならないようで、自分ではかなり面倒臭そうで出来そうもありません。また、この加工をしたあとは、ワイパーを動かすと表面がはがれてしまい、効果が無くなくなってしまうそうなので間違ってワイパーを動かさないように気をつけなくてはなりません。私などは、フロントガラスが汚れていると、ワイパー液を噴射しワイパーを動かして汚れを落とすのが常なので、それができないのはかなり不便です。
でも、バス会社ともなれば、このような工程を惜しまずに行ない、雨の日の運行直前にトップコートを塗るなどもしっかり行うことでしょう。何よりも安全運転ができるわけですから。

やっぱり技術が進歩しているんだな~と思った次第です。

道行く車を観察してみましたが、ワイパーを使っていない車というのは他には発見できず、まだまだかなり少数のようでした。
タクシーなどは使っているかもしれませんが、高速道路にタクシーは走っていなかったのでみかけませんでした。

観光バスの場合、運転席が客席より低い場所にあり、フロントガラスはかなり大きいです。
運転席の前だけワイパーで水を払っても、客席から見える視界が悪いこともありそうです。
このような超撥水加工がしてあれば、運転もしやすく、客席からも前方がきれいに見えるようです。
また、客席の窓ガラスもこのような加工がしてあれば、外もよく見えることになりますがどうなんでしょう。
そういえば、横を走る車が良く見えたのは側面の窓ガラスもそうだったのでしょうか?
そうだったとしたら、とてもいいバスだったということですね。
路線バスだとだいたい雨の日に外を見ることは不可能に近いくらい水滴がついているのが普通ですね。

追記:

撥水道場 ピュアコートゼロ っていうのもあった。
http://www.hassuidojyo.com/hpgen/HPB/categories/7205.html



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ボキ

2013-04-20 23:06:26 | 日記
2月の簿記3級試験に落ちたので、次は6月だ。なんだかな、どうするかな、と思ううちに、試験の申し込み期間が始まった。これは申し込んでしまわないかぎりエンジンがかかるはずもないので、とにかく申し込んだ。今度は前回とは別の自治体の商工会議所に直接インターネットで申し込んだ。世の中便利になったものだ。さて、こうなったからには、受けなきゃならなくなったのだ。

数日前に書店で買ってあった問題集を少しずつやることにした。1度、簿記の講座を受けているので、解説書などは特に必要がないはずである。

今度買ったのは、とにかく薄くて負担のないかんじのワークブックで、値段も700円である。やり始めて驚いたのは、最初に、資産・負債・資本・純損益などの空欄を埋める問題と、簡単な損益計算書と貸借対照表の作成から始まっていたことだ。
実は、私が前回最後のほうでわからなかったのは、「期末資本から期首資本を引いたものが当期純利益になる」とか、「資産は資本と負債を足したものである」などという基本的なことだったのだ。

ここではまず最初に
資本等式    資産-負債=資本
貸借対照表等式 資産=負債+資本
損益計算書等式 費用+当期純利益=収益 というものが載っていた。

これで、ずいぶんこんがらがっていたアタマが整理された。
以前は仕訳や減価償却などはずいぶんしっかり勉強したけど、基本的なことがわかっていなかったのかもしれない。

とりあえず、ぼちぼちやって行こうとおもう。アタマの体操にもなるしね。

追記:

それにしても、冬に受けた簿記講座の学校では、再受講しないかとか模擬試験を受けないかとかいう案内がいっさいこないので、ちょっとさびしい。おばさんは完全対象外なのかな?

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慣れないパソコンその後

2013-04-20 21:49:58 | 日記
仕事場では、私の専用のパソコンの本体が交換になり、windowsXPからwindows7になったことは以前書いた。あれから2~3週間が経ったのかな?日常の操作にはだいたい慣れてきたのだけど、週に1回くらいエクセルの表の空欄の中に多数の様々な長さの矢印線を入れる作業に相変わらず苦戦している。
というのは、本体の他にキーボードとマウスも新しくなったのだが、そのマウスがどうも使いにくいのだ。矢印線は起点から終点にマウスを動かして引かれるわけだけど、線を水平に引こうとしても、どうも上か下にずれる事が多く、どうしてもきれいに引けない。長さも止めたいところで止まらず、思うような形と位置で表示する事が出来ない。
それを修正しているとものすごい時間がかかってしまう。これはマウスのせいなんだろう。マウスが滑りすぎるのかな?細かい動き、微妙な動きができにくいのだ。

それから、エクセルも2003から2007になり、矢印の形が変わった。今までのは先端が黒い小さな三角(➝)だったのだが、今度のは「→」の形だが、その先端部分が「>」のように大きくなってしまった。そのため、短い両側矢印線だと右端と左端の矢印がくっついてしまう。だから、細かい表示ができない。今までの表では例えば5mmを両側矢印線で示せたものが、1cmくらいにしないと左右の矢印がくっついて菱型の図形になってしまうのだ。

そんなわけで、10分でやっていた作業が30分くらいかかるうえに、5mmであらわすべきものを1cmで表してしまう(5mmと1cmの違いを区別できない)ようなことになってしまった。

ストレスがたまる。先週は時間がなくて、その書類が作れなかったので、週明けに持ち越すことになってしまった。

今までのパソコンは壊れてもいなかったのに、なんで新しくなったんだろうか?
実は今度のパソコンは新しいのだが、最初から壊れている部分がある。(内部機能に問題はない。)
なるほどそうか。非正規社員のパソコンが早々と新しくなるなんて、やっぱりワケありだよね。
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「アンダーグラウンド」読中感

2013-04-20 11:37:53 | 読書
「アンダーグラウンド」は、まだ読み終えていません。
でも、ちょっと感想を書いておきます。

最近、読んでいたところは、日比谷線の北千住のほうから中目黒のほうに向かって走る電車に乗った人たちの体験談だった。
ここでは、犯人が秋葉原でサリンの袋を破り、それに乗っていた人々の具合が悪くなり、小伝馬町で乗客が車内からホームへサリンの袋を蹴りだしたが、すでに車内に液体が残っていたため、3両目に乗っていた人の具合が悪くなって築地で停止ボタンが押されて運行が中止された。ここでは爆発事故が起きたと誤認された。
その後を走ってきた地下鉄は前に進めなくなった。そして、後続車では、おもに小伝場町で停止していた電車の人たちや小伝場町でホームに降りた人の具合も次々に悪くなっていった。

地下鉄サリン事件では、いくつもの路線にサリンをしかけられているので、実行犯にとっては、被害が拡大することは最初からの想定だったのだろう。
なぜ、地下鉄を狙ったのか、それはまさしく、被害を拡大するためだったのだ。

ここで、北千住から地下鉄に乗り換えて都心に通勤をしている人の多さに驚いた。他の路線では、いつもより空いていたという感想を言う人が多かったように感じたが、北千住ではいつもどおりに混んでいたという人が多いようだ。しかも、その通常の混み方は尋常ではない。北千住では何本も待ってから残り込む人が多く、それでもぎゅうぎゅうづめで座ることなどは到底できないそうだ。つぶされないようにするのが精一杯だという。

そのような人たちは、前の電車が停まったことで、途中駅で下ろされてしまったが、サリンのガスを吸って具合が悪くなりながらも、なんとか職場に向かおうとする人が大部分である。確かに、他に行きどころもないわけであるが、人間というのは、体調が悪くなったりしても、かなり無理をしても、通常の行動をやめようとはしないものらしい。多くの人が自分自身の行動に後になって驚いている。

これを読んでいると、このサリン事件ではなく、それ以前に、この地下鉄の通勤状況って、これでいいのだろうか?と思えてきた。北千住で乗り換えてくる人は、もっと遠くからやってくるわけだけど、通勤時間が2時間以上なんて人もいる。遠いだけならまだしも、その殺人的な混み具合だ。まるで働き蟻だ。ものすごい人数の人間が毎日働くために地下にもぐって移動しているのだ。なんだか、この状況が間違っているように思えてきた。

今はどうなのだろう。今もそうなのだろうか。
サリンを撒くなんていうのは最悪の犯罪で、そんなことがなければ事故などは起きないはずではあるけれど、都市というものに一極集中して人間が働くというのはあまりよくないのではないかと思えてきた。

最近は地震が多いので、私は地下に閉じ込められるのがいやだからなるべく地上の乗り物を使っている。地下というのは基本的に密閉空間だ。エレベーターなどもあまり使いたくはない。でも、これを読んでいると、やはりガスでも水でも流れ込んだら怖いと思うし、電気が切れたら真っ暗になる地下というのは、やはり怖いと思う。
幹線道路なども地下に作る工事が進められているけれど、地下というのは、人工的にどのように安全に施工しようと地下は地下、トンネルはトンネルで、その危険性は避けられないと感じる。
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書けないこと

2013-04-20 10:51:01 | 日記
日々、いろいろなことが起こっているのだけど、書けない事が多々ある。
特に仕事のことは、いろいろと企業秘密っていうか、迂闊に書くとマズイことがあるのだ。
例えばちょっとしたマイナスイメージの事を書いたことによって、その会社の信用が落ちるなんてことがあるのだ。
実際の企業名を書かないとしても、近隣で起きたことや、社内行事で利用した商業施設などを書いたことから、具体的な社名が判明したりしてしまうことがある。自分が具体的なことを書かなくても、関連した事を書いた別の人のフェイスブックなどから、芋づる式に判明してしまうこともある。
だから、社内であった小さな出来事(たとえば、顧客からの伝言をうっかり忘れたとか頼まれたことを実行できなかったなど)を書くと、それが信用を落とすことにつながったら困るわけだ。変な客が来たなんてことを書いて、その変な客が読むかもしれないのだ。

自分が書くことは自分のブログで完結しているわけではない。情報は網羅されている。
関連するものを手繰り寄せれば、いろいろなことがわかってしまう。
う~ん、だからなかなか不便なのだ。

仕事ではいろんなエピソードがあるけれど、それは書けない。
じゃあ、そんなのは自分だけの日記帳に書けばいいのかもしれないけど、ブログに日記を書くのが習慣になってしまうと、そういうこともしなくなってくる。そこで、必然的に書き記されることと書きしるされないで通り過ぎて行く日常の出来事が別れる。家庭内の個人的なことなどもあまり書かないので、記録されないで過ぎ去る。
実は、その記録されない事のほうが、重要なのかもしれないのに。

誰が読んでも無難な事だけが書き記され遺されていくことになる。
それは、実は、自分の中では全く重要なことではなかったりする。

結論
ブログには、自分にとって本当に身近なことや重要なことは書けない。
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レジにて

2013-04-19 01:52:43 | 日記
なんか面白い出来事はないかな~などと思って、いろいろと日常の事など思い出してみます。

日曜日の夕方っていうのは、スーパーのレジが混んでいるんですね。
なんだってこんなに混んじゃうんだろう。
買い物のためにわざわざ出てくるんだろうか?
レジにはだいたい6人くらいは並んでいる。平日は3人くらいかな?

最近はついてなくて、自分の並んだレジに限ってなかなか進まないなんてことが多い。
前に並んでいる人のカゴの中身の量などを見て、狙いを定める。かごに商品が山もり入っていても、6本入りビールが2セットとか、大きなペットボトル数本なんかを買っている人の場合、カサはあっても品数が少ないので、意外に早く進んだりするのだ。
しかし、あきらかに品数が少なく、早く進みそうなはずなのに、レジの人がものすごく「のろま」だったりすると延々と時間がかかったりするわけだ。だから、予測が当たらないことも多い。
見るからにたくさんの品物を入れた人がいっぱい並んでいて、この行列は遅そうだと思いつつも、近隣の列に蔵がえするタイミングを逃してしまうことも多い。隣の列はどんどん進んで、私よりあとに並び始めた人さえもが、さっさと会計を済ませているのに、こっちはまだ前に2人もいるなんてこともある。まあいいや、別に急ぐわけでもないからさ、と思って気長に待つことにする。

さて、先日、珍しくすごく短い列をみつけたのだ。他の列が6~7人も並んでいるのに、3人くらいしか並んでいないのだ。おっ、あそこ空いているぞと思って、他人が気づかないうちにと思ってさっさと並んだ。ふと見ると、レジの人が商品のバーコードを見て手でそこの数字を打ちこんでいるようなのである。あっ、読みとれない商品だったのね、と思った。
バーコードってのは13桁くらいあるんですね。それに細かいから読むのも打ちこむのも大変らしく、一旦打ちこんでも間違っていたのか、もう一度やり直したりしている。
そして、1つの商品で終わりだと思っていたら、次の商品も手で入力しているではないか。

あっ、機械が壊れているみたいだぞ。
そうと分かったので、今度は判断が早かった。さっさと隣のレジの列に移った。おかげでスムーズに進むことができた。
バーコードの読みとれないレジは、やっぱり故障していたようだ。そのお客さんはかなりの量の商品を買っていて、途中でやめるわけにもいかないので、店員さんが延々とバーコードを打ちこんでいた。次の人は、故障はわかっていたようだが、他の列の7~8番目に並ぶよりは早かろうと待っているようだった。その後ろの人も待っていた。本当はその後が私だったがさっさと変更しており、その後には新しい人が並んでいた。その人たちは、他の店員さんがやってきて、故障しているので他の列に行くようにと謝っていた。
隣の列に移った私は、故障のレジの最初の人よりも早く終ることができた。

いやあ、ポスレジってのは、正常ならいかに早いかということですが、この読み取り機能が壊れると、もう金額を打ち込むどころの遅さではありません。食べ物の値段なんて3桁くらいなもんですが、13桁(12桁?)づつ入力していくのですから、その効率の悪さといったら・・・。本当にレジ係りの人はお気の毒なことでした。
他のレジに代わってもらった方が早かったようですけどね。

お客さんは、時間が20倍くらいかかった上に、レシートは必要ですか?なんて聞かれていた。レシートもきっと変なんだろうね。でも、バーコード(いやバーコードはあの線で、数字はJANコードっているらしい)を打ち間違えて別の商品になっている可能性もあるから、こんな時こそレシートは欲しいよね。お客さんも気の毒だった。
店員さんもお客さんも大変だったなあ。

私がレジだったらいったいどうなったことだか。
だいたい老眼でバーコードの下の数字なんか見えないから、まるで無理なことだ。

家に帰ってからバーコードは何桁なのか老眼鏡をかけても数えるのが大変だった。

人が大変な思いをしているのに、面白いなんてい言ってはいけないね。
一品だけ手入力があっても、全品手入力は普通ないでしょ。お疲れ様。

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「アンダーグラウンド」の途中経過

2013-04-18 00:52:00 | 読書

村上春樹のアンダーグラウンドを3分の2くらい読んだところです。
普通は、読後感想文を書くものですが、私の場合、読中感想文を書くことが多く、しかも最後まで読まずに放置という本も多々あります。
でも、たぶん、この本は最後まで読むと思いますけどね。

ただ、やはり、さすがにボリュームがあるなあ、と思います。
文庫本で読んでいるんですけど、厚いので、ページを開いて持つのが大変。手のひらや指の筋肉を普通のサイズの文庫本以上に使うなあと思って、ちょっと不便です。

それから、地下鉄のいろんな線や駅名が出てきて、だんだんわけがわからなくなってきました。路線図でも見ながらアタマを整理しつつ場所を確認したほうがいいのでしょうが、とにかくダダっと読んでいるので、位置関係・時間関係がこんがらがってきてしまいました。しかも、サリンが最初に置かれた電車と、けり出された駅と、次の電車に乗っていてその影響を受けた人や、ホームで被害に遭った人など、もうわけがわからなくなってきてしまいました。
あとで整理されたものを読んでもこの状況ですから、当日の混乱は大変なものだったのでしょう。こんなことをされては、全く不可抗力でしょう。

でも、この時にはすでに松本サリン事件が起きたあとであり、オウム真理教が怪しいとも言われていたし、神奈川県の中ではオウムの危険性が注目されていたというので、警察がもう少しちゃんと対処していたら、こんなことに発展する前に、オウムの活動を阻止できたかもしれなかったと思います。
こんなに危険な集団であるオウム真理教を、宗教法人として認めたのもおかしいと書いている人もいて、確かにそうだと思いました。

1990年ころは、衆議院選挙なんかに立候補していて、街には変な歌を歌いながら象のかぶり物をかぶった教団員たちが踊りを踊ったりしていました。本当に変だった。選挙には当然落ちました。変な集団だけど、そんな危険なことをたくらむ集団だとは思いもしませんでした。選挙に当選できず、その後は別の手段、別の方向に進んでいったのでしょうか。

「アンダーグラウンド」のこの本のボリューム、つまりその証言の人数の多さとその一人一人の文章の量もかなりあります。そこには、村上春樹の普通でないパワーと意志を感じます。それは、聞ける人からは1人残さず聞いて、聞いたことは、本人が承諾するかぎり、きちんと記録するということでしょう。それを気分で取捨選択したり、本のページ数がいくつだからどこを削って、なんていうことはしないでしょう。この厚さが、この人の誠実さであり、ひとりひとりの人を大切にしているのだと感じます。また、本に記されるのを拒んだ人の話も、印刷物にはならないものの、村上氏の心の中にしっかりと受け止められたはずです。

だから、読むほうもきちんと、ひとりひとり全部読むのが礼儀だと思います。

これを読んでいると、いつも何の関心も持たずに電車に乗り合わせている乗客のみんなが、それぞれに自分の人生を大切に歩んでいるということが具体的に見えてくるようでした。自分だけが頑張っているわけでも苦労しているわけでもなく、みんなも同じなのだと、あらためて感じます。他人の命の重さや、他人の生活の重要性を知らされました。
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席を譲られる?

2013-04-17 01:01:58 | 日記
今日は、電車に乗った。そんなに混んではいなかったが、数人が立っているくらいだった。
夫が1つだけ空いている席に座った。今日は休日だが疲れが取れていないそうだ。実は、夫の場合、それはもう30代くらいからのことで、ひんぱんに夜勤があるから仕方がないのだが、本当に若いころから、必ず夫が座席に座り私は立っているというのが習慣である。それは確かに、夫が40代では私が30代、夫が50代では私が40代、夫が60代では私が50代ということで、常に夫が年寄りだからでもある。
しかし、ちょっと注意して見ていると、一般に電車の中では、夫が妻に席を譲っている場合が多い。だいたい空席の前に夫が立つと、妻を座らせるというパターンである。それがうちでは逆であるが、まあ、私は疲れていないことが多いので、自分が立っているのはなんとも思っていない。

ところで、今日もそういう具合だったのだが、横並びの席に夫が座り、その前に私が立っていると、夫の隣の隣に座っていた若い男性が、ふっと席を立って出入り口のほうに歩いていった。その人は別に降りるわけではなく、そのあたりにずっと立ってスマホの画面を見ているようだった。そのしぐさは、何気なく気をきかせて私に席を譲ってくれたように見えた。

あれっ、いったい何歳に見えたんだろ?まさか、60代に見えたりなんかしてしまうんだろうか?数か月前に若い女の子からも席を譲られそうになったことがあるので、若者から見るとこれは私もかなりの年齢に見えているのかもしれない。顔がよほどくたびれているんだろうか? ちょっと複雑な気分である。

私は、まだまだ、席になんか座る必要はない年齢なんですよ、だいたい、まだ40代ですから。・・・なんて、・・うそぴょ~ん。
でも、これから自分は40代だってことにしておこうかな。
などと色々空想を広げていた。若者のそのさりげない気配りは嬉しいので、せっかく立ってくれたのだから座りたいのは山々だけど、やっぱり私は席に座る年齢ではないのだよ。う~ん、でも好意を無にはしたくないけど、やっぱりなあ。

これが、夫のすぐ隣の人が立ったのなら迷わず座るわけですが、1つ抜かしで他人を挟んで座るというのも・・・。本来なら、その夫の隣の人が気を利かして、空いた席にずれてくれるのがいいのだけどね。でも、いちいちずれる義務があるわけじゃなし、その人に非はありません。

で、ちょっと迷いながらも、空席はそのままにして、やっぱり立っていました。もしかしたらお年寄りが乗って来る可能性もあるわけだし・・・。

今思うと、あの席を譲ってくれた人は、私が年寄りに見えたからではなく、夫婦連れでありながら1人だけが立っていることに気を使ってくれたのではないかと思う。

きっと優しい人なんだろうね。

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いつのまにか君は

2013-04-16 00:13:51 | 日記
浜田良美 - いつのまにか君は


近頃、東京に出てきたころのことをよく思い出します。
それは、人生の中で、初めて違う環境で生活し始めたからかもしれません。
その当時は、ラジカセにラジオ放送を録音して音楽を楽しんでいて、
繰り返し聴いていたテープの中にこの歌が入っていました。
だから、イントロから全部覚えています。

最近、この歌をどこかで聴いたわけでもないのに、急に頭の中に勝手に流れ始めたのです。

それで、you tubeで検索したらすぐに出てきました。
今はなんて便利なのでしょう。

この歌も、コッキーポップで流れていたらしいですね。
かぜさんのたむたむたいむとか、そのあたりのラジオ番組を最近思い出したのですが、
それが引き金になって、頭の中の引き出しが開いたのかもしれません。

この歌、いい歌です。(歌詞の意味はよくわかりませんけど・・・



追記:

普段読んでいるブログをいくつか開いて読んでいたら、
「いつの間にか」というタイトルが出てきて驚きました。

あれっ?この人も同じタイトルで・・・
と思い、読んでみると、それは昨日か一昨日にも読んだものでした。

つまり、なんと
私がなぜこの歌を思い出したかというと、
そのブログのタイトルがきっかけだったようなのです。

無意識というのは、ほんとうに不思議なものです。
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急にできたホクロ

2013-04-15 01:22:37 | 日記
今日、お風呂に入って、髪の毛を洗い、最後にもう一度湯船に入ったとき、
急に右腕の肘から5cmくらい上あたりに大きめのホクロをみつけた。(直径3mmくらい?)
腕にはこれまでもいくつかホクロがある。
車を運転するようになったら、さらに増えて、しかも右腕の手首から肘までの間にホクロが増えてきた。
右と左ではあきらかな差がある。やっぱり右の窓ガラスから陽が当たるからだろう。

それにしても、そのホクロは急にできたのに、かなり大きいのだ。
一番大きいと言っても過言ではない。
もしかしたら以前からあったのかもしれないが、確かに昨年の秋の半袖を着ていたころまでは、こんなに大きくはなかったはずだ。
ジムでは半袖を着て運動しているが、腕の外側なのでいちいち見ないから気がつかなかったのだろう。
ホクロが急激に大きくなるというのは危険な場合があるそうだ。急に不安になってきた。

あっ、そういえば、今しがた髪の毛にヘアマニキュアをつけて洗い落としたばかりだった。これはヘアマニキュアの飛沫ではないだろうか?
こすってみる。全然取れない。
その大きなホクロの周りをよく見ると、今度は線のような細い黒い点々がいくつかついている。それもこすっても取れない。このホクロが拡散しているのだろうか。
ますます不安になってきた。
つまり、悪性黒色腫というものがあると聞いているからだ。
それの多くは、形が線対称ではないそうである。つまり、いびつな形をしていることが多いそうだ。普通のホクロは大きくても線対称のものが多いそうだ。
まんまるとか楕円形だったら普通のホクロだが、形がゆがんでいたり、にじんでいたりすると要注意なのだ。
形は楕円形であり、線対称ではあった。
しかし、これまで気づかないなんて絶対におかしいし、急激に成長しているとしか思えない。
いや、そんなものが出来ては困る。
今度はもっと強く、力任せにごしごしこすってみた。
すると、な、なんと、消えたのだ。
結局、それはヘアマニキュアが飛んだしずくが固着したものであった。
ああ、びっくりした。
でも、こんなことは笑い話ではない。

ホクロの状態には注意しましょう。

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目が痛い

2013-04-14 23:10:03 | 日記
今日はなぜか目が痛い。目がひりひりしてしみるような感じだ。なぜなのか?
風が強くて砂埃がひどいからかな?

結局、夕方になって図書館に瀬戸内寂聴さんの本を借りに行きました。一日中家の中にこもっているのもどうかと思ったからです。図書館かブックオフかって感じですね。
まだ、アンダーグラウンドも読み終えていないのに、気もちばかりが先走ります。

今日、テレビを見ていて、瀬戸内さんの本を読んでみたくなった人がたくさんいるんじゃないかと思いました。でも、本棚の前に人が殺到しているわけではありませんでした。
さては、ブックオフに行ったか?普通の本屋に行ったか?実際どうなんでしょうね。
べつに読もうとまでは思わないかな?

図書館で、日本の現代小説のところを見たけどちょっと見つからず(誰かが借りてしまったからないのかな?)、次に小説じゃないところに行くと、ここには瀬戸内さんの本を見ているらしきオジサンが1人いました。ここで、2冊借りてきました。
1冊は「さよなら世紀末」っていう本です。これは1998年に発行されていて、ちょうど村上春樹さんが「アンダーグラウンド」を書いたあたりの年代なので、読んでみたくなりました。もう1冊は「不良のススメ」(これは、萩原健一さんとの共著なのかな?)。

その他に、何か面白そうな本はないかな?と思って本棚を見ていたら、なんだかめまいがしてきました。いったいどうしたというのでしょう?メガネの度が合わないという不快感のようです。いつもかけているメガネなのにどうしてなのか?
目はひりひりするし、アタマはクラクラするし、なんだか「アンダーグラウンド」みたい。なんとなく具合が悪いけど、ずっと家にこもってパソコンや読書をしていたからだろう、なんて思っていたら、実はその場所になにか原因があるなんてこともある・・・。そういう場合は、即、その場所を退散するに限ります。地下鉄のときだってそうだったんだ、と思って図書館を急いで出ました。
まさか、図書館で毒ガスなんてことが、あるわけありませんが・・・。
メガネをはずして外を歩いていたら、だんだん治ってきました。疑心暗鬼だ。
めまいは治ったけど、目のひりひりは治らず。黄砂でしょうか?PM2.5でしょうか?
気象情報を見たら、「硫酸塩エアロゾル」ってのが中国から日本全体を覆っているようでした。特にニュースではやってないみたいだけど、結局PM2.5が飛んでいたようです。目の痛みはそのせいかどうかはわかりません。

夜は、今日から始まったテレビドラマ「空飛ぶ広報室」を見ました。有川浩原作。航空自衛隊、ブルーインパルスを扱ったもので、これから毎週楽しみです。
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また強風

2013-04-14 15:43:32 | 日記
休日になると、どうして強風になるのだろうか。晴れだからいいと思っていたら、なんだかビュービュー音がしてきた。洗濯物も飛ばされそうだ。これでは、やっぱり外出する気にはなれない。
土が飛ぶのでベランダ園芸もできないし、やっぱり本でも読んでるしかしょうがない。

午前中、NHKで瀬戸内寂聴さんが出ていて、すごいな~と思った。どうしたらあんなに温かい人になれるのだろうか?どうして次々に、心に響くような言葉を人に伝えられるのだろうか。人は経験によっていろいろなことを悟ることができると思うが、経験したからといって、優しくなったり温かくなったり気がきいたりするようになるもんじゃない。だったら、やっぱり素質なんだろうか。修行なんだろうか。
瀬戸内さんは、被災地で説法をしていて、多くの人を元気づけている。現在は90歳くらいかと思うけど、しゃきっと立ってにこやかに話されていた。瀬戸内寂聴さんの著書を読んでみたくなった。

この番組の中で、印象に残った言葉は、「震災で亡くなった人々は、死ななかった人々の代わりに命を失ってくれた」ということだ。その人たちはたまたま亡くなったのであって、誰が亡くなるかは決まってはいない。たまたまそこに地震が来て、たまたま多くの人が亡くなってしまったけれど、もしかしたら自分の住む地域に災害が起き、自分が死ぬ可能性もあった。だから、この震災で亡くなった人は自分の代わりに亡くなってくれたのだ。だから他人事ではないし、その痛みを感じ、自分が生きていることを感謝しなくてはいけない。

そうすると、18年前の阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件で犠牲になった人々にも、同じ事が言える。地下鉄サリン事件は、人間が起こした事件で残念なことだが、誰が狙われたわけでもなく、犠牲になった人は偶然そこに居合わせた人だった。

瀬戸内さんの話によると、人間は良い人が浮かばれて悪い人に罰が当たるようにはなっていないそうだ。善人に不幸な事が起き、悪人がいい思いをしていることも多々ある。だから、悪いことをしていないのにどうして・・・と考えていても解決できない。
また、どん底にある人は、それ以上悪くはならない。地面に向かって突いたボールは必ず跳ね返って上がって来る。だから、今度は良い方向に向かって上がって行こうと考えよう。

いろんな話が印象深かった。
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