山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

苦言『寒い!』(・・・だが、また落ちた。)

2013-04-13 12:29:39 | 車・運転・道路2013
誰に苦言を呈するかと言えば、この日本国土に対して。
どうして、いつまでも、こんなに寒いの!?

もう3週間もろくにクルマの運転をしていないのだが、週末に強風が吹いたり雨が降ったりと天気があんまりよくなかったからである。
それで、今日は久しぶりに晴れているし、風も強くはないのだが、とにかく寒い。
家の中にいてもエアコンをガンガンつけている状態だ。
そりゃあ、真冬に比べれば暖かいはずで、こんなことを理由に外出ができない、などというのはおかしいのだが、どうも出かける気になれないのだ。
気が向かない時は、もうそのままでいいよ。家の中にこもっていよう。
そろそろゴーヤの種でも蒔いたほうがよさそうで、そのためにはプランターと土でも買ってこようかと思っているのだが、なんか気が重い。
だって、ベランダが寒いだろうから。
ああ、どうもすっきりしない気分だ。

先日、ほんの少しだけ車に乗ったのだけど、それがなんと、
またドライブレコーダーがフロントガラスからはがれ落ちてしまい、貼り直してもらいに、買ったお店に行ったのだ。
ドライブレコーダーが落ちたのは、それよりもっと前であって、夫が気づいた。私は平日は車を見ないので全く気がつかなかった。

このまえ、新しい両面テープで貼り直してもらったばかりなのにいったいどういうことだろうか。
夫がメーカーに聞いたところ、両面テープだけを貼り変えてもダメなんだそうだ。つまり、本体の貼着面状態と両面テープの粘着性の両方の特性によって、その貼着力が発揮されるらしいのだ。
ということで、今度は本体もろとも交換となったのであった。まだ保証期間だからね。

落ちる事自体は、かなり迷惑な話だけど、日本とはなんと素晴らしい国なのであろうか。
これが近隣の某国であったなら、「しばらくすると落ちるものです」とか「暑いと剥がれるのは当たり前」という感じで「不良品じゃありません、涼しいところにおいてください」「3か月は持ったでしょう」などということで済まされてしまうに違いない。なんといっても某国の特徴は、「売ればいい、あとは知らない」というものだ。それに比べると、日本のメーカーのなんと誠実なことなのであろうか。
今度こそ落ちないでくれよ。

ドライブレコーダーを取り付けに行ったら、ガソリンが急に減っているのを発見。もしかしたら娘が乗ったのかもしれない。たしか、半分くらい入っていたはずが4分の1くらいに減っているので、ガソリンを入れに行った。
私が車に乗る用事は、ドライブレコーダーを貼り直すのとガソリンを入れに行くだけで、10キロも走らないし、結局クルマ自身のための走行だけなのだから、おかしな話だ。
車を手放したら、お金が全然かからなくなって、駐車場代も浮くし、私は毎月3万円くらい洋服を買ったり高級レストランで食事ができたりしそうだ。でも、クルマを手放すなんてペットを手放すのと同じくらい悲しいに違いない。だから無駄な経費を払うために頑張っている。

クルマは1つのステータスだ。軽自動車ごときでステータスという言葉を使うと笑われそうだが、クルマがあるという状態を維持するためには、それなりに仕事などしていなければ経費を捻出できないのだ。もし車がなければ、「ああ、もう疲れた。仕事やめちゃお、専業主婦のほうが楽だわい」なんてことになりかねない。そうすると気は楽になりそうだが、一気に力が抜けていきそうである。クルマがあることによる「無理」によって頑張るしかない自分を作りだし、それなりに「社会人」としてやって行く。そんな「意地」みたいなものが必要なのだ。クルマを維持するためには意地が必要ってわけだ。
だから、私は免許を取って車を買って乗るようになってから、ある意味、気が強くなったと思うし、気を強くもたなければやっていけないのである。
それが本当に自分の力に合っているのか、それとも自分の力以上のものが必要なのか、自分の力が足りないときには、手放すしかないだろう。
近所の人で、70代の人が最近車を処分された。運転の適性が合わなくなってきたせいもあるだろうし、年金や貯蓄を使っての生活で、自家用車を持つ意味がなくなったのかもしれない。今でさえあんまり必要もない自家用車だから、自分にもそんな日が来ることは確実だ。でも、そのうち娘がもっと使ってくれる機会もあるかなとも思う。
コメント

地下鉄サリン事件

2013-04-13 09:23:13 | 読書
今さら、18年前の地下鉄サリン事件についての証言が書かれた「アンダーグラウンド」を読んでいる。
世間の人間は、村上春樹の新刊「色彩をもたない~~」を読んでいるところだが、私は、あまりにもマイペースなB型人間だ。自分には自分の「時」があるのだ。

18年前、私はまだ35歳だった。たぶん専業主婦か、そろそろ仕事を始めようと思って、チラシ配りのバイトを始めたくらいだ。子どもは下の子が小学校に入ったくらいだ。
この事件の発生時は、自宅でテレビを見てニュースで知った。朝、地下鉄の地上出口付近にたくさんの人が倒れている映像が流れていた。爆弾多発事件だとか、わけのわからない、しかし大変な事が起きているということだった。
天気はよかった。しかし、サリンにさらされた人は、瞳孔が縮んで辺りが暗く、夜のように見えてしまうのだということをテレビ報道で聴いた。

その時には、どの程度被害者の人が放置されているのかなどは、よくわからなかった。この本を読んで初めて、1時間以上も救急車を待っていたが、ほったらかしにされてしまった人や、自分が被害者であることにも気がつかないで、そのまま通勤してから具合が悪くなった人も多かった事を知った。そういう人は何日も入院して、その後も目の痛みや頭痛が治らない場合が多かったようだ。またPTSDにかかってカウンセリングなども続ける必要のある人も多かったということは、この本を読むまで知らなかった。その人たちは今はすっかり治ったのだろうか?

サリンというのは、人を殺す化学兵器としか使われないものなので、一般には存在しないし、そのためそれによる中毒に対して、どのような治療を行えばよいのかなどということは、医療機関でも未知のものだったようだ。

サリンは、有機リン化合物で神経ガスの一種、「イソプロピルメタンフルオロホスホネート」という。毒性が非常に強く、この事件でも、サリンの近くにいた人の着ていた衣服に、揮発成分が付き、あとになって、その服のそばに近づいた人の具合まで悪くなってしまうほどである。

サリンを吸うと息が苦しくなったり、咳き込んだりする。鼻水や涙がたくさん出てくる。縮瞳が起きて視界が暗くなる。震える。それらの症状はまだ軽いほうで、このような状態までなら、命にはかかわらない程度である。
血液検査をすると、コリンエステラーゼというものが減っているそうだ。コリンエステラーゼは肝機能の酵素らしいが、サリンの成分がこれの活性部位と結合してしまうので、この物質の働きがなくなり、神経の伝達ができなくなってしまうらしい。

オウム真理教の実行犯は林郁夫から解毒剤として「硫酸アトロピン」という薬剤を注射するように教えられ持参していたという。実際に具合が悪くなり使った者もいる。
アトロピンというのは、有機リン系の殺虫剤や農薬中毒の解毒剤として使われる薬らしい。サリンも有機リン系の神経ガスで、副交感神経興奮剤中毒を起こすので、アトロピンが有効である。

しかし、事件当日、具合が悪くなって病院に殺到した人たちに対しては、どのような治療を施したらよいのかもわかるはずがなかった。サリンなどは存在したこともなく、通常、地下鉄内で神経ガスが発生するはずもないからだ。
血中にコリンエステラーゼが減っていたため、それに対処する点滴などがされたらしい。

(アンダーグラウンドに記載されている情報と、その他から調べたことなどで化学物質に関してわかったことを書いてみました。)
コメント (2)

アンダーグラウンド

2013-04-13 00:54:37 | 読書
村上春樹の「アンダーグラウンド」を読んでいる。千代田線のところが終わって、丸ノ内線に乗った人の証言に入った。私は、丸の内線に乗ることが多い。

つい最近読んだのは、自動車のディーラーに勤めている人の経験だ。この人は、その日、たまたまバスが早くきたので、遅い電車に乗ったそうだ。そしてサリンのある車両に乗ってしまった。
バスがたまたま早く来て、どうして乗る電車が遅くなるのか?早くなるのでは?と思ったら、いつも乗るバスが早く来たので乗り遅れて、次のバスになってしまったので遅くなったのだそうだ。

これまでの色々な人の体験を読むと、この日は、たまたま早かったとか遅かったなどという人が多くいる。そして、電車はいつもより空いていたという。
なぜならば、3月20日は月曜日であり、21日火曜日は春分の日という、飛び石連休の間の日だったので、休む人も多かったのかもしれないし、なんとなく出勤するのに気が重い人も多かったようだ。また、この時期はまだ冬のインフルエンザが治ったばかりの人もいたし、ちょうど花粉症の季節でもあった。だから、多くの人が、サリンで調子が悪くなったにもかかわらず、元から自分の体調が悪かったのが原因だろうと思い込む人が多かったようだ。

事件は朝の通勤時間帯に起きた。私が驚いたのは、多くの人がかなり遠くから都内に通勤してきているということだった。
バスや他の電車から乗り継いで地下鉄を使っている人が多いのだ。いつものバスが普段より早く行ってしまったというのは、乗る人が少ないので乗り降りに時間がかからなかったからかもしれない。それとも道路が空いていたのか?いずれにしても、日曜と春分の日の間というのが影響しているようだ。
一方、年度末ということで、仕事は忙しい人も多い。だから、いつもより早く通勤する人もいれば、年度末で働き過ぎて疲れているため、逆に朝の動きが遅くなってしまった人、睡眠不足の人などがいるようだった。

ディーラーに勤めるこの人は、中間管理職であり、新しい営業所を立ち上げようとしている最中であり、妻子もいて、ばりばりの働き盛りという年代である。本来かなり仕事ができそうな人だ。それが、この事件に巻き込まれてしまい、後遺症が治らず、頭痛や目の痛みなど体調の悪い状態がずっと続き、普通には働けなくなってしまった。労災は適用されても、オウム真理教が賠償をするわけでもなく、失ったものを埋め合わせることはなにもできない。

この人が不運なのは、もともと乗っていた電車にサリンを置かれたわけではなかったにもかかわらず被害にあってしまったことだ。犯人は8時頃お茶ノ水駅でサリンの袋に穴を開けて電車を降り、そのあと、異変を感じた乗客の多くが、その車両から立ち去っていたところに、四ツ谷駅で何も知らずにその車両に乗ってしまったのだ。
それから、中野坂上まで乗っていたというから、10分以上、サリンにさらされていたことになる。それ以前に、お茶ノ水から四ツ谷までは15分以上かかるようだから、床の上に流れて揮発していた成分も多いはずだ。

この電車は、その後も終点の荻窪まで行き、そこから折り返してもまだ床がサリンで濡れたままだったようだ。折り返しの電車に駅員さんが乗り込んで掃除をしていたらしい。
サリンのにおいはシンナーのような刺激臭ではないため、危険物だと感じる人はいなかったようだ。

(サリンについては別記事に書きます。)
コメント (2)

“ピロシキ”のアクセント

2013-04-12 21:51:01 | 日記
先日から私は「ピロシキ」(アクセント=低高低低)が食べたいと思っているので、知人にそのことを話したところ、私の言葉が通じないらしく「えっ何?ああ、ピロシキ(アクセント=低高高高)のこと? ピロシキ(低高高高)だったら○○に売ってるでしょ」という話になったのだが、
友人は私の言葉を、平板アクセントに言い換えると、あなたのアクセントは違ってるからそれでは通じないわ、と言うがごとく、ずっと自分のアクセントで話つづけた。

あれっ?ピロシキ(低高高高)というのが正しいのかな?私の言葉は違ってるのか?と思ったので、その後「ピロシキ」の事を話すのにも「そうそう、それが食べたい」「それを○○で買って食べて以来~」などという指示詞を使って、自分が普段使っている「ピロシキ(低高低低)」は発音しないで済ました。

それにしても、ピロシキ(低高低低)だと思っていたのだが、違っていたのか。自分はあまり音声というものを聞かず、文字から言葉を覚える事が多いので、間違うことがあるのだろうなとも思った。私が最初にこの名前を知ったのもパン屋に「ピロシキ」と書いてあったからだろう。
しかし、どうもやっぱり自分のアクセントがおかしいとは思えないので、調べてみることにした。

まず、you tubeでピロシキを検索する。すると、キューピー3分クッキングで「ピロシキ」の作り方をやっていたが、料理の先生は「ピロシキ(低高低低)」と、私と同じに発音していた。ちょっと安心したが、1つの例ではわからないので、別のものを探した。
すると、フィギュアスケートの真央ちゃんが、ソチにいったら「ピロシキ」を食べたいと言っていたが、フィギュアスケートの選手は「ピロシキ(低高低低)」と言っているものの、インタビューをしている男性のアナウンサーは「ピロシキ(低高高高)を食べたいそうです」
と平板型で言っているので、わけがわからなくなった。

こうなったら、アクセント辞典だろうと家の中を探したが、どこかに片付けてしまって行方不明であり、ネットで探すと、大辞林(三省堂)で「2」と書いてあるので、これは第二音節にアクセントがある、つまり「ピロシキ(低高低低)」という私の発音が正しいことがわかった。これで堂々と発音することができる。

・・・・・・・・・・・・・・・

ピロシキ[2]

・本辞典で示したアクセントは、現在テレビ・ラジオなどで用いられている全国共通語のアクセントである。

・アクセントは単語ごとに、
高く発音される部分から低く発音される部分へ移る境目の音が何番目の音であるかを[1]・[2]・[3]…によって示した。
低くならない語は0とした。

・・・・・・・・・・・・

言葉なんて、何が標準とか正しいということはないのかもしれないが、「そのアクセントおかしいから通じないわよ的」な態度は気に食わないし、しかも「そっちが違ってんだろっ」て思うわけだった。私も地方独特のアクセントがあるかもしれないけれど、たまにこれ見よがしに言い直されたりすることがあるのだが、意外にその人のほうが間違っていることも多いのだ。自分とはアクセントの使い方が違うな、とは思っても、わざわざ人の言葉を直さなくてもよかろう。

ところで、このごろ気になるのは「東京電力」は以前はたしかに「とうでん」(高低低低)であったのに、このごろのニュースでは「とうでん」(低高高高)になっている。頭高から平板になった。これもアナウンサーが使っているので、アナウンサーのアクセントはただしいはずということになる。
いつからこうなったのであろうか?

日本語はだんだん平板化しているといわれている。
そうなると「ピロシキ」(低高低低)も「ピロシキ」(低高高高)になっていくのだろうか?
若いアナウンサーがアクセントを変化させていくのかな?

追記:
ピロシキがおいしいのは新宿東口の中村屋だそうだ。
そこに売ってるじゃないという話だが、新宿まで行くのが面倒くさいから、どっかにないかな~と思ってるところ。
ちなみに私が美味しいと思ったのは新宿西口のパン屋さんだったから、どっちも新宿なのだ。
電車代かけてまで買いに行かない。

追記の追記:
新宿中村屋本店は只今建て替え中で、休業しているらしい。

コメント (2)

うちの大根の花

2013-04-12 18:11:20 | 日記


いつだったかな?まだまだ寒い真冬のころだ。冷蔵庫の中のカイワレ大根が、食べないうちに黄色くなってしまった。
それで、ふと思いついてベランダのプランターに植えてみた。最初は寒いからサランラップをかぶせて覆っておいた。そうしたら、新しい葉っぱが伸びてきて小松菜のようになった。それを2~3本、ときどき採って、少しずつウサギに食べさせていた。なんせ鮮度がいいのでウサギはムシャムシャ食べる。
残った葉っぱは、だんだん大きくなって、今度は大根独特のぎざぎざした形になってきた。それもウサギが喜んで食べた。
それで、最初は数え切れないほど生えていたんだけど、だんだん間引いて今では数えるほどになった。そうしたら、つぼみみたいなものが出てきたので、花が見たいからウサギにやるのはやめて、花が咲くのを待っていた。

それで、最近咲いたのが、上の写真の花。
大根の花は白いのかと思っていたら、ほんのりとピンクっぽい紫の淡い色の花だった。(画像より実物のほうがピンクっぽい。)花びらは4枚。
お百姓の家に生まれた母に聞くと、大根の花は白が多いらしいが、紫や黄色いのもあるそうだ。これから種を採ってまた蒔けば、また大根が生えてくるはず。
コメント

カレールー

2013-04-11 23:17:44 | 日記
このあいだ、スーパーSのレジで並んでいたら、グリコの2段熟カレーを3箱くらい買う人が前にいた。その人は、他のスーパーIの新聞折り込みチラシを持っており、そこに載っている同商品の値段を見せた。スーパーSでは、Sより安い値段の載っている他店のチラシを見せると、その値段で商品を売るとのことである。
スーパーIは、Sからはかなり遠いので、私はちょっと驚いた。到底歩いて行ける距離ではないし、自転車でもちょっとひるむ距離だ。それって、別に地域を限定していないのだから、どんな遠くの店のチラシでもよいのだろうか?バス通勤している人だったら、どっちの店も使う可能性はあるのかもしれないし、もちろん車を使っている人であれば充分近いと言えよう。
それにしても、安いチラシを探して持ってくるという根性はすごいなあと感心した。私には到底そんな面倒臭いことはできそうもない。

しかし、もし私がそこで2段熟カレーを買おうとしてその人の後に並んでいたらどうなの?私のは安くしてくれないよね。チラシを持っているひとだけ安くするという約束なんだから。でも、もしそうだったらくやしいだろうなあ~。

ところで、いったい、いくらのものがいくらに下がったんだろうか? 帰りに値段を見ていこうとおもいつつ、すっかり忘れてしまった。

そこで、さっきパソコンで「2段熟カレー」を検索してみた。どこかで売ってる値段が出てるかと思ったのだが、あいにくみつけることができなかった。そして、驚いたことに、「2段熟カレー」と入れると、そのうしろに「まずい」という言葉のついたものが予測検索の1つとして出てくるのである。
あれっ?私は結構おいしいと思っているのだが、「まずい」のだろうか?そして、結構まずかったという体験談みたいなものがあるようなのだ。
おかしいなあ、おいしいけどな~
このごろ、私は自分の味覚がほんとうにどうしようもないもののように思えてくる。なぜならば、多くの人が「まずい」というものが「おいしい」のだ。
カレールーなんて、まあ、多少味は違うけど、特段「まずすぎる」ものも無いように思える。
2段熟カレーの場合、ルーが1つづつ別れて包装されているところが気に入っている。中途半端に残しても空気に触れないので鮮度が保てるし衛生的なのだ。分量の調節がしやすい。そういえば、もしかしたら私は2段熟カレーだけを使って作っていることはないのかもしれない。他のカレーに混ぜていることが多いのかもしれなかった。分量補充用という感じか。

では、何に混ぜてるかというと、なんとなくおいしそうだと思って買ってるのが「地中海カレー」である。それでは「地中海カレー」の評判はどうなのだろう。「地中海カレー」と入れると、「まずい」はでてこない「おいしい」という言葉が続いている。この違いはなんなのだろうか?
では、2段熟カレーも「2段熟カレーおいしい」と入れてみた。すると「2段熟カレーおいしくない」なんていうのが出てきてびっくりした。やっぱりまずいのかな?
夫は「ザ・カリー」が一番好きだ。これは箱が小さいけど結構高い。箱が小さくて足りないので、2段熟カレーを1かけか2かけたしたりしている。
うちのカレーは、圧力なべで作り、なんでもおいしいと思う。こくまろカレーなどを買うこともある。
ちなみに、2段熟カレーは「グリコ」、地中海カレーは「S&B」、ザ・カリーと、こくまろカレーは「ハウス」である。
シチューもよく買う。クリームもビーフもよく買う。最近は「濃い~」というのを買うことが多いかな?
出来るだけおいしいのがいいと思って、わざわざ値段の高いのを選んだりすることもある。どれも安くて数十円しか値段が違わない。小さくて高い箱を買ってみたりするけど、味の違いはあんまりわからない。
やっぱり味覚オンチなのかもしれない。

コメント (2)

人の価値観

2013-04-11 00:23:34 | 日記
このごろ、「人の腹を探る」事が多い。
とくに、「その人がどういう価値観を持っているか」ということだ。
つまり、「あることをするのにどのくらいのお金を払うのが妥当だと考えているか」だ。

例えば、ランチをするにしても、いくらくらい払ってどういう食事をしようと考えているのだろうか。

ある人は、「私は絶対に安い居酒屋はいや。まずいんだもの。」などと言っていたので、お昼もまともなレストランで食べる気かと思っていたら、そうでもなかったりする。
かといってハンバーガーとしたら、マックでいいかと思っていると、モスじゃなきゃいやだというし、私はマックのコーヒーでも構わないけど、マックのコーヒーは飲めないなどというし、わけがわからない。
ある人は、安い居酒屋には行かず、結構高くておいしい居酒屋に飲み仲間と毎週行く習慣になっている。その人は、そのための予算を確保するために、ランチにはお金をかけたくないなどという事情もあるらしい。そういう人と、たまのランチは優雅にまともなものが食べたいなどという人が一緒にいても、どうも考えが合わないということがある。

また、グループで夕飯を食べようというときにも、ディナーを食べたい人とお酒を飲みたい人がいるので、どっちに合わせるのか迷う。しかも、安く済ませたいのか、高くておいしいものを求めているのか、それもよくわからない。大衆的な店が好きな人もいれば、きどった店が好きな人もいいる。
いろんな経済状態の人がいるし、舌の肥えた人や、何でもおいしいという人など様々である。
かなりの経済力のある人でも、あることにはお金を使う価値を認めない場合もある。
食べ物にお金をかける人かけない人、服飾にお金をかける人かけない人など様々である。

贈答品に対する考え方にしても、数人である人にプレゼントを上げる場合、どの程度の金額のものを上げるかという点で、見解にかなりの差があったりする。
その人の経済力によるものもあるし、あげる相手や状況によってその予算額が違う。
貧乏な人はあげたくても予算が取れないし、逆に経済的に余裕がある人でも、それがどの程度のお金を使う対象なのか、という判断が違う。上げる相手に対する新密度や親近感の違いなどもある。プレゼントをする習慣の違いもある。

だから、数人が集まって何かをするとなると、高いだの安いだの、おいしいだのまずいだの、丁寧過ぎるだの簡単すぎるだのといろんな見解がでてくる。

そりゃあ、みんなが同じはずはないのだから、誰かの意見を取り入れれば、誰かが妥協するしかないわけだけど、それらの調整はなかなか難しいものだ。

コメント (2)

ネタ無し・取りとめもなく…

2013-04-10 23:51:49 | 日記

時々、書くネタがないなあということがある。
実際には、いろいろとあるのだけど、どうもブログには書けない内容だということもある。
こういう状況の時がたまにある。

そこで、どうでもよいことを書くしかないが、
春になったのに、結構寒い。今夜も暖房をしている。
そして、毎日、何かしなくちゃと思いながら、とくに何もしないまま時間が過ぎて行く。

簿記検定を6月にもう一度受けてみるかと思って、一昨日新しい問題集を買ってきた。
以前勉強したときに、まだ空白にしている練習問題などもあるのだが、やっぱり1度やったものをもう一度やるきにはならない。心機一転して別会社が発行している問題集でもやることにした。そのほうが新鮮味があるし、別の切り口で進んでいけば、新しい発見もあるかもしれない。イマイチ分からなかった部分がすっきりする可能性もある。
でも、実はまだ書店の袋に入ったままで開けてもいない。
簿記3級は独学で1か月もやれば受かるもんだという情報が世間では流れている。それは、あくまで、その人によるし、一日どのくらいやるかにもよるから、一概に言えることではない。
でも、2度目に受ける人間にとっては、たぶん1か月きちんと復習をすれば受かるはずである。でも、その本気でやるかどうか、実行にうつせるかどうかが一番の問題だ。

実際、モチベーションがない。ただ、ここで取っておかないと人生のうちに、もう取ることはないだろうから、意地を見せるならここしかないだろうと思う程度だ。
まあ、試験を受けないにしても、毎日チンタラ問題を解いていっても、アタマの体操にはなりそうだと思う。
なんだかな~~~ よほどの暇人。

あと、村上春樹氏のアンダーグラウンドは読み始めている。千代田線の6人分の証言を読んだところだ。私は都内に住んでいるので、地下鉄は時々乗る。最近、霞が関で降りたこともあった。この本を読んで、今になって事件現場だったことを知るが、その場所を通ったときは、まるで何の意識もなかった。事件当時は、駅名を聞いていたはずだが、自分にはあまり関係のない場所だったので、18年もたつと、すっかり忘れていたのだ。
この本を読んで、具体的に犠牲になった駅員さんの行動などを知り、漠然としていた情報が具体的に確認された。きちんと仕事をしていた人たちが、その任務に従って電車の中の不審な物体を片付けたことで、犠牲になってしまった。また、真面目に通勤をしていた人たちが犠牲になった。本当に不条理である。しかも、何が起きているのかもその現場の当事者でさえわからなかったのだから。恐ろしいことだ。

今、ブログでこの「アンダーグラウンド」について書いている人がいるかと思って検索してみると、さすがに今頃読むなんていう時代遅れ(?)の人はあまりいない。なんか、べつの意味の「アンダーグラウンド」という言葉が使われているようだ。何のことやらわからないのだが、ある種の音楽の事を言うのかな???

ところで、村上春樹が3年ぶりに長編を書き、12日に発売されるらしいが、何やら長いタイトルだそうだ。
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」とかいう。
本当は、このあたりを読むべきなんだろうね。

さてと、今日もあと10分で明日になる。





コメント

「神戸まで歩く」(村上春樹)

2013-04-08 23:38:24 | 読書
村上春樹氏の「辺境・近境」というロード・エッセイを友だちが貸してくれたので読んでいる。でも、ここにある多くのエッセイは外国のことを書いたもので、私にはなじみがなく、すっとばして、日本のことを書いてあるエッセイから読むことにした。

それで、読んだのが「神戸まで歩く」というエッセイだ。これは、阪神大震災の2年後に村上氏が「西宮」から「神戸・三宮」まで歩いたときのことを書いたものだ。

私は、神戸のほうに行ったことがないので、実際の景色を思い浮かべることもまるでできないのだが、本に載っている地図を眺めながら、たどっていった。

村上氏は、このへんの出身であるそうで、子ども時代から高校時代までを過ごしたとのことである。そのころの懐かしい思い出も語られている。それらの地域は、時がたち、また地震によって破壊されてしまい、昔とはかなり変化していて、復興される途中である様子が描かれていた。
阪神・淡路大震災は1995年1月17日。そして、その年の3月20日には、東京で地下鉄サリン事件が起きていた。そして、村上氏がこの阪神間を歩いた1997年のこの時期には、少年による神戸の児童連続殺人事件が起きており、まだ犯人がつかまらない時期だったようだ。そして、この時彼が立ち寄ったホテルでは、その数ヵ月後に暴力団による拳銃の乱射事件が起こり、2人がなくなったそうだ。
村上氏は、この時代の不気味な「暴力」を感じている。そして、今、自分には何ができるだろうか、と模索している。

村上氏は、阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件の時には、日本に居なかったが、その年の夏に日本に戻り、それから、地下鉄サリン事件の多くの被害者から話を聞いて「アンダーグラウンド」を書いたそうだ。

アンダーグラウンドは地下鉄サリン事件を扱ったものだと聞いたことがあったが、そういうものだったとは初めて知った。
今日、読んでみようと思い、分厚い文庫本を古本屋から買ってきた。

今年は阪神・淡路大震災・地下鉄サリン事件から18年。
そして、東日本大震災・原発事故から2年が経過している。





コメント

伊東ゆかりさん

2013-04-06 15:14:04 | 日記

今日は、天気が悪くて家にこもっている。やることもないのでパソコンを開いて1日中遊んでいる。
それで、かぜ耕士の「人生を変えないラジオ」の1月分の放送をブログのウェブラジオというところで聴いていた。テーマは「人生最初の歌」で、かぜさんの人生の初期に出会った思い出のある歌について語られていた。実際のラジオの放送では、その中から「16トン」「悲しき少年兵」「渚のデート」などが流されたらしいが、ウェブでは著作権の関係で、音楽は流されず、かぜさんの話だけになっている。

話はとっても面白いものなんだけど、その歌がどんなものなのか、話部分を全部聴いたあとで、今度はyou tubeで検索して聴いてみることにした。上記の歌は聴くことができたが、古めかしくてあまり関心はもてなかった。

するとYou tubeの同じ画面の中に伊東ゆかりさんの画面が表示されていた。同じような時代のものだからなのだろう。

伊東ゆかりさんというのは、「小指の思い出」というのは知ってるんだけど、それ以外はほとんど知らない。ただ、私は子どものときによく親戚のおじさん等に「伊東ゆかりに似ている」と言われていたのだ。いったいどこが似ているというのだろうか???
それが知りたくて、you tubeの映像を次々に見ていった。そしたら、結構歌がうまいんだなあと驚いた。

顔はそんなに似ていないと思うんだけど、一部分が似ているらしい。たしかに似ている部分があると自分でも認めるけど、しかし全体的には似ていないし、似ていると言われたのは、私が子どものときのことで、伊東ゆかりさんが若いときのことだろう。
美人ではないけれど芸能人だからきれいにしている。ということは、伊東ゆかりさんの髪型などを真似すれば、ちょっとは私も女性の魅力などを引き出すことができるのかもしれない、などと思って見ていた。

そのうち、顔が似てるのだったら遺伝子に共通するものがあるのかもしれない、顔以外にも共通部分があるのかもしれない、と思い、伊東ゆかりさんについてウィキペディアで調べてみた。共通点など全くなかった。

しかし、びっくりしたのは、今日が伊東ゆかりさんの誕生日だったということだ。
伊東ゆかりさんは1947年4月6日生まれ(66歳)。品川区出身。AB型。和製ポップス歌手・女優。1960~70年にかけて一世を風靡した。などと書いてあった。

このごろ、不思議な事が起きるのである。
例えばこういう偶然、こういうタイミングだ。

そういえば、かぜ耕士さんをみつけたのもyou tube で松任谷由美さんを検索していて急に思い出したのだった。
あのときは、別のきっかけで「卒業にまつわる歌」を取り上げていたのがもとでyou tubeを見ていたのだけど、今度は「人生最初の歌」だった。

ついでなので、私が人生で初めて自分で買った音楽は、布施明さんの色んな曲が入ったカセットテープだった。それから渡辺貞夫さんの「モーニングアイランド」(歌ではない)。それから、メンアットワークの「ダウンアンダー」なんかが入ったアルバムなど。音楽の趣味はないし、お金もないので本当に数えるほどだ。

人生で初めて口ずさんだ歌はなんだろうか?
物心がつき始めたころ 3歳くらい?
「吹けば飛ぶような将棋の駒に~~」
「赤いソテツの~実も熟れるころ~~」
「ここはお国の何百里~~~」
古いな・・・

好きだった歌
「忘れられないの~あの人が好きよ~赤いシャツ着てさ~海を見てたわ~」
(ピンキーとキラーズ)

「もしも~私が~家を建てたな~ら~小さ~な~家を~建て~たで~しょう~大きな~窓と~小さな~ドアと部屋に~は~古い暖炉があるのよ~」(小坂明子)『あなた』
小坂明子さん、きれいな歌声だったな~。『もう一度』ってのもあった。

あっ、話がそれてしまいました。

伊東ゆかりさん、とにかく、お誕生日おめでとうございます!

最近も素敵に活躍していらしゃることがわかった。

Yukari Ito 伊東ゆかり / I'm Beginning To See The Light




コメント (2)

傾斜家賃

2013-04-06 13:58:14 | 日記
今年度から我が家の家賃が1万円ほど上がるそうです。更新料はかからないのですが、だんだん値段が上がって行くのです。収入が増えたわけではないので、この1万円をどうやって捻出するか、それが問題です。
値段が上がるというのは、上がり切った値段が本来の値段であって、今までが特例措置みたいな考え方のようです。入るときは楽だけど、だんだん苦しくなるというのも困ったものです。最初に払えていたものも払えなくなる可能性があります。
じゃあどうするか?収入が増えないので節約をするしかありません。それで足りない分は貯金を切り崩すしかありません。貯金が無くなったらどうするか?家賃分をさらに稼げる仕事を探して働くしかないだろうな~。そんなもんあるか?
コメント

パスワード変更

2013-04-06 08:52:58 | 日記
ブログにログインしようとすると、最近、パスワードを再設定するようにという表示が出ている。
なにやら、不正ログインアクセスが何万と多発しているからだそうだ。
私はブログ開設以来パスワードを変更していなかった。パスワードってなかなか思いつかないし、新しいものを作っても忘れてしまいそうなので、せっかく覚えた古いものを変えたくはないのだ。これまでのパスワードは、さすがに毎日のようにブログを更新しているので、しっかり覚えているのだ。
実は、もう1個、別の会社のブログを書いていて、そっちには限られた分野のことだけ載せているのだけど、パスワードを忘れてしまってそのまま更新できなくなっているのだ。そのブログを開設したころに使っていたスケジュール帳のどこかに書いてあるはずだけど、それがみつからないのである。そっちのブログは、gooブログと使い勝手が違って、他の人の記事をどうやってみたら良いかもわからず、どうもやりにくいのだ。ただただ自分の記事を載せているだけである。たまに足跡などあるがなんかよくわからない。そっちには自分の分身のピグがいて、バーチャル世界の家に住んでいるんだけど、着せ替えをしたり部屋の模様替えをしたりするのは楽しいのだ。でも、ログインできないので、自分の分身も放置状態で、1人さびしく暮らしていることだろう。
そっちのブログは、自分のパスワードが発見されるまでは、更新できないままとなる。

さて、このブログはパスワードを変更したのだけど、それがまた困ったことで、毎回ブログを書こうとするたびに、無意識のうちに以前のパスワードを打ち込んでしまうのである。すると、パスワードが違っていますという表示がでてくるので、初めて気がつく。
それにしても、習慣とは恐ろしいもので、何度繰り返しても、以前のものを入れてしまうという状況だ。
これでは、自分自身が不正ログインをしようとしている人間になってしまいそうではないか。
コメント

鈍ブス飛鳥の日記

2013-04-05 23:32:32 | 車・運転・道路2013
MTの教習を受けていた頃のブログを読んでみた。自分で書いたのに、今では教習内容もすっかり忘れていた。読んで、ちょっと思い出した。
「MT習ってよかった」と書いてあるから、やっぱり良かったんだろう。

まあ、クラッチってもんが、どういう働きをするのか実感として分かったし、オートマがそのクラッチの役目とギアを変更するのを自動でやってくれているのが分かったのだ。
その分かったという発見も、今や無意識になっているのだった。

ところで、今になって客観的に自分の教習の様子を思い出すと、やっぱり「鈍くさいおばさんだな~」と思うばかりだ。

そして、これは運転ばかりではなく、何事に関してもスマートじゃないわけで、運動神経・反射神経を除外して考えても、特に「機械の操作に弱い」という点では、クルマ以外にもその鈍さが共通している。

今はパソコンに鈍いおばさんで、毎日鈍臭いことを繰り返し、会社の若者の世話になっているのである。
普通の人間に分かる操作がわからない。普通の人間に見えるものが見えない。Etc.
まあ、書いていたらきりがないから書かないことにしよう。

あっ、MTで結構得意な操作もあってね、半クラッチで徐行するのは結構うまかったと思うよ。S字とかさ~。 (終)



タイトルは「ジャン・ブラスカの日記」をもじったものです。

追伸:
今日、急に思い出した。小さい時「全く、ろくなことをしない」としょっちゅう母親に怒られてたこと。
いったい私は何をしたのだろうか?まるで覚えていない。
コメント (2)

MTの免許

2013-04-05 00:19:17 | 車・運転・道路2013
実は、私は49歳でAT限定の免許を取った数か月あと、オートマ解除をしている。
これに何万円かけたことか・・・。
マニュアル車なんか乗るわけがないのだから、意味がないのだけど、マニュアル車とはどういうものなのかを知りたいがために取ったのだった。
それで、確かにどういうものかを知ることができたわけで、そして免許証からは「AT限定」の文字がなくなった。
これで、ATでないクルマも運転をする資格があるというわけだ。

ところが、私は一般道路をMT車で走ったことは1度もないのである。
AT限定解除の試験は、所内のコースだけなのだ。これは絶対におかしいと思う。
普通の道路を一度も走った事のない人が、いきなりMT車で道路を走れるのだろうか?
走れるわけがないだろ。この免許制度は絶対に変えた方が良い。坂道発進なんか絶対にできず、後ろに下がって行くに違いない。

AT限定でない免許証を持っている者のあるべき現状として、路上でMT車の運転を一度でもまともにできたという経験が必要だと思うので、望ましくはペーパードライバー教習でも受けたほうがよさそうである。
でも、MT車の操作に慣れると、アタマがこんがらがってAT車の運転がおかしくなりそうなので、もうMT車に乗る気はない。

こんなことなら、限定解除なんかしなきゃよかったと思うわけだが、せっかく取ったのだから、やっぱり免許証はAT限定でない方がいいとも思うし・・・、しかし実態と合ってないというのはよくないなあ・・・。

相反する矛盾した思いである。

完全なるMTペーパードライバーだな。

(私のMTの教習日記は2009年12月の記事にあります。)

コメント (6)

バスの運転士さん

2013-04-04 22:20:31 | 車・運転・道路2013

バスの運転士さんのブログを毎日読んでいる。なぜならば、毎日更新されるからだ。
毎日毎日よくネタがあるなあと感心する。毎日いろんなエピソードがあるんだな。
バスの運転士さんは、そんなことを考えて運転しているのかと思う。
街中で走っているバスを見かける目が、今までとちょっと変わってきたりする。

以前、バスの運転士さんが切れたというニュースがあった。お客が無理なことを要求するので、もうやってられないと思ってイライラしてしまい、急発進や急ブレーキをかけて、無謀運転をしたとかいうことだった。バスの運転士さんてそんなにストレスが溜まる仕事なのかと思って同情もしたけど、やっぱり、そういう人は人格に問題があるのかなと思う。

そんなニュースのあと、バスに乗ったときに、バスの運転士さんは神経使うんだよな~と思っていたら、そのときのバスの運転士さんが、すごく感じが良い人で、まるでストレス無しという感じだったのだ。アナウンスもおおらかで、上機嫌な感じで、余裕で運転してますって感じ。
実はそんな余裕ってこともないのかもしれないけど、でも、ベテランなのか、あるいは、乗合バスの運転士さんの適性抜群の人だったのかな~。

実際、自分が客として乗っていると、運転士さんによる違いは、ほとんどわからない事が大部分だ。

この前乗っていたバスは、電車の駅から電車の駅まで行って、そこのターミナルで1分くらい停まったあと、また別の電車の駅の終点に着くという経路だった。
私は始発から終点まで乗っていたので、途中駅のターミナルでも乗ったままだったけど、大部分の人はそこで降りた。
で、そこでは誰も乗らず、発車時刻が来てバスが出ようと数メートル動いて一時停止したときに、ターミナルの路上をお客が走ってきた。乗り口のドアの前まで来て乗りたそうにしていたのだが、バスはドアを開けることなく発車して行ってしまった。
あれっ?なんで開けてくれないのかな?気がつかないかな?「乗る人がいますよ」と教えてあげようかなと思ったのだけど、結局そのままで、お客は置き去りにされてしまった。
たぶん気がつかないわけはなさそうなのだが・・。

私が読んでいるブログのバスの運転士さんは、そんなときにドアを開けてくれるようだけど、やはりバスの運行時間が遅れるというのもあるし、信号との関係とかタイミングとかいろいろあるようだ。たしかに、お客が入口扉から乗るだけならすぐだけど、そこでお客がお金を払って座席に着くまでの時間待つとすると、そのあとで一般道に出るクルマの切れ目のタイミングを待ったり、信号が青になるのを待ったりするために、どんどん時間が遅れて行ってしまう。運転士さんは信号のタイミングを見て発車したのかもしれなかった。
かけつけたお客に限って運賃の用意もしてなかったりするので、運賃箱の前で時間がかかったりしてしまうかもしれない。

それで、たぶん都会のバスは同じ方向に行くバスが5分に1本くらいはあるので、お客はそれに乗らなくたっていいわけなのだ。きっと次のバスが来るのがわかっていたので、開けなかったんだろうね。

バスは普段あまり乗らないんだけど、面白いな~。
そのバスは、普通の大きなバスだったんだけど、すごく狭い商店街を走っていって驚いた。途中に駐車車両なんかあって、軽自動車でも横をすり抜けるのが大変そうな狭さなんだけど、そこを平気で通るんだな~、すごいな~~~~。

私は、その道をバスに乗って初めて通ったのだけど、この道は走りにくそうだから、絶対に自分の車では走らないぞ、覚えておこう、と思ったのだ。

コメント