山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

挑戦力が・・・

2016-02-18 21:09:22 | 日記
ああ、50代も後半になると、物事に挑戦する気力も体力もなくなってきてしまうなあ~

などと思って歩いていた。

最近思うことは、車の運転の練習をする気力が萎えているのである。
免許を取って6年経ったが、未だに東京から外に出たこともなく、最近は慣れた道しか走らず、まったく新しい開拓がない。

このままでは、どこにも行けないまま終わってしまいそうだ。

そういえば、自分もいつの間にか50代後半になってしまっており、60代になったら、新しい運転技術の習得なんて無理だろうなと思う。

どんなにベテランのドライバーでも、老人になってしまったら、若いころのような腕はなくなり、衰えていってしまうものだ。

それが、最初から下手くそだし、経験もないんだから、このままではどうにもならない。
今でも遅いくらいだけど、それでも今ならまだ還暦にはなっていない。
今やらなくてどうするんだ・・・

“行き行きて五十路の坂を越えにけりついに寂しき道と思はむ”(島木赤彦)

こんな歌があることを知った。
私もそんな気分だよ。いつの間にか50代になっちゃってさ、今さら若者のように未来に向かって挑戦するなんてことができない年齢になってしまったのだ・・・

島木赤彦って人のことは全然知らない。単に「五十路」っていう言葉で検索しただけだ。
そこでこの人のことを調べてみたら、1876年に生まれて、1926年に亡くなっている。享年51歳だったそうだ。
この歌を歌ってすぐに亡くなってしまったことになる。
本当に晩年の歌だったのだ。

この当時の五十路と現代の五十路は違うし、私の人生は、まだ20年はあると思っているよ。健康年齢。
平均寿命だったら30年以上あると思うけど、いくらなんでも後期高齢者になってから、全く新しいことに挑戦することはできないだろう。80歳過ぎたら、日々を健康に楽しく暮らすことが目標になるだろう。

私の五十路は、島木赤彦氏のような寂しい五十路ではないのだから、まだまだ何かに挑戦しないといけないな~

「50代は、人生もう終わってる」なんて思う若者も多いようで、50代以上の人には成長はないのか?
20代から40代の20年間だとしたら、人は成長するよね。若者から立派な大人になる。
だったら、50代から70代だって、時間は同じだけあるんだよね。

ただ、頑張らないだけじゃない?
セロトニンっていう物質が脳内にあると、やる気が起きるみたいだけどね。
こいつをなんとかして増やす方法はないかな?

とにかく、「挑戦しよう」という意思をもって行動を起こさないとどうにもならない。

50代のうちに実現することの目標と計画を立てよう。



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4単位ゲットした

2016-02-17 23:47:41 | 放送大学
人のブログを読んでいたら、今日(17日)は、放送大学の単位認定試験の結果がわかる日だそうだ。そんなこと、当の放送大学のサイトでは、どこに書いてあるのかわからないのだが、いつも学生のブログなどから情報をもらっている。

そこで、成績結果を見てみた。ちょっとドキドキした。
「環境の可視化」と「グローバル化と物作り」の単位が取れていた。成績は○AとAだ。
「環境の可視化」で○Aが取れたとは、意外である。やっぱり最後まであきらめるもんじゃない。一夜漬けでもなんでも、ダメもとでねばってみるものだ。

そういえば、「社会と産業」のコースは、高校までの科目でいうと、社会科と理科が混じったようなところがある。「環境の可視化」は理科に近く、「グローバル化とものづくり」は社会科に近い。私は高校までは理科は得意だったけど、社会は苦手だったのだ。だから、「環境の可視化」は一見むずかしそうだけど、意外に好きな内容だったのかもしれない。

これから、履修科目を登録しないといけないので、何を取るか煮詰めているところである。「社会と産業コース」と一口に言っても、結構幅が広いのである。

科目区分は、「社会学系」「法学系」「政治学系」「経済学系」「産業・経営系」「社会技術系」に分かれている。
私はこの中の、「社会技術系」「産業・経営系」のほうを勉強したいと思っているので、政治や法律のほうはあまり勉強する気がない。

これからは、自分の専攻を意識して、基礎から積み上げる形で科目を選んで行こうと思っている。これまでは、自分がやりたいと思うものを適当に選んでいたが、これでは体系的な知識が身に着かないようだし、なかなか卒業もできない。あんまりよそ見をしないで、大学側から提示されている方法に従おうと思うようになった。

これで、不足している自コースの専門科目は、あと11単位となった。それから、基礎科目と総合科目も2単位必要である。
持ちこし科目が2科目あり、これらは自コースではないので、あと2科目自コースの専門科目を取るつもりだ。
あと面接授業は日程的に無理のないものを選びたいと思う。
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最近は「豆大福」をよく食べる

2016-02-16 22:41:28 | 日記2019



最近、和菓子が見直されています。

洋菓子も好きですが、バターを使っていることが多いので、カロリーが高すぎます。
だから、太るのです。

それに比べると、和菓子は、糖分はあるものの、脂分は少ないです。

アンコは、「豆」なので、たんぱく質もあり繊維もあります。

植物性です。

和菓子の方が、洋菓子よりずっと健康的なんだそうですよ~

それに、値段も安いです。

そんなわけで、「豆大福」を結構食べます。

あんまり甘すぎないのが好きです。

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高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉

2016-02-16 22:10:39 | 日記
文科省の発表によると、高速増殖炉「もんじゅ」を廃炉するための費用は、3000億円かかる見込みだそうだ。
普通の原子炉であれば、廃炉は300億円から900億円くらいかかるそうだが、高速増殖炉の場合は、もっとずっと大変である。
廃炉にするには、30年間くらいかかり、解体費に1300億円、燃料の取り出しに200億円、廃炉されるまでの維持管理に1500億円くらいかかる計算である。

莫大な費用がかかるからといって、廃炉にしないわけにはいかないだろう。
このような計算がされるということは、実際的に廃炉への道を進め始めようという動きでもあり、喜ぶべきことかもしれない。

「もんじゅ」をこのまま置いたところで、年間の維持費が2百数十億円もかかるそうである。それで、これまでも一度も発電をしたこともなく、今後も発電することはない。そんなものを、ただ維持し続けてもどうしようもない。

高速増殖炉は、水で冷やすことができないものだそうである。ここで使われるナトリウムは、70℃以上に保たないと個体になってしまうそうだ。個体になってしまうと、炉が壊れてしまうので、始終70℃以上に温めていないといけないそうで、そのための保温電力が1年中かかっているそうである。

「もんじゅ」は、稼働しようとするたびに事故を起こし、自ら発電できないまま、電力ばかり使っているしろものであり、プルトニウムの放射能は人体にとって最も危険なものだそうだ。

世界にある高速増殖炉も、どれ一つ稼働させることはできない状況である。

このようなものは、どんなに費用がかかろうとも、解体し廃炉にしなければならないだろう。

これからの日本のかかえた大きな課題である。

私が生きているうちに廃炉が完了できるだろうか。
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法律事務所が法律違反

2016-02-16 19:17:07 | 日記
アディーレ法律事務所が、消費者庁から景品表示法違反で再発防止を求める措置命令を受けたそうだ。

アディーレ法律事務所は、しょっちゅうテレビCMで、借金の利子の過払い金を取り戻すと宣伝しているところであり、私はあのCMが大嫌いなので、CMが流れるとチャンネルを変えてしまう。

CMでは、最初にバカみたいな若い男が出て来て、まとまりのないことを口走っており、その代わりにもう少し賢そうな若い弁護士が出て来て、同じ内容を簡潔に説明するというものだ。借金の利子を多く支払い過ぎてしまった人のために、弁護士がそのお金を取り返してくれるというものらしい。実際、この2人の年恰好などは似ていて、違いはあんまり分からない程度である。

過払い金を取り戻してくれる、とは言っても、その取り戻した金の一部を手数料として取るに決まってるわけである。
そういう利益で成り立っている弁護士の仕事って、どうなのかなあと思う。
弁護士というのは、優秀な人しかなれないと思うが、借金の過払い金を取り戻すのが主な法律事務所って、なんだかな~と思っていた。

さらに、その事務所の相談実績が10万人を超えたなどとも書かれている広告をみたことがあり、それも驚くような多すぎる人数である。実際、日本全国にものすごくたくさんの支店があるからなのだろうが、相談者の多さが逆に怪しげに思えてしまうのだった。

近頃、弁護士の数が増えたため、弁護士の資格を持っていても、仕事がなく収入もあまり期待できないと聞いたことがあるが、そういう人たちがここで働いているのかなと思ったりした。

今回の法律違反は、この法律事務所が、期間限定で着手金の無料キャンペーンをしていると謳っていたのであるが、実は5年ちかくもずっと継続されているとのことだった。
今だけ、たとえば1カ月のキャンペーンとなれば、その期間中に依頼しようと思うわけだが、日常的に無料だったら、そんなに急ぐ必要もないし、キャンペーンでもなんでもない。

結果として、4年10カ月も継続されてきたが、事務所としては、1か月ずつを区切って繰り返していたとのことである。

それは、都合のよい解釈であるが、法律の専門家集団が、そんなことでよいのかとあきれてしまう。
悪質なことをして、消費者をだましたというほどのものではないが、この法律事務所には、法律のことを相談しないほうがよさそうである。





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帰りはバス

2016-02-16 00:02:16 | 車・運転・道路・駐車場2016
今日は、昼休みに外に出ると、雨が降っていた。天気予報も見ていなかったので、雨が降るとは思わず、傘がない。夕方になっても少し降っていたので、帰りはバスに乗ってしまった。
500円の傘を買うか、220円のバスに乗るか、ってところだけど、傘を買うと、どんどん傘が増えてしまうし、歩くのも面倒だし、ちょうどあと3分でバスが発車するので、バスに乗ることにした。

バスを待つ列の人々は、なぜか前の人との間を詰めない人が多く、50cmくらい開けている。もっとしっかり詰めてくれればいいのに・・・。
私の前には、長いゴボウをレジ袋に入れてぶら下げた夫人が並んでいて、そのゴボウが、斜め45度くらい後ろに傾いているので、私もやはり間を開けないとゴボウにぶつかってしまう。バスに乗るときもゴボウが前に進まないので、なかなか乗れないし、乗ってもなかなか進めないのだった。

夕方のバスに乗る人は多く、始発駅から前のほうの座席が埋まった。後部に並ぶ2人用の席は1人ずつしか座っていないけれど、知らない男性の隣なんかに座るのもちょっと気が引ける。
冬は、コートなどがモコモコしていて、それに荷物があったりすると、結構狭い感じだ。
それで、皆、バスの前半分に立っている。

一番後ろの座席の真ん中(通路の突き当たり)に、買い物キャリーを引いた人が1人だけ座っており、そのキャリーがじゃまで、誰も両側の席に座ることができない。前のほうに立っている人たちは、後ろに歩いても来ない。
私はいったん後ろに進んでしまったので、近くに立っていたら、その人も悪いと思ったらしく、キャリーをできるだけ寄せてくれたので、隙間を通って窓際に座った。

バスが右折するとき、対向左折車が3台並んでいたが、2台は先に進んで、最後の1台がなぜかバスを先に行かせた。先に曲がっちゃえばいいのになあと思った。バスは右折するとすぐにバス停があって停まるのだ。停まったら、その車がすぐにバスを追い越した。追い越すくらいなら先に左折すればよかったのになあ。
そうしたら、ちょうど見通しのわるい前方から対向車がきた。対向車が速度を弱めて待機してくれるかと思ったら、意外に速度も緩めず突進してきて、あわや正面衝突だ。バスを追い越した車も、ものすごい速さでバスの前に戻り、対向車も普通の速さですれ違っていった。なんかすさまじいなあ。

その後は、何事もなく走った。

バスに乗っていて気がついたのだが、今の家に引っ越してきてから、家に帰るときにバスに乗ることはたまにあるものの、逆に、家のほうから駅に向かってバスに乗ったことは一度もない。
バスは、遠回りをするし、家からバス停まですぐ近くというわけでもない。バスの時刻も確認していないから、あてずっぽうにバス停まで出かけていくなんてことはしない。
しかも、出かけるときは、ほぼ荷物もなく元気だから、バス通りではない近道を使って駅まで歩いていくけれど、帰りは疲れていて、荷物があるので、バスに乗るのだ。
それにしても、一方向しか乗らないというのも不思議だな~と思った。

今日は鯛焼きを買ったので、歩いているうちに冷めてしまうのもいやだった。
バスから降りると、やっぱり小雨が降っていた。バス停から3分歩く程度なら大丈夫だけど、駅から家まで15分歩くとなると、冷たいだろう。やっぱりバスで正解だった。

ところで、今日は、バス停で何人もの人が降りたのだが、その人たちがバスから降りると、いきなりバスの前を渡って行った。以前、男の子が鉄砲玉のように走り去ったときに危ないと思ったのだが、大人までやってるのか、と思ったら、それほど危なくないことがわかった。

というのは、その道路はとても狭く、バスと対向車がすれ違うのが大変なのである。どちらかが端に寄れるだけ寄って待機しているうちに、もう一方が徐行して通り抜けるという感じだ。だから、対向車がスピードを出してくることもまずないし、バスの後ろから自動車が来て、停まっているバスを追い越してくることもまずないということなのだろう。
ただ、バイクだったらぬかしてくると思うので、全く安全ともいえないけれど・・・。

私は別の方向に進むので、降りたバス通りの状況はよく知らないままだった。
何度も乗らないと気がつかないことも結構あるもんだ。
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都電荒川線

2016-02-14 17:37:16 | 車・運転・道路・駐車場2016
昨日、用事があって大塚に行きました。
そのついでに、近くを走る「都電」をみつけ、撮影してきました。



実は、都電って、あんまりなじみがありません。10年以上も前に、1度だけ乗ったことがあります。

左から来た都電は、このあと、道路を斜めに横切って進みます。



このとき、警笛を鳴らしたので、何だろうと驚いたら、自転車が踏切を横断していました。



上の電車の写真の右側がこのような歩行者用の通路になっていますが、動く都電の目の前を自転車が渡っていったのです。

これは、かなり危ないです。

そこで、ふと不思議に思ったのは、都電の線路って、「踏切」の遮断機というものは無いのですね。

そして、ここは都電用の信号はあるのですが、歩行者の信号とかはなく、どうやって渡るのか?勝手に安全確認をして渡るのかな~と驚きました。

また、そのとき車の信号というのはどうなっているのかもよくわかりません。

都電と連動した車用の信号がどこかにあるものなのか?確認できませんでした。

踏切のように一時停止するのか、それとも、離れた場所にあるクルマの信号が青で、次々に走ってくるときには、都電のほうが止まっているのでしょうか?

都電の線路と車の道路が斜めに交差していますが、どっちが優先なのでしょう?

もし、私がここを車で走ったら、どうやって走ったらよいかわらないかもしれません。
自動車学校でルールを習ったかな?

このへんに都電が走っているということも知らずに走ってしまったら、怖いです。



また、左から都電が来ました。



右からも来ました。驚いたのは、この右から来た都電の運転士さんは、踏切のところで歩行者を見ると、都電を停止させ、渡れと手で合図しており、2人くらいの歩行者が渡って行きました。

これって、横断歩道扱い?

調べてみると、都電というのは、かなり走る速度が遅いそうで、原付くらいの速さだそうです。

電車とはいっても、電車ではない。バスみたいなもんかな?バスよりも遅い。

本当に不思議な乗りものです。



都電同士がすれ違います。



車体のデザインも色々あるようです。

早稲田から大塚を通り、王子を通り、三ノ輪橋まで行っているようです。(逆あり)

都電荒川線と言うようですが、荒川線以外の都電は無いようです。

めずらしいですし、乗客も結構いるようなので、今後も走っていたほうが良いのかなと思いました。




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定期購入・・・困難

2016-02-14 10:07:09 | お題
不便すぎて結局していません。

夫が宅配用のヤクルト400(スーパーには売っていないもの)を飲みたいとのことで、時々直接営業所に行って買ってきます。その営業所がかなり遠いため、近くを通ったついでに買うのは良いのですが、わざわざ買いに行くには不便なところです。
そこで、定期購入で配達してもらいたいのですが、問題は配達時間です。
ヤクルトレディーの方が巡回してくるのが、早くとも朝の9時過ぎなのです。そうすると、私は8時過ぎに出勤してしまっているので、保冷用の箱に入れてもらっても、ヤクルトが夜までそのままになってしまいます。長時間ですし、オートロックでもないので、躊躇します。
ヤクルトの会社は、そうやって良い商品を消費者の元に届かないようにしているので、スーパーでも売ってくれたほうが良いと思います。

以前は、明治のヨーグルトの宅配を頼んでいて、こちらは早朝に配達してくれたので、1年以上続けていましたが、店に売っているものに比べると値段も高いし、消費税が8%に上がったときに辞めました。

そのほかに、定期購入を進められたものに、コープの宅配がありますが、こちらは配達の手数料が有料(100円?)であり、買わないとき(配達がないとき)もその金額は毎週引かれるとのことでした。子供のいる家庭と老齢の家庭ではその手数料が無料となるそうですが、うちはそれにあたりません。
生鮮食品は週に1回の配達で持ってきてもらうよりも毎日仕事の帰りに店で買ってきたほうがよいので、配達してもらいたいものは、重い米や調味料や雑貨ですが、こういうのだったら月に1回でよいです。
月に1回だけ何千円分か買うということであれば利用できますが、毎週手数料を取られるなんてやってられません。
また、1週間前に1週間後の配達の品物を選ぶなんて、そんな先のことでは気が長すぎます。食品では、配達の1日前に、自宅の在庫が切れたりすることもあるだろうし、逆にありあまっているのに配達されてしまったりすることもありそうです。
そういうものを几帳面に調整する意識がないので、私の性分に合いません。

宅配で定期購入しているものは、「新聞」だけです。

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今朝の状況

2016-02-14 08:45:09 | 日記
ベランダの温室に風が当たる音で目が覚めた。最近は、ビニールがかなり老朽化して、あちこち破れている。この風で破壊されてしまうかもしれないなあと、寝床の中で思っていた。
起きる時刻になって、カーテンを開けたら、ガラスがずぶ濡れ。かなりの吹き込みようだ。
そして、干してある洗濯物が見えた。強風になびいている。ずぶぬれである。
洗濯物は夫の部屋の前に干してある。急いで取りこみに行ったが、台風並みの風雨で、なかなか取りこめなかった。
やっと取りこんだが、かなり水を含んでいる。
本当は昨日乾いていたはずだが、入れるのを忘れていた。そんなことは日常茶飯事。忘れていたというよりも、毎日取りこむという意識がない。
普段はそれでも支障がないが、今日はまずかった。
いったん、浴槽の蓋の上に置いといたが、今再度洗濯中。しかし、どこに干すか、室内に干す場所がない。

外は暖かいらしいが、なぜか家の中は寒く、暖房をつけている。室温は21℃くらい。
エアコンを23℃にしても止まってしまうので、26℃に設定している。
夏と違って、物体の表面温度が低いから、放射熱が低いんだろう。

今、外が明るくなってきた。雨は止んでいるようだ。風は相変わらず強い。
雲がすごい速さで流れていく。
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放送大学卒業式(9年前)

2016-02-13 09:40:54 | 放送大学
自分のブログのリアルタイムアクセス解析を見ると、今日どなたかが読んでくださった私の記事が記載されている。
古いものになると、そんなこと自分で書いたか?と思う記事もあり、その内容も自分にとって新情報であったりして、驚く。
自分で書いていて、その内容を知らなかったということがあるわけないが、すっかり忘れているのだ。何かを調べて書いたものなどは、ほとんど覚えていなかったりする。

今日のリアルタイム解析の中に「放送大学卒業式」というのがあった。今年卒業式に列席される人が関心を持ってくれたのかもしれない。
この記事は、以前にも誰かが検索して訪れてくださったようで、読み直したことがあり、その時は自分が書いていた内容に「そうだったっけ?」とびっくりしたが、今回は2度目なので新たに記憶を強めた。これを書いてなければ、放送大学卒業式の記憶はほとんどなかっただろう。

今日、読み返してみて、相変わらず、私はあんなにあつくなれないなと思う。ステージの上に立って記念撮影だなんて絶対にしない。
それに、私は、放送大学を出ても、そんなに目出度いとは全く思わないのだ。
そんなに華々しいことだとは到底思えない。
でも、そんなに はしゃぐ人がいても、人それぞれだし、好きなようにすればよかろう。そういう人たちが目立っているけれど、そうでない人たちもたくさんいるわけだ。卒業式なんか出ない人も多いに違いない。

今回読み直してみて、一番感じたのは、年月が経っているということだ。以前卒業したのは、2007年であり、もう9年も経ってしまっているのに、私はその後卒業していないんだから・・・。

このとき、何年後かにまた卒業することがあるのか、と思っていたみたいだけど、何年後は「なかった」ということだ。そして、あるとしたら十何年後ってことになる。

9年前の卒業式に「産業と技術」を卒業した年配の方のことが書いてあった。そのとき、「産業と技術」というコースは、私にはあまり縁のないものだった。でも、今自分が「社会と産業」のコースに所属しているのに驚く。

あの卒業の直後に「自然の理解コース」に入学したけど、結局歯が立たず6年間の期限が過ぎて中退してしまったのだ。その年月は、卒業という結果を出せなかった。
そして、その6年と、今のコースに入って2年半を足して9年が経過。
もう10年なんてあっという間に過ぎ去るものだなあと思う。

本当に卒業する気があるんだったら、しっかり単位を取らないと、その前に人生が終わってしまいそうだ。

漠然と思っているのは、それはやっぱりいろんなコースを卒業したいのかもしれない。
歯の立たなかった自然系のコース(現在の「自然と環境」)や、「生活と福祉」「情報」なども興味深い。「心理と教育」はあんまり好きじゃない。「教育」が嫌いだからだ。「心理」も嫌いだ。心理的に不健康であり、教育に対してゆがんだトラウマがあるからだ。本当はそういうものこそ、乗り越えなくちゃいけないんだろうけど・・・。

まずは「社会と産業」を卒業して、もし再入学するなら、次は実生活に密着した「生活と福祉」あたりだろうと思う。

ま、こんなことを書いているのは、獲らぬ狸の皮算用になってしまう。
はるか先のことではなく、まずは、目の前のことを考えなくては。


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こんな男が・・・

2016-02-13 01:40:33 | 日記
くだらな過ぎて、話題に取り上げるのもいやですが、とりあえず書いておこうと思います。

今、世間をうんざりさせている自民党の国会議員、宮崎謙介の話です。

「国会議員にも育児休暇を」なんてことを提言していた男ですが、その妻が出産したばかりのときに、タレントの女と不倫をしていたという、とんでもないことが発覚しました。
そして、議員を辞職することになりました。それは当然の結果です。こんな男を議員としておいたら、自民党も示しがつきません。しかし、やめさせたからといって、汚点が消えるわけではありません。

ところで、こんなお粗末な人間が国会議員になっているというのは、いったいどういうことでしょうか?
あまりにも、次元が低すぎます。

そこで、ウィキでこの男の経歴などを調べてみました。
学歴は早稲田大学という一流大学を出ています。

しかし、職歴は、1つのところには、短期間しか勤めていません。
いわゆる、職を転々としていた、というようなものです。
日本生命に入社、1年で人材派遣会社に転職。翌年にITベンチャー企業に転職。
2年後、株式会社ネオトラディションを創業。
4年後、親戚がいてなじみがあった京都で自民党の選挙区支部長になり、翌年国会議員に当選。
2012年から国会議員になり、現在2期目。

2006年に衆議院議員の加藤鮎子と結婚しているが、3年後に離婚。女性問題が原因とされている。
加藤鮎子の父は加藤紘一。

ネオトラディションは、若者の人材育成・大学生向けキャリアセミナー等をしている会社であるらしい。現在の取締役は別人になっている。
国会議員になったのは、最初の妻が衆議院議員であった関係かと思われる。

しかし、このような経歴を見ても、かなりお粗末な人間であることが歴然としている。
1つのところできちんと働いたこともなく、簡単に国会議員になってしまった男である。
こんな人間を当選させた国民も国民である。まったく見る目が無かったとしか言いようがない。

女癖は悪そうである。
育児休暇についても、あまり深く考えたものではないようだ。
そもそも、何のために夫がまとまった休暇を取らなければならないのか、どういう状況のときに夫婦が休む必要が発生するのかも全く不明である。
どうしても休まなければならない状況になたっときに、欠席するしかないだろう。
まずは、現状のルールでやってみたらどうなのか。

こんなバカが国会議員になって日本の政治を動かしているなんて、日本大丈夫か?
いい加減にしろ~

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rice - Hello

2016-02-11 23:29:36 | 音楽
rice - Hello


riceは、ユーチューブで視聴できる曲がたくさんある。

今日、この曲を取り上げたのは、次のような理由だ。
最近発売されたCD「ラストシーン」の中に収録されている“to be continued”を聴いたときに、こんな感じの声の歌、どこかで聴いたことがあるなあと思った。
それは、ユーチューブで聴いた何かだろうと思って、もう一度探してみたのだけど、全くそっくりというものは見つからなかった。
だったら、何だったのか?と思ったときに、出だしの声質が一番似ているのが「Hello」だと思った次第だ。

この歌は、これまで特に好きだとも思わず、ちゃんと聴いたこともあまりないものだったが、このたび聴いてみたら、なかなか感動的なものだということに気がついた。

それから、これは若い時で、有紀さんのこのころの姿は、非常に女性的というか、線が細く華奢な感じがする。手なんか本当に女性よりもきれいである。

歌の構成は、のどかなイントロから始まり、コーラスが入ったり、盛り上がる感情を訴えたり、いろいろと盛りだくさんであり、充実している。

また、riceのこういう映像は、自然の中で歌われていることが多く、きっと自然が好きなんだろうと思う。緑である。
絵画のような額縁を使ったあたりも面白い。

私がriceを好きなのはそういう要素もあるのかなと思う。

さて、このhelloという歌は、「六極シンパシー」というアルバムの中の1曲目であることがわかった。そして、このアルバムはタイトルのように6曲から成っており、東西南北天と地の六方を示しているそうだ。どの曲がどれに当たるのかはわからない。その中の4曲は知らない。

最後の6曲目は、「かげおくり」であって、これは私が好きで、これまでに何度もこのブログに載せている歌であるが、この2曲が、最初と最後に対になっているというのを初めて知った。

どちらも「友達」を歌ったものだそうで、歌詞は「ハロー」に始まり「さよなら」に終わっている。

それで、この「六極シンパシー」というアルバムを聴いてみたいなあと思った。
「シンパシー」とは、「共鳴する」という意味らしい。六曲六様であり、10000時間の製作期間をかけて作成したそうである。

それは、どういう意味なのか?1万時間は、416.66日であるので、まあ、1年2カ月近くかかったってことだろうか。

(「六極シンパシー発売記念インタビュー」というのを今さら読んで得た情報です。)

収録曲
1 Hello
2 Fractal
3 Crunch
4 片輪の花
5 余韻
6 かげおくり

「六極シンパシー」を買ってみようかと思ったのだが、どこも在庫はないようで、中古はすごく高くなっているようだった。


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今日のメダカたち

2016-02-11 19:15:08 | 日記


今日は、とてもいい天気だった。

空は快晴で、風もなく、暖かかった。

ベランダもポカポカで、3匹のメダカたちも元気に泳いでいた。

長生きしておくれ~~
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木目と文字

2016-02-11 00:53:54 | 日記

作製中の表札の文字と、紙に下書きしていた楷書の文字を比べると、不思議に形が違っている。
板の上にその紙を載せて文字を写したのに、どうして違うんだろうと考えた。

紙の文字のほうは、縦線が曲線を描いて膨らんでいたのに、実際の文字はそれほど膨らんでいないところがある。それは単に、紙がずれたから、線がずれたというわけではない。

文字は人の顔のように、どこか雰囲気が違う。

もともと、パソコンで出した文字なのだから、誰が作っても同じになるだろうと思いきや、それがそうではないことに驚いた。

そして、何が違うのかというと、それは使った板の“木目”なのである。そうだ、曲線を描こうとしても、そこに縦の木目があった時、微妙な角度の違いで木目を無視して切れ目を入れることはなく、木目に沿って自然に切れやすい位置というのがあるのだった。
だから、時には1ミリとか0.5ミリとか、ずれたりするのだろう。

そうすると、木の表札というのは、その板自らが文字の線を導いているということだ。

たぶんこれが、プラスチックに書くんだったら、そういう影響はないだろう。
また、木でも、機械で自動的に文字を刻むのだったら、設計通りに寸分の違いもなく、文字が彫られるのだろう。

木に刻まれた文字を、紙に印刷した文字に近くしようと、さらに手を加えようかと思ったが、これは木目に導かれた線だから、このままが自然なんだろうと思えてきた。

やっぱり手作りっていうのは面白いなと思う。

そして、人間もそういうことなんだろうと思う。まっすぐ進もうと思っても、そのときの周囲の状況や環境によって、自分の思う通りにいかないこともあるし、成り行きに任せることもある。でも、自分が描こう(歩もう)と思う方向があるからこそ、だいたい思う方向に進むわけだ。でも、全く思い通りに進むことはないわけだ。

そして、そうやってできた軌跡も、まんざら悪いわけではなく、それなりの味があるのだ。
これが、全く最初から意思もないものだったら、文字を描くことはできない。
また、無理やり自分の刻みたい方向に線を刻んでも、美しい切り込みはできないかもしれない。
木目と共存してこうなってるってことで、それはその板にとって一番自然な文字なのだ。

ということで、「なるべくしてなった」というか、これが「造ろうと思って造った結果、自然にこうなった」ものですってことです。
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無口

2016-02-09 23:21:53 | 日記
このごろは、無口に徹している。

中年おばさんになると、なにかと余計なことを言ってしまって困る。
言わなくてもいいことを、ついつい口走ってしまうのである。

若い時は、もっと奥ゆかしかった。

言葉を選んでいたので、なかなか人前で自分の思うことを言うことができなかった。

今では、思うことをずけずけとしゃべることは簡単であるが、
ひとたび口を開けば、下品なことや、人を傷つけることなどを言ってしまいかねない。
そして、自分の愚かさも丸出しになる。

もともと、人付き合いは得意な方でもなく・・・

だから、黙々と仕事をしている。

職場では、性能のよい、機械になろう。
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