フォーム・・記載なし 球種・・・スライダー、シュート、シンカー
1965年
十月四日、阪急と広島の間で優勝をかけたウエスタン・リーグ最終戦が行われた。どちらか勝った方が優勝というどたん場の試合だけに、両チームのナインはいやがうえにもハッスル。まれに見る熱戦を展開した。広島の先発は城野。すでにノーヒット・ノーランを記録、ウエスタン・リーグ最多勝投手として自信たっぷりにスタートした。ネット裏には米田、石井茂、石井晶、中田ら阪急の主力選手が応援にかけつけていたが、いずれもスライダー、シュートと内外角にうまく投げ分ける城野のピッチングに舌を巻き、阪急の苦戦を予想した。関口コートは金本のピッチングにすべてをかけたが、金本はコントロールが悪い。三回表その欠点が出た。トップの井上をストレートで歩かせたあと、佐々木有に0-1後のカーブを左翼へ2点ホーマーされた。この二点が最後まで阪急を苦しめた。城野の内角シンカーにひかかって阪急は肝心のところで内野ゴロばかり。そのまま押し切られるかにみえた。ところが、八回裏、阪急が最後の粘りを発揮した。佐藤護がよく選んで四球、すかさず永井が左中間に二塁打して迎え入れた。つづく梁川も左超え二塁打して同点、さらに梁川が三盗に成功して広島バッテリーをゆさぶり、捕逸を誘って決勝点をあげ、3-2と逆転。あっけない幕切れとなった。この勝利で阪急は48試合30勝18敗、勝率六割二分五厘で三十二年酒沢監督時代につづいて二度目の優勝。二位広島以下、南海、阪神、中日、近鉄、西鉄の最終順位が決定した。
1965年
十月四日、阪急と広島の間で優勝をかけたウエスタン・リーグ最終戦が行われた。どちらか勝った方が優勝というどたん場の試合だけに、両チームのナインはいやがうえにもハッスル。まれに見る熱戦を展開した。広島の先発は城野。すでにノーヒット・ノーランを記録、ウエスタン・リーグ最多勝投手として自信たっぷりにスタートした。ネット裏には米田、石井茂、石井晶、中田ら阪急の主力選手が応援にかけつけていたが、いずれもスライダー、シュートと内外角にうまく投げ分ける城野のピッチングに舌を巻き、阪急の苦戦を予想した。関口コートは金本のピッチングにすべてをかけたが、金本はコントロールが悪い。三回表その欠点が出た。トップの井上をストレートで歩かせたあと、佐々木有に0-1後のカーブを左翼へ2点ホーマーされた。この二点が最後まで阪急を苦しめた。城野の内角シンカーにひかかって阪急は肝心のところで内野ゴロばかり。そのまま押し切られるかにみえた。ところが、八回裏、阪急が最後の粘りを発揮した。佐藤護がよく選んで四球、すかさず永井が左中間に二塁打して迎え入れた。つづく梁川も左超え二塁打して同点、さらに梁川が三盗に成功して広島バッテリーをゆさぶり、捕逸を誘って決勝点をあげ、3-2と逆転。あっけない幕切れとなった。この勝利で阪急は48試合30勝18敗、勝率六割二分五厘で三十二年酒沢監督時代につづいて二度目の優勝。二位広島以下、南海、阪神、中日、近鉄、西鉄の最終順位が決定した。