プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山崎修二

2014-03-24 21:03:09 | 日記
・高校3年時「奈良・郡山高校」の夏の県予選、準決勝で天理に0-6で敗退。山崎は3番手で登板。三塁打を1本放つ。

1981年ファーム成績
2試合、0勝0敗・3分の1イニング・防御率54,00

「1980年」
・「母の墓前に1勝を」この言葉を胸に秘めた頑張り屋がいる。中日のルーキー山崎修二投手。プロの門出、1月12日の自主トレ初日に母・継子さん「43歳」が病気で他界。何か運命の糸にあやつられたような衝撃的なプロ入りだった。あれから4ヶ月余、母の死の悲しみを乗り越えた山崎は以前の明るさをすっかり取り戻した。「ええ、練習の辛さは当然のことですが、プロの生活にはもう慣れました。毎日が有意義で楽しいです」メガネの奥がギラギラ輝いている。こんがり焼けたホッぺタがファームで汗にまみれた努力のあとを無言のうちに語っている。山崎がチームの人気者になったのは入団早々の串間キャンプのとき。「140キロの快速球野郎」のふれ込みどおり球はめっぽう速い。ところが行き先はボールに聞いてくれの、口。なにしろ山崎がピッチングをはじめると、とてつもない高投ありワンバウンドありで、囲い板がドスン、ドスンと大きな音を響かせ、キャッチャーは怖さに悲鳴をあげ続けたのだから相当なもの。チームメイトは驚くやら吹き出すやら。快速球の秘密は
92キロの脅威的な握力。ジュースの空きカンを右手に持たせればグイとひねりつぶしてグニャグニャ。さすがに腕自慢そろいの周囲もビックリ。「今までに星野さん、堂上さんら先輩と腕相撲をやりました。もちろん勝ちました。ボクの自慢できるものといったら腕の力くらいですからね」もちろん腕力だけで即通用するほどプロは甘くない。とにかくすべての面で粗けずり。やたら力を入れ過ぎて、つい最近まで肩を痛め、まだファームでも投げていない。「よくいえば自己流、悪くいえば勝手流。ムチャクチャなヤツだ。ピッチングの基本から、叩き込まなければいけないので時間はかかるが、山崎みたいに若さの特権をフルに発揮しているヤツには、とてつもない魅力を感じるんだ」権藤コーチの山崎診断だ。山崎の人生哲学はピッチング同様、何事にも真正面からぶつかってゆく事。グラウンドではキビキビした動きを見せ、合宿生活でも礼儀正しく、言葉使いもハキハキしている。そんなところにも両親のしつけの良さが伺えるが、プロ入りを最も喜んでくれた母はもうこの世にいない。亡き母のためにも山崎には挫折は許されない。「肩に力が入り過ぎる。一からフォームを矯正中です。今はすべてが勉強の時期。ボクの目標は3年後の一軍入り。そのときはきっと母の墓前に1勝を報告します」山崎のデッカイ声が、きょうもグラウンドに響く。
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安田尚弘

2014-03-24 00:00:15 | 日記
1977年

高校時代は、コントロールが悪く、これといった実績は残していないが、球の速さは兵庫県でも№1との声が高かった。平山スカウト部長は「体が柔らかだし、バネもある本格派。2~3年先きにはー」とほれ込んでいる。
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