プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

田坂正明

2014-03-07 23:15:08 | 日記
1969年

オープン戦に入ってから南海のキビキビしたプレーや好成績が注目されているが、これは飯田南海の原動力に若手とベテランの力をミックスしたところにある。とりわけ中堅層の奮起がめざましい。その代表的な例が、六年目を迎えてスイ星のように頭角を現した泉投手であろう。この泉に負けまいと大ハッスルするのが五年目の田坂内野手だ。大物ルーキー富田と藤原に刺激されたことも大きな理由だが、チャンスを平等に与える飯田監督の方針でいままで以上に張り切っているのが目につく。「オレなんかーという気があったが、ことしは違う。やればできるという自信がわいてきたし、意欲が出た」昨年から一日も欠かさなかったティ・バッティングが大方キャンプの野村教室でさらに伸び体で振るスイングとなって身についてきた。守備でもアッというような美技を演じファンをしばしばうならせている。
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岩木康郎

2014-03-07 23:03:52 | 日記
1966年

岩木は浪速高出身のプロ三年目。十年先輩の吉沢と同じ身長(1メートル70)ですぐに目につくほど背が低い。この岩木の打順がトップか二番。捕手は鈍足と相場がきまっているのに岩木が上位を打つのにはそれなりの理由がある。キビキビしたプレー同様、足の方も他の野手に負けないくらい速いからだ。ナインは岩木のことを「ドブねずみ」と呼ぶ。すばしっこい身のこなしもさることながら黒人選手ボレスに劣らぬぐらい色が黒いせいだ。テスト生で近鉄のユニホームを着て以来この三年間、練習に次ぐ練習。生来の熱心さが加わって顔の方も真っ黒に日焼けした。「ドブねずみ」のニックネームは岩木の練習熱心につけられた尊称でもある。上位打線を打つぐらいだからバッティングもいい。「パワーがついて目立って腕を上げてきた」(根本コーチ)とかで、ちょくちょく一軍入りしたが、第一線出場にはまだ難関を突破しなければならない。大先輩の吉沢は年令からいうと限界へ来ているが、児玉と木村重ががんばっており、これを乗り越えなければならないから大へんだ。しかしシャープな切れ味を持つといわれる異色の岩木だけに、将来が楽しみだ。
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大坂雅彦

2014-03-07 22:40:21 | 日記
1966年

一軍でも榎本(東京)の首位打者は確定的だが、イースタンの方も東京から首位打者が出そうな気配だ。十五日現在、打率は41試合で3割2分1厘(156打数50安打)。先輩榎本のように腰のすわったバッティングとはタイプはちょっと違うが、左右へむらなく打てること。それにホームラン2、二塁打、三塁打各3本が示すように、かなりの長打力も秘めている。この大坂、ここ二、三年イースタン・リーグの常連になった感じだが、プロ歴はことしでもう七年にもなる。徳島商時代はピッチャーで活躍。三十五年に近鉄へ入団。すぐに打力を買われて遊撃手に転向。四年前に移籍で東京入りしてもらい、主に遊撃を守っていたが、今シーズンは外野へコンバートされ、長打力のあるバッティングにますます磨きがかかってきたというわけだ。「かけ引きもうまいし、打てるポイントの広いことは優に一軍級。東京では山崎以上にシブとさを持っているから怖い」と、各チームの投手連が口をそろえるほど。その上脚も速く、盗塁は現在9個。内野手時代に目立っていた荒削りな面もなくなり、攻守走のバランスのよさでは、イースタン・リーグでも一流にランクしていいだろう。大坂は「ひところ打てなかった変化球にも、手首をしぼって打つようになってから苦にならなくなった。こうなった以上、首位打者のタイトルは誰にも譲りたくない」と終盤戦にはいって、ファイトはますます旺盛だ。パリス、森、井石、池辺と層の厚い東京外野陣だが、「一度この大坂をフルに一軍で使って競争させてやりたい」というのがイースタン関係者の声だ。
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河原明

2014-03-07 22:06:37 | 日記
1968年

ルーキー河原は、高校時代は速球を武器とした本格派として、そのスピードボールに定評があったが、プロ入り初のオープン戦では速球より変化球の冴えを高く買われている。なかでも、首脳陣の目をみはらせているのが稲生伝授のシンカー。高木守に「スピードはないがシンカーは大したものだ。指導者にいい手本がいるからな」と、手もなくヒネられて苦笑いしていた。だが稲尾の言によれば「オレは何も教えないよ。あいつはオレたちが教えなくても高校時代からいろいろな球を投げていたらしい・・」と河原の隠された秘密を披露している。その証拠にシンカーのつぎにテストしているフォークボールにも、重松コーチも「こんなタマ投げられるのか」と驚いていた。
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中馬賢治

2014-03-07 20:42:30 | 日記
1981年
・中馬は京都の名門・京都商業で野球をやりたかったが受験に失敗、山城高定時制に1年間通ったあと、共栄学園へ移った。「とにかく野球生活を送りたい・・・」その一心で遠い福知山まで通いつめた。野球に関しては無名校とはいえ、スカウト間では「超高校級の大型捕手」として中馬の名は知られ、阪神、大洋、近鉄など各球団が早くからマークしていた。3年生になった今年の春からは年齢超過で公式戦には出場できなくなったが、共栄学園の2年間、打率385、12ホーマーを記録し、最大の思いでは、昨年夏の大会で敗れはしたが、豪腕と評判の井口投手「京都商」から会心のヒットを飛ばした事だそうだ。
ドラフトで近鉄に指名された瞬間、日頃憧れていた梨田捕手の顔、動作がパッと頭に浮かんだ。「すごい強肩だし、打撃にしても守りにしても、あの個性的なところに憧れる。梨田さんのチームでプレーできるなんて夢のようだ」という。「当分はファームで苦労するのは覚悟してます。焦らず一歩一歩、足元をかためていきたい」183センチ、77キロ。遠投は108メートル。これまで打った最長距離のホームランは130メートルという記録がある。「体がちょっとカタいかな。でも、プロの練習でもまれれば克服できる。久々に見た大型捕手の卵だ」とは近鉄・河西スカウトの評である。
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中沢泰司

2014-03-07 06:51:08 | 日記
1977年ファーム成績
56試合・打率253・本塁打1、打点8

・高知商業時代、担当の渡辺スカウトが「これは大物になる」と、ほれ込んだ逸材。軽快な守備と100メートル
11秒7の俊足は魅力だ。バッティングにも非凡なものがあり、将来は甲子園のマンモススタンドを沸かせるだろう。
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