プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

上田正則

2014-03-09 23:07:01 | 日記
1976年

・・上田正則投手

1㍍75、70㌔ 右投右打 27.8.26 生

沖縄が本土に復帰してからの初の入団選手。ドラフト外指名ながら「沖縄の人たちに喜んでもらいたい。プロに入ることがボクの夢だった」と泣かせるセリフを吐いた。村山(元阪神)ばりの豪快なフォームが売りものだ。
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執行重徳

2014-03-09 22:35:39 | 日記
1971年

・・・執行重徳選手

18歳 外野手
右右 身長179 体重73 飯塚商高

中央球界にはあまり知られていないが、攻守走三拍子そろっている外野手。立大進学を重松スカウトの熱心さでプロに踏み切らせた逸材、ただスローイングはやや難がある感じ。
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佐々木剛

2014-03-09 22:28:47 | 日記
1971年

毎シーズン、キャンプの頃は期待されるが、素直なタマ筋がわざわいして伸び悩んでいる。ピッチングに特色がないため、せっかくの速球を生かしきれない。なんとか一工夫してほしい。いまのままだと埋もれていくだけだ。奮起を望むだけである。
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池畑満也

2014-03-09 22:24:11 | 日記
1976年

1㍍78、70㌔、右投右打 外野手 27年4月11日生

ドラフト外入団ながら全国準硬式大会で2連勝当時の4番打者。粗けずりながら、将来の大物と期待される。上田正則に次いで、沖縄から二人目の入団選手だ。
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才所俊郎

2014-03-09 22:19:51 | 日記
1965年

八女高、ノンプロ河合楽器時代は無名の選手。昨年の都市対抗予選などで3割8分7厘を打ち、ヒノキ舞台を踏んでいないのにもかかわらず、プロ球界から注目された。一番買われている点は俊足。ダイヤモンド一周、13秒9、これはさすがのイダ天柴田もかなわない。巨人一の走り屋だ。力感あふれるバッティングはキャンプでも評判となった。そのうえ、鉄砲肩。変化球にモロイ欠点はあるが、林といっしょにマイヤーズ・コーチの秘蔵っ子。「目標は一軍のレギュラーだ。せっかくプロにきて、一軍の選手になれないようじゃ、プロへなんか入らなかった」というファイトマン。
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福永栄助

2014-03-09 21:33:29 | 日記
1971年

西鉄にテスト生として入団。昨年秋のトレード会議でヤクルトに指名され移籍した。カーブが大きく曲がり異色の存在。将来に楽しみのある投手である。ストレートにもうひとつスピードをつけることが、レギュラーへの道をひらく。
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荻原久男

2014-03-09 21:17:46 | 日記
1971年

左投げという以外に特徴はない。バッティングにいいものをもっているが線が細く転向もむずかしい。第一線の出場は無理なだけに、やはりバッティング投手として投げながら、自分でじっくり研究すべきだ。なにか変化球でも覚えれば左が生きる。
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小田芳男

2014-03-09 21:06:21 | 日記
1969年

人材不足の捕手陣に若手の成長が目立つ。イースタンでは今年のベストナイン捕手福島(大洋)と矢沢(巨人)が双璧だが、秋のオープン戦で一軍入りした矢沢についで、巨人では小田(萩高出身、二年目)の進境が著しい。今年の公式戦では二十試合で三十八打数十安打、打率二割六分三厘(うち二塁打三本)という成績だったが、教育リーグでは矢沢に代わってマスクを被り五番。二十三日現在、十六打数九安打、打率五割六分三厘、一本塁打と大当たりしている。小田は「よく走り込んでいるせいか、体の動きがいいのが好調の原因です。バットもシャープに振れます」と予想以上の出来にごきげん。リードのほうも投手陣には評判がよく、及第点を取っているが町田打撃コーチが「いいセンスは持っているのだが、時々、自分一人で考えてしまうことがある。しかし、きっかけさえ掴めば、これからまだ伸びていく選手」と買っている。「若手に実戦で自信をつけさせる」というのが教育リーグの狙いだが、小田の成長は巨人の大きな収穫の一つだ。
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井上武

2014-03-09 20:53:56 | 日記
1966年

内野手として呉港高野球部にはいったが、広島県下のチームに俊足ランナーが多かったため、強肩をかわれて捕手になった。打線が売りものの呉港商の四番打者。ガッチリとしたからだだが足もはやい。練習も熱心。キャンプに遅れて参加したが、みんあに追いつこうとひとりでかけずりまわった。マシン・バッティングのときは報道陣にマシンを操作してもらって打ちまくったくらい。ブルペンでは城之内のシュートをミットが押されがちだったが、必死になってミットを構えていた。武宮コーチは「高校を出たばかりで、すぐにはプロで使えない。とくに捕手はバッティングだけでなく、投手のリードも大切。これからが勉強だ」といっている。

1967年

打力が看板だった呉港商の四番打者。捕手だが足も早い。武宮コーチは「捕手は打撃よりも投手のリードが大切だ」と語っており、プロの第一線級の投手をどのようにうまくリードするかというインサイド・ワークの勉強にとりくんでいる。

41年イースタン 試合34 打数68 得点7 安打17 二塁打2 本塁打3 塁打32 打点11
盗塁2 犠打1 犠飛0 四死球7 三振14 併殺打0 打率.250
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吉田隆史

2014-03-09 20:40:57 | 日記
1976年

二度も南海のテストに合格しながら入団を保留、ライオンズ一筋にかけてきた変わりダネ。だが初心を貫く意志の強さは本物の味。

S・29・12・3生 右投右打
身長179、体重76、大商大出身
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山本真一

2014-03-09 20:32:02 | 日記
1967年

「真一のハッスルぶりはすごいね。目の色まで変わっている」日南キャンプでの山本真一の張り切りぶりには、上田、米山コーチらも驚いている。このチームには地元宮崎県出身は、寺岡、水谷、山本真と三人いるが、このうち山本真は日南生まれ。地元の東郷中から宮崎商、さらに専修大を中退してプロ入りしたもの。「ボクは日南生まれですから、知った人が多勢いるのであまりぶざまな格好は見せられません。実家へも、もちろん休日以外は寄らないつもりです。なんとか今シーズン中に目ハナをつけて第一線に出られるようにします。ボクの課題は、バッティングをもうすこし確実にすることと、守備をもっと固めることです。ウチには古葉さんのようないいお手本があるので、見習っています」と今年二年生の山本真は奮起を誓っている。すでに昨年、日南カープ後援会が結成され、連日のように激励を受けている。
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矢嶋勝彦

2014-03-09 20:17:35 | 日記
1967年

ノンプロの東京日産・矢嶋勝彦内野手(二二)=1メートル七五、六七キロ、右投げ右打ち=の入団が、十五日決まった。同選手はことしの秋の産別大会でダイハツの補強選手として出場、貴重な本塁打を放つなど小柄ながら攻守にソツがなく、即戦力として期待されている。

走る野球ー小玉新監督が目指す新生近鉄の姿勢は機動力を生かしたベースボールだ。ノンプロ生活四年間、一メートル七三の小兵ながら、思い切ってプロ入りした矢嶋勝彦内野手(二二)がその筆頭。ベース1周を十三秒八で走る近鉄の秘密兵器だ。

新人矢嶋が東京二回戦で途中から安井に代わって出場、攻守にハツラツとしたプレーを披露した。0-0で迎えた六回、先頭安井の代打に起用された矢嶋は2-1と追い込まれながら、三遊間内野安打、この回近鉄が一気に勝負をつける三点の口火を切った。七回にも二死から左越二塁打して二打席二安打、安井が不振に悩んでいるだけに、当分一番打者としてスタメンから出場することは間違いなかろう。六回代打に指名された矢嶋は「ハイ」と威勢のいい返事「安井さんが当たっていないから、ぼつぼつぼくの出番」とベンチ裏で素振りをつづけていたそうで、この度胸のよさは新人ばなれしている。「2-1と追い込まれたが、なんとか塁に出なければとボールに食いついて行った。せっかくのチャンスを逃しては、また当分、出してもらえませんからね」ノンプロでもまれてきているだけに、矢嶋は報道陣とのインタビューでも堂々としていた。
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荒川俊三

2014-03-09 19:59:28 | 日記
1969年

初優勝をねらう近鉄にあって秘密兵器といわれているのが荒川外野手。テストではいって三年目、一メートル六九の小兵だが、根性の強さは抜群。その根性でメキメキ頭角を現し、中堅手候補の筆頭山田をおびやかす存在だ。ところで、この荒川。捕手陣が手薄なことから、ことしの自主トレ開始の時、球団から「捕手に転向しろ」と命じられたことがある。この時点で捕手になれというのはカベになれというのと同じこと、荒川はガンとして聞かず、外野手として一層ハッスルした。三原監督も「南海の国貞のような選手になるでしょう。足が速いから、守備範囲も広いし、使いたい選手ですね」と持ち駒に加えてやり、「とうとう球団を押し切りよったな」と、球団関係者も敬服している。
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佐藤敬次

2014-03-09 19:46:31 | 日記
1969年

新人の佐藤(大宮工)が、紅白第三戦に二回だけだったが無安打に押える力投で首脳陣を喜ばせた。この佐藤敬は高校ではエースの吉沢(慶大進学予定)のかげに隠れて、あまり騒がれなかった。しかし卒業試験でキャンプ入りしたのが十二日。それからわずか十日間しかたたないのにいきなり紅白戦に起用されるほどの「素晴らしい素質」(植村コーチ)を見せたのだ。ロッテには、同性の佐藤元彦もやはりエースの渡辺(南海)の控え投手だったがプロ入りして頭角を現している。「両佐藤の育ち方がそっくりだから、面白いぞ」と植村コーチもいう。本人は「紅白戦でも別にどうということはありませんでしたが、今後はシュートを覚えたい」と言い切っていた。
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鈴木哲夫

2014-03-09 19:39:49 | 日記
1969年

六月に入って巨人から首位を奪回した大洋は五号ホーマーの福島や今井、佐藤ら中堅層の活躍が目立っている。その中でただ一人、ルーキーながら六番を打っているのが左翼手の鈴木。先日のロッテ戦(大洋多摩川)で二号ホーマーを記録したこの当りがダンプにふさわしく、左翼場外にある体育館まで飛んでいくという豪快なもの。打たれた坂井は「二軍にあんなでかいのを飛ばすのがいたのか」と驚いていたが、当の鈴木はケロリとしたもの。「高校時代(福島県猪苗代高)から二塁打以上が多かったし、ホームランは大体場外だったんですから・・」元々は投手。中学の時はスキーの大回転までやり県大会で優勝したという経歴の持主で「病気なんかしたことがない」という鈴木の体は1メートル七八、七六キロ。胸囲は108センチもあり、大柄な大洋ナインの中でも目立っている。打撃を買われてバッターに転向した組だが、いまは打席に入るのが楽しくて仕方がないという鈴木にかける期待は大きい。
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