プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

関口穣二

2014-03-10 22:40:02 | 日記
1969年

アトムズの二年生関口が、イースタンの韋駄天男として注目されてきた。二日現在、盗塁二十五個はもちろんリーグ最多。アトムズの試合数はまだ三十九試合だから、このペースでいくと、誰にも破られない記録ができそうだ。三十九年に千田(巨人)が二十三個をマークして、快足ランナーの評判を取ったあと、イースタンの盗塁王は、四十一、二年、大石(大洋、現東映、十八歳)四十二年吉田正(巨人・十九個)、四十三年才所(巨人・二十二個)とやや低調。それだけに関口の走りっぷりは派手だ。「試合ごとに自信をつけている感じ」(佐藤二軍コーチ)という関口は、一昨年攻玉社高から入団したテスト生。昨年は三十七試合に出場して二割三分三厘の低打撃しか残せなかったが、十二盗塁をマークして、足のあるところを見せている。二年目の今年は不動のトップ・バッターとして活躍、大洋五回戦では五打数五安打を飛ばすなど、攻守走にめっきり力をつけてきた有望株だ。
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細田正彦

2014-03-10 22:18:28 | 日記
1967年

細田投手といっても、知る人は少ないだろうが、山梨県市川高出身のサイドスロー投手で、ことしが三年目。小山スカウトが堀内(巨人)を見るために甲府へ行ったとき目をつけてスカウトした期待の若手である。その細田が、シーズン終了も間近の大洋戦で、プロ入り初勝利をマークした。それも代打策で途中から退いたため、ゲームセットになるまでソワソワしながらベンチで見ていたが、締めくくり役の緒方が無事にリードを守りきると、真っ先に飛び出して「ありがとうございました」と帽子を取って、ていねいに礼をいっていた。「これまでサイドハンドから投げていたんですが、スピードが足りないし、変化球のキレもよくなかったんです。中原さんにすすめられてアンダースローにしたらシュートがよく落ちるようになりました」好投の秘密をうれしそうにこう語っていたが、まだまだスピード不足は否めない。「秋季連取ではウンと走り込んで、もっとスピードをつけることが先決問題です」と来季への意欲をのぞかせていた。
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長野哲

2014-03-10 22:02:01 | 日記
1977年

・・・長野哲投手

コントロールのよさを買われて昨年はバッティング投手をつとめる日が多かったが「これも自分のため」と黙々と投げてきた。シュート、スライダーと得意のゆさぶりに今一つ鋭さが出てくれば・・・。貴重な左腕だけに楽しみだ。
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白柳和吉

2014-03-10 21:50:21 | 日記
1974年

防御率争いはトップの日ハムのルーキー鵜飼とヤクルト・井原が1点台で凌ぎを削っているが、終盤戦になって調子を上げてきたのが大洋の白柳。目下27イニング1/3で自責点3の防御率1.00と絶好調。2試合連続完封を演じ、五日の対ヤクルト十三回戦(武山)では散発3安打に抑えて2勝目を飾った。「球の切れと力は中々。制球力さえもっと付ければ一軍でも通用する」と稲川コーチ。静岡・引佐高から入団して三年目。大型投手が目白押しの投手陣の中でも1㍍83、75㌔の体は1㍍92の飯田につぐ長身。角度のある速球と落差のあるカーブは杉山、鵜沢らライバルを上回る威力がある。昨年は4勝8敗、防御率4.37だから「パク(愛称)も腕を上げたもんよ」と、ナインの評判も上々。石の上にも三年。四年目の来シーズン楽しめる一人である。
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真鍋幹三

2014-03-10 21:22:07 | 日記
1968年

ジュニア・オールスターの一員として、阪神から新人の真鍋幹三捕手(二二)が選ばれた。最近上り調子の打撃(打率二割八分六厘、本塁打三本)を買われたものだが、ジュニアとはいえオール・スター戦に出場できるのだから大喜び。「選ばれた投手の中には阪神勢がいませんが、恥しくないようがんばります」と大ハリキリである。真鍋の生れは宇部市で、実家は旅館を経営。三年前阪神のテストを受け、二年間登録外の身分でユニホームを着ていた。ところで、ことしになってやっと登録選手に加えられ、開幕早々から同じく新人の大原と捕手のポジションを争うまでに成長、それが認められてのオールスターゲームの選出である。
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石床幹雄

2014-03-10 21:05:07 | 日記
1967年

阪神の石床が、昨年安芸キャンプにはいったところ、瀬戸内海の生んだ大器と、江夏以上に話題にされたものだった。だが、一年目の成績は勝ち星なしで防御率二・三五。「昨年は投げるのが精一杯。夢中で終わってしまいました。打者の顔を正視するなんて余裕は、とてもありませんでしたが、やっといまごろは」
ふてぶてしいマウンド度胸をみせる江夏とは対照的な性格だ。この差が一勝へ到達するスピードを左右したのだろう。川崎コーチは石床に下半身を鍛えるよう命令した。走り込んでバネを強くしなければボール球が生きてこないからだ。そしてシンカーを伝授。これを決め球にしてピンチを切り抜けさせようとしている。瀬戸内の原石のまま未完の大器として埋もれるか、あるいは磨かれて宝石となるか。石床は、プロ入り初の一勝をあげた江夏の一年先輩であり、これを契機に重要なポイントを迎えたことになる。
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筧文夫

2014-03-10 12:28:23 | 日記
1975年

1㍍73、72㌔、右投右打 27.6.23生

福岡六大学リーグで47、48年に連続最優秀選手、49年には敢闘賞を受賞するなど華々しいキャリアの持ち主。典型的な中距離打者で3割7分1厘の高打率(二塁打24、三塁打5、本塁打6)をマーク。最大の魅力は盗塁数75個を誇るすばらしい脚力だ。
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佐藤龍一郎

2014-03-10 07:12:05 | 日記
1974年

まだ攻守に荒さが目立つが、なかなか楽しみな将来性あふれるルーキーである。大学(東京農大)社会人(電電東京)で常に4番を打ち「社会人1年目で4番を打つ人はそういません」と首脳陣も佐藤の今後に注目している。

1977年

こうと決めたら、納得できるまでただしゃにむに突っ込んでいくファイター。その努力は、すぐれたバッティングセンスと噛み合って確実に一歩一歩前身している。加えて俊足、強肩、めぐまれた素質は将来楽しみだ
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