プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

鎌野裕

2014-03-13 22:33:04 | 日記
1973年

日大藤沢高ー関東学院大ー日本楽器
妻 晴美
1㍍77 80㌔ 右投右打

新婚。いくら投げてもこわれないタフな男。根性もなかなかのもの。サイドハンドのクセ球で球質が重い。

1試合0勝
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上森合直幸

2014-03-13 22:28:59 | 日記
24.8.5生

岩手西山中ー日特金属工業
1㍍73、73㌔ 右投右打

・軟式出身の変わり種。球筋が定まっていて、バッティング投手としては最高。主力打者のよき調整役である。

・フリーバッティング投手の親分。一時間でも投げるスタミナは陰の大きな戦力だ。
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国岡恵治

2014-03-13 21:55:15 | 日記
1970年

阪急の国岡恵治投手(十八)=鴨島商=には梶本二世の期待がこめられている。そのスケールの大きさはスカウト間で定評があったし、一八二センチの本格派左腕に対し「太田(三沢高ー近鉄)や西井(宮崎商ーアトムズ)より将来性の点ではむしろ有望」の声さえ上がっていた。徳島県鴨島商といえば中央球界では知られていない無名校。そのチームを背負って立った国岡は四番、エースとして一昨年夏甲子園進出を果たしている。昨年夏は南四国大会決勝で惜敗したものの、身上の剛速球に「カジ(梶本)が入団したときのようにスケールが大きい。ウチは巨人を倒す大目標があるし、三輪田(大昭和)と並んで国岡に期待している」交渉にあたった藤井スカウトのことばが七十年代のホープに贈るお年玉であろう。
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浜名敏幸

2014-03-13 21:40:22 | 日記
1975年

昭和31年6月17日生
大分県臼杵市 臼杵商高校
1㍍80、75㌔ 右投右打

高校在学中は定岡(鹿児島実)、堂園(鹿児島)の陰にかくれてはいたがその実力は専門家も認めている。南九州三羽ガラスの一員でスピードを身上とする本格的な投手。九州男児としての独特のよい根性をもち足の速さもすばらしいものをもっている。投手で脚力が秀れているということは先天的なもので下半身が安定していることが実証される。左の岡本との先陣争いに希望が持てそう。
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堀田明

2014-03-13 21:27:39 | 日記
1966年

ノンプロ日本新薬にいたとき、積水化学に補強され、夏の都市対抗大会で大活躍。決勝戦では産経の佐藤進(当時富士鉄室蘭)から決勝の左中間二塁打を奪っている。一回戦では中日・小川健(当時熊谷組)から右中間にタイムリーしたり、勝負強さではそのころから目立っていた。大阪の興国商業学園で、はじめ投手と一塁手をこなし、外野手一本になったのは二年生の春から。三年生のとき、春の選抜大会で甲子園に初出場、一回戦で強豪坂出商とぶつかって、延長15回、4時間以上の大熱戦のすえ敗れた。関大では藤井(阪神)の一年後輩。4年の秋、卒業試験でろくに練習もしていないときに臨時に四番を打たされたが、13試合に2ホーマーをふくめ3割2分をマーク。関西六大学リーグのベストテン七位にはいった。関大では文学部新聞学科をえらんだ変わりダネ。西部劇の大ファンだが、出演の映画俳優などまるで覚えていないという大まかなところがある。
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一ノ関英徳

2014-03-13 21:15:04 | 日記
1971年

あくまで将来に期待がかけられた左腕投手。東北人特有のネバリ強さで練習には黙々と取り組む。今シーズンはイースタン・リーグで実績を残すことが、自分で道を開くことになる。たとえバッティング投手でも買ってでて、コツをつかむのが必要。
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宮脇敏

2014-03-13 21:06:13 | 日記
1973年

前期は一軍についてバッティング投手をしていたが、リストワークがよく、将来が楽しみ。ストレートとシュートが武器。
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詫摩和文

2014-03-13 20:40:59 | 日記
1969年

鹿児島県下では中西二世と呼ばれ「二、三年先にはウチの中心バッターになれる」(別所監督)と期待を集めながら、ことしの佐伯キャンプ(二月二十五日)で連係プレーの練習中、奥宮捕手と激突、右足首骨折で全治三カ月の重傷を負ったアトムズのルーキー詫摩が、六月の声を聞いてようやく復帰した。武山のロッテ九回戦(武山)でいきなり四番、左翼手として登場。まだ余り無理が効かないため、一打席打っただけですぐに松屋と交代したが、強打の詫摩の復活には首脳陣はじめ、獲得に奔走した宇高スカウトもホッとした表情。詫摩は昨年のドラフトでアトムズが第三位に指名、「リストの強さとバッティングのうまさは超高校級」と定評があった有望株。一年目のキャンプでいきなり重傷を負ったルーキーも珍しいが、それだけに詫摩の再起への意欲は大変なもの。「大事なキャンプ、それも終わり頃になって大ケガするなんて・・・あの時は本当に情けなかった。でも、ようやくバットも振れるようになったのでこれからブランクを一気に挽回します」と明るい顔つきだ。
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渡辺一夫

2014-03-13 20:28:21 | 日記
1968年

連覇をめざす阪急ブレーブスに新入団の渡辺一夫(右投右打)はいままで名のある大会出場の経験がなく、あまり球界には知られていなかったが、今夏仙台地区予選で相手高を16奪三振、ノーヒット・ノーランにおさえる活躍をし、がぜんスカウト連の目を見張らせた「カーブは曲がらないからあまり投げないがストレートは自慢できます」と何も臆せずにいってのけるところなど首脳陣のいう「将来チームの大黒柱として働ける力を持った投手に間違いない」ということを裏付けている。
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