プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

若生和也

2014-03-14 23:35:26 | 日記
1967年

今秋、後楽園球場で行われたノンプロ産別大会が終わって間もないときのこと。小川投手のもとに、立正佼成会の若生投手が訪れた。「小川さん、折り入ってのお願いですが、ボクは中日に入団できませんでしょうか」「ウン、そうだな。この間、産別大会をちょっとのぞいて、君のピッチングを見せてもらったけど、まあ君の球威なら、なんとかいけるだろう」「ハァ、そうですか。では先輩、本当によろしく頼みます」こうして小川投手のあっせんがモノをいって、ドラフト会議で若生の名前が中日のリストに書き込まれ、晴れて入団が決まった。入団発表のとき、わざわざ席上に現れた小川が、若生をとらえて「これで安心したらあかんゾ、本当の出発はこれからなんだ」と先輩らしく、こまごました注意を与えていた。そのなかで、とくに小川が注意したのは一つに、絶対に最初から登板しようなんてあせってはいいけないこと。二つは、プロはきびしい。ノンプロでの自分のいいもの。(若生の場合は伸びのある外角速球)長所を伸ばし、欠点を全部、捨ててしまうことの二点だった。「あいつなら、将来、第一線での登板にタイコ判が押せる」という小川はさらに「いま七十七キロもあるが、そんなに腹が太ってちゃダメだ。オレはいま六十八キロ。もっと体を鍛えるんだな」というのを、若生は神妙な顔で聞き入っていた。この小川は、立正佼成会の出身。四十二年で同野球部が解散したため、若生につづいて監督の金博昭外野手も、代打要員としての入団も決まり。これで立正佼成高中退の相川とともに、チームには立正佼成会出身が四名もそろったわけだ。立正佼成会の四人組の親分格小川とともに、来季が注目される。
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関口穣二

2014-03-14 22:47:15 | 日記
1969年

チーム成績は四位だが、一軍のザル内野と違って、アトムズで評判なのが、井上、関口の三遊間コンビ。打順も一、二番なら、ともにテスト生出身というのも異色。十一日現在、二人で三十二盗塁をマークして盗塁王を争っており、攻守走に格好のライバルになっている。一年先輩でプロ入り三年目の井上のほうは、年々腕を上げて「守備だけなら一軍で十分通用する」(佐藤二軍コーチ)ほどになっているが、二年目の関口も先日の大洋戦では、五打数五安打(1イニング二安打)するなど、なかなか鋭いバッティングを見せている。1メートル七九、七二キロと、内野手としてはピッタリの体つきなのも有望株らしい。関口は「とにかく試合に沢山出ることがボクの夢。今は野球が面白くてたまりません」と大張り切りだ。昨年テストで入団した同期生は十五人だったが、一年過ぎた現在はそのうちわずか六人しか残っていない。またテスト入団した選手は70番以上の背番号をつけて区別されているが「早いとこいまの80番を60番以下の背番号に変えたいですネ。頑張ります」と関口はテスト生出身のスター、野村(南海)小山(ロッテ)を夢見て励んでいる。
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加藤良治

2014-03-14 22:15:28 | 日記
1980年

昭和35・12・13生 175㌢ 68㌔ 右投右打

九産大附高時代、夏の甲子園に出場。通算打率三割八分をマークし、二年生のとき、福岡中部地区で遠投120㍍を投げた無類の強肩。超高校級のパワーがある。
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河守峰男

2014-03-14 22:10:02 | 日記
1976年

プロで自分の力をためしてみたい。こう云って草薙のキャンプに参加、見事首脳陣の目にかなって入団した河守選手である。小柄ではあるが根性はなかなか立派、左腕からくり出す速球も威力があり、極めて面白い存在である。精進一つで一軍の試合も夢ではなく、今後の努力に大いに期待したい。
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米谷延夫

2014-03-14 21:47:58 | 日記
1975年

近代時代、オールジャパンの一員に選ばれ、社会人野球(大昭和富士)ではベストナインに3回選ばれたという好打者。社会人生活も体験しているだけにこの社会での在り方に対する心構えも十分できている。キャリアーも豊富だし数少ない捕手陣にあって稀少価値がある。キビキビとした文句ない捕手タイプ。どこまで伸びるか楽しみの持てる新人だ。
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三好幸雄

2014-03-14 21:34:13 | 日記
1968年

三好投手は、どちらかといえばパッとしない、見ばえのしない投手。他球団の打者の印象は薄いはずだが、相手に回すとこれほど打ちにくい投手はいないらしい。「トニー。お前の顔を見たら、他のチームの打者が闘志を失うのと違うか。意気込んでボックスに立っても、マウンド上のピッチャーを見たら、ヌーッとしとったら、力抜けるよ。ほんとに・・・」こういって冷やかされても三好は平気な顔。「これは親譲りの顔だから、もうどうしようもないよ。相手が闘志をなくせば、儲けもの。それがこっちのつけ目さ」とニヤリとして見せた。あとひとりの打者を打ち取れば、大羽が勝利投手というところで、三好がリリーフを命じられたことがあった。三好はいつもと変わらぬ表情でマウンドへ。そうして、カーブとシュートでゆさぶった挙句、大胆にもストレートを決め球にしてピンチを切り抜けた。三好は、吉川英治の「宮本武蔵」の愛読者であって「ボクなんかまだまだですが、あの本を読んで無心に勝利ありという剣の心が、わかったような気がします」といっている。トニーというバタくさいニックネームに似合わず、その中味は、なかなか日本的なものを持っている三好である。
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長田裕之

2014-03-14 21:24:08 | 日記
1967年

長田が十日の南海戦で五勝目をあげた。開幕直後、好調のスタートを切り、トントン拍子で四勝をあげた長田が調子をおとしたのは夏場にはいってからで、ノラリクラリのカーブ、シュートでゆさぶるのが身上のピッチングだが、肝心のストレートが夏バテからさっぱり走らなくなったのがその原因。しかし、十日の南海戦では、そのストレートに威力があり、勝負どころで投げるシュートの切れも鋭く、五回三分の二を二安打一点に押える見事なピッチングだった。「九月いっぱい二軍で練習していたんだ。ことしはもうお呼びじゃないのかなと半分あきらめていたら、きのう急にベンチ入りをいわれた。このままシーズンに終わったらもうおしまいだと思ったから、このチャンスをつかむのに必死だった」十年選手らしくもなく、長田は流れる汗をふくのも忘れて興奮気味。過去九シーズンで三勝が自己最高だが、それを上回る五勝目をつかんだのだから興奮するのも当然の話。「これで来年も野球が出来るかな」と長田はホクホク顔だった。
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川内雄富

2014-03-14 21:16:34 | 日記
1967年

「川内ね。聞いたことのない名前だがどんな選手だい」下関球場で一番レフト川内と先発メンバーのアナウンスが行われると一塁側大洋のベンチは、一瞬ざわめいた。はじめ大洋側は当て馬と考えたようだが、当て馬はこんどの規約改正で、一度は打席に立つか守りにつくことになっているため、どんな選手が出てくるか、広島の攻撃を待った。ところが、ヒットにこそならなかったが、いきなりいい当りを放ったから二度びっくり。「なかなかいい振りをしているんじゃないか、鍛えればよくなる」という声も出たほどだった。川内は広陵高二年を中退、広島の新人テストで採用されたプロ入り二年生。昨シーズンも終盤に代打で起用され、今シーズンも、対産経四回戦の六回、一死一、二塁の好機に代打で起用され、三塁手城戸を誤らして内野安打を放っている。しかし、他球団にとっては無名の新人に等しい存在だ。長谷川監督は、川内を起用している理由を「あれは練習でもいい当りを放つし、振りがいいが、何よりも勝負強いのがいい。大事な場面でも気遅れせず、かえってハッスルするその根性、粘り強さを買ったんだ」と語っている。確かに二十歳そこそこの少年に似ずシンの強いところを持ち合わせている川内だが、長谷川監督の親心があるのは見逃せない。それというのも、川内は、両親がなく、おばあちゃん子。祖父母がわが子のようにかわいがっているが、ことしになりおじいさんがめっきり老衰してきたため、孫の晴れ姿を見たいと口グセのようにいっていると聞き、それでは進境著しい川内を使ってやれと思っているフシがあるからだ。長谷川監督の親心を知ってか知らずか、川内は意欲満々だ。「ボクは、いままで強肩だけが取り柄でしたが、それも遠投が正確ではなく期待にそえませんでしたが、せっかくのチャンスを逃さないように全力をあげてやります。それが亡くなった母の供食でもあり、祖父母への孝行だと思っています」ある無名選手の活躍の陰で、美談の花が咲いていた。
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