1967年
今秋、後楽園球場で行われたノンプロ産別大会が終わって間もないときのこと。小川投手のもとに、立正佼成会の若生投手が訪れた。「小川さん、折り入ってのお願いですが、ボクは中日に入団できませんでしょうか」「ウン、そうだな。この間、産別大会をちょっとのぞいて、君のピッチングを見せてもらったけど、まあ君の球威なら、なんとかいけるだろう」「ハァ、そうですか。では先輩、本当によろしく頼みます」こうして小川投手のあっせんがモノをいって、ドラフト会議で若生の名前が中日のリストに書き込まれ、晴れて入団が決まった。入団発表のとき、わざわざ席上に現れた小川が、若生をとらえて「これで安心したらあかんゾ、本当の出発はこれからなんだ」と先輩らしく、こまごました注意を与えていた。そのなかで、とくに小川が注意したのは一つに、絶対に最初から登板しようなんてあせってはいいけないこと。二つは、プロはきびしい。ノンプロでの自分のいいもの。(若生の場合は伸びのある外角速球)長所を伸ばし、欠点を全部、捨ててしまうことの二点だった。「あいつなら、将来、第一線での登板にタイコ判が押せる」という小川はさらに「いま七十七キロもあるが、そんなに腹が太ってちゃダメだ。オレはいま六十八キロ。もっと体を鍛えるんだな」というのを、若生は神妙な顔で聞き入っていた。この小川は、立正佼成会の出身。四十二年で同野球部が解散したため、若生につづいて監督の金博昭外野手も、代打要員としての入団も決まり。これで立正佼成高中退の相川とともに、チームには立正佼成会出身が四名もそろったわけだ。立正佼成会の四人組の親分格小川とともに、来季が注目される。
今秋、後楽園球場で行われたノンプロ産別大会が終わって間もないときのこと。小川投手のもとに、立正佼成会の若生投手が訪れた。「小川さん、折り入ってのお願いですが、ボクは中日に入団できませんでしょうか」「ウン、そうだな。この間、産別大会をちょっとのぞいて、君のピッチングを見せてもらったけど、まあ君の球威なら、なんとかいけるだろう」「ハァ、そうですか。では先輩、本当によろしく頼みます」こうして小川投手のあっせんがモノをいって、ドラフト会議で若生の名前が中日のリストに書き込まれ、晴れて入団が決まった。入団発表のとき、わざわざ席上に現れた小川が、若生をとらえて「これで安心したらあかんゾ、本当の出発はこれからなんだ」と先輩らしく、こまごました注意を与えていた。そのなかで、とくに小川が注意したのは一つに、絶対に最初から登板しようなんてあせってはいいけないこと。二つは、プロはきびしい。ノンプロでの自分のいいもの。(若生の場合は伸びのある外角速球)長所を伸ばし、欠点を全部、捨ててしまうことの二点だった。「あいつなら、将来、第一線での登板にタイコ判が押せる」という小川はさらに「いま七十七キロもあるが、そんなに腹が太ってちゃダメだ。オレはいま六十八キロ。もっと体を鍛えるんだな」というのを、若生は神妙な顔で聞き入っていた。この小川は、立正佼成会の出身。四十二年で同野球部が解散したため、若生につづいて監督の金博昭外野手も、代打要員としての入団も決まり。これで立正佼成高中退の相川とともに、チームには立正佼成会出身が四名もそろったわけだ。立正佼成会の四人組の親分格小川とともに、来季が注目される。