1967年
「大きな体の割りに腕の振りが小さく、ピッチング全体が縮こまっているのは損」という理由から、三年目の今シーズンは、開幕から一軍を離れ、下手投げのフォーム造りに懸命の新治投手。三試合目の登板(四日、対東京六回戦大洋多摩川)で転向後、初めて勝利投手になった。投球内容は先発で6イニング投げ、打者二十人にヒット二、三振四、四死球0、失点0と文句のないもの。だが、まだボールの離す位置が一定せず、この日の球種はストレートとカーブだけで、カウントが悪くなると、「四球を出すのが恐くてついつい横手から投げて手加減した」という。この新治、大学時代は横手投げぎみのスリークォーター、昨年一時、オーバーハンドに転向し、今年の下手投げで都合三度目のフォーム替えだから、自分のピッチングを掴めないのも、無理はないが、「下手に変って、うんと腰を使うようになったので、三、四回で球のキレが悪くなるような事はなくなった。課題は多少浮いて、高いボールになる球があるので、これを直した」と連日、多摩川の暑い日ざしにめげず、意欲的な練習を続けている。入団一年目の一昨年五勝二敗、昨年は四勝四敗で終わった新治だが、今年は「井手(中日)と一度投げ合いたい」と目を輝かせていたものだ。「駄目ならさっさと野球を止めてエリート社員(大洋漁業本社経理部)になればいいんだから、楽なもの」という周囲のやっかみ半分な声を見返すためにも下手投げ投手としてさっそうとカムバックして欲しいもの。
「大きな体の割りに腕の振りが小さく、ピッチング全体が縮こまっているのは損」という理由から、三年目の今シーズンは、開幕から一軍を離れ、下手投げのフォーム造りに懸命の新治投手。三試合目の登板(四日、対東京六回戦大洋多摩川)で転向後、初めて勝利投手になった。投球内容は先発で6イニング投げ、打者二十人にヒット二、三振四、四死球0、失点0と文句のないもの。だが、まだボールの離す位置が一定せず、この日の球種はストレートとカーブだけで、カウントが悪くなると、「四球を出すのが恐くてついつい横手から投げて手加減した」という。この新治、大学時代は横手投げぎみのスリークォーター、昨年一時、オーバーハンドに転向し、今年の下手投げで都合三度目のフォーム替えだから、自分のピッチングを掴めないのも、無理はないが、「下手に変って、うんと腰を使うようになったので、三、四回で球のキレが悪くなるような事はなくなった。課題は多少浮いて、高いボールになる球があるので、これを直した」と連日、多摩川の暑い日ざしにめげず、意欲的な練習を続けている。入団一年目の一昨年五勝二敗、昨年は四勝四敗で終わった新治だが、今年は「井手(中日)と一度投げ合いたい」と目を輝かせていたものだ。「駄目ならさっさと野球を止めてエリート社員(大洋漁業本社経理部)になればいいんだから、楽なもの」という周囲のやっかみ半分な声を見返すためにも下手投げ投手としてさっそうとカムバックして欲しいもの。