プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

新治伸治

2014-03-16 22:49:47 | 日記
1967年

「大きな体の割りに腕の振りが小さく、ピッチング全体が縮こまっているのは損」という理由から、三年目の今シーズンは、開幕から一軍を離れ、下手投げのフォーム造りに懸命の新治投手。三試合目の登板(四日、対東京六回戦大洋多摩川)で転向後、初めて勝利投手になった。投球内容は先発で6イニング投げ、打者二十人にヒット二、三振四、四死球0、失点0と文句のないもの。だが、まだボールの離す位置が一定せず、この日の球種はストレートとカーブだけで、カウントが悪くなると、「四球を出すのが恐くてついつい横手から投げて手加減した」という。この新治、大学時代は横手投げぎみのスリークォーター、昨年一時、オーバーハンドに転向し、今年の下手投げで都合三度目のフォーム替えだから、自分のピッチングを掴めないのも、無理はないが、「下手に変って、うんと腰を使うようになったので、三、四回で球のキレが悪くなるような事はなくなった。課題は多少浮いて、高いボールになる球があるので、これを直した」と連日、多摩川の暑い日ざしにめげず、意欲的な練習を続けている。入団一年目の一昨年五勝二敗、昨年は四勝四敗で終わった新治だが、今年は「井手(中日)と一度投げ合いたい」と目を輝かせていたものだ。「駄目ならさっさと野球を止めてエリート社員(大洋漁業本社経理部)になればいいんだから、楽なもの」という周囲のやっかみ半分な声を見返すためにも下手投げ投手としてさっそうとカムバックして欲しいもの。
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大隅正人

2014-03-16 19:29:46 | 日記
1968年

サッポロビールの二年間の成績が、二十八勝七敗で、昨年の東京大会では春秋二季にわたって優秀投手に選ばれ「貴重な左の本格派。とくに右打者の内角へ食い込む速球の威力は抜群。一軍で活躍するのは時間の問題だ」と入団当時、首脳陣にべたぼめされた巨人のルーキー大隅が、一軍入りどころか、投手失格第一号で、いまは一塁手で再出発をバットにかけている。ノンプロの優秀投手がさっぱり通用しないのはこの大隅だけに限ったことではないが、大隅は今春のスタート当時からすでに「将来性なし」の烙印。三月中旬に行われた広島との若手のオープン戦(日南)で僅か二回で大量10点をとられたのが失格へのすべり出し。イースタン開幕後も同じルーキー山内(三菱重工)、板東、宇佐美らに先を越され、とうとう六月五日の東映四回戦(東映多摩川)で打者二人に四球二というリリーフを最後に投手を断念、以後は左打ちを生かして一塁手で出たり引っ込んだり。終盤に入って八番を打ったり六番を打ったりしているが、最近五試合の成績は十二打数三安打の一打点。過去、巨人からは投手から転向して成功した選手に王、柴田、国松らがいるが、この大隅がうまく転身できるかどうか。
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古屋哲美

2014-03-16 18:44:23 | 日記
1971年

アンダースローだが打者にこわさを与えるものがない。力をつけ、荒っぽいピッチングをすれば活路が開けるかもしれない。打者の手もとでホップするような球を身につけて欲しいのだがー。
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長持健一

2014-03-16 18:36:49 | 日記
1969年

長持健一投手といえば、昨年暮れのテスト募集で見事パス。伊東キャンプでは初めて硬球を握り、土橋コーチからカーブの投げ方を教わり、紅白戦では二回を好投。一躍、土橋二世として騒がれた投手だ。そればかりかマスクもアラン・ドロンばりに甘く、松木監督をして「たとえ野球でめしが食えなくなっても東映映画で十分通用するな」と変なほめ方をされた当人。戦後の急映フライヤーズで活躍したホームラン打者モッちゃんこと長持栄吉氏(現大宮教育委員)の甥であることはよく知られているがこの長持は野球選手には珍しい趣味を持っている。本人の口からいわせれば「宇宙科学、戦争、兵器、米ソ月旅行の競争などなんでもわからないことがあったら、ボクのところに聞きにきてください」とベテラン記者、先輩選手の前で厚い胸をポンとたたき大変な自信。先ごろ行われたアポロ10号の月面接近に成功のニュースも「なま中継を夜中の二時過ぎまで見ていた」というほどの凝り屋だ。「今度のアポロ十一号で、一番難しいのは着陸してから再び地球に出発するときのロケットの逆噴射がうまくいくかどうか・・。失敗するとしたら、これですよ」と専門用語まで取り入れて、いっぱしの科学評論家気どりである。
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高垣義広

2014-03-16 11:10:07 | 日記
1969年

目下の首位打者が今井(大洋)なら、投手の防御率トップも大洋の高垣。登板八試合で無得点勝ち1を含め目下六勝無敗という好成績「昨年の淵上さんに続き防御率第一位のタイトルを取りたい」と張り切っている。高垣は鳥取西高から入団した三年生。入団一年目の四十二年十三試合に登板。真っ向から投げ下ろす速球を武器に中日戦で一勝を上げ「二、三年先が楽しみなルーキー」とその将来性を高く買われたものだが、二年目の昨年は専らファーム暮らし。イースタンでも三勝一敗(防御率二・六五)と振るわなかった。今年は現在、一軍でも六試合に救援投手として登板しているが、鬼頭と並び二軍でめっきり腕を上げた組だ。「スピードに自信を持ったこともあるけど、制球力がよくなって
集中打を浴びなくなったのが好調の原因」と首脳陣もその成長ぶりを認めているが、いまの自信が実を結べば、一メートル七八、七五キロと体力にも恵まれているだけに来季が楽しみな本格派といえそう。
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中原勝利

2014-03-16 10:56:31 | 日記
1969年

大橋と並んで、三塁定着が確実視される中原(九州電電)は、早くもチームの人気者になっている。先日二十七日の神宮で行われたオープン戦の産経二回戦では九回、それも二死一、二塁に、藤原から左中間に二点タイムリー打して五点の大きなビハインドをはね返す貴重な口火を切った。これには松木監督も「逆転勝ちのヒーローだ。これまでパッとしなかったが、このタイムリーで本人がつかんだ自信は大きかっただろう」と大喜び。それまで、三塁は打力のある松村が一歩リードしていたが、松村には守備が悪いという欠点があった。中原に打力がつけば、松木東映の穴は一挙にふさがるわけ。話は古くなるが、伊東キャンプ早々、松木監督は、この中原をピッチャーと勘違いしていたというから傑作だ。「いやに顔つきはいかつくて頼もしそうだが、背番号8をつけているピッチャーなんておかしいなと思ったよ」松木監督は、二、三日後中原のサク越え大飛球のフリーバッティングを見て、こう苦笑いしていたものだ。入団当初は西郷さんのニックネームがついていたが、いまでは同郷出身(鹿児島市)の人気コント55号の坂上二郎にうりふたつなところから二郎さん。九州電電で六年間プレーしていたため当年とって二十五歳で独身の九州男児。目下多摩川の合宿で四畳半住まいだが「純情で素朴な娘さんがいたらいつでも結婚・・」と募集中だそうだが、その実野球が忙しく当分デートするひまもないようだ。今シーズンはスマートな東京っ子の大橋と対照的に野武士づらの九州男児二郎さんのかっこいいバッティングが、東映のフレッシュな売り物となりそうだ。
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松浦信吉

2014-03-16 09:19:42 | 日記
1968年

このほど、ファームの松浦選手が自由契約になった。シーズン終了も間近になり、秋風の立ちはじめる頃ともなれば整理シーズンだが、この松浦の場合は実力もだが、整理された理由が私生活面の乱れというのだから、少々事情は違う。南海のファームは、このところ私生活面の乱れから整理され、球界から消えていく者が後を絶たない。昨シーズンは栗崎、羽村両選手が、そして今シーズンは藤田がともに自由契約となった。昨シーズン、前記二人の犠牲者を出したときから、合宿の風紀問題がやかましくいわれ、球団でも監視の目を光らせてはいたが、それでも藤田についで松浦と二人もの犠牲者が出てしまった。松浦は投手として入団、恵まれた体から一時は将来を嘱望されていたが、ここ数年は鳴かず飛ばず、バッティング投手から、昨シーズンはついに中谷コーチが、腕っぷしの強いところを見込んで打者に転向させた。しかし、野球よりも遊びのほうに身が入り、あげくのはては合宿の風紀を乱したことが理由で、首切りとなってしまった。南海のファームといえば、かつては野村、広瀬で代表されるように好選手を数多く輩出したことで有名だったが、最近ではこの種の整理選手を出すことで定評がある。チームのちょう落もここらあたりに原因があるようだ。
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