プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

渡辺省三

2016-08-06 13:21:55 | 日記
1954年

渡辺投手は一見平凡らしいが、よくみると多くの特長をもっている。第一に「東の大友」に対し「西の渡辺」この二人こそ「軟式野球で認められた双璧」である。第二にかんたんに大胆に投げこむピッチングのどこに大打者の苦しむ秘密があるかちょっとわからないこと、第三に三者三振にうちとっても、無死で二塁打をたたかれても同じ顔つきをしているし、大切なときに塁上で従死しても、ヒットを打ってスタンド全体がわいても打った渡辺はだれが打ったのかといったそしらぬ面持ちで心もち内またの走り方で静かに一塁につき、次の打者をみている。どこに闘志がひそんでいるのか、神経が太いのか、それとも気は小さいが、表情に出さないのか、考えてみるとなかなか特長が多い。朝鮮の古都であり、今や北朝鮮の首都である平壌生まれ、十二歳まで牡丹江の流れをみて暮らし、愛媛県の西条市に引き揚げて野球をおぼえたのであるから、渡辺の身についているのは「四国の野球」である。西条中学で軟式野球、倉敷レーヨンに入社し「軟式の投手、二年目に硬球チームになって渡辺も硬球を握ることになったが、前途に望みをもって二十七年春タイガース入りしたのが球歴であるから硬球握って今年で四年目の投手、二十八年二軍から昇格。登録され十勝十一敗、防御率2・86でリーグの十二位(阪神では藤村に次いで二位)その十勝のうちには、巨人に三勝、中日に一勝という金星がはいっている。全く無名の新人でありながら「大試合用の投手」今年はさらにその才能をのばし十日現在で十勝十一敗、その中には巨人に二勝の金星が入っているし、対巨人戦というと登板する実力投手にのし上がってしまった・・・がそのたねは?投法は上手投げとスリー・クォーター、外角と内角を変わった球質でうまくついてくるのが案外カーブを多投する。外角を攻めるカーブは曲がりが小さいので効果が多い。その球にまぜて外角をつく直球が自然スライダーになるので打者としては相当な警戒をしている時天ぷのシュートでさっと内角をついて凡打させている。これがウィニング・ショットになっていると思う。そのシュートが落ちるとシンカーまがいの球質になり「飛ばない球」の一つになっている。ただし今年はこの球を使う数が減り内、外角へふわりときめるスローカーブを少し用いているが、内角へ落ちながら入るスローカーブはいいコースになっている。しかし驚くほどのスピードもカーブももっていないのであるから、シュートが甘くなれば危ないと気づいたのか、ナックルの研究をしているらしいからあるいは時に用いているのではないかと思う。目標は藤本投手の全盛時代といっているから藤本のスライダーとフォーク・ボールに対しスライダーとナックルを身につける方針かもしれない。四球を出した時、少しおもしろくもない表情をするだけで気も強い。やはりコントロールと投手守備この二つを完全にすることが大投手への道であろう。

渡辺投手
中沢さんは僕のピッチングをだいぶ買いかぶっているようだ。僕は全体にもう一ケタレベルが低いと思う。まず球速もAの下ほどはない。僕自身が採点すればBの中だと思う。コントトールはBの下がついているが、まあこんなものだろう。チェンジ・オブ・ベースは去年よりは自信がもてるようになってはいるが、まだ採点以前、ウイニング・ショットのAの下はつけすぎだ。今年はカーブをマスターしてこれを有効に使っている程度で、これまで極め球にしていたシュートは自分でも感心したものではなかった。守備のBの下は申し分?ありません。自分でもなぜ下手なのかわからないぐらいです。度胸はAの下になっていますが、もしこの採点どおりの度胸があれば、もっと勝ち星がかせげています。研究課題にコントロールと守備を指摘されてますが、終わったときフォームがなめらかでなく突っ立ているので「もつとねさせ」とよく注意される。ここらを改良するとよくなるのかもしれない。もともと身体が固くやわらかくすることが念願です。巨人の藤本投手を目標にというのはその巧味を見習いたいのです。
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馬場正平

2016-08-06 11:46:19 | 日記
1954年

十六歳で身長六尺三寸四分、体重二十三貫という怪童が来春からジャイアンツのユニホームを着る。このほど読売巨人軍と正式に契約し、さきに発表された新潟県立三条実業高校二年生馬場正平投手である。両リーグ十四球団の選手のうち現在一ばん大きいのは六尺三寸二十八貫のスタルヒン(高橋)で、それにつづく代表的巨人選手といえば別所(巨人)金田(国鉄)杉下(中日)梶本(阪急)ルイス(毎日)あたりだが、この怪童、体重ではスタルヒンにおとるが、身長では四分のうえ。しかも昭和十三年うまれの十六歳だから、これからグングン大きくなることを思うと、威風あたりをはらってマウンドを圧する日が思いやられる。三条市四日市で青物商をやっている馬場一雄さん(66)の次男で、二年生になったことしの春から投手としての練習をはじめた。全国高校選手権の県予選一回戦では長岡高に、秋の北信越大会では長岡工にそれぞれ1-0で惜敗したが、これはワンマン・チームの悲しさ。野球生活第一年度の黒星は結局このふたつで、馬場君の戦績は十四戦十二勝、五月の対新津高の試合で十八本の三振をとったのが最高記録だ。一試合の平均は奪三振7-8、被安打2-3、与四球1-2というところ。手のひらのながさが九寸(国鉄の金田投手は七寸二分)もあるので、ボールはすっぽり手のなかにかくれる。だからスピードはそれほどではないが、コントロールはよく、球はべらぼうに重い。パッとひらいた右手をみると普通なら指先にあるはずのボールダコが第二関節にあるこの巨体をささえる足と腰はたくましく、その足の大きさは「十四文甲高」という力士ハダシのすばらしさ。ところがなやみは野球ぐつで、ほかの選手は千九百円のやつですむが、馬場君のものは五、六千円以上もする。スパイクの金具も皮革も特別注文しなければならないからである。三条は、元横綱羽黒山の郷里の下車駅であり、隣接の燕市からは吉葉山道場にいる相場山(秋場所の三段目優勝)もでているので、相撲部屋でもみのがすはずはなく、相場山が口説きにきたのは数知れず、また千代ノ山もさる九月二十八日三条で巡業したとき、みずから会見を申しいれたが、それと知った同君はわが家をぬけだしメシも食わずに逃避したほどの相撲ぎらい。だが、羽黒山のエラさには心勝して「野球界の羽黒山」になりたい・・・というのが念願だ。この話をつたえきいた巨人軍では谷口コーチを三条に出張させ、元早大の源川栄次投手も立合ったがたった三球投げただけでOKーになったというたのしめるさき物である。父一雄、母みつ(58)よし(32)愛子(20)さんと長姉のムコとその子供がふたりの八人暮らし。長兄の正一さんは生きていれば三十六だが、太平洋戦争で戦死(ガダルカナル)した。父親は五尺二寸、母親はもっと小さいが、おじいさんが六尺あったというからその血をひいたのだろう。
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権藤正利

2016-08-06 11:01:11 | 日記
1954年

去る二月のすえ長崎のトレーニング・キャンプを訪ねたとき、いきなり「権藤君、今年は何勝ぐらいあげるつもり? 」とやってみたら少しもためらうところなく「25勝したいです」と答えた。この答えこそまっすぐでしかも勝負強い権藤の性格をさらりと写したものでまことに気持がいい。小りこうなものは「まだ新人ですから一戦、一戦全力をつくすつもりです」などと、けなげぶったことをいう。そうかと思うと「若いものはほめてはいけない、てんぐになる」などと知ったかぶりするものもいる。技術の分析、解明には新人も古豪もない。十九歳の少年力土安念山も入幕すればジャーナリズムにのり、十九歳の権藤正利もプロ入り一年でリーグの第十位を占める古豪梶岡、高野、真田、大島、江田のうえにすわれば、その技術と度胸に対し相当の評価をするのが正しい批判であろう。権藤は鳥栖で中学を出て柳川商高に進んで投手になり二十八年ロビンス入りしたのだから投手としては今年が五年目。二十歳になったばかり五尺八寸、十六貫少しという長身な左投手。身体全体が筋肉質で腰から下が長く天賦の強肩、球が速く腰がよくまわるのでカーブの角度もいい。柳川時代に九州の三振奪取王などとさわがれたもの低目速球を二つ投げこんで、きめ球のカーブをするどくぶちこめばたいていの高校選手が三振したためである。権藤はこの力の投球を臆するところなくプロ野球でやってのけ五月三日、対巨人戦に勝利投手となったのだからその球威、球質は一流のもの。しかるに権藤は「巨人に勝ってプロ野球のこわさ、打力の強さがわかってきた」といっていたのも実感でいい告白だ。勝って知る技術の深さ、これこそ競技人として一歩前進したことになる。そして得たものは15勝12敗、防御率2・77(十位)という目覚ましい成績。今年25勝くらいねらうのは当然、その闘志こそ技術の進歩に拍車をかけるものである。しかし今年の松竹はあまりにも弱い。投手の援護力であるチーム打率も二割三分そこそこ、足の速い選手も少ないし速効的作戦もみられない。オールスター・ゲームで堂々たるピッチングを見せたペナント・レースで好投している権藤も二十九日現在まだ9勝しかあげていないがこの苦闘の間、投球術は目覚ましい進歩をとげている。上手投げとスリー・クォーターで投げる内角への速球もコースがよくなり球威がついてきた。またシュートのコントロールもよくなったし、ときどき操作するナックルも効果が見えてきた。しかしなんといっても「わかっていながら・・・してやられる」と一流打者を嘆かせているカーブの角度とコースがよい。あのカーブが真ん中から手もと、あるいは外角いっぱいに(右打者の場合)にきまるとしたら・・・これに対応する手はあるが・・落ちる角度と内角少々のところへきまるコース、打者が泳ぐタネがここにある。ウイニング・ショットとしてはりっぱな球である。しかしシュートの威力を加え、直速球(落ちる球、のびる球をふくむ)のコントロールを増進し、投手守備の上達を計ることが大乗投手となる道であると思う。

権藤投手 弱いチームにいる苦しみが、かえって進歩の土台となっているというのはつらい。登板また登板であまり体の強くない私には相当こたえるときがある。精神的な疲労からピッチングについての思考力を失いかけるときもある。しかし弱いチームでそれだけ期待されている私はがん張らねばならない。三日休んで四日目の登板が私にとっては理想的だが・・。疲れるとすぐスピードが弱まってくるので、そんなときにはカーブとナックルを多く投げるがナックルに効果があるのにカーブはコース(中沢さんのいわれるコースならいいが)が思うようになら打ちごろの球になってしまう。中沢さんのいわれるとおり速球が内角低目にきまるときは打たれない。シュートも研究しているが、曲がらないので困っている。その欠点をいまナックルで補っているが・・・。コントロールは「B」ではなく「Bの下」ぐらいで、これがもし「B」なら成績はもう少し上がっているのではないだろうか。
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