1955年
杉下、渡辺(省)の相ゆずらぬ力投のまま迎えた十回阪神は二死ながら二塁と好機をつかんだ打者は渡辺(省)に代って内司。好投の渡辺(省)に代打を送るのは小山のいない阪神にとってはよくよくのことである。ところがこのバクチが的中した。藤村監督強気の作戦が内司のバットから殊勲の左翼線二塁打を生んだのである。「はじめから打ち気だった。杉下さんを打ちくずすにはカーブを打つ以外にないといわれているでしょう。ヤマを張ったというわけでもないが初球は必ずカーブがくるとねらったんです。内角へ入ってきたんですが、まあ運ですね」それまでの杉下は各打者には必ずといっていいほど初球にカーブを投げていた。それをねらわれたのであるが、ここは杉下の失敗というより内司の一打を高く買うのがほんとうであろう。「杉下さんをはじめて打ったんですよ。なまじっか球質を知らなかったのがよかったんですね。メクラヘビにおじずというやつですか」とじょう談をとばすが、その声はふるえている。薩南高から入団「今年で四年目だが、今夜ほどうれしかったことはない」と興奮した表情である。「バスに乗っても座るなよ。ガラスのカケラが飛ぶぞ」と藤村監督が大声でわめくベンチの隅で汗をぬぐおうともしない内司だった。
杉下、渡辺(省)の相ゆずらぬ力投のまま迎えた十回阪神は二死ながら二塁と好機をつかんだ打者は渡辺(省)に代って内司。好投の渡辺(省)に代打を送るのは小山のいない阪神にとってはよくよくのことである。ところがこのバクチが的中した。藤村監督強気の作戦が内司のバットから殊勲の左翼線二塁打を生んだのである。「はじめから打ち気だった。杉下さんを打ちくずすにはカーブを打つ以外にないといわれているでしょう。ヤマを張ったというわけでもないが初球は必ずカーブがくるとねらったんです。内角へ入ってきたんですが、まあ運ですね」それまでの杉下は各打者には必ずといっていいほど初球にカーブを投げていた。それをねらわれたのであるが、ここは杉下の失敗というより内司の一打を高く買うのがほんとうであろう。「杉下さんをはじめて打ったんですよ。なまじっか球質を知らなかったのがよかったんですね。メクラヘビにおじずというやつですか」とじょう談をとばすが、その声はふるえている。薩南高から入団「今年で四年目だが、今夜ほどうれしかったことはない」と興奮した表情である。「バスに乗っても座るなよ。ガラスのカケラが飛ぶぞ」と藤村監督が大声でわめくベンチの隅で汗をぬぐおうともしない内司だった。