プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

カイリー

2016-08-15 22:53:52 | 日記
1953年

日本のプロ野球に初めて登場した大リーガーである。六尺一寸廿四貫六百、まずスタルヒンと別所の仲間ぐらいの体格だ。しかし笑うとまだ童顔が抜け切らない。廿三歳。1951年のア・リーグ、レッドソックスで7勝7敗の成績をあげ新人投手№1に推された。昨年十月駐留軍として来日、埼玉県朝霞で軍務に服し、かたわら米軍チームで最強といわれるキャンプ東京のエースとして怪腕ぶりをふるっていた。毎日二軍を三回、巨人二軍を一回、むろん軽くヒネっている。米軍チームの対抗試合でも20試合投げて、一度しか負けていない。どうしても今年は優勝という毎日がレオ・カイリー投手を迎え一挙に敗勢を覆えそうとしたのだろうか、甲府の対西鉄戦に初登板して日本の本塁打を浴び「大リーガーも大したことはない」と野次られた。しかしうなりを生じてミットに入る低目の速球は「あれでコントロールがよかったなら打たれなかったろう」と若林監督がいうようにすばらしい。以下若林監督の通訳による一門一問。
ー甲府で打たれたのは?
「甲府球場の投手マウンドは低すぎて投げにくく、コントロールが乱れた。また日本の選手は背が低いので投げにくい」
ーレッドソックス時代の球歴は?
「インディアンスを除く六球団に全部勝ち、ホワイトソックスには二度勝っている。ヤンキースに勝ったときは嬉しかった。スコアは4-2.先発投手として8イニング投げた。まだジョー・ディマジオもいたころだよ」
ーキャンプ東京での練習は?
「午前中が軍務、午後が練習。除隊まで(十月の予定)軍務とプロ野球生活を送ることについて無理ではないかとよく聞かれるが、ぼくの仕事は労務班の主任なので肉体労働ではない。ナイターは勤務時間外だから大丈夫だし、日曜は休みだ。それに十月までには四十五日の休暇予定がある」
ー日本の気候はどうか?
「暑いのは好きだから大丈夫、大リーグ時代には四日に一度の登板だったが日本のプロなら三日に一度。日本のプロは早い球を投げる人が少ないね。カーブ投手が多い。甲府の試合では右翼方面へ狙い打たれたが、バッターはなかなか器用だ。しかしフィールディングが一ばんうまいよ」
ー得意の球は?
「スクリュー・ボールとシンカー」
若林監督談「あれで大リーグの間では球が早い方ではない。速球投手というよりチェンジ・オブ・ペースの投手だ。ストレートと変わらないスピードで手もとで落ちる球はちょっと手が出ないだろう。大リーグ時代はほとんど先発投手ばかりでリリーフは苦手だといっている。甲府では調子の悪いところへもってきてリリーフさせたので悪かった。だがそれよりも問題は捕手だ。いまのところ彼の球をとるだけで精一ぱいというところ、捕手が早くカイリーの球に慣れてくれることが一ばん大事だ」
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田所善次郎

2016-08-15 21:37:38 | 日記
1953年

せっかくプロに投じながら長い間所属チームがきまらなかった静岡商の田所投手が、やっとコミッショナー裁定で国鉄入りすることになった。田所君はご存知、廿七年春の選抜大会で最優秀選手に推されたすぐれたピッチャーである。夏の大会予選には敗れて甲子園の土を踏めなかったけれでも、田所君の威力は春の甲子園原頭で存分に発揮され識者の目にはっきりとその映像は焼き付けられてしまった。函館西を1-0、平安を3-0、八尾を2-0、優勝戦の鳴門を2-0の四試合連続シャット・アウトに封じた怪腕はまさに大会の華だった。しかし快調といっても芦屋の植村君(現毎日)のような豪快さがあるわけでなく、いわゆる平凡の非凡というところが最も妥当な表現ではなかろうか。右腕、奇麗な無理のない投球フォームを示す。主に上手投げでピッチングするが、得意のカーブを投げるときはサイド・スローを用い、本人も横手投げでカーブを投げると効き目があると語っていた。平凡の非凡というのは結局、打たせてとるチェンジ・オブ・ペースがすぐれており、そのコツを知っているということになろう。得意の武器は徹底的に外角をつくアウト・ドロップと低目を衝く速球である。まず打者を不利なカウントに追い込んだのち、外角からわれてボールコースに入るアウドロが効果的なようである。田所君の長所はまたその旺盛な精神力である。前述したとおり選抜大会における四試合卅六イニングを連続シャット・アウトにしたことが如実にその精神力を物語っている。この大会の投球成績は一試合平均与四球三、奪三振七・五被安打五・五という抜群のもので、これはただ日ごろの努力の賜であろう。破竹の勢いで勝ち進んだ田所君は優勝戦対鳴門の一戦、ゲーム半ばに指の爪をわったが、なお力投し、ついに栄冠を獲得したその忍耐力というか、盛んな闘志にあふれたプレートぶりには敬服せざる得なかった。フィールディングもなかなかいい。これは投球フォームがマスターされているからである。打たせてとるコツは本人は意識していないといっているが、振りかぶったときにそのままの姿勢で、頭の後で球を一瞬セットしている。この動作は打者のタイミングを狂わせるのに有効だ。体格にも恵まれており、幸い国鉄にはリードの巧い佐竹捕手がいるし金田以下の優秀なピッチング・スタッフのよき指導によれば、近い将来スワローズを背負って立つだけの好投手になることだろう。
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久喜勲

2016-08-15 20:57:12 | 日記
1950年

小島監督が「いい投手ですよスピードもあるし、コントロールもなかなかいいので手薄なチームにとっては大きな収穫ですよ」と口癖のようにいっているが、現在の久喜投手では今少しフォームを変えない限り、そう伸びると見えないのである。小島のいうように強い肩の持ち主らしいが、腕だけでピッチングをしているような感じが強いのである。大きな身体の外の部分は少しも使わず、ただ腕だけで投げるというようなどでは球の本当の鋭さも生まれてくるものではない。腕だけで投げる投手の球というものは、どんなにスピードがあるといってもしれたものである、また球質も素直で軽い、高目の球が僅かなホップをみせる位がせいぜいである。久喜投手のこのピッチングではわけもなくノックアウトされることであろう。もっと球にウエイトをのつけるような苦心をしなければ成長するものではない。球にウエイトをのせるためには、もっと上手に腰を使うことである、そしてボディスウィングを利用してその反動によって(つまり前半の身体の振りを後半にもってくること)一気に球を投げるようにすると、もっとスピードも出、カーブの切れもよくなるのである、久喜投手は一見棒立ちになるような格好であるが、こうした根本の研究が足らないからである。そして持っている力の大部分が残ってしまっている。生まれながらにして備わった強肩も、これでは無意味になってしまうのである。やはり投手というものは、オーソドックスな力技から随次進んでゆくことが大切である。片手間に近いようなピッチングでは、時に成功することがあっても、将来の大を成すまでには到らないものである、よく力の出し惜しみをするということをいわれるが、久喜投手のピッチングを見ていると、そういった感じを強く受けるのである。力を惜しみなく使うような投手になることである。
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田中達夫

2016-08-15 20:55:38 | 日記
1950年

竹内愛一氏が美しいフォームだと誉めただけあって、小じんまりまとまったピッチングをしている。身体が柔かく、球の切れ具合が鋭い。そのために特にインコース低目に入ってくる球は、鋭いシュートをみせて、打ちにくい。球がまだかるいのはウエイトが十分のらないためである。軟式から硬球に移って間のないため、フォームのどこかにまだ軟式投手らしい幼さがある。この幼さは、球をかるがる扱うところに現れている。球をかるく扱うのは結構であるが、軟球と硬球とは自ら違う。従って軟球的なピッチングでは球を早く放しがちになる。球を早く放すということは、どうしても球がかるくなり、飛びやすくなって打たれ出すととめどなく打たれるものである。まだそのような経験がないからわからないが、中谷のピッチングがよく証明している。あれだけのスピードを持ちながら、どこかに球に重味がなく、重量打者には押され気味となる。田中のフォームはこの中谷と非常に似通っているところに欠点がある。というのは、球の切れ具合がいい割合には球を放すポイントが早いのである。これを補っているのは、リストの強さであるが、身長が大きくないためこのピッチングでは非常に損をする。ことにバックスウィングに入ったときに力を入れすぎるきらいがあり、それが球を早く放す原因ともなる。もう少し球に引っぱられるようなピッチングをすると、ウェイトがのってくる。つまり球に重味が加わってくるのである。度胸が極めていいだけに、こうした投球フォームを覚えてくると、まだまだ伸びる投手である。腰の回転がかなり鋭いだけに将来性はある。始動の時に力を入れてなければ、もっとフォームが合理的になり、ルーキーには珍しく完成されたピッチャーになるのにと思えば返すがえすも惜しい。
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