1959年
久々にみる野母の快調のピッチングだった。七回長光にマウンドをゆずるまで三安打。二段モーションから内角低目ギリギリにきまる球が効果的だった。だが試合後「そうね、高目にボールがいかなったのがよかったようだね」とひとごとのようにいった。かえって鶴岡監督の方がうれしそうに「キャンプ、オープン戦と野母はだんだんよくなっているコーナー・ワークがいい。打者の心をよく読んでいる。ペナント・レースでも、もちろんローテーションの重要な一員だ」といった。六年前、柚木(現南海ピッチング・コーチ)の再来とさわがれて入団したが、コントロールが悪く、さわがれたわりには活躍してなかった。しかし南海では数少ない左腕で、昨年は西鉄戦用の投手として何度も起用されている。「キャンプでは自分の思うとおり練習できた。体の調子も上がった。今年は六年目だからひと花咲かせなければ、と思っているがどうかね。もう思いきり投げたって、そうスピードが出るわけではないし、やはりかわすピッチングだね。それにはコントロールが第一。きょうの試合はかわすピッチングとしてはまあまあだった」帰りのバスの中でも、ひとり片スミにすわってだまってタバコをふかしている静かなヒーローそばのサディナ投手がおぼえたばかりの日本語で「ノモ、ナイス・ピッチング、ゴチソウサマ」といってポンと肩をたたいた。
久々にみる野母の快調のピッチングだった。七回長光にマウンドをゆずるまで三安打。二段モーションから内角低目ギリギリにきまる球が効果的だった。だが試合後「そうね、高目にボールがいかなったのがよかったようだね」とひとごとのようにいった。かえって鶴岡監督の方がうれしそうに「キャンプ、オープン戦と野母はだんだんよくなっているコーナー・ワークがいい。打者の心をよく読んでいる。ペナント・レースでも、もちろんローテーションの重要な一員だ」といった。六年前、柚木(現南海ピッチング・コーチ)の再来とさわがれて入団したが、コントロールが悪く、さわがれたわりには活躍してなかった。しかし南海では数少ない左腕で、昨年は西鉄戦用の投手として何度も起用されている。「キャンプでは自分の思うとおり練習できた。体の調子も上がった。今年は六年目だからひと花咲かせなければ、と思っているがどうかね。もう思いきり投げたって、そうスピードが出るわけではないし、やはりかわすピッチングだね。それにはコントロールが第一。きょうの試合はかわすピッチングとしてはまあまあだった」帰りのバスの中でも、ひとり片スミにすわってだまってタバコをふかしている静かなヒーローそばのサディナ投手がおぼえたばかりの日本語で「ノモ、ナイス・ピッチング、ゴチソウサマ」といってポンと肩をたたいた。