プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

東口義松

2016-08-27 22:36:08 | 日記
1955年

プロ野球のかつての内藤投手やら今の中日杉山外野手、巨人の大友投手、東映の浜田二塁手、阪神の渡辺外野手らはいずれも軟式野球の生んだ大選手といえよう。ノンプロ大昭和の東口投手もまたご多聞にもれずこの類である。東口投手は三重県津市に四人兄弟の次男坊として生まれ、近鉄に捕手として籍を置いているのは彼の長兄である。東口投手は津市公民学校を終えると同市の軟式野球の投手として活躍中、その技術をかわれて三重交通い入社したのが硬式野球への転向の第一歩である。そして二十五年都市対抗の三重県予選には三重交通の主戦投手として出場、ついに決勝にまで進み、この年東海代表となった富田東洋紡を七回までノーヒットにおさえたが味方のエラーから結局2-1で敗戦投手となってしまった彼が投手として頭を上げ出したのはこのころからで、この予選終了後、話が始まって十二月には日本軽金属清水工場に転籍となり、日軽での舞台が始まったわけである。その東口が一躍名声を上げたのは二十六年に当時浅井、大道、石井、荒川、徳丸の猛打線を誇る大昭和を山静大会決勝戦で三安打無得点で破り本大会出場権を獲得した時である。恐らく彼にとってもこの試合だけは生涯忘れられない試合となることであろう。その後大映入りが確実視されていたのに、二十八年から大昭和のメンバーとなった大昭和に入ってからは肩をいため久しく治療につとめまた黒柳投手の出現で彼の影にかくれ、さして奮闘の後は残していない矢張り東口投手の全盛は日軽当時にあるようだ。当時の彼は上手投げの速球投手であったといっても手も足も出ないほどの速い球でもなかったが、大昭和を大いにいためつけたころは高目のホップする球とインドロをうまく使い分けてみごとなピッチングを示していた。現在の彼は多少スピードがなくなっていてその反面球質に変化が出て多種類の球を覚えている。まずコントロールも上の部といってよい。彼のいいところはナックルとシュートをミックスして比較的好効果を得ていることである。カーブはそれほどいいとは思われない。もう一つ左腕投手の最も得意とすべき右打者に対する内角球についてはもう一歩威力のあるものを研究してほしい。身長は五尺七寸というからよいがこれに対する体重の十六貫そこそこでは少々たりないので、そのためかどうも足、腰が弱い。これは体力のないせいでどうしても後半くずれることが多い。従って彼には体重の増すことが望まれさすれば耐久力も出来るだろう。かつてマニラスターズ来征時の全日本軍メンバーであったり、また大昭和のハワイ遠征に同行した当時の夢を捨て心機一転大いにがん張ることだ。

プロ入りの動機 ノンプロ生活を七年もやってきましたが、プロ入りは学校を出たときからの念願だった。チャンスは度々あったが、なんとなく気が進まず見のがしてきた。ところが今度は憧れのジャイアンツであり、投手生活にも自信がわいてきたので思いきって入団した。

まず勉強したいこと ぼくの武器は左投手特有のくいこみようなシュートと外角一杯の直球だが、球速とコントロールには自信をもっている。ドロップも大きく曲がるが、ブレーキがなくいままでは緩い球に使っていた。プロに入ったらこのドロップを小さくてもいいからシャープなものにしたい。このインドロップが完成されれば極め球に使えると思う。これはナチュラルではなく沈む球が欲しい。

目標とする選手 うちの中尾さんのシュート、中日大島投手のプレートさばき、毎日荒巻投手のドロップ。

趣味 映画、読書

身長・体重・投打・年齢・背番号 五尺七寸五分、十六貫三百、左投左打、二十八歳、57。

現住所 津市出口町753
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小坂敏彦

2016-08-27 15:33:21 | 日記
1973年

「どうですか」と田宮監督は得意そうにいった。この日の投手リレーこそ、高橋善と小坂、渡辺のトレードを決めたときから何度も頭の中に描いていた楽しい場面だった。谷木、谷沢、大隅と一、三、五番を左で固めた中日打線に、まず下手投げの高橋直をぶっつける。本番のゲームを頭に浮かべながらの、絶好のテストだ。先発投手は、スタートからフルにとばして前半だけを引き受けてくれればいい。「アンダースローなら左攻勢でつぶそう」と、相手チームはベンチに控えている左の予備軍を続々とつぎ込んでくるだろう。そこで、待ってましたとばかりに小坂へのスイッチだ。「実にいいタイミングですね」と宮沢スコアラーが見て、この日は五回から左の切り札の登板だった。代打の坪井をすばやく追い込んで軽くひねったあとは、トップに戻って谷木だ。左との勝負なら腕のみせどころだ。まず外角にカーブを決めておいて、谷木が打ちに出てくるところへ一転して胸元への速いシュート。谷沢へはシュート、直球、カーブと自信満々の攻めをみせて、左封じはお手のものだった。「巨人時代にあまり投げたことのないフォークボールまで使っている。自信をもってのびのびほおってますね」と谷沢が見て、日拓ベンチでは「うまいもんだな」と山根コーチが感心する。「これで今年は面白い投手起用ができる」と田宮監督のローテーションはレパートリーが広くなった。昨年は山崎、中原勇とアテにならない左投手陣。相手が左打線で固めてくるのがみすみすわかっていながら、手を打てなかった。「たとえば高橋直が先発する。もうあぶないとわかっていても、これならという左がベンチにいない。目をつむって続投させたとこで、とり返しのつかないダメージを受けて、いくつ手痛い黒星を食ったかわからない」と田宮監督がふり返る昨年のペナント・レース。だが、小坂が左の切り札として投手陣にどっしり腰をすえれば、悩みは消える。「それほど球威がある投手じゃないから、長いイニングは無理だ。それでも二、三イニング位なら確実に目先をかわせる。左のいなかった日拓投手陣には、貴重な存在になることは確かだ」と、中日の近藤ヘッド・コーチも見た。渡辺、小坂の組み合わせで10勝から15勝と踏めば、それだけでも高橋善の穴埋めはできる。「あの一対二のトレードは成功ですね」と田宮監督は楽しいソロバンをはじいた。三日間の三連戦に、この左の切り札を先発に一試合、押えのリリーフに一試合使うプランを首脳陣は考えている。「小坂をうまく使って投手陣を回転させれば、あとは5点打線が控えていますよ」と田宮監督は笑う。外人を軸にしたパの各チームの左打線と、日拓の左の切り札の対決が本番でクローズアップされてくる。
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阿久津義雄

2016-08-27 13:24:07 | 日記
1955年

昨年の高校球界はサウスポーに恵まれた。そのなかでも評判の高かったのは中山(中京商)と阿久津だ。阿久津は一昨年の夏二年生で甲子園の土を踏んでいる。このときは山上投手(現東京ガス)のリリーフで鳥取西高と中京戦に登板している。私はこのときしか阿久津のピッチングを見ていないが、これは有望な投手だと直感した。あがっていたのか鳥取西高戦には暴投を二個も記録したが、すぐ立ち直って五回以降完封して勝っているし、中京戦には七回からだが、無安打に抑えて中京のベンチをびっくりさせた。阿久津の宇都宮工とは宿敵の桐生工、阿部精一(日大OB)が口をきわめてほめているようにフォームは実にきれいだ。やせ型だが、五尺八寸三分、その長身をよく使いきって少しもギコチなさがない。手をとって教えてもらったことはないと聞いて二度びっくりした。先天的な野球のセンスがあるのかもしれない切れのよい速球はおそらく中山に匹敵するスピードをもっている。ドロップのブレーキも鋭い速球でビシビシときめ、最後にドロップをウィニング・ショットに使う本格派、コントロールもよく四球は一試合平均二個程度だという。フォームがよいことはすでに書いたが、身体は柔軟で、バネも強い。しかしそれよりも彼のピッチングの生命となっているのは人一倍強いリストにあるようだ。手首がよいからこそバッティングもすばらしい。一応内、外角を打ちこなして打者としても一流だ。このように素質の点からいけばおそらく今年プロ入りしたルーキーの中では一、二を争うくらいだ。しかし心配な点が二つある。その一つは身長が五尺八寸三分もあるのに体重が十七貫たらずであるということだ。ウェイトのない投手はどうしても球が軽い。それと線が細いので投手の一つの武器である相手打者に対する威圧感がないのは不利だ。そのよい例が昨年の山下投手(近鉄)で宅和級(南海)のスピードを持ちながら球の軽さと威圧感がないため宅和ほどの働きができなかった。宇工の浜野部長もこの点を心配してシーズン中は自分の家に下宿させ、偏食をなくするように努力したという話があるくらいだ。二番目は性格で、いい意味でのずるさがない。これがピッチングの面によく現れて、デッドボールでもさせると球威がぐんと落ち、相手に乗せられたことがしばしばあるそうだ。また一年生の夏、八回まで完全に相手を抑えながら九回現西鉄の豊田選手に得意の内角高目の直球を満塁ホームランされて逆転負けして以来、自信を失い気分的に立ち直るのに半年以上もかかったという。いまの彼に技術的な面より精神面の鍛錬こそ第一。いままであげたような諸点さえ矯正されば素質のある彼のことなので前途は有望。さいわい中山という競争相手もいるし今後の成長が楽しみでならない。

プロ入りの動機 野球が好きで、プロに入って腕を磨きたい希望に燃えていましたが、体力的に自信がなく一時迷いました。しかし身体は大丈夫と太鼓判を押されたので決心したわけです。

まず勉強したいこと プロ野球のふん囲気になれることです。つぎは体力をつけること、そして腰を強くすることです。技術的にはスピードをつけることに専念したいと思いますが、それには私の場合フォームなどよりも体力をつけることだと思います

目標とする選手 杉下さんあらゆる点で杉下さんのような大投手になりたいと思いますが、とくにスピードがうらやましい。

趣味 音楽

身長・体重・投打・年齢・背番 五尺八尺三分、十六貫八百、左投左打、十八歳、背番号未定

現住所 宇都宮市道場宿町1218
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林直明

2016-08-27 11:46:25 | 日記
1952年

「球から眼を離すな」ということは打撃のコツであるとともに「投手心得の第一条」でもある昨秋来日した大リーガー三投手ーエード・ロバットメル・パーネル、ボビー・シャンツがこれを実行していたが、特にシャンツは手もとから離れて行く球を追うように腰をすえて注視していたのが印象的であった。これを日本の投手にあてはめて見ると球を一番よく見ているのは大洋の林投手である、そしてまた身体全体を使い、特に腰の回転に気をつけ、コントロールを命に、無駄球を少なく、精進かけて投げている点、シャンツと林に通ずるものがある、ただ馬力が違うから球速の相違はあるが、短体を意識しての慎重な投法、多彩な変化球など、心がけに似たところがある。林は名選手を多数輩出している野球都市一宮の中学で四年から投手、卒業して兵役、廿一年名古屋ドラゴンズ入り、そして芽が出ないまま廿二年は第二リーグをめざして名乗りをあげた国民野球リーグのブレーブスに走って一年、そのブレーブスが当時の金星スターズと合体したため金星に移って一年、このとき「投球数七十三球」という新記録をつくり、ファンの注視を浴びた。交換移籍のシーズン中にロビンスへの移籍が実現、これが廿三年の夏であった。この年まで上手投専門で投げていたが、感ずるところあったらしく廿四年度のシーズンから横手投を加えるようになり、上手投時代のカーブを多投でに好投手とうたわれ十七年朝日に加入、その年卅二勝、防御率も第一位、十八年廿勝で第二位(惜しくも若くして戦死した)という名投手、その血をうけているだけに直明も熱心な練習でピッチングのコツとコントロールを身につけ、廿五年大洋入りして十一勝十二敗で十二位、廿六年は十六勝十一敗で八位、今年は十一勝九敗(27節まで)最も信頼できる投手の一人になってしまった。身長のないこと、体重の軽いことを考え登板した日から四五日は体力の回復に努めているようであるが懸命な方策である、試合中一番多く投げているのは横手投の直球であるが、この球は内角に行くと落ちるし、外角に投じると流れるのが特徴、この間にカーブを混投して打者の調子を乱している。武器としてはカーブもその一つであるが数が少ない、それよりも横からの変化する直球でコーナーぎりぎり、あるいは高低ストライクの限界点を衝いたり、打者の欠点を攻めている。最近スライダーの操作が巧くなり、上手、横手の両投法でかなり多投して成功しているしかしなんといっても体力がないから疲れると腰の回転が甘くなり棒球になって打たれているので「力の配分」を研究しスピードの不足をカバーしているのも適策である。現在投げている球質は変化する直球、シュート、カーブ、スライダーの四種であるが、速度、コースの変換を行っているのでかなり多種類の球になっている。

中沢さんはシャンツ投手とぼくとを比較していますが、まだまだシャンツ投手の足もとにも及びません。大体絶対的な武器をもたないんですから無造作に投げればすぐ打たれてしまいます、そこで一球、一球慎重に投げることに努めています、こうした点を多少とも中沢さんに認めていただけたのでしょう。球速Bは甘いですね、C程度ですよ、球にスピードのないのはぼくの一番大きな弱点です、ただコントロールには自信があります、ですから常に打者をバッター・イン・ザ・ホールに追いこむことをモットーとして投げているつもりです。一番自信のある球はサイドハンドから投げるシュート、これが良く決まる日は一応自分でも満足できる投球ができます。
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宮崎一夫

2016-08-27 11:10:54 | 日記
1952年

オリオンズのスプリング・キャンプを見て来た人々が「毎日の企画は凄いよ、ピッチャーが廿人くらいいるぞ」と驚いていたがまさか十人も登録はしないだろう、さすればその大半は来年用か、あるいは「将来用」の新人とふんでいた。たしかにそのとおりで荒巻、野村、上野、山根、榎原、末吉、守田、稲垣と登録されたから今年はこのピッチング・スタッフで乗り切るのかと見ていたら・・・新人和田勇が早くも四月廿七日の対近鉄戦にデビューして初の勝星を挙げ、七月十二日の対近鉄戦にこれまた新人の宮崎一夫が初出場で一勝をかせいで投手陣に加わった。使えると眼をつけたのかその後、西鉄、西鉄、近鉄、大映と好調なチーム相手に登板すると五連勝してしまった。大分前のことであるが毎日陣営のある首脳に「宮崎はまだ使えないか?」と質したら「内野手みたいなきれいな球だからだめでしょう」という答であった、たしかに軽そうに見えるしきれいな球であるが、その宮崎が調子に乗ったとはいえ、強敵相手に五連勝したのはなぜだろう?わかりやすいたとえをひけば「なんの苦もなき水島の・・・」とかいう水鳥がすいすいと軽く泳ぐ裏には、水かきで水をかいている労力がひそんでいるように一見きれいで打ちいい球に評価される宮崎の上手投速球には「スライド」させている苦心がひそんでいるのである。開成高ーコロンビアを通じて投手生活五年、オリオンズに入って二軍投手、これが宮崎の球歴である、大きな舞台もふんでいないし、大試合の経験もないわけであるが、多少でも「投手術」なり「試合の処理」を覚えたとすればコロムビアにいた一年間であったと思う。正銘のオーバー・スローは相当の速さを持っているから、スライダーにはもって来いの球質である、身体全体が柔軟で腰がいいからシュートにも向く投法が出来るのである。若いのに試合前のウォーミング・アップは短くていいらしい、ただしブルペンでの練習は中々長く力を入れている。試合中一番多く投げている球は、直速球のスライダー、ほとんど直球に見えているが、一球、一球スライドがかかっているから相当老巧なバッターまでミートをはずされている、そしてウイニング・ショットはスピードの乗ったシュートを使っている。スライダーとシュート、打者から見れば正反対の回転、流れを見せる球質、これを大胆に投げ込み、時々カーブを交ぜている、投法も球質もいいが、なんといっても投手経験が浅い、まず投手守備が弱いし、投手としての処理、対策を覚えこまねばならない。現在の「カーブ」のきれがよくなるように努めているらしいが、これが身につくと、スライダーもシュートも、もっと生きて来るに違いない。また首を振る癖があるのでその矯正にも努めているらしいが長所としては、強敵相手の登板にさっそうとしかも楽し気にやっていることだと思う、大成する一人としてその研究と努力に期待したい。

宮崎投手 「正銘のオーバースロー」に違いありませんがもとは正銘の横手投の投手だったんです、開成中学の五年生のとき当時新田建設(今の明治座)にいた宮下さん(現在パ・リーグ二軍審判)がそれでは肘をこわすから上手投に変えた方がいいといわれその時以来上手から投げています事実その当時僕のピッチングは横からのシュート一点張りで、このためいつもかすかながら肘に痛みを感じていました、しかしオーバースローに変えてからはそれもなくなり投げているうちにコツをのみこんだのがスライダーです、これに上、横手からのシュートとカーブを交えて投げているわけですが調子のよいときには直球よりもシュートやスライダーの方がスピードが出るんですよ、そのうちに中沢さんのいわれたようにカーブの切れをよくしてシュート、スライダーを有効に生かしたいと思います、肩のつかれなどどこのごろほとんど感じません、むしろ毎日投げないと調子が狂ってしまうくらいでウォーミング・アップも人の倍近くやる方が僕にはいいんです、首をふるのは悪いクセですよ、スピードが殺されますからね、このクセとフィールディング、それとカーブ、僕の宿題は山ほどあります、ただ試合度胸Bというのは少し変ですね、僕は相当心臓がつよいはずなんですが・・・。
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