プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

幸田優

2016-08-16 20:41:06 | 日記
1959年

幸田はいままでにないタイプの投手だ。ドロップとも回転が違うし角度もちょっとかわった落ちる球を唯一の武器にして投げている。コーナーへその球をうまくきめていた。スイフトもまれには投げるが、落ちる球をまぜて投げているので球にのびがあるように感じられる。しかし実際はそれほど速い球ではない。落ちる球は大きいのと小さいのと二種類使っている。普通のドロップより回転が少ないので、バッターはちょっと前に泳いで打ってしまう。タイミングを狂わしているのが幸田の成功の原因だ。直球と落ちる球を同じフォームで投げ、球に変化を持たせるから効果が非常にあがっている。幸田を打ち込む方法を考えてみると、結局投手にできるだけ打者が近寄って立ち、落ちる球の落ち際を叩くことが一番いい方法だろう。この夜の広島などはワン・バウンドのような低い落ちる外角をはずれる球にかなり手を出していた。悪球を振り、好球を見逃していた。例えば前半ウエイティングに出て一回り目の打席までよく球をみきわめ後半はそれをもとにして打つことが有効な攻め方だろう。この点広島がはじめからどんどん打って出たのは失敗だったと思う。
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田中喜八郎

2016-08-16 20:08:00 | 日記
1959年

「西宮でこのゲームに先発することは聞いていた」というのに田中は試合前のベンチで新聞記者と相撲をとったり、のんびりしていた。左が0・5、右が0・6という近眼なのでメガネをかけている。だから神経質な感じを受けるが、案外のんきな性格らしい。六回三分の一を投げて六安打うち三塁打を二本も打たれてかなり危ないピッチングだったが、なんとか切りぬけ、西村にバトンタッチ。プロ入りはじめての勝利投手となった。ふつうなら後退してベンチへ帰るとサッサとフロに入ってしまうものだが、田中は新人らしくゲームが終るまでベンチで控えていた。終了するとだれかれなしに握手を求め、あっちへペコリ、こっちへペコリおじぎばかりしている。「カーブが入らなかったがスピードは実にあった。低目へきまったのがよかった。だからヒットを一イニングに一本以上打たれなかったのがなんとか勝てた原因です。しかしぼくの球はほんとうによくとぶ。四回西園寺さんに打たれたときはヒヤッとした。あの球は低目のシュート。七回橋本さんに三塁打を打たれたのも同じ球です」田中のロッカーは一軍のそれとちがって少し離れたところにある二軍用のロッカー。捕手の浦田と二人だけがこのロッカーの住人だ。ベンチの中では遠慮して小さくなっていた田中も、ここへくるとガ然元気になる。「完投できなかったのは残念だが、一勝したことは気分的に大きいです。ゼロは何倍してもゼロですがね。一勝は百倍すると百勝になってしまう。あとは一勝一勝積み重ねていくだけです」横にいた浦田が「一つ勝ったら、あとはどんどん勝てるよ」とはげました。酒をよく飲むという評判だが、と聞くと、とび上がって「とんでもない。大阪で十日いた間ビールを一本のんだだけです。酒を飲むと夜ふかしをすることが多いので、ほとんど飲んでいません」と真顔になって打ち消した。この春ノンプロ東洋高圧大牟田から入団した。河村の後輩になる。1㍍78、68㌔、津久見高、右投右打。
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広島衛

2016-08-16 19:33:34 | 日記
1959年

広島はもう一息でゴールインという九回二死から藤本に2ランを打たれて一点差につめられた。杉下監督がマウンドにきた。「どうだい? まだいけるか」広島はたった一言「投げさせて下さい」杉下監督がベンチに腰をおろさないうちに広島は横山を二飛にとってプロ入り初の完投勝利を記録した。「監督さんがマウンドにきたときには完投できないのか、と思った。四年目になっても一人前になれないのが恥ずかしい。出来ることなら投げ通したかったので、投げつづけさせてくれと頼んだのです。自信?一点差にされたのでそんなものはありませんよ」杉下監督は「広島は私のローテ―ションに入っている。しかしきょうの広島はよくなかった。コントロールがなかった」点はなかなかからい。広島は「きょうはスライダーとシュートがよかったからどうにかもちこたえられたが、まだピッチングのタイミングはつかめない。それに先発はいやですね。試合に慣れないせいか・・。二十九日(対阪神)はじめて先発したときはそのあと三日ほど肩が重くで動けなかった」ところが二勝とも先発した試合で記録しているホオがこけ、病人のような顔には無精ヒゲがのびている。汗をふこうともしない広島は「この春シュートをおぼえてやっと投げられるようになったところです。まだカーブがあまいのでピッチングのバランスがとれないのですね。河村、板東ら、いい新人が現れるのでそうゆっくり研究も出来ないです。追われているので、かえってハリがあるのかもしれませんが・・・」右投右打、1㍍77、71㌔、浪華商出身。
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幸田優

2016-08-16 18:38:46 | 日記
1959年

自信というものはおそろしい。三十一年に入団、一時はどうにもならなくて大洋でもなかばあきらめていた選手である。これが独特のシンカーを会得、昨年秋ごろからこの球にコントロールをつけ、オープン戦で自信をもってからはメキメキ頭角をあらわしてきた。プロ入り初めて強敵巨人をシャットアウトしたのも、そういう苦労が花を咲かせたわけだがそれだけに喜びもひとしおのものがあったにちがいない。「この落ちる球は実をいうと五年越しなんです。しかし今までコントロールがなくて・・・球のにぎりは直球と同じです。球を放すときはカーブのようにともいえますが操作がちょっと・・・」とあとは笑いにまぎらした。この球は上の記者席からははっきりわからないので、終わりごろベンチの横で幸田の投球を見ると、シンカーと同じように打者の近くでストンと落ちていた。巨人の打者が空振りしては首をひねっていたのはほとんどこの球だ。速球とほとんど同じスピードで落ちる。それも真ん中へいけば鋭く落ち、外角にいけばさらに外に、近目にいくとさらに近目にまがって落ちる。球の放し方をきいてみたが「球を深くにぎるのでもなく、ナックルみたいな特別なにぎり方でもない。ふつうの人にはちょっとできないでしょう。ヒジを悪くする。放し方はいえません」とどうしてもいわなかった。藤尾を四打席4三振にとったが、そのうち二つがこの球でとったもの。王は二打席とも全然手がでず、見送るばかりだった。長嶋い打たれたのは直球だそうだ。控室にひきあげた幸田はやや青ざめた顔で「五回長嶋、坂崎に打たれたときが一番苦しかった。巨人に勝てたのはなんといってもうれしい」と着替えるのも忘れたように突っ立ったままだった。荏原高出、二十一歳。
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幸田優

2016-08-16 18:20:29 | 日記
1958年

「初日が出た、初日が出た」と土井が最後の打者中を右飛にとったときにワッとさわぐようにわめいた。森監督の顔もクシャクシャにゆがんでいる。その中に背の高い幸田がメガネだけを光らせている。そしてベンチの上から差し出されたファンの握手攻めに小づきまわされそうになりながら帽子をとってペコリ。「ありがとうございました」と土井に頭を下げる。「ナイス・ピッチング」と土井がその肩をどやす。「調子はグッといいんですよ。打たれなかった原因は外角低目への速球が思ったよりよくきまったからです。土井さんに絶対高目は禁物といわれていたのがよかったんです」と泣きそうな顔で目をショボショボさせている。「苦しかったのは三、四、五回無死でランナーを出したときです。そのほかはなんとも感じませんでした。それに、はずれるカーブを振ってくれたから助かりました」と、やっと円陣から投げ出されるようにロッカーへ向かう。「アウト・コースの球ですよ。あれがよかったんです」と何もきかないのに何度もくり返す。よほどうれしいらしい。もちろんプロ入り初の勝利投手で、完投シャットアウトもこの日がはじめて。幸田はプロ入り三年目。三年前村田(明治高ー現国鉄)並木(日大三高ー現阪神)とともに三羽ガラスとして都高校野球では好投手としての定評があり当時は国鉄、中日、大毎からも誘われていた。右投右打、二十一歳、1㍍82、73㌔。荏原高出身。

谷口コーチの話「幸田の武器は外角への速球だ。それとこの日は沈む球がよかった。この二種類の球がよくコントロールされたのだからそう打たれる心配はしていなかった。もちろん、土井の好リードも見逃せないが・・・。キャンプからオープンにかけてとくに下半身を強くするよう注意しておいた。それは安定感をつけるためのもので、この日のピッチングをみていてずいぶん安定したものだと感心した。私の見通しでは十勝以上できる力をもっている」
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幸田優

2016-08-16 18:00:12 | 日記
1959年

この日の幸田のピッチングは満点といってもよかった。4イニングスを無安打で過ごし、なかでも三振の少ないので有名な吉田から2三振をとった。幸田の今シーズン第一線登場はこの試合で約束されたといってもいいだろう。一足先にグラウンドのすぐ上にある宿舎に帰った幸田は「まぐれですよ。こんなことめったにありません。でもいつもよりスピードはあったようです。ぼくは横の変化が少ないから慣れられればそれでおしまいなんです」と長身を折り曲げるようにして話す。幸田投手は今年でプロ入り三年目になる。入団したシーズンは一試合にも登板せず、二年目の三十三年でやっと二試合を投げた。だがそれも二度とも勝負のついたあとのことだった。「監督はこの間のセ・リーグ大会でも当っていなかったでしょう。それが自信になったのかもしれません」という。今シーズンのオープン戦では近鉄に三試合、東映に二試合、国鉄、大毎、阪急に各一試合と計八試合を投げて二勝一敗。二軍戦でいつもたたかれた大毎はどうにもにが手らしい。「大毎がセ・リーグにいなくてよかった」と気が弱い。キメ球は上手投げなのに、ドロップでもないカーブでもない落ちる球だ。横の変化をつけるためにシュート以外に「カーブをおぼえたい」そうである。1㍍83、73㌔、二十一歳、右投右打。
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