プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

服部茂次

2016-08-13 23:05:18 | 日記
1954年

高校野球では関東勢がいつも全国大会で振るわないのが定評であった特に南関東代表などは特にそうであった。それが昭和廿六年度全国大会では熊谷高校が服部投手の健闘により準優勝を成しとげ、服部投手自らは大垣北の和田、平安の清水、芦屋の植村とともにこの大会で四大投手にピックアップされたのは少なからず関東勢のために気迫をはいてくれたものでその功績はまことに賞賛されてよいこの四人が今年和田は名古屋へ、清水、植村は毎日へ、服部は大洋へと揃ってプロ入りしている。服部投手は埼玉県北埼玉郡北河原村に生まれ、同村中学校から熊谷高校に進み廿六年には二年生にて主戦投手となり、甲子園の代表となった。甲子園でも決勝戦まで進出、特に準決勝には和歌山商高を4-0とシャット・アウトで抑え、ノーヒット・ノーランの立派な記録を残してる。決勝戦の平安高で遂に7-4のスコアで敗退したが、これは彼が最初から連続出場しているため疲労を懸念して、決勝戦における試合前のウォームアップをセーブし過ぎたので立上りを叩かれたのが大きな原因でこのため平安に一、二回に各三点の計六点を奪われている。しかしながら疲れたとはいえ斯くまで頑張った熊谷高チームと服部投手の好投は特筆すべきものである。順調な歩みを続けて来た服部投手にここに二つの不慮の災害が訪れたのは気の毒千万であった。それは甲子園から帰って間もなく九月九州熊本市水前寺球場で行われた東口氏追悼大会で試合前の練習中打球が彼の生命とする右腕に当たり、遂にそれが回復せず秋は登板不能となったことと、つづいての不幸は翌廿七年突然急性腎臓炎に見舞われこの年の全国大会予選にも出場出来ず終わってしまったことである。彼はその後専ら病気回復につとめようやく秋十月頃再びマウンドを踏めるようになり球威も増してカーブに威力が出たほど少しの衰えもなかった。彼の球は重い球でことにシュートがなかなかよい。制球力にも富み外角低目の直球などきめている。カーブも最近進歩して来ている。だが彼に足の遅いことと投球フォームの悪いことが欠点とされる。打撃フォームの悪いのは彼の選球のよさがこれをカバーしてその強引な打法がしばしば功を奏している。例えば廿六年度の全国大会に苦戦の対大垣戦には延長十一回に彼の強引な一撃は二塁脇テキサスとなりこれがきっかけで勝利の原因をなしている。プレートの度胸も良くピンチにも動揺せず冷静そのものである。本編に執筆していた伊達正男氏が甲子園であの八月の暑い大会に服部は少しも汗をかいていなかったといっていたがこれも表面に現れぬ有利な点である。五尺七寸余りの十八貫近い体格は未だ十八歳の彼の若さと将来の野球好きを相まって必ず将来を楽しませるものがあると期待する。
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布施勝巳

2016-08-13 20:54:27 | 日記
1953年

布施投手は軟式野球の生んだ選手である。昭和廿五年に群馬県川内中学校に入って、在学中軟式野球の投手をやっていた、当時から体格は人なみはずれて優秀で、、現在五尺八寸、十八貫というから相当なものである。彼は川内中学卒業と同時に東急フライヤーズに入団したのであるが、当時年齢が満たずいわゆる未成年者なるゆえに労基法によって退団し、全桐生チームに入って稲川東一郎氏に可愛がられていた。しかし全桐生も間もなく解体し止むなく廿六年三月前橋の山藤商店に入社、同チームにあっては杉浦投手(現広島カープ)の後をうけ主戦投手として活躍した。この年の都市対抗予選はもちろん県内の第一次予選には桐生織物とともに難なく通過し、北関東代表決定戦では彼は三日間連投している、一回戦(対日立鉱山)は2-0、二回戦は小泉ランドリーを3-0とシャット・アウト、決勝戦は桐生織物で前半1-0とリードし続けて来たが、八回一挙3点を奪われてしまった。このときの記事を見ると布施は三日間連投し決勝の三点を奪われるまで無得点に封ずるという素晴らしい好投をみせ、出場選手中最も輝かしい活躍をみせたと評している。この大会後山藤商店野球部の解散があって彼は九月退社、翌十月再び稲川氏の世話で常盤炭鉱に入社したのである、廿七年度は春のサン大会に常盤炭鉱が選抜されているが、布施は一、二回戦を通じて数イニング登板したのみで華々しいところはなかった、しかしながら夏の都市対抗本大会には東北代表となり後楽園に駒を進め彼としては大活躍をしている。まず対日石カルテックス戦に延長激闘の十回から登板し好投のすえ無得点におさえ勝利投手となっている、準々決勝では全鐘紡に対し再び五回からリリーフに立ち最後まで無得点のノー・ヒットで抑えたが、この試合は彼の登板前の四回に4点を奪われているので、ついに4-1で敗退した。しかし彼の都市対抗本大会における成績は6イニングではあるが結局2安打無得点という立派な記録を残し布施投手健在なりと天下に立証したわけである。布施投手の球を掘り下げて見ると、その特徴はハーフ・サイド・スローから打者の前でシンク(沈む)する球であろう、そして球質は重い、また彼のシュートもなかなかよい否このシュートに生命があるもっとも投手にしてシュートのないものはその力の何パーセントかはマイナスされるわけで、もっと極端ないい方をすればシュートの出ない投手は駄目だともいえる。彼はまたいい度胸をしている、それに彼のモーションが打者に対して一種の恐怖感をいだかしめるのが強味である、だがまだカーブは鈍角だし、体重が前にかからないのが欠点である。コントロールはまず中ぐらいというところであろう。本当のことをいったらどうやら投球の基本をのみ込んで来たばかりである。であるから彼の投手としての働きはこれからである。常盤炭鉱谷口コーチも布施投手がもう一年常盤に止まってくれたら彼の良質を十分のばしてプロに送りたかったがまことに残念ですと語っていた彼のプロ入り後の活躍は一にかかって本人の今後の精進努力によるが、さらに彼がフットワークの在り方をのみ込めれば一人前に働けると思う、そして幸い体格は十分ありまた度胸がよいのでプロになじめば期待できるものがある。
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林茂(西日本)

2016-08-13 19:12:05 | 日記
1950年

六尺に近い長身、恵まれたジョイント、ほとんどオーバースローに近いフォームから繰り出す魔球はプレート近くでホップし、コントロールさえよければ、そう簡単には打ちこめない巨人の多田によく似たところがあるが、球の弾力性に富んでいるところは、将来性を思わずに十分である。しかしコントロールがまだついていないせいか、ともすればカウントを悪くして打者に思われるところがある。これはウエイトの使い方のまずさから来ている。蛇足になる右膝にウエイトが残りすぎて、一見直立に近いようなフォームを示すことがそれである。従ってともすれば球を放すポイントがまちまちになって、なかなか思うようにコントロールがつかない。勢い、腕の振りによって制球しようとつとめざるを得なくなるが、フォームからいえば、逆の現象であって、腕の振りはバックスイングに入ってから、球を離すまでの力の入れ方は、次第に加速差をつけるように心掛けることが一番で、最初に力を入れすぎると、この関係がうまくゆかぬ。ことにウエイトが円滑に行われていないために、ピッチングフォームとしてはばらばらになってしまう。コントロールのないのも無理はないのである。林投手ほどの長身の投手であれば、もう少しスライドを広くとり、土台をしっかりしておいて、胸部、背部の筋肉の開閉を巧みに利用し、ウエイトにつれて腕の振りを合理的にやるようにすれば、まだまだスピードも出るし、コントロールもつくのである。現在のままではなかなかそのフォームにまでは達しないであろう。人一倍恵まれた力を持ちながら、大成への道を閉ざされているのは実に惜しいと思う。投手にとっては、打撃練習なぞは二の次であって、まずフォームを完成することが第一である。非常に有望な素質を持つ林投手は、上述の点を継続することである。
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古谷法夫

2016-08-13 11:43:09 | 日記
1950年

なかなかスマートなピッチャーであって、カーブを主要武器としているが、それだけに腕の振り具合がよく、コントロールも比較的良好である。ピッチング・フォームからゆけば、ルーキーとしては上々の部であろう。ただ古谷には弾力性に欠けるところがあり、球質に鋭さを欠いている。このことは上半身の屈伸が十分でない証拠で、また腰の使い方がうまくないことも示している。西垣監督は「上達の速度も早いし、新しい球質も研究している。信頼出来る投手の一人である」と語っていたが、その事実は認めるとしても、球に鋭さを加えるためには、モーション自体がもう少し激しくなってこなければ、この期待に揃いえない。つまり屈伸をはげしくやれるかやれないかが古谷の投手力進歩の「かぎ」となると思う。練習の時はのびのびと投げており、屈伸の度合も認めていいが、プレートに立つとコントロールに意をくばりすぎて、とにかく球を早く放しがちとなり、フォームに深さが見出されないそのためにあたら持てる球速を殺し、得意のカーブも外角に流れがちとなっている。腰を基本にした投球フォームであれば、決してこのような結果はおきない。むしろ球は目的に向かって、正しく早く放すと、ブレーキは大きくとも球力は半減してしまうから、どうしても打者に乗じられ、打球されてしまうのである。このとこごとくが、古谷の場合は屈伸の度合から来ているのである。腰をあまり深く落としすぎると上体の屈伸が不可能となってくる。従って一変したフォームになる。腰を落とすこと、上体の屈伸の度合を調整すること、この点を古谷が十二分に研究すれば予想以上にいい投手になると思う。ピッチング・フォームが割合まとまっているだけに、こうした点を考えることである。
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干場一夫

2016-08-13 10:44:46 | 日記
1950年

この投手はオーバースローでもなく、サイドハンドでもなく実に変ったフォームの投手である。そのためにどの辺で球にスナップを与えているのか一寸つかめない。何か体全身体のフリで球を投げているような感じである。球が時にスピードがあったり、稀に落ちたりするのは、力の調整をコントロール出来ないところにあるのではなかろうか一見したフォームからは鋭さもはげしさもみとめられず、完全な等速運動に終わっている。不思議なことにはしばしば球の回転が明らかにみられることー縫目がよくみえることである。それでいてこの縫目の明らかに見える球が時々ストンと角度に落下する。かつて昨年の北海道遠征のみぎり、法政の名投手砂沢氏に会ったが、その時氏は「干場のドロップは大したものだよ、大学出は一寸打てない」と話していたが、これがそのドロップかと思う。類のないドロップである。シンカーに似ているところがあるが、もちろんシンカーではない。ここに干場投手の、私にはわからないピッチングフォームのなぞがあるのだ。大洋ホエールズの高野投手によく似ており、高野よりやや高目から球を投げ下しているのが違うぐらいで、後のスローイングは全然同じである。このピッチングでは球にそう大したスピードも出ることはなさそうに思われるし、独特のドロップも球速を増すとは思えない。ただ新人の連中は成長の度合いが非常にはげしいので、私の見方が誤っている場合は頭を下げなければならない。何分今まで類のない投手にぶつかっただけ、その技術を分析するのに困惑を感じる。打撃とピッチングはよく似ているが、干場の打撃は球に当てることに一ぱいである。このバッティングからすれば、ピッチングはこのままであってはならないのである。やはり、後半のモーションのはげしさを加えるようにすることが進歩の近道ではなかろうかと考えてみたりしている。とにかくむずかしいピッチングをしている。
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服部武夫

2016-08-13 10:18:06 | 日記
1950年

十八歳、正確にいえば満十八歳五か月(昭和七年十一月生まれ)の若鷹だ。十八やそこらの高校出にヒネられるいまどきのプロ野球というものは・・・とオールド・ファンはその昔をとかくなつかしがる。それでいて、その昔の名投手沢村(巨人)林(朝日)村松(名古屋)野口(セネタース)らがそろってティーン・エイジだったことをお忘れだ。もっともそのころティーン・エイジという言葉はなかったが・・・七年生まれは次の通り。「セ・リーグ」兼吉(巨)西村(神)金田(国)箱田(国)紺田(広)神崎(松)「パ・リーグ」服部(南)東泉(東)後藤(東)八年生まれは飯尾(映)たった一人。六年生まれとなると十八人もいる。十八歳組の序列一位は文句なしに金田ときまる。二位がパの服部、セの西村の争いだが以下は出場皆無で判定資料不足だ。飯尾もまだ二軍クラスだから服部はプロの若手中の若手、ティーン、エージの代表選手の一人といえよう。山本監督曰く「若いピッチャーは投げさせれば投げさせるほどウマクなる(そこで服部はもう五度も登板している)服部がまあ、あまり打たれていないようだが、まだ判りませんね。だいたい服部もバッターのクセなんかなにも知らない。バッターも服部の球がどこへくるかまだわかっていない新人投手が成功するのはこのためなんだ。ことに服部はコントロールがあまりないからね。バッターがこわいんだろう。(なるほど、セの金田が怖れられているのと同じ理くつ)ひとわたり各チームに投げてみて、一度はペシャンコにたたかれて、モノになるかならぬかはそれからですナ」シュート、ドロップ、カーブどれでもコナすが、さてどれがキメ球とキメられない。つまりまったく未知数さと山本監督正直すぎる。ファンは田中、安田、服部と南海子飼いの新栄投手三羽烏ならぬ三羽の若鷹の中でもとくに服部に期待しているのだが・・・。四日市南高から廿五年二軍に入団、今春昇格、五尺八寸、十八貫、右投右打。
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池沢義行

2016-08-13 09:12:30 | 日記
1966年

一塁ベースの上に立った池沢の顔には殊勲打を打った選手のだれもが見せる、あの会心の笑いはなかった。ボンヤリと空を見上げ、深呼吸ひとつ。それから暖かい拍手に迎えられて、ベンチに帰った。ヘルメットをとってナインのみんなに深く頭を下げる。「オレ、うれしいよ。ほんとうにうれしいんだ。ルーキーで巨人に入団して初めて打ったヒットより、オレはこの一本を決して忘れないだろうな」背番号のない男、テスト生としてことし再び巨人にとび込んだ。宮崎キャンプでナインとは別の宿舎で寝泊まりした苦しい思い出も、大淀川の川べりでたったひとり振りまくったバット・スイングも、この日中前へとんでいった打球がみんな忘れさせてくれた、という。「オレ苦労したかいがあった、とつくづく思ったよ。胸がジーンとしめつけられるようだった」昨年の暮れ、右ヒジを手術したばかり。「バット一本に生きる」というのが池沢の口グセだった。首脳陣もそれを覚悟で採用した。「打つだけしか能がないんだ。だから逆に打ってやろうとりきんでしまう。いままで打てなかったのはそのせいだったんだ」初ヒットが本格地の後楽園。打席に立つ前、川上監督は「りきまずにいけ」とそっと耳打ちした。「つまってもいい、当りそこねでもいい。オレは早く一本のヒットが打ちたかった」本拠地で初めて試合に出た背番号41は、じっとソラーノの球を待ち受けていた。「真っすぐだけをねらっていた。三球目はたぶん真ん中のストレートだった。やったと思ったとたん、あの拍手の大きさに一瞬ポカンとしてしまったんだ」いったん野球をあきらめた池沢を静岡県伊豆山のトレーニングにさそった城之内は、ロッカーのテレビで初ヒットを見た。「よかった。イケは打ったぜ」ボール拾いからあらゆる雑用まで、じっと苦労にたえてきた池沢をみてきたナインの声にも実感がこもっていた。「イケさん、ナイス・バッティング」「おめでとう」だが池沢がいま一番おめでとうといってもらいたいのは久子夫人だそうだ。昨年の暮れ、東京・練馬の高松町に新しい家庭をもった。テスト生として宮崎に出発するとき、はげましてくれたのも久子夫人だし、採用がきまらないときの沈んだ気持ちをひきたててくれたのも夫人の手紙だった。「家に帰って女房におめでとうをいわれたら泣けてくるかもしれないな」右ヒジの手術でのびていた披露宴をことしのシーズン・オフにやりたいという。
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嵯峨健四郎

2016-08-13 08:47:38 | 日記
1966年

嵯峨はこの日、自宅(世田谷区南山荘アパート)を出るとき、タンスの上においてあるダルマをにらんだ。このダルマは正月一日、貞子夫人、理智ちゃん(二つ)の家族と早朝に起きて群馬県高崎まで買いにいっている。1勝すれば右目にスミを入れ、20勝したら左目と、両目があくように心がけていた。一昨年はプロ入り初めて開眼(21勝)したが、昨年は片目(2勝8敗)に終わった。「パパやるわね」と貞子夫人にいわれた嵯峨は「絶対勝ってみせる」と力強くいい残して後楽園へ向かった。「完封するとは思わなかったけれど、勝つ予想はものすごくした。だから、マウンドに立ってもあわてなかった一試合後、予想していた勝利とニッコリ。気の弱いので有名だが、この日は勝てるという自信が投げる前からあったわけだ。そのきっかけは三月二十七日の対巨人オープン戦。このとき、ステップを小さくし、ボールに体重がのるようにピッチング・フォームを直し、みごとに成功した。六イニングを投げて1安打。それからは、日増しに一昨年の好調なピッチングに戻り「これならいける」と確信を持ったそうだ。しかし、珍しくテレビのインタビューを受けた嵯峨は「スピードはあまりなかったスね。緊張していたから。なにがよかった?さあ、わからないっスね。スライダーがよかったじゃないスか」郷里の秋田弁を丸出しにしてとぼけたようなことをいった。だが、ひとしきり囲んだ報道陣から解放されると、はじめて「どんなもんだい」と小声でつぶやいた。一週間前に開幕投手という声が流れたとき、あるスポーツ記者から「阪急に昨年1勝しかしてないじゃないか。開幕投手なんてガラじゃないよ。ピッチングもそうよくなっていないよ」と面と向かってけなされた。さすがに人のいい嵯峨も、このときは黙っていたが、いまにみてろと誓った。それだけに「こんなにうれしいことはない。金山さんの期待も裏切らなかったし一生懸命がんばった自分にも満足できる」と勝利の味をかみしめていた。
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