プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

岡本教平

2016-08-26 21:56:19 | 日記
1955年

昨夏の都市対抗に準完全試合を遂げ名をあげた川崎トキコのエース。彼が生まれた静岡県掛川市は桜井寅(慶)関原(慶)高塚(慶)荒川宗(早)らを出している野球の盛んな土地で、彼は小学校六年のときすでに現トキコ稲葉(旧姓高塚)監督の眼にとまり、数年後には掛川西高のピカ一選手、二十七年稲葉氏の世話でトキコに入社した。以来彼は目立った戦績は残していなかったが、昨夏都市対抗予選から急にめざましい活躍をはじめた。川崎市代表を決する予選では対コロムビア戦に完投、シャットアウトして許しに安打わずかに4本、本大会の後楽園では一回戦は不戦勝、二回戦に鐘紡化学に対戦、与えた四球1、しかも無安打無得点の準完全試合を記録した。二回目河田にカウント2-3から四球を与えなかったらパーフェクト・ゲームになったわけである。しかもこの日外野に飛んだ打球はたった二個で、コントロールのいいシュートといいカーブといい、申し分のないピッチングであった。こうして川崎トキコは予選以来四試合を通じ相手に三塁を踏ませぬという好調ぶりで選手権三位を獲得したわけである。彼のピッチングを解剖して見ると投球は横手投げぎみ、球速は普通で一見平凡に見えるが案外に成功をおさめているそれは彼の制球力のよさと、なんといってもシュートのよさにある。シュートこそ彼の唯一の武器といえよう。だがプロの世界ではこれだけではむりでさらにスピードを増すこと、カーブの切れをよくすること、これが彼の第一の課題であろう。これらをみたすためにはもっとオーバーハンドで投げなければならないだろうし、また上半身をやわらかくし、腰のバネを強くするように大いに努力しなければならない。彼は不言実行の士であるというから努力さえすればその真価が発揮されていくことだろう。少し長い眼で見てやることが必要である。彼の家庭では男が生まれるとじきに病死して育たないというので彼は女の名前をつけられてしばらく育てられたという話も聞いている。まだ二十一歳、試合経験も豊富だけに将来が楽しみだ。

プロ入りの動機 別段あらたまっていうほどのものはありません、近鉄から話があったとき軽い気持でプロ入りをきめました。それだけ私は野球が好きなのかもしれません。

まず勉強したいこと 私は体力が十分でありませんから耐久力をつけること、これが第一だと思います。ノンプロでは大会前だけ慎重にコンディションを調整しておけばよかったのですがこれからはそう思いちきませんので体力的にへばってもスピードが落ちないように工夫したい。技術的にはスピードをつけることはもちろんだが、変化球をマスターしたい。

目標とする選手 私の体格などからみて関根投手(近鉄)のようなピッチングをすることが最良だと思います。
コメント
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