プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松原明夫

2016-08-11 15:57:58 | 日記
1968年

鳥取西高・松原明夫投手(17)=1㍍81、76㌔、右投右打=の巨人入りが二十日決まった。巨人・伊藤、武宮両スカウトは同日午後四時、松原投手の自宅(市内吉方町二丁目)をおとずれたとき、入団の意思表示があった。同投手の獲得には巨人、広島、大洋の三球団が争奪戦をつづけていたが松原本人が「巨人にあこがれていました」というところへ、巨人の熱心な交渉があり入団に踏み切ったもの。発表は二十一日午後十時自宅で行われる。韓国籍の松原はことしのドラフトの対象にならず第二の新浦と騒がれた。今月初め巨人が契約金は九百万円、広島が七百万円(いずれも推定)の条件を出し、交渉に当っていた。一時は「フォームもしっかりし、投手を育てるのがじょうずだ。将来性のある球団だ」と父親・忠夫さんは広島側に強く傾いていた。しかし本人の「巨人にあこがれている」気持に突っ込んで巨人は広島が帰ったあとも伊藤、武宮両スカウトが残り、八百万円、さらに九百万円と積みあげながらチームの内側などをくわしく説明した。二十日は「私がいくまで待ってほしい」といっていた鳥取西高出身である大洋・藤井二軍監督が交渉にきたが断られた。

松原投手「三球団の方からいろいろ話を聞きましたが、やっぱりぼくは巨人が一番いいと思いました。スカウトの方も熱心に誘ってくださったし、自分の力をこうまで買ってもらっているんですから・・。とにかく一生懸命がんばります」

父親・忠夫さん「広島さんにも熱心に誘っていただきましたが、やはりむすこの巨人入りの気持ちが強いのと、伊藤さん、武宮さんの熱心な勧誘には頭がさがりました。きょうは大洋の藤井さんにも会ってはっきり断りました。ほかにも中日からちょっと話がありましたが、それも断りました。発表はあす(二十一日)午前十時に行います」

松原明夫投手 甲子園に一度も出場していないため中央球界にはあまり名を知られていないが、在阪球団スカウトの間では二年生ごろから評判になっていた。1㍍81、76㌔と高校生ばなれした体格、しかも今春五月右ヒジをこわすまでは中国地区きっての本格派投手で「スピードはことしの高校生の中では一番あるだろう」と各スカウトから太鼓判を押されていた。右ヒジの故障がたたり、今夏の県予選は緒戦の米子東には1-0と三安打の散発で完封勝ちしたが、準決勝の米子南に2-3と逆転負けしている。ヒジをこわすまでは真っ向から投げおろしていたが、今夏の予選は故障がひびきスリークォーターとヒジがさがった投げ方になっている。
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渡辺孝博

2016-08-11 14:57:21 | 日記
1968年

「社会人の藤原(鐘紡)岡田(松下電器)大学の星野(明大)高校の池田(平安)島野(武相)あたりが実力、人気からみたことしのAクラス投手。渡辺はそのつぎのクラスだろう」(中日・田村スカウト)と評価されているが、ドラフト会議では投手株が人気を呼ぶだけに、10勝以下のクジを引いて第一志望投手を他球団にさらわれた球団が渡辺を指名する可能性が強い。しかし、プロ入りへの障害をこれほど多くかかえた選手もいないだろう。普通の人より白血球が少ない貧血性体質。増血剤を常用しているが、長いシーズンをのりきるスタミナの不安がつきまとう。高校二年、大学二年と三年おきに大きな貧血に見舞われた。もっとも、これは「成長期におこりがちなアンバランスで、こんごはそんなに心配しなくてもよいという医師もいる」(父親・秀二氏)そうだが・・・。渡辺家が身のふり方を一任している東海大・岩田監督は「首都大学リーグ出身のプロ野球選手第一号として送り出したい気持ちは山々だが、からだのことを考えるとシーズンが長く競争の激しいプロの世界はどうしてもするめる気になれない」という。そんなわけで、岩田監督の明大時代の先輩・迫畑正巳氏(元大洋監督)が監督をしている日立製作所への就職は、春の優勝祝賀会に迫畑氏が上京した際「渡辺を頼みます」「喜んで引き受けよう」とスムーズに話し合いができている。東海大の日立への一泊遠征は恒例になっており、今春卒業した大型捕手内田が日立製作所に入社するなど両チームはいわば親類づき合い。日立の投手陣は村井(明大)が峠を越しており、昨年入社が内定した小谷投手(国学大)を大洋にさらわれたいきさつもあるだけに、岩田監督は東海大・松前重義総長(衆議院議員)の了承も得て「渡辺は日立製作所へ就職」の方針をことあるたびに言明し、PRしてきた。メリヤス製造販売の武蔵工業社長の長男で、弟一人と家庭環境にもプロ入りを迫られる材料は見当たらない。渡辺が脚光を浴びたのはことし六月の大学選手権だった。二回戦で第二球場の東海大のゲームを見にゆくスカウトの姿が目立った。ところが、いちばん熱心だった巨人が夏以後に新浦、松原両投手を獲得したうえ「春夏はいいが、秋には調子が落ちる」(渡辺)のを確かめた結果「球威の点でものたりない」(前川スカウト担当)と積極的な動きをやめてしまった。岩田監督を神奈川県相模原市の合宿にたずねて、意向打診をかねてあいさつをした中日・塚越、大洋・入谷両スカウトも「プロ入りさせない事情」をきかされて、その後は表立った動きを控えている。中日は同じ横手投げの小川がいて、指名第一には本格派の星野が有力、山下、木原の同型投手をもつ大洋も、昨年まで岡投手(40年)松岡内野手(41年)小谷投手(42年)とトップに大物をあげたことがなかったが、ことしはオーナー命令で超一流クラスをねらうため「どうしても渡辺を・・・」とマトをしぼれないことも両スカウトの動きにブレーキをかけたようだ。パ・リーグでは優勝チーム阪急が横手、下手投げに弱いこともあって渡辺への関心は高い。神宮大会の対東都戦をみて塚本(東映)城島、渡辺(西鉄)白川(東京)の各スカウトは「すぐに使える」と口をそろえていた。南海・堀井スカウトには東海大野球部三年のオイを通して渡辺の体力面、家庭環境、チーム事情などが耳にはいっているが、同スカウトは「即戦力としてほしい投手。が、あきらめたわけではないがプロ入りしないような感じだ」と悲観的な見方をする。パ・リーグ球団にしても、何がなんでも渡辺というわけではなく「日立入社が決まっている」といううわさをきいて、直接的な活動には二の足をふんでいる段階だ。学校側の打ち出した就職の線が異常に強く、これをくずせるきめ手を持つ球団がいまのところないだけに、指名しても昨年の藤原、三輪田の二の舞となる可能性が強いが「本当の交渉は指名後にするものだ。オーナー総長の頂上会談という手もある」(在京球団・某スカウト)の声があるので、指名球団がどんな政治力を発揮するか、ことしのドラフト戦線でも注目されるケースになりそうだ。1㍍75、68㌔、右投右打、八王子工出、文学部四年。
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藤原真

2016-08-11 14:10:07 | 日記
1968年

ことしの夏まで大阪厚生年金病院で藤原のからだをみていた松原氏(現在は開業医)の話から聞こう。「腰の方はもう心配ないと思うが、社会人野球にいれば、トーナメント大会で三日連投などはザラだ。それよりもプロ野球にはいってちゃんと登板間隔をあけて使ってもらう方がいい。二十三歳といっても、高校時代は内野手だったので投手寿命はまだまだこれからだ」バッテリーにはすぐれた頭脳が絶対という持論をもつ松原氏は「藤原君のセンスと根性は抜群」とつけ加えた。兵庫県西脇市で鐘紡下請けの織物工場を営む一郎氏(37)の二男として、恵まれた環境の中で育ったが、野球人生に関するかぎり、ドラマ以上にドラマチックな道を歩んできた。三十九年、西脇高から慶大に入学したときは、無名の新人。態度が大きいと上級生にたたかれながらたくましく成長、四年になった昨年春、どん底の慶大を優勝に導いた。このシーズンの投球回数121イニングは六大学史上最高記録。四連戦になった法大との試合では、本当に足元をふらつかせながら、最後まで投げ抜いた。昨年ドラフト会議で一番クジを引いた南海がトップで指名したが、三日後に交渉をはじめようとしたときはもう鐘紡入社が決まっていた。直接説得に乗り出した鶴岡前監督の人柄は、藤原の心を動かしたが、鐘紡との約束が先だった。期待されてはいった鐘紡で三月の選抜大会はヒジ痛、六月の都市対抗予選はギックリ腰でフイにした。「藤原はもうダメらしい。南海はこわれものをつかまされずに得をした」とウワサされたのもこのころだ。だが「最後のチャンス」(藤原)の産業対抗野球で日石、日通などの強豪をなぎ倒して優勝。内容は投球回数39イニング、被安打21、防御率0.92。「やはり一級品」、(巨人・加藤スカウト)「ドラフト戦績異状ありです」(西鉄・渡辺スカウト)とスカウトたちをあわてさせた。ドラフト会議まであと五日という劇的なカムバックだった。優勝後のインタビューで「セ・リーグの球団に指名されたら考えてみたい」という藤原に対し、セ・リーグは大洋をのぞく五球団が獲得のかまえをみせている。田淵(法大)に的をしぼる巨人は別にして「慶大のエースとして神宮のヒーローになった実績は異行価値からもたいへんな魅力だ。球威はまだとりもどしていないが、ピッチングをよく知っており、即戦力になる。ほしい投手だ。(産経・宇高オーナー顧問)「完成された投手としては№1だ。スライダー、シュート、フォークボールなどを自分のものにしている。ウチも上位にあげる」(中日・田村スカウト)「10勝はいけそう。キャリアと度胸も十分だし、先発、リリーフの両方ともこなせるタイプ」(阪神・河西スカウト)「スピード不足を、コントロールでカバーした。このうえ球威を回復すればたいへんだ」(広島・木下スカウト)と、いずれも上位にランクしたようす。いまのところ藤原家に接触をもつ球団はないが、一郎氏は「事前交渉はできないのだから、気にしていません。私は明治生まれだから、ちゃんと筋を通してこられるのが一番弱い」といっており、むしろ「いまは鐘紡の人間だから、会社の了解をとるのが先決問題」(一郎氏)になってくる。この点について鐘紡・本庄監督は「本人から相談にくる前に、会社がどうこうしろということはしないが、藤原が産業対抗野球に野球生命をかけた気持はわかっている」と話している。慶大進学のときからめんどうを見てきた鐘紡の種田前監督(現在長野工場準備課長)も「優勝で義理がすんだという考え方には賛成できないが、本人がプロでやりたいというならいっしょに考える」と積極的な反対はしない意向だ。パ・リーグはどうか。ことし指名するためには本人の同意書を必要とする南海は「縁がなかったんでしょう。同意書はもらいません」(宮本常務)と手を引いた。近鉄、西鉄が候補リストの上位にあげているが、慶大時代に藤原をコーチした上野スカウトでさえ「パ・リーグが本人のハダに合わないことはたしかだ。交渉権をとっても獲得の見通しは五分五分」と弱気。昨年、南海の熱心な勧誘を断り通した意志の強さが敬遠されているようだ。1㍍79、75㌔、右投右打、慶大出、二十三歳。
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