1952年
広島の先発野崎はナックルとカーブを多投して好調の滑り出しをみせたが二回二死後から加藤進に三塁を強襲され、山崎の三ゴロもイレギュラー安打となる不運に見舞われて、次打者国枝の左翼線二塁打で二点を先取されてしまった。広島は三回なかばから好調の太田垣を送って反撃の機をうかがい四回岩本、大沢四球に浴し意表を衝く重盗に成功、無死二、三塁と絶好のチャンスを迎えたが後続打者が凡退し逆に名古屋は五回原田、児玉の安打で軽く一点を加え試合を楽にした。その後広島も太田垣の安打と四球で迎えたチャンスを武智の二飛でダブられたが、九回大沢の四球を足場に門前の右前安打で無死一、三塁で攻めたてれば大事をとった名古屋の杉下、野口のバッテリーを繰り出しピンチを脱せんとした、しかし長持の代打藤原はよく遊越しに快打し一点を還し、なおも塚本の犠打で一死二、三塁に持ち込んだが、広岡の代打野田と、太田垣が凡退し無念の涙をのんだ。
広島の先発野崎はナックルとカーブを多投して好調の滑り出しをみせたが二回二死後から加藤進に三塁を強襲され、山崎の三ゴロもイレギュラー安打となる不運に見舞われて、次打者国枝の左翼線二塁打で二点を先取されてしまった。広島は三回なかばから好調の太田垣を送って反撃の機をうかがい四回岩本、大沢四球に浴し意表を衝く重盗に成功、無死二、三塁と絶好のチャンスを迎えたが後続打者が凡退し逆に名古屋は五回原田、児玉の安打で軽く一点を加え試合を楽にした。その後広島も太田垣の安打と四球で迎えたチャンスを武智の二飛でダブられたが、九回大沢の四球を足場に門前の右前安打で無死一、三塁で攻めたてれば大事をとった名古屋の杉下、野口のバッテリーを繰り出しピンチを脱せんとした、しかし長持の代打藤原はよく遊越しに快打し一点を還し、なおも塚本の犠打で一死二、三塁に持ち込んだが、広岡の代打野田と、太田垣が凡退し無念の涙をのんだ。