プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

西脇興司

2016-08-12 23:53:31 | 日記
1966年

一月のことだ。福岡から佐賀へ向かう国道を毎朝走っているノッポの青年がいた。いつの間にか佐賀行きのバスの乗客の話題になっていた。マラソンの重松選手がよく走る道だから「マラソンの選手だろう」くらいにしか思わなかった乗客の間で、その男を知っている人はいなかった。その男は昼すぎになると西鉄・河野コーチ宅の門をたたいた。毎日つづけているバットの素振りで両手はマメだらけ。マメはつぶれ、その上から赤チンをぬって島原キャンプへ向かったときは両手は真っ赤だった。キャンプでもそれほど目立たなかったが黙々と練習だけは人一倍やった。紅白試合でもオープン戦でもびっくりするような長打をとばした。足も速い。だがときに大きなミスをやるのがこの男の特徴だった。なかでも対メキシコ戦、西鉄が走者を出しながら得点できずあせりにあせった八回、左中間のライナーでぶち込んだ当たりはファンにこの男を再認識させた。オープン戦十一試合、チーム一の打率をつづけている。この日も四打数二安打、1四球、2得点。七回はホーム・スチールまでやってのけた。トップ打者として申し分ない。「まだ夢中でやっているけど、自分のどこがいいのか、悪いのかさっぱりわからない」とテれる素朴さも失っていない。「でも最後の打席にまたボールを振ってしまった。ぼくの一番悪い欠点なんだ」としきりにくやしがる。中西監督はこの男をこう評し「バッティングがよくなってきただろう。ウチは一番打者がいないので、足の速い西脇をなんとかものにしようと努力している。練習でもプレーでも、必死に、がむしゃらに突っ込んでいく。こんごの課題は守備や走塁にもうひとつカンを働かすこと。そのためにもオープン戦でどんどん使っているんだ」大阪経済大という野球とは関係なさそうな学校を経て、西鉄のテストを受けた。同期生に中沢パ・リーグ記録員の長男がいたのが縁だった。初めは「プロ野球のレベルについていけるだろうか」とまでいわれて五年。ついに外野のレギュラーを脅かす存在にまで成長した。
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長島吉邦

2016-08-12 23:06:07 | 日記
1973年

別当監督と長谷川コーチが試合中、何度も交代でネット裏に足を運んだ。長島のピッチングを、球筋のよく見えるところで確かめたかったのだ。途中からは私服に着替えた外木場が伝令となってベンチへ走った。「予想外の好投だ。こんなに投げられるとは思いもしなかったよ。後ろから何度も確かめたのだが、カーブが小さく落ちてスライダーの役目をしている。シュートもいいし、度胸も満点だ。いけるよ」別当監督は笑いっ放しだった。試合途中で引き揚げるはずだった外木場も、とうとう最後までネット裏にクギづけになった。「ストレートは速い方ではないが、カーブとシュートのコンビネーションがいい。ピッチングの組み立てなどどうみても新人とは思えない。逆にぼくの方が勉強になりましたよ」別当監督は前半を長島にまかせ、適当なところで、松林、藤本につなぐ考えでいた。それがり、両リーグを通じてヤクルト・安田につぐ二人目の完投だ。キャンプでは同じルーキーの松林(大昭和白老)のかげに隠れていた。コントロールのいいことから毎日バッティング投手にかり出され、くさり気味でもあった。「あのころはいいところを見せようとあせっていた。ボールも走らず、まったくいいところなしだった。これじゃいかんと思い直して、じっとチャンスを待っていたんです」六年間のノンプロ(新日鉄名古屋)生活では鳴かず飛ばず。昨年のドラフト会議前、地元中日球団の指名候補者一覧には、百人の中にも入っていなかったといわれ、中日の関係者には「広島はなぜあんな投手をとったのかわからない」と笑う声もあったほどだ。広島の首脳陣にも「ものになるのは一、二年先」という見方が強かった。それらの見通しをひっくり返し、取られた点は阿部のホームランによる1点だけ。それも「風がなかったらはいっていなかったと思う。バックを信用して打たせるピッチングをしたのがよかった」と笑った。初登板の日拓戦で三回をノーヒット。この日の好投でまた自信がふくらんだ。しかし、これでプロで通用するとは思っていない。「これからは、十球低めをねらったら、八球は確実に決るようにしたい。一歩一歩着実にいきます。これでメシを食っていかなければならないんですから・・・」ことしの初め、プロ入りと同時に、同じ職場で机を並べていた聖子夫人(23)と結婚した。長谷川コーチは「一度社会に出ているだけに、ものの考え方がしっかりしている。あの攻撃的なピッチングも、ちゃんと計算したうえでのことのようだ。面白い存在になるよ」と、急に期待が大きくなった。1㍍77、72㌔、右投右打、熊本工出身。
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