1966年
一月のことだ。福岡から佐賀へ向かう国道を毎朝走っているノッポの青年がいた。いつの間にか佐賀行きのバスの乗客の話題になっていた。マラソンの重松選手がよく走る道だから「マラソンの選手だろう」くらいにしか思わなかった乗客の間で、その男を知っている人はいなかった。その男は昼すぎになると西鉄・河野コーチ宅の門をたたいた。毎日つづけているバットの素振りで両手はマメだらけ。マメはつぶれ、その上から赤チンをぬって島原キャンプへ向かったときは両手は真っ赤だった。キャンプでもそれほど目立たなかったが黙々と練習だけは人一倍やった。紅白試合でもオープン戦でもびっくりするような長打をとばした。足も速い。だがときに大きなミスをやるのがこの男の特徴だった。なかでも対メキシコ戦、西鉄が走者を出しながら得点できずあせりにあせった八回、左中間のライナーでぶち込んだ当たりはファンにこの男を再認識させた。オープン戦十一試合、チーム一の打率をつづけている。この日も四打数二安打、1四球、2得点。七回はホーム・スチールまでやってのけた。トップ打者として申し分ない。「まだ夢中でやっているけど、自分のどこがいいのか、悪いのかさっぱりわからない」とテれる素朴さも失っていない。「でも最後の打席にまたボールを振ってしまった。ぼくの一番悪い欠点なんだ」としきりにくやしがる。中西監督はこの男をこう評し「バッティングがよくなってきただろう。ウチは一番打者がいないので、足の速い西脇をなんとかものにしようと努力している。練習でもプレーでも、必死に、がむしゃらに突っ込んでいく。こんごの課題は守備や走塁にもうひとつカンを働かすこと。そのためにもオープン戦でどんどん使っているんだ」大阪経済大という野球とは関係なさそうな学校を経て、西鉄のテストを受けた。同期生に中沢パ・リーグ記録員の長男がいたのが縁だった。初めは「プロ野球のレベルについていけるだろうか」とまでいわれて五年。ついに外野のレギュラーを脅かす存在にまで成長した。
一月のことだ。福岡から佐賀へ向かう国道を毎朝走っているノッポの青年がいた。いつの間にか佐賀行きのバスの乗客の話題になっていた。マラソンの重松選手がよく走る道だから「マラソンの選手だろう」くらいにしか思わなかった乗客の間で、その男を知っている人はいなかった。その男は昼すぎになると西鉄・河野コーチ宅の門をたたいた。毎日つづけているバットの素振りで両手はマメだらけ。マメはつぶれ、その上から赤チンをぬって島原キャンプへ向かったときは両手は真っ赤だった。キャンプでもそれほど目立たなかったが黙々と練習だけは人一倍やった。紅白試合でもオープン戦でもびっくりするような長打をとばした。足も速い。だがときに大きなミスをやるのがこの男の特徴だった。なかでも対メキシコ戦、西鉄が走者を出しながら得点できずあせりにあせった八回、左中間のライナーでぶち込んだ当たりはファンにこの男を再認識させた。オープン戦十一試合、チーム一の打率をつづけている。この日も四打数二安打、1四球、2得点。七回はホーム・スチールまでやってのけた。トップ打者として申し分ない。「まだ夢中でやっているけど、自分のどこがいいのか、悪いのかさっぱりわからない」とテれる素朴さも失っていない。「でも最後の打席にまたボールを振ってしまった。ぼくの一番悪い欠点なんだ」としきりにくやしがる。中西監督はこの男をこう評し「バッティングがよくなってきただろう。ウチは一番打者がいないので、足の速い西脇をなんとかものにしようと努力している。練習でもプレーでも、必死に、がむしゃらに突っ込んでいく。こんごの課題は守備や走塁にもうひとつカンを働かすこと。そのためにもオープン戦でどんどん使っているんだ」大阪経済大という野球とは関係なさそうな学校を経て、西鉄のテストを受けた。同期生に中沢パ・リーグ記録員の長男がいたのが縁だった。初めは「プロ野球のレベルについていけるだろうか」とまでいわれて五年。ついに外野のレギュラーを脅かす存在にまで成長した。