プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

徳武定之

2016-11-17 23:36:26 | 日記
1962年

「カネさん(金田のこと)に借りをひとつだけ返した」と徳武はうれしそうにいった。金田が投げるゲームにかぎって徳武は不思議にヘマをする。「この前の中日戦(十二日・後楽園)も一死一、三塁でぼくが打って併殺打なんですよ。あれがなければ金田さんが勝ってた。それにきょうも同点にされるエラーはするし、三回また一死一、三塁でゲッツーでしょう。これでひとつは借りを返したが、まだ二つ残ってます」金田が徳武を本当の弟のようにかわいがっているのは有名な話だ。徳武の早大での後輩安藤(元)(東映)も「歩き方や言葉つきまで金田さんのマネばかりしている。ワシ、ワシといったりして」といわれるくらいだ。しかし報道陣にかこまれるとワシとはいわなかった。金田がいった。「ほんまにあいつはオレのときに妙なことをしよる。若いのに委縮しちゃいかんわ。ワシのように下り坂の選手とは違うんやからな。しかしかわいいヤツやで」八回の逆転二塁打を打ったバットは町田のものだったそうだ。「町田さんがぼくのバットを使って折ってしまったんです。それできょうは逆に町田さんのバットを借りて・・・。別に折ろうという気持ちじゃなかったが・・・アッハッハッ。カーブです。中村はあのとき0-3からカーブばかり投げてきた。スピードがなかったんじゃないか。監督さんに打つ前バットを短く持てといわれたのもよかった。それにしても巨人は迫力がないですね。四番がああじゃね。長島さんはバットが振れてないですよ。最後に一本打ったがヤマかけたみたいだった」ロッカーへ帰ってきた徳武に町田がこわい顔をして近寄ってきた。「人のバットを使っていい子になって・・・」もちろんこれは冗談だ。徳武は答えた。「だからさっき新聞社の人に町田さんのバットで打ちましたとちゃんといっておきました」町田はニヤッと笑ってフロへ出かけた。
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長田幸雄

2016-11-17 22:15:31 | 日記
1962年

「なにからなにまで知らない土地にきて、子供のころから親友がいた」三月来日したときグルンがいった。その理由がふるっている。長田の顔がポパイに似ているからだ。外人トリオにいつも「ポパイ、ポパイ」とまるでおもちゃのようにあつかわれている。長田はそれで満足している。「あの連中は、やはりちょっとしたことで外国へきているんだということを意識するからね。そうなればチームの顔だもの。別に悪いことじゃなし、みんながよくなればいいでしょう」その長田がこの前の名古屋遠征のとき、グルンに丸坊主にされてしまった。床屋の経験があるというグルンの言葉を信じて頭を刈ってもらったのだが、なんと腕はシロウトとかわらないほどのもの。気がついたときはものすごいトラ刈り。すぐ床屋へとび込んで丸刈りにしてしまったわけだ。「でもなんかいいことがありそうな気がしてね。たまにかわったことをすればかわったことが起こるかもしれないと思ったんです」帽子の上から坊主頭をなでまわしてテレる。「打ったのはカーブ、真ん中へはいってきた。打つ前に宮崎コーチから初球にいい球がくるぜ、といわれたのでねらってたんですよ。でも久しぶりだな。殊勲打なんていつだったか・・・。巨人戦で左翼へ二塁打した以外にあまり記憶がありませんよ。それも何日の何回戦だったか忘れちゃったんだからたいしたことはないでしょう」大洋一ののんきものでとおっている長田も、この夜だけは必死だったそうだ。「阪神が連敗しているからね。勝ちゃ、トップだとみんな殺気だっていましたよ。ぼくだってからだが堅くなりどおしだった」だが、からだは女の子みたい。ぐにゃぐにゃしたからだで腰を振って歩くのも長田の特徴だ。最後にロッカー・ルームへはいった長田は待ちかまえているグルンに腰をピシャリとやられた。「ナイス・バッティング、ナイス・ヘア」フロへはいるときが一番いやだという長田は名古屋で買ったストロー・ハットを当分どこへでもかぶっていくそうだ。
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桑田武

2016-11-17 21:09:41 | 日記
1962年

七回浜中に代走をたのんでダッグアウト裏の控え室で入念に小林トレーナーのマッサージをうける桑田は明るい表情だ。まず四打数二安打、打点二の説明からはじまる。「五回のも七回のもみんな高目だったですね。でも予定数をオーバーしちゃった。打つ方はなんとか知っているけどまだ守るのがね。いまのところ五回ぐらいで終わりですよ。足が思うようにいかないし、ランナーになっても走れない」そっと右足をなでる。三原監督が持っているのは守の桑田ではなく打の桑田だ。五回の左翼線の当たりも痛烈なら七回の中越二塁打もダイレクトでフェンスに当ったもの。もう少しでホームランというすごい当たりだった。「広島戦のときを入れるとこれで二本二塁打そソンしちゃったな。でもまだまだ目はなれていない。まっすぐだから打てたんだ」とひかえ目だ。桑田にはふしぎなジンクスがある。三十四年入団して以来、毎年ケガがたえない。それも足ばかりだ。故障したあとは、ほとんどの選手がなかなか調子をあげられないものだが、桑田はまったく逆。故障回復後十試合の桑田の打率は三十五年九月の四割六分九厘を最高に、全部四割近いアベレージだ。ことしもまだ四試合だが十一打数四安打、三割六分四厘と好調な出足だ。このふしぎの理由を桑田はこういう。「僕は腕力が強い。だからどうしても力がはいってフォームがくずれてしまうんだ。ところが足が気になるとふんばりがきかなくなる。自然に腰で打つようになる。これがいいんじゃないかと思うんですがね。まあいつもそういう気持ちで軽く打つようにすればいいんだけど・・・」八回大洋は1点を追加する。そのたびに桑田は身をのり出して「ああ、またはいった。きょうだけは勝ってくれよな。はじめての打点をあげたんだから。坊主(武将ちゃん)のいいおみやげができた」と喜ぶ。「巨人戦までになんとか使えるようにしたい」といっていた三原監督を満足させるほどの桑田の復調ぶりだった。セ・リーグの混戦をぬけ出すために得点力増加をはかる三原監督はこの桑田の復帰で近藤(和)桑田、マック、森というぶきみな新打線を考えている。
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ジェームス・マクナマス

2016-11-17 20:21:37 | 日記
1962年

ユニホームの両腕をまくりあげ、両手を下げながらチョコチョコとベースをまわるマック。そのマックの前を走りながら桑田は昨年十月のハワイ遠征を思い出したという。「両手をプラプラ振りながらまるでお穣さんスタイルのような走り方、にくかったね。しかも必ず第一打席できまったように3ラン。得意満面なマックを何回も見たことか。はじめはチクショウと歯ぎしりしたが、そのうちになれっこになってしまった」ムードはハワイのときに似ていたというが、コンディションはかなり違っていた。三日の中日戦の試合前川崎球場のグリルでとった特別料理があたったそうだ。「ここ二日間なんにも食べてないんだ。なんか食べようとしてもすぐハキケがする。やっと試合前カツサンドを二、三切れ食べただけ」ロビーでホッとしたような顔をしてたばこをくゆらせているマックのかわりに通訳の橋本が説明した。「チェンジアップね。変化したね。シュートかな。ビッグ・ゲームの巨人戦に打てて大洋に大きなプラスができたと思うね。これからもこんなのを出したい・・・」たんたんとしゃべっていたマックの顔から笑いがこぼれたのは「後楽園の初ホーマー」という言葉が出たときだ。「オー、イエス、イエス。トテモウレシイネ」たどたどしい日本語が出るときはごきげんのとき。日本の最も代表的な球場である後楽園のスタンドへ早く打ち込みたいといっていたマックが首位をかけた巨人戦に出したのだからムリもないが・・・。-これで16試合連続安打だが、意識してる?「うん、七年間の野球で15試合が最高だからもっとのばしたいね、できれば20試合か・・・30試合・・・」この3ランはマック自身の連続安打の記録を更新した一発でもあったわけだ。午後十時快い口ブエをひびかせながらトヨペット・クラウンは静かに後楽園からすべり出した。多摩川の新居では長男のブライアンちゃん(一つ)が左手で子供のバットを振りながらバットの帰りを待っている。サウスポーブライアンちゃんと野球遊びをするのがマックの一番の楽しみだそうだ。
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森永勝治

2016-11-17 19:55:49 | 日記
1962年

天知俊一氏が十回の安打よりも三回伊藤から打ったタイムリーの方を高く評価していた。「左投手に弱かったのによく打った」打たれた伊藤はいっていた。「森永とは大学、ノンプロを通してずいぶん顔を合わせている。(森永は専大ー熊谷組、伊藤は中大ー日本生命)彼は極端に左に弱かった。カーブを投げれば腰を引いちゃってどうしようもなかった」森永は左に弱い欠点をまじめな性格で克服した。川本スコアラーは「左投手に弱いというが、それは二、三年前までの話で、去年はウチの左打者の中では左投手に対する打率が一番よかった。練習でも左投手をひっぱり出して打っている。足腰を鍛えるため、よく走ることでも一、二を争う」という。福永トレーナーの話によると遠征地に着いた日、森永は絶対に宿舎を出ない。早目に食事をしマッサージを受けて寝る。プロ入り以来まる四年、判で押したようにそうしているそうだ。ひとつの習慣を四年間も守り続ける粘り強いファイト。三回の安打について森永はこういった。「広島で伊藤に二度チャンスに三振させられた。お返しというわけではないが、こんどは打たなければと思って持っていた。まっすぐだった」赤ら顔でちょっと出っ歯。「十回にはきめどころですからね」ポツリ、ポツリはずかしそうにいう。そこで考え込んで「ただね、ぼくは毎年春には調子がいいんだが、五、六月になると故障したりして落ちるんで、それをなんとかしようと思って・・・」といっていた。左投手征服のつぎの自信がここにある。というとまじめ一点ばりのようだが、三連戦の最後の夜には門限ギリギリまで帰らないそうだからユーモアを知らないわけではないらしい。
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