プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山本八郎

2016-11-14 10:28:39 | 日記
1963年

オープン戦で山本(八)は全然当ってなかった。気性の強い山本(八)は「理由はわからんのや安打はドラッグ・バントやへんな当たりばかりやった。しかしちょっとも心配していなかった。本番になればなんとかなると思う」試合前のベンチではまるで他人ごとのようにいった。関根や小玉がバットを振っているのに山本(八)はイスにふんぞりかえっていた。試合がはじまるとナインは目をみはった。当っていなかった山本(八)が二本も本塁打を打ったからだ。「開幕試合はいつもこんな調子や。いままで七回のうち二回一発を打っているんや。しかし二本も打ったのは初めてやな」二本目の本塁打はとんでもない高いボールの球。草野球でよくみかけるみごと?な大根切りだった。だが打球はライナーでバック・スクリーンにとび込んだ。気力で打ったというよりほかはない。打たれたスタンカが「あんな球を・・・。アイツはクレージー(気違い)だ」とぼやいていた。八回にはど真ん中の球を遊ゴロ。「ボールでないとあかん、ストライクは打たれへん」と大声で笑っていたが、こんな山本(八)にナインはびっくりしていた。「ねらったわけではないが、負けていたので思い切り振ってやったんや。スタンカはスピードがなかった。あのコースの球やったらもっとのびてバットが押されるんやなが。三十万円の電気製品?そんなものほしくないね」大阪球場のバック・スクリーンに打ち込めば棒電気メーカーから三十万円相当の製品をもらえる。賞品のことよりも好調なすべり出しに気をよくして頭がいっぱいらしい。別当監督は「気力で打った。これからもずっと五番を打たせる」と上きげんだ。いままでの山本(八)のファイトはゆがんだ形で出ていた。昨年までいた東映ではファイトが先走りして同僚をポカリとなぐったり、いろんな問題を起していた。ことし近鉄にトレードがきまったとき、別当監督は「そのファイトを試合だけに出せばいい」と忠告していたが、このアドバイスをしっかり守っている。「ハッちゃん」これが近鉄での愛称だ。「近鉄は実に気持ちのいいチームだ。のびのびやれる。この調子だと目標の三割も打てそうだ」と1、2号をたたき出したバットをひょいとかついでベンチを出ていった。山本(八)の足どりは軽かった。
コメント
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