プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

岡本伊三美

2016-11-05 21:12:29 | 日記
1962年

六回三本目の安打を三塁線に打ち、代走河津と代わってベンチに帰ってきた岡本は最前列のイスにどっかりと腰をおろした。くいつきそうにグラウンドを見つめている表情は試合が終わるまでくずれなかった。四月下旬に二軍コーチからカムバックして以来、二割五分九厘とよく好打をとばしている。「調子?一貫匁(3・75㌔)もやせた。やせたおかげでねんざしていた左足首がなおってしまった。このごろになってやっとプレーをつづけられる自信がわいてきた。きょうの本塁打だって高目のいい球だったから思いきって打ってやった」十四年目の選手とは思えないほど声も表情も若々しい。監督、コーチから現役に復帰したのは藤村(阪神・現評論家)杉下(大毎)についで三人目。「チームが沈みきっていたときにこそわれわれがやらなければならん。そりゃ打てんかったら、どうしようかという心配はあったさ。しかし打ったり走ったりしている間に昔を思い出したね。よーし、ワシがやったら若い選手たちもついてくるだろうとね。ヒットが出なくても一生懸命にやるんだということをみせてやりたかった。おかげで三浦や鈴木(正)山本なんかが出てきてくれた。いまのウチは若いもんもボクらのような古い連中も一本になってやっているだろう。さいはいをだれがふったって同じだ。やるのは選手なんだからな。野村も当ってきたし、どんどん追いかけていくぞ」子供のようにはずんだ声でホームランの球を説明していたが、いつの間にかしんみりした三十一歳のコーチの話しぶりにかわっていた。あと十本で千本安打。しかし「自分の記録のことなんかいっておられない。チームのことでオレの頭はいっぱいだ」選手が引きあげていったベンチのあとかたづけをだまってやりはじめた。
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宮原務本

2016-11-05 20:42:32 | 日記
1962年

宮原は報道陣に囲まれてポッと顔が赤くなった。「やっと出ました」いかにも肩の荷がおりたという感じでフーッと息をはく。「打ったのはインローです。もう思い切って振りましたよ」六回無死満塁に一塁線二塁打の勝ち越し打をはなったバットをなでながらこう説明した。「子供のときに痛めた右ヒザが昨年十二月に開花して、ことしのキャンプはろくろく練習できなかった。それがいままで持ち越して、まだ満足な練習をしていないんですよ。きょうの代打も今シーズン七度目。やっと初安打です。やはり気持ちがいいですね」昨年も代打男として鳴らした宮原がようやく本領発揮というわけ。「試合前のフリー・バッティングで三本しか打ってない。先輩がたくさんいるし、ぼくの出る幕はないと思っていたが・・・。監督さんが勝負強さを買った?いやそれはどうですかね(笑い)」細い目がいっそう細くなった「カウント2-2になったときおやじさん(水原監督)からバットを短めに持てと指示された。内角一本やりで攻められたのでぼくもそうしようと思っていたやさきだった」コーチス・ボックスの水原監督とイキがピッタリ合った。代打の功績を買われ昨年の背番号57を25に昇格?してもらった。「おやじさんのおかげです。あまり若い番号だと重荷になりますから、このへんがぼくには適当ですよ」もっとも年棒の方は若い(十九歳)からとかたづけられて思ったより上がらなかったという。無名の長生一高(千葉県)からはいって二年目。昨年は千葉県茂原市で学校の先生をしているお母さんの一枝さん(47)から小づかいをせびっていた。「もうことしからそんなことはしませんよ。これをきっかけにどんどん打って来年は大いに昇給してもらおう」ヒマなときは東京飯田橋病院にかよって、右ヒザの治療をしている宮原のいまの悩みは「練習をたくさんできない」ことだそうだ。
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村田元一

2016-11-05 20:21:52 | 日記
1963年

国鉄でいちばんのおしゃれ。黒いズボン、白いセーター、対照的な原色がだれよりもよく似合う。ユニホームに毎日のようにアイロンをかけてピタリと折り目をつけている。そのユニホームが久しぶりにヨレヨレになった。「疲れたよ。どうやって投げたかわからない」グラウンドの石段にペタリと腰を落とした。「長イス?もういいですよ。動くのがつらい」肩をなでたり、足をもみほぐしたり、質問に答える口も重そうだった。「もう全部が全部つらいイニングだったよ。ことしはじめて九回投げたんだしね。とくに一回はなんだかからだが重かった。カゼぎみで頭が痛くって」だが一死一塁のこの回を切り抜けたことが村田には大きな自信となったそうだ。二十六日の対中日戦で一回二死から五安打されKOされているからだ。「あれでホッとした。王、長島にはピンチで四度あったけど、うまく投げ切れたと思うね。でもON砲って日本一だろう。投げがいもあったよ」外角のカーブに泳ぎ、内角のシュートにつまった長島は「スピードはなかったと思うね。なにかわからないうちにやられちゃった」と首をひねってボヤいていた。しかし村田はちゃんと計算していたのだ。「長島は初めっから右翼方面をねらっているようだったので思い切り内角へシュートを投げたんだ。王には外角へカーブやら、落としたり・・・。こっちのカンもよかったけど、相手のカンも狂っていたんだろうよ。もちろん力いっぱいのスピードで投げたよ。六回と九回の長嶋にはちょっとイヤな感じがしたのでムリに勝負しなかったんだ」前夜超スローボールで王、長島をかわした金田が「おっ、やっとるな」とインタビューに答える村田を見ながら笑って通りすぎた。「とにかく後楽園ではことし初めて投げたんだからね。たくさんのお客さんがいるし、相手が巨人だし、それだけに力がはいったよ」調子のいいときの村田は投げたとき、右手が左ヒザにぶっつかる。村田の右手上はく部は赤くはれあがっていた。原因不明の肩の痛みもすっかりなくなっている。その痛みについて私生活が悪いからだという黒いうわさがとんだとき「マウンドで投げて、そのうわさを吹きとばしてやる」と目をむいた。その約束をはたした。「もう医者のやっかいにならない。元気でいくんだ」金田の口グセをまねてちょっとほおをゆるめた。第二のエース復活村田は勢いよく顔をあげた。
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益田昭雄

2016-11-05 00:55:36 | 日記
1963年

「ブルペンで中尾さんと益田は一回もつかなと心配していたんだ。球はこなかったしね。それがスイスイスイ。不思議な投手や」藤尾が楽屋裏を公開していた。その益田は五回から藤田をリリーフ、大洋を三安打の1点に押えて堂々の2勝目だ。「長いこと登板していないからドキドキでした。球が適当に散ったのがよかっただけです。そのほか全然ダメ。スピードはなかったし、カーブもよくなかった。ワァー、暑い。アンダーシャツがグショグショや」益田がこんなにスラスラいったわけではない。少しどもる方なので話はしたがらない選手。報道陣がなにも聞かないときは益田もだまって突っ立っている。ボツリボツリと必要最小限しか答えないのを総合するとこうなるというわけ。「大洋ですか?真ん中へ投げると打ちますかね」大洋の印象を聞かれたときは軽く片づけた。ベンチうしろの通路に昨年の秋、山陽特殊鉄鋼の倉庫部主任心得をしていた益田をとってきた伊藤スカウトがニコニコして立っていた。「ことし2勝するかなと思っていた。するともう2勝だ。この分なら5勝くらいはいくかな。今夜は祝杯をあげるかって?いやあ、あれはビールが好きな方だし、いまはまだあまやかさない方がいいからね」ロッカーへ帰った益田はフロにもはいらず帰りじたくだ。「おかあちゃん、勝ったぞというわけだね。そして生ビールの大ビンでも二、三本あけよるのかな。さぞうまいだろうね」横から池沢が心配をした。益田はまじめな顔で「ハア、さっそく帰ってワイフに報告します」といい、大あわてにあわてて帰っていった。
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三浦清弘

2016-11-05 00:40:34 | 日記
1963年

目の前に出されたマイクを三浦は不思議そうな顔でみた。ピッチングをほめられてもはじめは首をかしげて笑うだけ。予想外の好投扱いをされるのが不満らしい。三浦が楽しそうに笑ったのは最後の張本を三振させたときの話だ。「あれは愉快だった。ナックルですよ。練習でしかほうったことがないんやけど、野村さんと相談してえーい、やってみろって投げ込んだんだ。うまくいったな」公式戦のマウンドではじめて投げた球で張本を三振させたのだからおもしろい。ことしで七年目。過去の六年間を三浦は度胸で投げとおしてきた。一軍半の選手から昨年準エースにのしあがったのもピンチに真ん中へ投げ込める度胸を鶴岡監督に買われたからだ。三浦はいう。「度胸の投手だっていうけど、それでいいじゃないですか。速球とドロップも投手の武器。度胸だってりっぱにゼニになるんやから・・・」先発をいわれたのはこの日の朝だ。「オマエやでっていわれたけど、なにも感じなかったな。ぼくははじめからきょうはオレだと思い込んでいたからね」三浦は睡眠時間が他の選手よりずっと短い。一日に七時間かせいぜい八時間。この日も目をさましたのは、みんなが寝ている午前八時。宿舎を出発するまで九時間もある。「なにも考えなかったね。ボヤッとしとった。ただ張本の前にランナーを出さんようにということだけを頭のなかでくりかえしていたんや」グラウンドについてからも三浦は試合に出ない投手のような顔をしていた。「張本も三振させたし、二死満塁で吉田(勝)も三振させた。まあまあだったな。完全試合?もちろん知ってたさ。できるものならやってやろうと、ひそかにねらっていたんや。ほんとに惜しかったな。あれさえなかったらいけたのに」東映を完封したことより、大記録をのがしたことの方を、ひとりでくやしがった。だが三浦はひとりになると口の中で低くいった。「でもシーズンはまだ長いんだ。これからだっていくらでもチャンスはある。こんどこそどえらいことをやってやる」グラウンドへついてからグラウンドを出るまで、三浦は度胸がよかった。
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