プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

榎本喜八

2016-11-23 17:23:59 | 日記
1962年

トウヘイ先生ーいまの榎本は好調なバッティングを説明するとき、その名前をくり返してばかりいる。トウヘイ先制、それば榎本が私淑している合気道の先生だ。「合気道とはなにか?といわれてもぼくは説明できないけれど、いまよく打てるのはとにかくトウヘイ先生のおかげです。この前もいいヒントをもらった。バットをもったとき、重心が下にあると思えば右ヒジは決して上がることはないといわれた。要するに精神を集中できればいい。だから最近はできるだけバットをためて、ふところにボールをいっぱいに呼び込んでおいてガッと出る集中力が強くなっている。公式戦にはいったばかりのときは足が前に出てスローカーブには手が出なかった。気持ちとからだがバラバラになっていた」トウヘイ先生の指導を自分で立ち上がって実演してみせた。「トウヘイってどんな字?」といわれると、しばらく考えて首をかしげた。「どう書くのか、わかんないや」藤平光一八段のこと。結婚二年目。まだ無邪気でひたむきだ。「去年はとにかく打たなければならないという意識ばかり先に立っていた。いまはここで打とうとか打たなくちゃいかんという義務感みたいなやつがないからいいんだ」この日三本塁打で二十三試合連続安打。「連続安打のことも逆転打ということも全然考えなかった」そうだ。だからこんごも「その日その日、あきらめているみたいなさっぱりした気持ちで打っていく」とあっさりしたもの。無精ヒゲをはやして毎日鷲宮から南千住まで約一時間電車のつり皮にぶら下がってくる。ホームランの説明もしごくていねいで低姿勢。理論的で細かい。「第二試合を例にとって説明しましょう。一本目はインハイのボールです。杉浦さんが不調でのびがないので打てました。これはうれしくもありません。打者としてボールを打ったことがはずかしいんです。二本目はカーブ。カーブの間が合わないので最後の打席は一番前に立ってみた。すると杉浦さんはカーブを投げない。すぐ2-0と追い込まれたのでこんどは一番うしろに立った。そこへカーブがきたわけです。腕に力がはいらず、腰でもっていった理想的な打ち方でした」まるでやさしい学校の先生にさとされるようなふんい気になった。
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ニューベリー

2016-11-23 12:54:41 | 日記
1952年

黒人二塁手はさっそうとデビューした、一回二死後左ボックスに入ったブリットンは外角高目の第一球を叩きつけるように中越大三塁打して冴えたバッティングの片鱗を見せた、そればかりか次打者戸倉の1-2後に全く意表を衝いてはいたが、無謀としか思えぬ本塁を敢行無論アウトになったが、確かに毛色の変わった野球にファンの目をみはらせた。一方ニューベリー投手も球速といい多彩な球道変化といい申分なく、毎日は三回一死後四球の長谷川、五回無死左前初安打の本堂と二人の走者をニューベリーからは出しただけ、球速に打棒が押され、ほとんど二塁、ライト方面に行き、外野に打上げ得たのは呉一人といった有様だった。阪急の守備のときブリットンはほとんど一動作ごとにカン声をあげる、例の浜崎監督の野次り声の三倍ぐらいの大きな声だからいやはや賑やかなこと、両選手とも名物男になりそうだ。阪急はニューベリーが毎日を完封した前半やや制球難の守田をよく攻めたが二度の併殺もあって得点できず六回1四球、一敵失のチャンスにブリットンは前進守備の一、二塁間を抜いてリードした。しかしその裏阪急がニューベリーを休ませ、天保に代えたため毎日は代打大舘の三ゴロ失をキッカケに別当の安打と三宅の三塁打であっさり逆転した。七回からは双方投手を末吉、原田と代えたが、七回二死満塁を切り抜けた末吉は八回植田に三塁打され、一点を献じただけで阪急の追撃を食いとめリリーフ投を見事にはたした。

吉田要氏談 ニューベリー投手は毎日を相手に五回までだけだが非常にいいピッチャーだ、球勢は豊かで、打者を抑えるカンどころをよく知っている、はじめてぶつかった毎日を一安打、1四球に抑えたことは何よりの証拠である、ことにいいのはインコースの低目に垂直に落下するドロップ、これは日本の投手では投げられない球である。プレートはもっぱら一塁側を踏んでいたようだがアウトコースの低目も比較的よくコントロールされてる。

ニューベリー投手談 日本は寒いと聞いていたのにきょうぐらいだとむしろアメリカよりずっと暖かい、向こうでは日曜は外の試合は全部ナイターだったので楽に試合を進めることが出来た、まだ調子が出ていなので十分には投げられなかった。毎日はパ・リーグ切っての最強チームというだけにグッドヒッターが揃っている、選球眼の鋭さには少なからず驚いた。ちょっとでもインサイドやアウトサイドにいった球は打ってくれないきょうはつとめてインサイドに投げた、私のきめ球はインコースにはいるドロップだ、日本の観客が紳士ばかりで大変嬉しかったことを伝えてほしい。
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森安敏明

2016-11-23 11:56:20 | 日記
1970年

バックの援護が2点しかなかったこともあって、最後までハラハラするピッチングだった。とくに一死一、二塁とされたどたん場の九回裏には、森安をはげまそうと東映ベンチは大さわぎ、松木監督を先頭に、田宮、土橋らコーチ陣が「がんばれ、がんばれ」とだみ声の大合唱。これに愛宕マネジャーまでが加わって、町内会の運動会のようなにぎやかさだった。それだけに森安が最後の打者阪本を打ちとると、首脳陣の方が「ああ疲れた」とがっくりしていた。三四回を除いては毎回走者をだした森安ももちろんクタクタ。「ここ一週間ほど休養の関係が短かったせいかとても疲れた。スピードもいつもほどなかった。阪急打線がうまくスライダーにひっかかってくれたのと、シュートが割合いコースにきまったので助かった」ほっとひと息という顔で森安はニガ笑いしていた。高橋君が右ヒジ痛で倒れたうえ十日ほど前には金田、高橋直が突然の右肩病からつづいて欠場した。そのため投手陣の負担が一度にこの森安にかかってきたが、この重労働に十分こたえてきた。この日もヨレヨレだったとはいえ今季二度目の完封勝ち。近鉄・鈴木と並ぶリーグ最高の4勝目をマークした。「投げることは大好き。かえって中三日きちんと休まされたりすると調子が狂う。勝てば疲れなどふっとんでしまうさ」ということはいつもきまっている。案外、気の小さい一面もあるが、鼻っぱしは相当強い。だからたまには失敗もある。一昨年の契約更改でも、こんなことがあった。球団側との話し合いの席上で「三年連続10勝したのにアップが少ない」と文句をつけたのだ。「尾崎が三年連続20勝してそんなことをいったことがあるが、三年連続10勝という記録をひっぱりだした選手はいまだかつていない」とつっぱねられたが、森安らしい勇み足のエピソードと評判になった。だが、最近はすっかり大人になったといわれている。今秋には郷里の岡山で待っているフィアンセ羽納幸子さん(24)と結婚式をあげる。なんとしてもがんばらなくてはならない年だ。東映のエースとよくいわれるが、過去四年間で一昨年の16勝(23敗)が最高の成績ではあまり威張れない。「ことしは意地でもやります。きょうだってウチがにが手な阪急に勝ったじゃありませんか」真剣な顔でいった。森安のこんな顔は以前なら実に珍しかったが、ことしはトレード・マークのふてくされ顔の方がめったに見られなくなった。そういえばことしの伊東キャンプも宿舎(伊東スタジアム)の従業員がこういってびっくりしていた。「森安さんが実にまじめで外出さえしないんですよ。どうしたことなんでしょう」
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小淵泰輔

2016-11-23 10:48:23 | 日記
1967年

東京・目黒区鷹番町の自宅では、二男の浩徳君がテレビの前で「パパがんばって・・・」と声援を送っていた。ことしから森村学園の初等部に入学した浩徳君の悩みは、パパの成績がもうひとつパッとしないこと。チームが負けつづきだったうえにパパがあまり試合に出ないのでは学校でも肩身がせまいのだろう。七回の第一打席、久保の落ちる球に三振したときは「パパ、もっとボールを見なくてはだめだよ」ときびしい評論家ぶりを発揮していたという。照子夫人は逆転3ランをこのかわいい評論家から聞いたそうだ。「パパがでっかいのを打ったよ。ホームランだ」小淵一家にとって名古屋は二年間二軍生活を送ったにがい思い出の地。小淵は「じわじわ照りつける太陽の下で毎日、このままで終わってなるものかと歯を食いしばりながら若手とグラウンドを走りまわっていた」と当時をふりかえる。昨年まで中日戦には張り切りすぎてかえってパッとしなかったこともある。なんとか昔の仲間に力を見せようという気持ちが心の底で強く働いていたからだ。「ホームラン?外角から真ん中寄りのシンカー。落ちなかったようだな。前の打席で落ちる球にひっかかって三振したので低めは捨てたんだ」よみは当たった。そのうえボックスにはいる前、飯田監督に「強振するな。当てるだけでもお前のパワーだったら一発ほうり込めるぞ」とアドバイスを受けた。「大きいのをねらっていたが、監督のアドバイスで振りをシャープに、とだけ考えていた」報道陣の質問に答えながら、ベンチをキョロキョロとみまわしていった。「忘れものがあるんだ」この日使わなかったグローブ。投手以外はなんでもこなす器用な男だけに、ことしも豊田の控えの一塁のほか、外野も守る。「だから荷物が多くてね」そのうえ持っていたバスにつくと盛りだくさんのホームラン賞。「でもね、こんな荷物だったら、いくら多くてもいいよ」ちょうどそのころ「パパのホームランみたら、安心したのでしょう。こどもたちはもうやすみました」と照子夫人。浩徳君の夢の中にでるパパは、王よりも野村よりももっとすばらしいヒーローにちがいない。
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