1962年
トウヘイ先生ーいまの榎本は好調なバッティングを説明するとき、その名前をくり返してばかりいる。トウヘイ先制、それば榎本が私淑している合気道の先生だ。「合気道とはなにか?といわれてもぼくは説明できないけれど、いまよく打てるのはとにかくトウヘイ先生のおかげです。この前もいいヒントをもらった。バットをもったとき、重心が下にあると思えば右ヒジは決して上がることはないといわれた。要するに精神を集中できればいい。だから最近はできるだけバットをためて、ふところにボールをいっぱいに呼び込んでおいてガッと出る集中力が強くなっている。公式戦にはいったばかりのときは足が前に出てスローカーブには手が出なかった。気持ちとからだがバラバラになっていた」トウヘイ先生の指導を自分で立ち上がって実演してみせた。「トウヘイってどんな字?」といわれると、しばらく考えて首をかしげた。「どう書くのか、わかんないや」藤平光一八段のこと。結婚二年目。まだ無邪気でひたむきだ。「去年はとにかく打たなければならないという意識ばかり先に立っていた。いまはここで打とうとか打たなくちゃいかんという義務感みたいなやつがないからいいんだ」この日三本塁打で二十三試合連続安打。「連続安打のことも逆転打ということも全然考えなかった」そうだ。だからこんごも「その日その日、あきらめているみたいなさっぱりした気持ちで打っていく」とあっさりしたもの。無精ヒゲをはやして毎日鷲宮から南千住まで約一時間電車のつり皮にぶら下がってくる。ホームランの説明もしごくていねいで低姿勢。理論的で細かい。「第二試合を例にとって説明しましょう。一本目はインハイのボールです。杉浦さんが不調でのびがないので打てました。これはうれしくもありません。打者としてボールを打ったことがはずかしいんです。二本目はカーブ。カーブの間が合わないので最後の打席は一番前に立ってみた。すると杉浦さんはカーブを投げない。すぐ2-0と追い込まれたのでこんどは一番うしろに立った。そこへカーブがきたわけです。腕に力がはいらず、腰でもっていった理想的な打ち方でした」まるでやさしい学校の先生にさとされるようなふんい気になった。
トウヘイ先生ーいまの榎本は好調なバッティングを説明するとき、その名前をくり返してばかりいる。トウヘイ先制、それば榎本が私淑している合気道の先生だ。「合気道とはなにか?といわれてもぼくは説明できないけれど、いまよく打てるのはとにかくトウヘイ先生のおかげです。この前もいいヒントをもらった。バットをもったとき、重心が下にあると思えば右ヒジは決して上がることはないといわれた。要するに精神を集中できればいい。だから最近はできるだけバットをためて、ふところにボールをいっぱいに呼び込んでおいてガッと出る集中力が強くなっている。公式戦にはいったばかりのときは足が前に出てスローカーブには手が出なかった。気持ちとからだがバラバラになっていた」トウヘイ先生の指導を自分で立ち上がって実演してみせた。「トウヘイってどんな字?」といわれると、しばらく考えて首をかしげた。「どう書くのか、わかんないや」藤平光一八段のこと。結婚二年目。まだ無邪気でひたむきだ。「去年はとにかく打たなければならないという意識ばかり先に立っていた。いまはここで打とうとか打たなくちゃいかんという義務感みたいなやつがないからいいんだ」この日三本塁打で二十三試合連続安打。「連続安打のことも逆転打ということも全然考えなかった」そうだ。だからこんごも「その日その日、あきらめているみたいなさっぱりした気持ちで打っていく」とあっさりしたもの。無精ヒゲをはやして毎日鷲宮から南千住まで約一時間電車のつり皮にぶら下がってくる。ホームランの説明もしごくていねいで低姿勢。理論的で細かい。「第二試合を例にとって説明しましょう。一本目はインハイのボールです。杉浦さんが不調でのびがないので打てました。これはうれしくもありません。打者としてボールを打ったことがはずかしいんです。二本目はカーブ。カーブの間が合わないので最後の打席は一番前に立ってみた。すると杉浦さんはカーブを投げない。すぐ2-0と追い込まれたのでこんどは一番うしろに立った。そこへカーブがきたわけです。腕に力がはいらず、腰でもっていった理想的な打ち方でした」まるでやさしい学校の先生にさとされるようなふんい気になった。