1970年
谷沢の打球が中堅方向に舞いあがった瞬間、ベンチの一番うしろにいた田辺の顔に笑いが広がった。四十一年七月十五日以来、四年ぶり、中日へ移籍後、初の完封勝利だ・・・。しかし、三塁走者の中がホームへかけ抜けるところはもう見ていなかった。笑いをかみ殺し、クルッと振り返り、急ぎ足でロッカーへ飛び込んでいた。人一倍のテレ屋。ナインの祝福をまともに受けるのがはずかしかったのだろう。フロにもはいらず、ユニホーム姿のまま球場出口の方向へ足を向けたところ、ラジオのアナウンサーにつかまりインタビュー。それもそそくさと切りあげ、終始逃げ腰だった。受け答えの内容も「いや、運がよかったんですよ。だから完封できたんです」といったぐあいにあっさりしたもの。こんな中で「冷や汗もんでした」と、実感をこめて振り返っていたのが、八回無死一塁で代打近藤和を遊ゴロ併殺にうち取った場面。「外角カーブ」をうまくミートした近藤和の打球は、田辺の足元をゴロで抜け、中前へ達するかと思われたが、遊撃の一枝が二塁ベースの方向へスタートを切っていてあっさり併殺。「やられたと思った。しかし、うしろを振り向いたら一枝さんがいた」完封勝利のカー・ステレオをもらい、ますます顔を赤くした。「自動車をもっていないし、こんな高価なものを・・・。近鉄で完封勝利をあげたころは賞品など、なにもなかったです」これで9勝。中日では星野仙と並んで目下最多勝。「阪神の鎌田さんに近鉄時代より低めにボールが決まるようになったなといわれました。これがよくなった原因でしょうか」大洋の長田は前々から「どこかのダンシング・チームへでもいった方がいい。職業を間違えたんじゃないか」と、その変則投法に悪口?をいっていたが、この夜はまるで口なし。ダンサーに四安打完封負けでは、それも当然だろう。それにしても三十八年に柿本がエースにのしあがって以来、小川健(永久追放)を経て、この田辺まで、他のチームを整理同然で追われた投手が、中日で拾われると中心投手として活躍する、という妙な伝統?がつづいている。
八時の時報がボーンと鳴ったとき、試合は六回の表二死二塁というハイ・ペース。平松と田辺の速球比べがゲームをものすごい早さで引っ張っていった。二試合連続KOの平松は、見事に立直っていた。カミソリシュートはよみがえり、四回と六回に二死から木俣、江藤に二塁打を浴びたが、あとはガッチリ縮めてエースの貫録十分。投げ合う田辺も五回二死まで完全試合と一歩も引けをとらない。六回、二死からの重松の右中間二塁打も、つづく中塚を投ゴロ。八回終わって両投手とも三安打ずつと、全く互角のピッチングだった。大洋は九回無死から重松が中前安打し、突破口をつかみかけたが、中塚がバント失敗の三邪飛に倒れ、得点圏に進められなかったのがこたえた。中日もその裏同じように、トップの中が中前安打。江藤がうまく送ったところから両チームの明暗が分かれた。ミラーの三遊間の当たりは松岡が身をていして止めたが内野安打になって一死一、三塁。ここ十日間、勝ち星の味を忘れている平松にとって苦しい場面だ。木俣を敬遠して満塁策をとり、谷沢との勝負に出た。もう平松は得意のシュートを投げるより手はない。このシュートがやや高めに浮いた初球を果敢に打って出た谷沢も並みのルーキーではなかった。中堅やや左に高く飛球が上がったとき、もう中日のサヨナラ勝ちは決定的。中塚が必死に本塁送球を試みたが、快足の中が唯一の得点を本塁ベースにしるしていた。シュートとスライダーの揺さぶりで、大洋を四安打に押え込んだ田辺は、中日移籍後初完封をマーク。大洋は4連敗を喫し、好投の平松も貧打に泣いて3連敗。なお、一時間四十分の試合時間は今季最短。
水原監督「九回のバントの巧拙が明暗を分けた。田辺は非常によく投げてくれた。ここ一点のゲームで何度も勝ち星を落としているが、この夜は食いついていけば勝てるという執念を見せてくれた」
別当監督「平松はよく投げた。すっかり立ち直ったといっていいだろう。しかし、打たなければ勝てないよ。とくに中心打者の二、三、四番がノーヒットでは勝てません」
谷沢の打球が中堅方向に舞いあがった瞬間、ベンチの一番うしろにいた田辺の顔に笑いが広がった。四十一年七月十五日以来、四年ぶり、中日へ移籍後、初の完封勝利だ・・・。しかし、三塁走者の中がホームへかけ抜けるところはもう見ていなかった。笑いをかみ殺し、クルッと振り返り、急ぎ足でロッカーへ飛び込んでいた。人一倍のテレ屋。ナインの祝福をまともに受けるのがはずかしかったのだろう。フロにもはいらず、ユニホーム姿のまま球場出口の方向へ足を向けたところ、ラジオのアナウンサーにつかまりインタビュー。それもそそくさと切りあげ、終始逃げ腰だった。受け答えの内容も「いや、運がよかったんですよ。だから完封できたんです」といったぐあいにあっさりしたもの。こんな中で「冷や汗もんでした」と、実感をこめて振り返っていたのが、八回無死一塁で代打近藤和を遊ゴロ併殺にうち取った場面。「外角カーブ」をうまくミートした近藤和の打球は、田辺の足元をゴロで抜け、中前へ達するかと思われたが、遊撃の一枝が二塁ベースの方向へスタートを切っていてあっさり併殺。「やられたと思った。しかし、うしろを振り向いたら一枝さんがいた」完封勝利のカー・ステレオをもらい、ますます顔を赤くした。「自動車をもっていないし、こんな高価なものを・・・。近鉄で完封勝利をあげたころは賞品など、なにもなかったです」これで9勝。中日では星野仙と並んで目下最多勝。「阪神の鎌田さんに近鉄時代より低めにボールが決まるようになったなといわれました。これがよくなった原因でしょうか」大洋の長田は前々から「どこかのダンシング・チームへでもいった方がいい。職業を間違えたんじゃないか」と、その変則投法に悪口?をいっていたが、この夜はまるで口なし。ダンサーに四安打完封負けでは、それも当然だろう。それにしても三十八年に柿本がエースにのしあがって以来、小川健(永久追放)を経て、この田辺まで、他のチームを整理同然で追われた投手が、中日で拾われると中心投手として活躍する、という妙な伝統?がつづいている。
八時の時報がボーンと鳴ったとき、試合は六回の表二死二塁というハイ・ペース。平松と田辺の速球比べがゲームをものすごい早さで引っ張っていった。二試合連続KOの平松は、見事に立直っていた。カミソリシュートはよみがえり、四回と六回に二死から木俣、江藤に二塁打を浴びたが、あとはガッチリ縮めてエースの貫録十分。投げ合う田辺も五回二死まで完全試合と一歩も引けをとらない。六回、二死からの重松の右中間二塁打も、つづく中塚を投ゴロ。八回終わって両投手とも三安打ずつと、全く互角のピッチングだった。大洋は九回無死から重松が中前安打し、突破口をつかみかけたが、中塚がバント失敗の三邪飛に倒れ、得点圏に進められなかったのがこたえた。中日もその裏同じように、トップの中が中前安打。江藤がうまく送ったところから両チームの明暗が分かれた。ミラーの三遊間の当たりは松岡が身をていして止めたが内野安打になって一死一、三塁。ここ十日間、勝ち星の味を忘れている平松にとって苦しい場面だ。木俣を敬遠して満塁策をとり、谷沢との勝負に出た。もう平松は得意のシュートを投げるより手はない。このシュートがやや高めに浮いた初球を果敢に打って出た谷沢も並みのルーキーではなかった。中堅やや左に高く飛球が上がったとき、もう中日のサヨナラ勝ちは決定的。中塚が必死に本塁送球を試みたが、快足の中が唯一の得点を本塁ベースにしるしていた。シュートとスライダーの揺さぶりで、大洋を四安打に押え込んだ田辺は、中日移籍後初完封をマーク。大洋は4連敗を喫し、好投の平松も貧打に泣いて3連敗。なお、一時間四十分の試合時間は今季最短。
水原監督「九回のバントの巧拙が明暗を分けた。田辺は非常によく投げてくれた。ここ一点のゲームで何度も勝ち星を落としているが、この夜は食いついていけば勝てるという執念を見せてくれた」
別当監督「平松はよく投げた。すっかり立ち直ったといっていいだろう。しかし、打たなければ勝てないよ。とくに中心打者の二、三、四番がノーヒットでは勝てません」