プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

権藤正利

2016-11-27 14:59:43 | 日記
1962年

一塁コーチス・ボックスの三原監督は権藤がベースへかけ込むのを待ちかねたように両手を差し出した。「権藤は十人目の打者としての力を十分持っている」かねがね三原監督がいっていたその権藤のサヨナラ・ヒットで大洋は首位を奪い返したのだ。三原監督がいった十人目の打者とは代打としてもりっぱに通用する力を持っているということだ。セ・リーグ初ナイターの五日、広島球場の対広島三回戦に代打として権藤を使ったことがこれを実証している。「いい球がきたら最初から打つつもりでいた・・・。(ニッコリ笑って)きたね・・・。まっすぐが。インコースのシュートかと思ったんだがね」はげしい息づかい、言葉もとぎれがちだ。初優勝の原動力となった一昨年の大洋の首位打者はこの権藤で球団創設以来ただひとりの四割打者である。「ゴンさん、ちょっとバッティングのコツを教えてくれんか」近藤(和)がちょっとスランプ気味になると相談をしに権藤のところへやってくることがあるほどだ。「ことしの初ヒットが野球生活はじめてのサヨナラ・ヒットだからね」という権藤は、本業のピッチングの話は実にあっさりしたものだ。「七回から代わったんだから最後の二、三回投げたら終わりかと思っていたらこんなに長くなってしまってバテだよ」十年目のボーナスを目ざして張り切っている権藤をかげでしっかりささえているのは同郷(佐賀県鳥栖)の先輩、小林トレーナーだ。胃が弱い権藤は食事もこまかく五回にわけて消化のいいようにつとめているがその献立にもいろいろと小林トレーナーはアドバイスをしている。「投げ終わったあと、小林さんのマッサージを受けるとからだの疲れだけでなく、精神的疲労も抜けるような気がする」という権藤。二十八年入団以来弱い大洋で苦労してきた二人のイキはピッタリだ。
コメント
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