1996年
140キロ台の速球を投げ、打っても高校通算38本塁打という野球センスは、かつて中日のドラフト1位投手だった、父・隆広さん譲りというサラブレッド。
父に続いてドラフト指名され、プロ野球の世界へ飛び込む投手がいる。大阪・上宮高の大場豊千(とよかず)投手(18)。昨秋、巨人に四位指名された。父・隆広さん(47)は1966年の一次ドラフト1位(この年は2回実施)で中日に入団した。ともにサウスポーの本格派。豊千投手は「一日も早く一軍で勝利を」と、故障に泣いた父が果たせなかった夢を追いかける。豊千投手が生まれたのは、隆広さんが現役引退後、南海でトレーニングコーチになったばかりの77年夏。当時、南海には、阪神から移籍した同期の江夏豊投手がいた。隆広さんは、大分・別府鶴見丘高で活躍。プロ入り後は、中日ー近鉄ー南海で十年間プレー。しかし、一軍では37試合に登板しただけで、勝ち星ゼロ。力を出せずに終わった現役への未練があった。そんな時に長男が誕生。「息子が何とか野球をやってくれないかなぁ」という思いを込め、親しかった江夏の「豊」をもらって「豊千」と名付けた。小学五年から野球を始めた豊千投手は、ボーイズリーグを経て上宮高でエースとして活躍。二年の時、夏の大阪府大会ベスト4、昨年はベスト8まで進んだ。甲子園出場こそ果たせなかったが、その素質がプロのスカウトの目に留まり、四球団から誘いがあった。1メートル81、78キロと隆広さんの現役時代(1メートル80、80キロ)とほぼ同じ体格。柔らかいフォームから繰り出す140キロ台の速球には威力がある。「プロでやるなら巨人と思っていました。巨人以外の指名だったら、アメリカで野球を勉強する」と決めていた。だから、巨人の指名を受けた時は、思わず男泣きしたという。目標にする投手は、との問いには間髪入れず「江夏さんです」。理由は「正確なコントロール、それに威力のある直球で真っ向勝負する姿がいい」からだという。大投手を夢見て、父や田中秀昌・上宮高監督の作ったトレーニングメニューをこなす。プロの先輩で、精神的な支えとなっている隆広さんは「素質は私より上。しかし、プロの世界は厳しい。いかに自分に勝つか。今の気持ちをどこまで持ち続けられるかが勝負」とアドバイスを贈る。「現役時代は、やり残したことばかり。豊千がそれを全うしてくれれば…」父の夢も大きく膨らんでいる。