フォーム…オーバースロー 球種…スライダー、カーブ、フォーク、シュート、ナックル。
1982年
ドラフト6位、契約金1500万。甲子園の出場経験はないが、中国地区では注目されていた。186センチの長身から投げおろす速球は威力十分。まだコントロールに難があるが、これを矯正すれば、かなり面白い存在になろう。2、3年先に期待。
1983年
ロッテの若手投手が好投した。先発した二年目の吉岡(近大福山高)は上背を生かし角度のある速球とカーブを投げ分け、五回を4安打。高橋慶、山本浩を空振りの三振に仕留めた速球は威力十分だった。
1985年
昨年イースタンの最多勝投手、防御率はイースタン11位で、優秀投手賞をもらった。飛躍の原因は、母校の大先輩村田投手からフォークを教わったことで、ピッチングに幅ができた。今季は一軍入りも可能だ。
1989年
昨秋から練習中のナックルで中継ぎエースを目指す。ロッテの秘密兵器。
「正直、どうかなって気持ちは…」新人の前田、今野の加入ばかりではない。平沼、右田ら同じ右の中継ぎを予定される投手陣が、キャンプから飛ばしていた。先発5本柱と充実したロッテ先発投手。一軍への争いは、ここ数年なかったほどのし烈を極めていた。オープン戦序盤こそ出場の機会が与えられた吉岡だったが、それ以降ぱったりと出番が巡ってこない。20日過ぎには一度、一軍帯同を離れることも…。「だめかも・・・」そんな落ち込んだ気持ちの吉岡に、最高の一軍アピールの場がきた。4月1日、川崎でのヤクルト戦だった。4番手で登板。6回1死一、二塁で池山をフォークで、パリッシュをスライダーで連続空振り三振。続く7回にも、先頭広沢をこれまたフォークで3者連続空振り三振だ。ヤクルト自慢の一発トリオをほんろうしたのだ。「球質も重いし、いい球投げる」が吉岡評。だが「ノミの心臓」といわれた気弱さが、吉岡に一軍の道を遠いものにしていた。昨季、初めての開幕一軍も3試合に中継ぎ登板し防御率は6.23。5月8日には二軍落ち。以後、登録、抹消を繰り返した。結局昨年は14試合、18イニングを投げ防御率4.50、勝利なしは続いた。決していい内容ではなかった。だが、シーズンの半分近くを一軍で過ごしてきた。「プロの自覚、自信」が、しっかり根づいたのだった。「投手陣で成長株ってヨシ(吉岡)がその筆頭だろ。いいシュートもあるし、自信さえついて思い切りいけば、もともと力はあるんだよ」ヤクルト戦3連続三振に有藤監督は開幕一軍の合格点を出した。若返りを計るロッテ、でベテランの域に入る吉岡。昨年までは引っ込み思案で、グラウンドでその声はほとんど聞くことがないほど。でも今年は違った。キャンプーオープン戦と、明るい声はきっちりとリーダーとしての役割を果たしていたほどの大変身だった。ピ~ンと背を伸ばし「さっ、いこうか!!」最後の最後まで好投は決して、エイプリルフールでもない。「もう今年は、抹消されないようにしないとね」滑り込みで手にした一軍キップなのである。プロ8年目の恩返しは「まず1勝だ」
中堅どころも頑張りますよ。プロ8年目は吉岡知毅投手。4月25日、オリックス戦で3番手で登板し、涙のプロ初白星。近大福山からプロ入り。校名こそ変わったものの、福山電波工OBの村田は母校の大先輩。「今まで村田さんに打たれるたびに怒られっ放しで・・・」と、初めて白星での恩返しができた。大好物のケーキとジュースを断って、体質改善に取り組んでの1勝目。ただ9回、1点を失って、なお無死満塁のピンチを作り、降板した。「白星だ、と思ったら力が入って…。最後までちゃんと投げろって村田さんにまた怒られます」ガッツポーズもなく、うつむいて目に涙の勝利インタビュー。8年目、うれしさの重みが違う。