プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

福山竜太郎

2021-06-10 22:12:32 | 日記

1998年

打者32人に対して6四死球(1死球)を与えたが、11奪三振。最速142㌔の直球を軸にカーブ、スライダー、スクリューボールで打者を翻ろう。外野飛球はわずかに三つだけの内容に「最後のチャンスのつもりだったのに‥。これを大きな自信にして、矢野との2本柱になってほしい」と指揮官は手放しに喜んだ。今年が最終学年。プロ志望の強い福山にとって快挙達成はこれ以上ないアピールになった。「これからが本当のリーグ戦です」一度はドン底を味わった男。2季ぶりのVへ向け、そして自らの夢へ向けてフル回転を誓った。

1999年

直球とスクリューボールでマウンドに新風!東京六大学では9年ぶり、法大の選手としては初のノーヒットノーランを達成。大学選手権でも優勝を経験した。高校は北九州市。市民球場で芽生えた夢が、ついに叶った。後は大きな実を自ら掴みとるだけだ。

契約金8000万。昨秋の東京6大学リーグの立大戦で、6与四死球はあったが、法大野球部史上初のノーヒットノーランを記録。一躍クローズアップされた。強気なピッチングが持ち味で、プロの水に慣れれば、かなりいきそうな感じ。

大学4年時の秋季リーグ戦ではノーヒットノーランを達成した本格派左腕。183㌢の恵まれた体格を生かし、強気の投球で打者に挑む。目標は1年でも長く野球をし、200勝を成し遂げること。姉寛子さんは福岡ドームのマスコットガールを務めた経験をもっている。

2002年

入団以来、故障に泣かされ続けてきたが昨秋のキャンプでその変則左腕が首脳陣の目に留まる。春季キャンプではA組に抜てきされるなど期待も大きい。今季は一軍デビューの可能性大だ。

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吉岡知毅

2021-06-10 21:53:07 | 日記

フォーム…オーバースロー 球種…スライダー、カーブ、フォーク、シュート、ナックル。

1982年

ドラフト6位、契約金1500万。甲子園の出場経験はないが、中国地区では注目されていた。186センチの長身から投げおろす速球は威力十分。まだコントロールに難があるが、これを矯正すれば、かなり面白い存在になろう。2、3年先に期待。

1983年

ロッテの若手投手が好投した。先発した二年目の吉岡(近大福山高)は上背を生かし角度のある速球とカーブを投げ分け、五回を4安打。高橋慶、山本浩を空振りの三振に仕留めた速球は威力十分だった。

1985年

昨年イースタンの最多勝投手、防御率はイースタン11位で、優秀投手賞をもらった。飛躍の原因は、母校の大先輩村田投手からフォークを教わったことで、ピッチングに幅ができた。今季は一軍入りも可能だ。

1989年

昨秋から練習中のナックルで中継ぎエースを目指す。ロッテの秘密兵器。

「正直、どうかなって気持ちは…」新人の前田、今野の加入ばかりではない。平沼、右田ら同じ右の中継ぎを予定される投手陣が、キャンプから飛ばしていた。先発5本柱と充実したロッテ先発投手。一軍への争いは、ここ数年なかったほどのし烈を極めていた。オープン戦序盤こそ出場の機会が与えられた吉岡だったが、それ以降ぱったりと出番が巡ってこない。20日過ぎには一度、一軍帯同を離れることも…。「だめかも・・・」そんな落ち込んだ気持ちの吉岡に、最高の一軍アピールの場がきた。4月1日、川崎でのヤクルト戦だった。4番手で登板。6回1死一、二塁で池山をフォークで、パリッシュをスライダーで連続空振り三振。続く7回にも、先頭広沢をこれまたフォークで3者連続空振り三振だ。ヤクルト自慢の一発トリオをほんろうしたのだ。「球質も重いし、いい球投げる」が吉岡評。だが「ノミの心臓」といわれた気弱さが、吉岡に一軍の道を遠いものにしていた。昨季、初めての開幕一軍も3試合に中継ぎ登板し防御率は6.23。5月8日には二軍落ち。以後、登録、抹消を繰り返した。結局昨年は14試合、18イニングを投げ防御率4.50、勝利なしは続いた。決していい内容ではなかった。だが、シーズンの半分近くを一軍で過ごしてきた。「プロの自覚、自信」が、しっかり根づいたのだった。「投手陣で成長株ってヨシ(吉岡)がその筆頭だろ。いいシュートもあるし、自信さえついて思い切りいけば、もともと力はあるんだよ」ヤクルト戦3連続三振に有藤監督は開幕一軍の合格点を出した。若返りを計るロッテ、でベテランの域に入る吉岡。昨年までは引っ込み思案で、グラウンドでその声はほとんど聞くことがないほど。でも今年は違った。キャンプーオープン戦と、明るい声はきっちりとリーダーとしての役割を果たしていたほどの大変身だった。ピ~ンと背を伸ばし「さっ、いこうか!!」最後の最後まで好投は決して、エイプリルフールでもない。「もう今年は、抹消されないようにしないとね」滑り込みで手にした一軍キップなのである。プロ8年目の恩返しは「まず1勝だ」

中堅どころも頑張りますよ。プロ8年目は吉岡知毅投手。4月25日、オリックス戦で3番手で登板し、涙のプロ初白星。近大福山からプロ入り。校名こそ変わったものの、福山電波工OBの村田は母校の大先輩。「今まで村田さんに打たれるたびに怒られっ放しで・・・」と、初めて白星での恩返しができた。大好物のケーキとジュースを断って、体質改善に取り組んでの1勝目。ただ9回、1点を失って、なお無死満塁のピンチを作り、降板した。「白星だ、と思ったら力が入って…。最後までちゃんと投げろって村田さんにまた怒られます」ガッツポーズもなく、うつむいて目に涙の勝利インタビュー。8年目、うれしさの重みが違う。

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馬渕隆雄

2021-06-10 21:28:47 | 日記

1997年

140㌔台のストレートはもちろんだが、変化球にも制球力があり、同じ大学を出た豊田投手にタイプが似ている。変化球の切れは相当なもの。

契約金6000万。昨秋は愛知大学リーグ1部に返り咲きの立役者となる活躍をみせた。140キロ台の速球が主体で、カーブ、スライダー、フォークと変化球も多彩。コントロールもなかなかいい。小学生の時は剣道、中学ではバスケット部に在籍していた。

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山本真一

2021-06-10 07:33:09 | 日記

1965年

高校卒業のとき、巨人、中日から誘われたが、大学でプレーしたいという希望を通して専大にはいった。来年はすでに遊撃手として予定されていたが家庭の事情からこの八月に中退。母校でコーチをしていた。すでに鹿児島鉄道に内定していたが、久野スカウトの熱心な誘いを受け、入団に踏み切った。高校では3割7分をマーク。

山本選手の話 寺岡先輩に負けないようがんばります。

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水谷実雄

2021-06-10 07:26:13 | 日記

1965年

右の本格派で昨年夏、今春の二度甲子園に出場している。昨夏の大会では優勝した高知と準決勝で対決。わずか4安打の好投をみせながら1-0で惜敗した。制球がよく重いタマとカーブの切れに特徴がある。バッティングもよく三年間の通算打率は3割5分以上。

水谷投手の話 一生懸命やって早く実戦で投げられるようになりたい。

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