プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

鍋屋道夫

2021-06-19 18:08:18 | 日記

1978年

二年生投手鍋屋は、181㌢の長身から投げ下ろす速球が武器。カーブ、シュート、フォークと球種も豊富だが、いまひとつスタミナが欲しい。

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秋葉直樹

2021-06-19 17:09:17 | 日記

1990年

投手陣では右上手投げの秋葉が、エースとし主将として一線品の折り紙つきで、直球、フォークを決め球とする。

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伊藤浩

2021-06-19 17:05:45 | 日記

1976年

ことしこそはベスト4にーと鼻息が荒い。昨年から投げていてキャリア十分のエース伊藤。切れのいいシュートが武器だが最近はカーブも覚え、ピッチングに幅をつけた。

九回裏二死、四街道最後の打者青井の一打は、低いライナーとなって伊藤投手のグラブにおさまった。東金商の勝利。伊藤投手の両手が高々と上がった。Aシード四街道とガップリ四つに組んだ東金商。エース・伊藤投手は1安打を打たれてノーヒットノーランこそ達成できなかったが、カーブ、速球が小気味よく決まった。「ベンチのサイン通りに投げ、最高のピッチングでした」と伊藤投手はニコリ。得点には結びつかなかったが、自らも三塁打を放ち、打でも活躍。東金商にとっては初の安打、四街道のエース藤井の速球をとらえた見事な当たりだった。今大会屈指の好投手と評判の高かった四街道の小さな大投手藤井に対して「さすがに球速があります」と感心する。鈴木良司監督は「好投手とは言え同じ高校生だから大丈夫だ」と、試合前、ナインを激励した。その効あってか「硬くならず、いつものフォームで打ってくれた。厳しい戦いでした」と鈴木監督。「第一戦の君津戦では外角球を打たれたので、内角の速球で勝負をした」伊藤投手の気迫は十分。この気迫が、ナインに伝わり、藤井投手を攻略した。応援団スタンドには伊藤投手の両親が盛んな声援。「野球が好きで小学校五年からやっていた」と話す父親の静雄さんは投打ともに活躍したわが子の姿にうれしそうで、目にキラリと光るものがあった。

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高橋功一

2021-06-19 12:53:23 | 日記

1984年

58年夏の埼玉県大会では、対大宮戦で七回コールドの参考記録ながらノーヒットノーラン。大きく落差のあるカーブと、手もとで小さく変化する二種類の変化球、シュート、スライダーも器用に投げる。4回戦で強豪川口工に負けたが、打順も5番を打ち、同校の名前を県下に轟かせた。課題は「ストレートに磨きをかける」こと。

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斎藤満

2021-06-19 09:18:39 | 日記

1984年

金足農といえば相撲で全国制覇したが、野球は西武・小野和幸投手を出したぐらい。58年夏の県予選で決勝進出。だが、秋田に0対3で敗れ、甲子園初出場を阻まれた。まだ、基礎体力不足だが、大きく落ちるカーブもブレーキあり「まず、二軍で3年ほど鍛えてもらえば、地肩が強いので楽しみ」(嶋崎監督)とか。

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近藤章仁

2021-06-19 09:14:38 | 日記

1984年

高校(神奈川・桐蔭学園)時代は、宮城(ヤクルト)の横浜商、青木(大洋2位)の鶴見工を破り県大会決勝に進出。惜しくもその年、全国制覇した横浜に0対2で敗れはしたものの、愛甲(ロッテ)と互角に投げ合った。東洋大に進学したが、家庭の事情で、半年で中退、清工建設に入社。全国大会の経験はないが、重い速球とシュートを武器に「2年後には二ケタ勝利はかたい」(佐々木前スカウト)とかくれた逸材。

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