1952年
「球から眼を離すな」ということは打撃のコツであるとともに「投手心得の第一条」でもある昨秋来日した大リーガー三投手ーエード・ロバットメル・パーネル、ボビー・シャンツがこれを実行していたが、特にシャンツは手もとから離れて行く球を追うように腰をすえて注視していたのが印象的であった。これを日本の投手にあてはめて見ると球を一番よく見ているのは大洋の林投手である、そしてまた身体全体を使い、特に腰の回転に気をつけ、コントロールを命に、無駄球を少なく、精進かけて投げている点、シャンツと林に通ずるものがある、ただ馬力が違うから球速の相違はあるが、短体を意識しての慎重な投法、多彩な変化球など、心がけに似たところがある。林は名選手を多数輩出している野球都市一宮の中学で四年から投手、卒業して兵役、廿一年名古屋ドラゴンズ入り、そして芽が出ないまま廿二年は第二リーグをめざして名乗りをあげた国民野球リーグのブレーブスに走って一年、そのブレーブスが当時の金星スターズと合体したため金星に移って一年、このとき「投球数七十三球」という新記録をつくり、ファンの注視を浴びた。交換移籍のシーズン中にロビンスへの移籍が実現、これが廿三年の夏であった。この年まで上手投専門で投げていたが、感ずるところあったらしく廿四年度のシーズンから横手投を加えるようになり、上手投時代のカーブを多投でに好投手とうたわれ十七年朝日に加入、その年卅二勝、防御率も第一位、十八年廿勝で第二位(惜しくも若くして戦死した)という名投手、その血をうけているだけに直明も熱心な練習でピッチングのコツとコントロールを身につけ、廿五年大洋入りして十一勝十二敗で十二位、廿六年は十六勝十一敗で八位、今年は十一勝九敗(27節まで)最も信頼できる投手の一人になってしまった。身長のないこと、体重の軽いことを考え登板した日から四五日は体力の回復に努めているようであるが懸命な方策である、試合中一番多く投げているのは横手投の直球であるが、この球は内角に行くと落ちるし、外角に投じると流れるのが特徴、この間にカーブを混投して打者の調子を乱している。武器としてはカーブもその一つであるが数が少ない、それよりも横からの変化する直球でコーナーぎりぎり、あるいは高低ストライクの限界点を衝いたり、打者の欠点を攻めている。最近スライダーの操作が巧くなり、上手、横手の両投法でかなり多投して成功しているしかしなんといっても体力がないから疲れると腰の回転が甘くなり棒球になって打たれているので「力の配分」を研究しスピードの不足をカバーしているのも適策である。現在投げている球質は変化する直球、シュート、カーブ、スライダーの四種であるが、速度、コースの変換を行っているのでかなり多種類の球になっている。
中沢さんはシャンツ投手とぼくとを比較していますが、まだまだシャンツ投手の足もとにも及びません。大体絶対的な武器をもたないんですから無造作に投げればすぐ打たれてしまいます、そこで一球、一球慎重に投げることに努めています、こうした点を多少とも中沢さんに認めていただけたのでしょう。球速Bは甘いですね、C程度ですよ、球にスピードのないのはぼくの一番大きな弱点です、ただコントロールには自信があります、ですから常に打者をバッター・イン・ザ・ホールに追いこむことをモットーとして投げているつもりです。一番自信のある球はサイドハンドから投げるシュート、これが良く決まる日は一応自分でも満足できる投球ができます。
「球から眼を離すな」ということは打撃のコツであるとともに「投手心得の第一条」でもある昨秋来日した大リーガー三投手ーエード・ロバットメル・パーネル、ボビー・シャンツがこれを実行していたが、特にシャンツは手もとから離れて行く球を追うように腰をすえて注視していたのが印象的であった。これを日本の投手にあてはめて見ると球を一番よく見ているのは大洋の林投手である、そしてまた身体全体を使い、特に腰の回転に気をつけ、コントロールを命に、無駄球を少なく、精進かけて投げている点、シャンツと林に通ずるものがある、ただ馬力が違うから球速の相違はあるが、短体を意識しての慎重な投法、多彩な変化球など、心がけに似たところがある。林は名選手を多数輩出している野球都市一宮の中学で四年から投手、卒業して兵役、廿一年名古屋ドラゴンズ入り、そして芽が出ないまま廿二年は第二リーグをめざして名乗りをあげた国民野球リーグのブレーブスに走って一年、そのブレーブスが当時の金星スターズと合体したため金星に移って一年、このとき「投球数七十三球」という新記録をつくり、ファンの注視を浴びた。交換移籍のシーズン中にロビンスへの移籍が実現、これが廿三年の夏であった。この年まで上手投専門で投げていたが、感ずるところあったらしく廿四年度のシーズンから横手投を加えるようになり、上手投時代のカーブを多投でに好投手とうたわれ十七年朝日に加入、その年卅二勝、防御率も第一位、十八年廿勝で第二位(惜しくも若くして戦死した)という名投手、その血をうけているだけに直明も熱心な練習でピッチングのコツとコントロールを身につけ、廿五年大洋入りして十一勝十二敗で十二位、廿六年は十六勝十一敗で八位、今年は十一勝九敗(27節まで)最も信頼できる投手の一人になってしまった。身長のないこと、体重の軽いことを考え登板した日から四五日は体力の回復に努めているようであるが懸命な方策である、試合中一番多く投げているのは横手投の直球であるが、この球は内角に行くと落ちるし、外角に投じると流れるのが特徴、この間にカーブを混投して打者の調子を乱している。武器としてはカーブもその一つであるが数が少ない、それよりも横からの変化する直球でコーナーぎりぎり、あるいは高低ストライクの限界点を衝いたり、打者の欠点を攻めている。最近スライダーの操作が巧くなり、上手、横手の両投法でかなり多投して成功しているしかしなんといっても体力がないから疲れると腰の回転が甘くなり棒球になって打たれているので「力の配分」を研究しスピードの不足をカバーしているのも適策である。現在投げている球質は変化する直球、シュート、カーブ、スライダーの四種であるが、速度、コースの変換を行っているのでかなり多種類の球になっている。
中沢さんはシャンツ投手とぼくとを比較していますが、まだまだシャンツ投手の足もとにも及びません。大体絶対的な武器をもたないんですから無造作に投げればすぐ打たれてしまいます、そこで一球、一球慎重に投げることに努めています、こうした点を多少とも中沢さんに認めていただけたのでしょう。球速Bは甘いですね、C程度ですよ、球にスピードのないのはぼくの一番大きな弱点です、ただコントロールには自信があります、ですから常に打者をバッター・イン・ザ・ホールに追いこむことをモットーとして投げているつもりです。一番自信のある球はサイドハンドから投げるシュート、これが良く決まる日は一応自分でも満足できる投球ができます。