プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

渡辺政好

2018-02-24 22:04:05 | 日記
1961年

福島県大会では野球部結成いらい十一年目に同県代表となり、東北大会は初出場。組み合わせのクジ運にも恵まれていたが、一試合ごとに調子をあげ、かなり充実したチーム力をもつ若商、川俣もけ散らしているだけにあなどりがたい。このチームの看板は渡辺(政)投手。同投手は身長172はあり、スピードも十分で、福島県内の本格派投手ではピカ一。投手ながら四番を打ち、渡辺一人で背負っているワンマン・チームだが、同県大会の三回戦あたりからは全員が渡辺を盛り立て、しだいに平均した実力を身につけた。

学福工は速球投手渡辺が健在。調子に乗ればシュートの切れも鋭く文句ない投球を見せる。しかし渡辺以外頼れる投手がいないのが弱み。

エース渡辺政はスピード豊かな速球と外角に流れるカーブで四倉打線を寄せつけず、三回西尾に二塁打されただけでまったく危なげなかった。
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水江正臣

2018-02-24 21:42:13 | 日記
1973年

二十九日午後一時から東京・東新橋の本社で、ドラフト6位で指名した津久見高・水江正臣投手(18)=180㌢、70㌔、右投げ右打ち、背番号59=の入団を発表した。水江は昨年夏の高校野球甲子園大会の優勝投手。これでヤクルトはドラフト4位指名の関大・山口高投手を除いて今季の新人補強を終えた。

1972年

柳井は一回一死から岡本が初安打して二盗、津久見を脅かしたが、岡村の大きな中飛が吉近の美技に阻まれ、三回角田の無死安打も恵村とのヒット・エンド・ランが遊撃併殺に終って得点に結びつかず、せっかくの好機も空転の形となった。この間の水江、杉本両投手の投球を細かく検討してみると、水江は持味の速球がよく決り、得意のシュートと外角カーブへの配合もよく、みた目にも生き生きとしたプレート。
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田辺繁文

2018-02-24 21:00:47 | 日記
1977年

すでに入団が内定していた広島のドラフト1位指名選手、盈進高・田辺繁文投手(18)=185㌢、81㌔、左投げ左打ち=は十七日、正式に契約書にサインした。契約金二千三百万円、年棒二百四十万円(いずれも推定)。備前スカウトはこの日午後一時、広島県芦品郡新市町新市の田辺宅を訪れ、本人に両親の四郎さん(52)=会社員=、百代さん(52)、早川盈進高監督を交えて約一時間、最終的な話し合いを行った。すでに条件面で合意に達しているので、田辺はあっさりサイン。話は専らプロとしての気構えなどに終始した。契約を終えた田辺はさすがにホッとした表情。「やっとプロとしての実感がわいてきた。これからは一刻も早くカープナインになじみたい」と前置きしたあお「すべて勉強。まずは変化球を一つ習得したい」と目を輝かした。こうした田辺に対し備前スカウトは「素質とすれば東洋大姫路の松本より上。まだスタミナ不足、下半身のもろさなど物足りない面はあるが、来季からすぐでも登板のチャンスはあると思う」と期待の左腕に大きな夢をはせていた。一方、十六日に広島入りを表明したドラフト2位指名・下地勝治投手(18)=豊見城高、176㌢、71㌔、右投げ右打ち=も同日午後、沖縄県那覇市大道の下宿で契約書にサインした。契約には父親の建築業、勇さん(51)=沖縄県平良市下里=や、母親のヨシさん(40)らが立ち会った。これで、広島のドラフト指名選手六人中五人の契約が終了。残る6位の高木真一投手(24)=三菱広島、172㌢、71㌔、右投げ右打ち=も既に入団の意思を明らかにしているので、広島はドラフト史上初めて、指名選手が全員入団することになった。

1979年

緒戦を完封負けした古葉監督は自慢の打線については「こんなこともありますよ」と渋い表情だったが、投手陣については、新美もさることながら二年目の新鋭田辺(ドラフト一位、盈進高出)の好投に大喜び。「江夏につぐもう一人の左が欲しい」といっていただけに「彼はストライクさえとれればいいピッチングができる。順調にステップを踏んで伸びている。きょうの出来ならどのチーム相手でも通用する」とベタほめだったが、当の田辺は「緊張してボールが高めに行ったが、カーブがよく決まった」と。
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後藤雄一

2018-02-24 19:48:50 | 日記
1977年

ドラフト会議3位指名の後藤雄一投手(18)=184㌢、80㌔、右投げ右打ち=の入団が十七日決まった。塚本、西岡両スカウトが同日夕、小田市の相洋高を訪れ、鈴木野球部長、真下監督、父親保雄さん、本人を交えて四回目の交渉を行い快諾を得たもの。契約金千百万円、参稼報酬は二百八万円(いずれも推定)
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小林誠

2018-02-24 19:34:30 | 日記
1963年

優勝候補の最右翼。甲子園出場は町民あげての悲願であり期待のほどもなみなみでない。春いらいの戦績は十五勝三敗一分と安定した力を持っている。左腕斉藤は速球と切れのよいシュートを武器に防御率は一・六台とりっぱ。控えの菅野は軟投型で打者の意表をつくスローカーブが得意。打線は東海林、小林、大橋のトリオはすばらしい破壊力を持っており、とくに小林は左右に打ちわける巧みさも備えている。ただ相手に先取点を取られるとズルズル押し切られてしまう精神的なもろさがあり、これを克服するのがカギ。宿敵磐城高打倒に狗飼監督は秘策をねっている。
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嶺岸征男

2018-02-24 19:03:40 | 日記
1959年

大毎オリオンズは十九日、宮城県東北高校の嶺岸征男(18)投手と正式契約した。同投手は178㌢、78㌔、右投げ右打ち、本格派投手で夏の甲子園大会では同僚波山投手(大洋決定)と組んで優勝戦に進出、渡米高校選抜チームにも選ばれた。
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山口喜司

2018-02-24 18:51:23 | 日記
1968年

広島東洋カープは十七日、陸上自衛隊の山口喜司(よしじ)投手(22)=178㌢、68㌔、左投げ、左打ち=の入団を発表した。同選手は大分県出身、中津東高時代は外野手で、四十二年陸上自衛隊西部方面隊に入隊、昨年から投手に転向した。広島球団のドラフト順位は第3位。手首が強く、球速があり、武器は速球、シュート。今季14勝4敗、防御率2.00、三振奪取1試合平均7。

山口選手の話 プロ野球の一員としてがんばる。巨人入りした小平捕手とバッテリーを組んでいた。平和台、後楽園などでナマのプロ野球を見て闘志が沸いた。失敗してもはい上がる精神でやるつもりだ。
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佐々木幸男

2018-02-24 18:32:46 | 日記
1961年

金農高出身で宮城県の東北電電チームで活躍していた佐々木幸男投手(19)は来シーズンからプロ野球阪急ブレーブス入りすることになり二十日、同球団から契約したむね発表された。同投手は1・76㍍、74㌔と体力に恵まれ、昨年まで金農高のエースとして活躍、昨年は夏の西奥羽地区大会決勝戦で秋商高と甲子園代表権をかけて相対したほか、各種大会でもいつも秋商と優勝を争い成田(現大毎)栗橋、谷ら猛打を誇った秋商打線を得意の速球で最小限に押えながら味方の打力不振で優勝を逸していた不運な投手。今春同校を卒業後はノンプロの東北電電チームで活躍していたが、長身から投げおろす速球には社会人球界でも打ちこなすにはかなり手を焼いており、これに変化球をマスターするとプロでも結構通ずるものと期待されている。
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入江淳

2018-02-24 18:19:17 | 日記
1959年

阪神タイガース戸沢球団代表は十八日、宮崎市直江亭旅館で大淀高投手入江淳(18)と正式契約した。同選手は右投げ右打ち身長1㍍72、体重67㌔。三十三年夏の甲子園。三十四年春の九州大会に出場、オーバーハンドの速球投手である。

入江投手の話 契約をすませた入江投手は県営球場で大毎ー阪神戦を見物したが、入団の決意を次の通り語った。小さい時から阪神、巨人と半分ぐらいずつ好きだった。阪神に入るようになったのもなにかの縁と思います。阪神に入る以上プロの選手として恥ずかしくないプレーをしたい。内野手に使うだろうという話もあるが私はまだなにも聞いてないし、できれば投手をやりたい。内野手は高校時代ちょっとやっただけで本当にやったわけではなし、自信がない。
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今井務

2018-02-24 17:59:12 | 日記
1963年

セ・リーグ大洋ホエールズは三十日午後、東京銀座の球団事務所で新入団選手四人を発表したがそのなかに岡谷工の今井務投手もふくまれている。今井投手は左腕の技巧派投手として県下一といわれていたが、今夏の全国選手権県大会準決勝対松商戦に敗戦投手となった。制球力、カーブともによいが、むしろ左右にうまく打ち分ける打力のさえを期待する向きもある。
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高垣義広

2018-02-24 17:46:46 | 日記
1966年

高校球界で本格派投手としてプロ入りが注目されていた鳥取西高の高垣義広投手(18)は十二日、大洋ホエールズと契約を結んだ。ドラフト制度による交渉権放棄選手の中では契約第一号である。高垣投手は快速球とカーブに威力があってプロ球団からマークされ、第一次交渉権を獲得していた近鉄をはじめ大洋、巨人、南海、阪神、広島、東京の七球団がリストアップしていた。ドラフト制度による第一次交渉権は抽選で近鉄に決まったが、近鉄は高垣投手と一回の交渉をもったまま、予算の関係などから放棄する方針をとっていたという。第一次交渉権の期限は十二月十日までで、十二日にはコミッショナーに対して放棄選手の名簿を提出、自由契約選手とする制度がとられている。この中に高垣投手もはいっていたので、情報をキャッチしていた大洋ホエールズは先輩の藤井勇チーフスカウト(鳥取一中出)を球団代表として派遣、かねてから入団を望んでいた高垣投手と正式調印したもの。鳥取西高では捕手として活躍、昭和三十年に大洋ホエールズに入団した益田貢選手(現在同球団スコアラー)いらい十二年ぶりのプロ入りで、活躍が期待されている。高垣投手は岩美郡岩美町岩井、クリーニング店経営高垣武雄さん(43)の長男で、中学時代から速球投手として注目を浴びた。鳥取西高では二年のときからエースとなり、甲子園出場こそ果せなかったが、夏の東中国予選をはじめ春秋あわせて三回中国地区大会に出場、本格派の威力を発揮した。身長179㌢、体重78㌔、右投右打。

高垣投手の話 進学を希望していたが、先輩のいる大洋球団から話があったので、プロ入りを決意した。他の球団には行く意思がなかった。中学時代からの念願がかなったので、力いっぱいやります。

藤井大洋球団チーフスカウトの話 高校一年生のときから見守ってきたが、一年間みっちり練習すれば二年目から戦力に加わることができると思う。体力があり、正攻派でしかもカーブがよいから楽しみだ。学校の関係もあるが、二月のキャンプから参加してもらうことを望んでいる。
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藤目功治

2018-02-24 17:34:19 | 日記
1968年

藤目功治投手(18)=津田高(香川)177㌢、67㌔、右投げ右打ち。

南海入りした津田の藤目投手は右の本格派で美しいフォームからくり出すスピードボールは一年生時代から注目されていた。同投手は河合楽器入社が早くから内定していたが「どうしてもプロの世界でやりたい」という本人の堅い決意と内海スカウトの熱心な誘いがあって南海入団が決まった。
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酒井増夫

2018-02-24 17:30:05 | 日記
1973年

近鉄は二十六日、ドラフト会議で2位指名の北陽高・有田二三男投手(18)=177㌢、73㌔、右投げ右打ち=と同5位指名の八幡浜工・酒井増夫投手(18)=182㌢、74㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。背番号は有田13、酒井48。酒井投手は一年から八幡浜工のエースとして活躍。スピード豊かな直球は早くから注目されていた。今夏の県予選ではベスト8に進出した。すでに県内のノンプロチームに就職が内定していた。
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青木征雄・齋藤正弘

2018-02-22 22:51:03 | 日記
1960年

来年高校を卒業する野球選手のうち、本県からふたりがプロ野球にはいることになった。宮商の青木征雄投手が南海。青木投手は八月末から門鉄に決まっていたが、南海の石川スカウトが「門鉄への話は南海で決めるからテストを受けてみないか」という切り出しで九月下旬に宮崎市で行われたテストを受けてパス、門鉄の取り消しも円満に話がついている。右投げ、身長1㍍75、体重68㌔。

青木投手の話 テストがあったのでうけてみた。ノンプロの話も決まっていたが、どうせ野球をやるからにはプロで力をためしてみたいと思っていた。ことしのスカウト合戦でだれ選手がいくらだそうなという話は聞くが、ぼくらには想像もできない金額だし、もちろん安い。しかし別に気にならない。かせげる投手になれたら・・・と決心している。

もうひとりは西鉄にはいる日向学院の齋藤正弘投手。左腕で1㍍75体重73㌔という恵まれた体力からノンプロでは大毎、鹿鉄、日鉱佐賀関からかなり積極的な勧誘があり、プロでも一時、東映が「どうだろうか」と見ていた時期もあったが、西鉄にいる先輩桑原投手の線から九月はじめにほぼ西鉄入りが内定、今月はじめに契約をすませた。

齋藤投手の話 バッティングを生かしたいと思っていたが、九月末に福岡にいった時にはピッチングばかりさせられた。どうせ野球をやるならサラリーもプロの方が高いし、やってみたいと思っていた。西鉄は九州の球団だし、がんばりたい。
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浜田義治

2018-02-22 21:08:29 | 日記
1957年

掘出しものは浜田だろう。高校時代は中堅手で四番を打ち、巨人へ入った鎌田の第二投手をしていた。国鉄にもはじめは外野手として入ったが、入団してから「投手もやれる」といったら、投手に登録されたという。五尺八寸二分、十九貫八百というしっかりした身体で、肩はよいし、足も速く身体も非常に柔らかだ。シュートを武器にしているが、外野をやっていたせいか投げる瞬間ヒジが後に残るので何かしらギコチないフォームだ。キャンプでこれを直すのだといっている。打撃もよくアウト・コースが得意。
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