1961年
福島県大会では野球部結成いらい十一年目に同県代表となり、東北大会は初出場。組み合わせのクジ運にも恵まれていたが、一試合ごとに調子をあげ、かなり充実したチーム力をもつ若商、川俣もけ散らしているだけにあなどりがたい。このチームの看板は渡辺(政)投手。同投手は身長172はあり、スピードも十分で、福島県内の本格派投手ではピカ一。投手ながら四番を打ち、渡辺一人で背負っているワンマン・チームだが、同県大会の三回戦あたりからは全員が渡辺を盛り立て、しだいに平均した実力を身につけた。
学福工は速球投手渡辺が健在。調子に乗ればシュートの切れも鋭く文句ない投球を見せる。しかし渡辺以外頼れる投手がいないのが弱み。
エース渡辺政はスピード豊かな速球と外角に流れるカーブで四倉打線を寄せつけず、三回西尾に二塁打されただけでまったく危なげなかった。
福島県大会では野球部結成いらい十一年目に同県代表となり、東北大会は初出場。組み合わせのクジ運にも恵まれていたが、一試合ごとに調子をあげ、かなり充実したチーム力をもつ若商、川俣もけ散らしているだけにあなどりがたい。このチームの看板は渡辺(政)投手。同投手は身長172はあり、スピードも十分で、福島県内の本格派投手ではピカ一。投手ながら四番を打ち、渡辺一人で背負っているワンマン・チームだが、同県大会の三回戦あたりからは全員が渡辺を盛り立て、しだいに平均した実力を身につけた。
学福工は速球投手渡辺が健在。調子に乗ればシュートの切れも鋭く文句ない投球を見せる。しかし渡辺以外頼れる投手がいないのが弱み。
エース渡辺政はスピード豊かな速球と外角に流れるカーブで四倉打線を寄せつけず、三回西尾に二塁打されただけでまったく危なげなかった。