
撮ろうとすると近づいてくる‥、デカイよ、顔。

もうすっかり秋、じゃなくて冬ですわ、早い一年だった。
ってまだ師走じゃないんだけどそんなもんです、気分的にも現実的にも
諸々、走り出してるもんだから。

箱の中に頭が入ってて胴体だけ外、そんなイラストが表紙の本が
ベストセラーですが(書店の平積みで見たことある?)。
(自分の小さな箱から脱出する方法)
箱はつまりここでよく言う「私」自分のことですね。
自分のなかですべて完結して妄想している状態を箱の中という概念
にして示したのはわかりやすいようで、いや、わかりやすいと思われ
るのでしょう。ブックレビューなどおおよそ好評ですね。
読んで納得、いや納得という言葉には及ばない段階の「わかった」
気がする、そういう状態には至れるのかもしれません。
そして安心を与えられ納得したとつい言いたくなってしまうものです。
「私」を箱として描くとしたらおおざっぱなんですが、おおざっぱに
バッサリいかないと、いかに生きるかなんて難しい問題を最大公約数に
説明し理解を求めようとするのは難しいのですね。
難しいから知りたい、でもわかりやすくないと読まない、で、ざっくり。
うさこはこの最大公約数的なものに警戒心を抱くタイプであります。
そこから漏れ溢れるモノを注視し、敏感になってしまう癖があります。
大きなものは見えますが、溢れる小さなものは隠れた真実だったりします。
見えないものを認識しておくことがとても大切な気がする、なんてこと
言ったりするとまた違うなーちょっと。
見えないような感じのモノも実は見えなくはないわけでしょ、そこにある
でしょう、在る、実存する全てという考えをします。
自分に都合のいいところだけ見るのとは違います。自分は関係なく事実は
有りますから。それらすべてを取りこぼさないように勘定にいれるとすると、
最大公約数を使って物事を計ることはできなくなるのです。
したがって、丁寧に、とカメから教わったように、丁寧にみのけほども
ゆるがせにせず、という姿勢ですかね、ま、ざくざくと抜けている現実では
ありますが、志としてはそういうことです。

旧事の言葉はやまとことばですし、おまけに原文から漢文だから堅い。
その固さや漢字に表された意味を現代語にざっくりと置き換えると
たしかに「ああ、そういうこと」なんてわかりやすいという反応です。
ただし別物に変わっていることがとても多い。
こちらの脳内絵図と相手の絵図が色も形もぜんぜん違っていて、丸が
三角だったりするわけです。平たく言えば誤解を生みます。
わかりにくい方が実はいいんです。
わからないなあと、じっくりと考えをめぐらせ、時間がかかり、
歩きながら、生活しながら、座って、寝て目覚めてと、何日も何日も
かけて、あ、そうか、これだとわかることのほうが、本当にわかったと
いうものなのではないかと思います。
それなら翌日、またどっか行ってしまって、忘れちゃいました、なんて
ことはない、インパクトのあるわかりかた、印象に残り記憶されるでしょう。
たとえわかったとしてもそれは一つの事実であって、法則になるえるほど
の真実か、ということですね。
法則がいっぱいあるのは可笑しいでしょ、法則や原則とは片手ですむ位
しかないのです。
生きているうちに、法則をいくつ知り得たか。
それが楽しみであります。
とりあえず、理、これはとても便利な法則でとてもお役立ちしてます。
理を平易な言葉とイラストで書くとどうなるか、誰にでもわかるように
するにはどうしたらいいか、考えたことがあるけど、まだできない。
カメに明日あたり尋ねてみよう。
サラサラと絵を描いていただいたにしても、はて、それを解読(よめる)
かどうかだな。
とりあえず、顔、デカくてけっこうです、広いのよか、デカイでいい。
広くてあさーいって、無駄も数のうちに入ってるんだから。
ベイビーのたった一つしかないデカイ顔と鼻の穴、すうすうと寝息中。
久々に更新したら支離滅裂である、ごめんなすって。