日比谷野音へオイラも行きたいさあ、行ってきますぅぅぅぅぅエレカシのライブ以来だわ日比谷野音なんて久しぶりだ。オイラも一緒に行きたい行きたい。連れてけ、連れてけ、と訴える親分さん。お気持ちだけ...
なつかしい写真、去年のプラカードだし。
去年の12月10日は日比谷野音でさよなら原発の集会だった。
あまりにいろいろなことがあり、今もまだ続いているので写真
でも撮っていないと忘れてしまいます。今、今、今、でまだ道
の途中なので振り返ったりする余裕はないから。
gooブログのサービス機能で一年前の記事をメールで知らせて
くれる。頼まなくてもくるある。サービスといえるかどうか、
ありがたくもないが、たまに使っている。
しょっちゅう当ブログへ来てくれている方からは昔の写真を
使いまわしてるね、なんて言われたりするのである。
まあ、そういうことにならなくもない………ね…。
写真を撮る時間がないのであります。
行ったり来たりばかりしている日々、日暮れるのが早いから
森へ戻っても外へ出ないまま翌日は仕事で明け、また暮れる。
東京の風景は撮りたい意欲もなし、では親分をとなると、
カメラを向けると斜めを向く。
この斜めを向くというのはどういう意味なのか?
こっちから撮ってくれない、あたしは右側からがいいのよ、
と女優、、いやオネエみたいな注文なのか?
たまにカメラ目線でもシャッター音とともにあっち向いてホイ
になって、結果ブレている。
大口あけて笑いながらカメラへ向かって突進してきたのは
最後はいつだったっけ。
ウツ顔をしているのである。
で、ユーウツなのかと思ってごきげんをとると、そうでもなく
アホ顔に戻ってヘラヘラする。
手足をバタバタさせて挑んできたりする、寝転んだまま。
すべてが省エネモードなのである。
彼は歳を重ねて、重くなった足をゆったりゆったりと運び
躓いたり横倒しに転んだりしながら3メートル歩く。
立ったまま突然動かなくなるときもある。
補助ベルトをひっぱっても、重いからだをふんばっている。
ふんばる力があるのかと思うが、そうではなくて私に力
が足りなくて引っ張りきれないのだった。
すべてがゆっくりになった。
ガツガツと食べること以外は。
そして焦点があわなくなってどこを見ているのかわからない
眼で、何かを見ている。
見ているとき、ちょっと小首をかしげる、あのビクター犬の
ようなポーズをとる。
それがあまりにかわいらしくてipodのカメラを立ち上げ、
構えるとプイと斜め。
見えないのかなーと思っていると、まっすぐこちらを向いて
なんかくれービームを送ってきたりする。
ああ、見えてるんだね、オヤツを差し出すと、オヤツに
気づかない……。
なんかこう、よくわからないのである。
わからないけれども、感じることはできる。
犬神、いつも守っていてくれる君は犬神だということ。
唐突に羽交い絞めして、好きだよーぷーちゃーんと
叫んだりして拝んでいる。