想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

政治的前衛から「猫の神様」まで

2012-12-19 01:53:24 | 



「かくありたし。かっこいい」というツイートに
曵かれて映画を観に行った。
東京渋谷の雑踏を抜け、路面店をいくつも通り越して
UPLINK (シアター)に辿りついた。

「美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう/
足立正生」
前衛的映画監督を撮ったドキュメンタリー
のシリーズ第1弾として「足立正生」を取り上げていた。
同時にUPLINK では足立正生の特集企画をやっていた。
胸の底のほうに沈んでいたものが起きあがって、くるくる
と回り踊り始め、たちまち血行が良くなっていった。

政治的前衛はつまりは左翼、極左、革命という意味だと
思っていいだろう。
すべては終わり飼いならされた大人しい羊のような時代
にモノ思う年頃になり、退屈で、世の中の嘘がキライ、
アレもコレもマチガッテル、沸々とした思いを向ける先も
なかった。私は父親の話と書物から革命の2文字を密かに
意識しながら成長した。
しょせん憧れにすぎない「革命」だったのだが。

フォロワーさんがなぜ「かくありたし」と言ったのか、
「かっこいい」とつぶやいたのか、すぐにわかった。
映画の内容はここで書きようもなくて、なぜならば
それは「観念的」とフォロワーさんが言っていた通りで
あった。
頭の中にイメージを積み重ねながら言葉を丁寧に慎重に
理解しながら観るフィルムだったのだ。

わかりやすい平板なドキュメンタリーもあるが、これは
「美が私たちの決断をいっそう‥」をシリーズのタイトルに
持ってきたというところからすでに始まっている実験で
ある。フィルムに何をどう焼き付け伝えるか、映画の手法
をつきつめた作品である。解説をしようがない。
観て感性で受け止める映像、カメラを感性に直結させた作品
と言ったらいいだろうか。足立正生という存在もまた感性の
人である。
芸術=感性なのであるが、芸術と呼べないシロモノが溢れる
昨今に感性という言葉がどれほどの意味を持つか疑わしいが
見えないものを感じ取る力、美を瞬間に捉える力と言えば
いいだろうか。醜に抵抗する力でもあるだろう。
即物的思考しかしないなら理解不能、まあ、理解される必要
もないということだ。

そして、足立正生という人の言葉の一つ一つをよく理解
している作り手(監督)が、それをなぞるのではなく自らの
意志をもって新たに創作(抽出)した足立正生を映しだして
いた。
革命が目的ではなく生きることが目的、生きるとは衝動で
ある。衝動を後押しするのは美、美は命の瞬間である。
まあ、そういうことをさらりと足立さんは語っていたように
受け止めたが、肉体と魂を一体化させるとそうならざるを
えないわけだ。ああ、そうそう、と頷きながら涙が溢れた。

前衛や左翼にありがちな理屈や理論武装などから遠く
隔たった世界観だ。
胸の奥深くに刻み込まれる言葉は「気」や気配となって
注意深くないと消えてしまう。それが映像に焼き付けられて
いた。



で、猫の神様って何のことかといえば、本のタイトル。
初日に足立正生とトークショーをやった東良美季さんの
著書である。
東良さんの足立さんへのインタビュー記事が面白く、
ナニモノ?と調べていくうちに文庫化されていた
「猫の神様」に遭遇した。

表紙の、ごろんちょしている猫がうちの縁側住いの
ブチャと江戸を足したようなおかしな顔で(シツレイ)、
おまけに仰向けになって真っ白なお腹を見せているもんだから
ついさわりたくなって注文した。
後日、猫の神様はfacebookやブログで有名な存在だと、
知るに至ったが、最初は「かくありたし、かっこいい」で
始まり、猫との愛しい日々を綴った本に出会った。
選挙前の修羅の日々にほとほと嫌気がさしていた時に偶然、
手の中に良薬がころがりこんできたような二重のヨロコビで
あった。
















コメント
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