仕事場から見える建物はみな
コンクリート製である。
ビルのガラスが夕陽を受けてギラギラ
もう慣れたが、森ビルが建った時は
異物以外のなにものでもなかった。
かつては海の気配を感じさせた空も
狭くなった。
突き上げるようにいくつもの高層ビル
が建ち、東京タワーを見下ろしいる。
成り金がエラソーにしてる感じ。
焼野原から経済成長へつき進む
その始まりにあった東京タワー。
どこからでも見えた。
けれど、人のおごりはとどまらない。
倫理より経済、金がないと始まらない
そう考える人が増え過ぎた。
東京タワーは必死で立ち直ろうと
した、まだ人が善良だった頃の
象徴のようにも見えてくる。
かわいいもんである。
だからというのではないが、
東京タワー愛は変わらない。
夜になるとカーテンを開けて眺める。
でも、東京にいると土がない。
ベランダの植木鉢の土を雀たちが
荒らしにくる始末である。
きみたちは公園へ行きなさい、と
いくら言っても散らかしていく。
こないだ代々木公園を歩いた。
原宿にちょっとした用事があった
帰り、公園沿いに停車していたので。
陽は射していたがとても寒い日で
散歩には不向きなようだが、公園へ
入っていく人が多いのである。
靴が汚れるのを気にしないで、
舗装されていない、落ち葉のある
ふかふかした土のあるところを
歩いた。
ほんの短い時間だったけれど、
土を踏んでいたら、森を思い出した。
ああ、これこれ、と。

猫たちははだし。
森のふかふかの土を、歩く。
トーキョーの猫や鳥は、土の匂い
を嗅ぎ分けてたまには散歩してる。
土が好きなのはヒトも同じである。
放射性物質で汚染された土を袋に
詰めて、あっちへやっても
あっちからまたあっちへ
移動させるばかりで、元の土には
返らない。
歩いているうちに、うれしさが
悲しみに変わった。
土を返せと、シュプレヒコール
高波のように襲ってきた。
大江健三郎が「定義集」で
繰り返した原理力発電を
終わりにするための言葉がある。
「私ら市民の運動において
それが未来に向けての
人間の生の、つまり倫理的な
おおもとにすえられることを
熱望します。」
この「倫理的」ということは
経済より上位にくるもので
あるのを、忘れてしまわない
ようにしたい。