散歩から先まわりして帰った猫たち。
部屋に入らずに庭にいると…
ジョリコが甘え声を出して呼ぶ。
知らんふりしていると、気づいて
すばやく降りてくる。
そして、ゴロニャン。
寝返りを二三度、チラ見しつつ
ゴロゴロ。
こっちおいで、と言っても
ゴロゴロ。
ジョリコに話しかけていたら
チビも混ざってきた。
ったく、真似ばかりする。
似てないよ。
ジョリコは飽きたらしい
おやつをくれないなら
用はないのよ。
すたこらさっさ、
脇をすり抜けるときには
かならず匂い付けを忘れない。
スリスリ、ごますり。
え?
どうする、次どうすんの?
チビはぽっか~ん。アホです。
では、やっと本題入ります。
中野信子氏の講演録を読む。
(日々の新聞で連載中)
1/15号「オキシトシンの裏表」
赤ちゃんが産道を通るとき
分泌されるので名付けられた
オキシトシン。
しあわせホルモンとも呼ばれ
よく知られているけれど…
身近な人への愛着を深め絆を
深める物質だけれども、その
逆に排外的な気持ちも強める
ことになる、ネット右翼や
ヘイトスピーチをする人々は
オキシトシンが高い人なのかも、
そういう例をあげて中野さんは
説明していた。
集団維持のために作用する
物質とも考えられると。
そして、気になったのは
自閉症患者にオキシトシンの
投与をした結果、効果が
見られたという臨床報告の記事。
向社会性を高めるのに役立つ
のではないかと結論づけている。
脳内物質の研究が進んで、
治療に役立つのはいいこと
かもしれないが。
そもそも人が自然から著しく
離れた生活をして、人らしく
いるのは努力がいるってことを
科学者はあまり考えないようだ。
たとえば、ペットを撫でる、
撫でられたペットも飼主も
オキシトシンが分泌される。
という実験例もあるわけです。
でも、ペットにも選ぶ権利が
ありますね、撫でてくれれば
誰でもいいってもんではない。
撫でる以前に相性はあります。
犬猫がなつかない人って
いるんですよねー。
そこで、オキシトシン効果には
ある一定の条件が必要なのでは
ないか。
それは愛しいと想うこころ
大事に思うこころが伝わる
ことがあってのことではないか、
と思うわけです。
古くは「和徳」ともいう、
いまどきは「愛」がわかりやすい
かな。
脳内物質分泌を前提にして、
オキシトシンが幸せを
感じさせる=作り出す、
そういうとらえ方がされてしまう
ような話だと、ちょっと近視眼的
というか科学オタク的というか…
ぶっとんだ中野さんらしい
といえばそれまでですが。
対症療法を好み、結論を急ぐ。
研究、発見、実効性の追究、実験、
臨床実験、観察。薬事法のクリア。
患者にできるだけ多く投与。
経過観察…。(以後、諸問題は
あってあたりまえなので問題なし)
科学者じゃない、ただの人としては
現代のこういう流れに違和感を
覚えております。
で、この話になぜ色々と考えて
しまったかというと…。
カメ先生のところへ、自閉症の
お子さん連れた親御さんが
こられます。
当事者であるお子さんは
カメにすぐになついて
少しも緊張しない。
親御さんは困りごとを話す、
いいわけのようでもある、
いっきにしゃべりまくる、
そして話すだけ話すと落ち着き
やっと子どもの変化に気づく。
そして、ハッと目を見開く。
あるいはカメと話をする子をみて
ただ首を傾げている親御さんも
います。
親御さんのことはいいですが、
子どもはうれしそうにしている。
そういう感じなのです。
それが大事なことなのです。
社会に適応している人間は
健康であるという考え方から
すれば、自閉症は「問題」扱い
にし異端として接する。
それを一番近い人がやれば、
病気は治りようがない。
病気でなくとも病気になります。
そういう例を見てきたから
であります。
ちなみに、ぷ~ちゃんも
カメのそばでよく優等生
みたいな顔して、おすわり
していましたね。
いい子だね~と撫でようと
する手をぷ~にするっと
よけられてしまうヒトも
いましたね~。
その間に流れる目に見えない
素粒子よりほのかに小さな
ものを、愛と呼ぶのじゃ
なかろうかと思います。
オキシトシンは愛が流れた
あとの滓ではないですか。